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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
グリム機関の赤頭巾
23/46

22

 マリアは診療台から数メートルという位置で立ち止まる。

 この場所がおそらく、インペリアルが奇襲を仕掛けられる間合いの一歩外だ。

 日本刀の柄に手をかけて、彼女は索敵に全神経を集中させる。


 暗闇の姿で敵の姿を認識できなくても、それは直感という形で狩人に知らせてくれる。音として知覚できない小さな音。わずかな空気の流れ、匂い、味、温度の変化。研ぎ澄まされた五感が教えてくれる。


 マリアの構える日本刀に銘はない。なぜならば、対異端者用に打たれた現代刀だからだ。強度を重視した合金が使用されて、シルフィのグルカナイフと同じように銀でコーティングされている。吸血鬼の変異形態に対して有効な武器だ。


 居合いの構えを取ったまま、靴底をこするように距離を詰めていく。

 本来、居合いとは座している状態、敵に接近を許した状態から使用する奥の手だ。鞘走りによって抜刀速度を早めるというのも俗説で効果はない。だが、グリム機関は鞘に特殊な加工を施すことで、実際に抜刀の速度を速めることに成功していた。


 対応策としてではなく、完全なカウンター技として使える抜刀術。

 マリアの直感が敵の存在を知らせた。

 刹那、彼女は日本刀を鞘から抜き放つ。


 インペリアルは霧化を解除して、マリアの右斜め上から襲いかかっていた。振り下ろした右腕と日本刀の刀身が衝突する。刀身はバターのようにインペリアルの右腕を斬る。手のひらから手首、手首から右肘、右肘から右肩。切断面からブスブスと黒煙が立ち上る。


 が、そこで止まる。

 一瞬だけアジの開きのようになっていた右腕は、斬られた先からくっついて再生していた。日本刀の切っ先がインペリアルの右肩に埋まってしまう。銀コーティングはダメージを与えられているが、それよりも再生能力の方が上回っているのだ。


「あらら、鉄骨くらいなら真っ二つのはずなんですけど……」


 マリアは反撃を受ける前に、日本刀を放棄して飛び下がった。

 右肩に日本刀が突き刺さったまま、インペリアルが物足りなさそうに嘆いた。


「私も武術を学ぶものとして、抜刀術の存在は知っていたが……この程度か」

「まだ仮免なんです。悔しいですがこんなところでしょう」


 残念そうなマリア。

 途端、インペリアルの赤色をした瞳が彼女を射抜いた。

 頭を痺れるような痛みが駆け抜けるが、それは一瞬の出来事でしかない。


「……私に魔眼は通用しませんよ。手負いのシルフィさんはともかく」

「きみも先ほどの彼のように武術は扱うのかね?」


 インペリアルが左手で日本刀を抜こうとする。

 すると、マリアがおもむろにスカートの中へ手を突っ込んだ。


「達人級ではないですが、私はそこそこ多芸ですよ」


 彼女は前傾姿勢から左腕を振り抜く。

 投擲のモーション。

 インペリアルに向かって投擲されたのは、長い鎖に繋がっている分銅だった。全体が暗闇に溶け込むような漆黒に塗られている。そして、マリアが右手に構えている鎌の柄尻に鎖は繋がっていた。すなわち、彼女の新たな武器は鎖鎌である。


 日本刀を抜き取ろうとするインペリアルの左腕に鎖分銅が絡みついた。インペリアルは鎖を引っ張って、日本刀と同じようにマリアの手から武器を奪おうとする。だが、マリアはその力を逆に利用して跳躍すると、インペリアルの頭上を軽々と飛び越えた。


 空中で鎖をしならせて、できた輪っかをインペリアルの首に引っかける。そして、マリアは着地と同時に鎖を引っ張って、インペリアルの首を締め上げた。マリアの立ち位置からは、シルフィに駆け寄る森斗の姿が見える。


 ただ、相手は尋常じゃない身体能力を持つ吸血鬼だ。鎖くらいなら簡単に断ち切ってしまうだろうことはマリアにも分かっている。でも、今はただ鎖を引きちぎるという動きを取らせることで、少しでもシルフィ救出の時間が稼げればいい。


 が、インペリアルは霧化という選択肢を取る。

 全身が白い霧に変化した途端、捕らえる相手を失った鎖分銅が床に落ちた。

 霧化を解除して、再びインペリアルがマリアに襲いかかる。


「器用な男ですね、全くッ!」


 舌打ちするマリア。

 地面に落ちた鎖分銅を引き上げて、インペリアルに向かって背後から襲わせる。

 だが、この攻撃は間に合わない。


 インペリアルが飛び込みながら放つ裏拳に合わせて、マリアは極限まで姿勢を低くして敵の足首を狙った。水面スレスレを滑空するツバメのような軌道。驚異的な身体の柔軟性、バランス感覚によって成り立つ戦法だった。


 その攻撃もまた、インペリアルは霧化することで回避する。

 マリアの肌を凍えるような冷たさが撫でたかと思うと、次の瞬間、霧化を解除したインペリアルが背後に立っていた。実体化したときには、すでにマリアの首筋に腕が絡んでいる。首を絞めるという面倒な行程は必要ない。そのまま真っ二つに切断する。


 しかし、ここでインペリアルにも予想外の現象が発生した。

 首を切断しようとした瞬間、目前からマリアの姿が消失したのである。


 トンと足音がして、彼女の姿はすぐに見つかった。

 マリアは倉庫のさらに奥へ退避していたのである。鎖鎌もすでに放棄していて、今のところは丸腰状態だ。吸血鬼にも察知不可能だった行動の反動か、十秒にも満たない一連の攻防を終えて息を荒くしている。


「……残像か。その歩法、ぜひ学んでみたいと思っていた」

「どうやら、赤外線とかが見えているわけじゃないようですね」


 深く息を吐いたマリア。

 インペリアルが言った通りに、先ほどの技術は残像と呼ばれる現象を利用したものだ。相手の認識をズラすようなタイミングで、急激な加速をすることに可能となる。センスのないものは、一流の狩人でも真似することができない。抜刀術や鎖鎌術と同じく、マリアがグリム機関で働くために学んだ技術だ。


 ただ、マリアはこれをせっぱ詰まったときの奥の手として使っている。というより、せいぜい一度の戦闘中に一回だけ使えたら良いところだ。急加速で体力を消耗するのも理由の一つだが、相手の認識をズラすために神経を消耗する。敵がこちらの位置を確信した瞬間を見切るためには、観察すること以外の全てを放棄しなければいけないのだ。


 金属の断ち切られる音が聞こえる。

 おそらく、森斗がシルフィの拘束を解いているのだろう。

 倉庫の奥に移動しすぎた。二人と一緒にさっさと逃げなければ……。


 マリアがそんなことを考えていると、インペリアルはさらにまた霧化で姿をくらました。明かりが足らないせいで霧を見失ってしまう。残像を使うためになりふり構わなかったのが災いしたか……。

 直後、森斗の声が注意を喚起する。


『――マリア、後ろだ!』


 とっさに振り返るマリア。

 だが、そこにインペリアルの姿はなく……むしろマリアは振り返ったことによって、彼に背後を取られる形になってしまった。


 気が付いたときにはもう遅い。

 森斗の姿を偽ったインペリアルが、マリアの肉体を粉砕しようと拳を振り上げていた。


 ×


 マリアとインペリアルが交戦に入ったことを確認。

 森斗はシルフィの元に駆け寄ると、


「もう少しだけ待ってくれ!」


 彼女を拘束している鎖めがけてグルカナイフを振り下ろす。

 すると、左手首に填められている手枷――そこから伸びている鎖が、甲高い音を立てて真っ二つに切断された。特殊な工具でも必要だったらどうしようかと思っていたところである。まさに不幸中の幸いだろう。


「……助けに来る必要なんてなかった」


 ムスッとしてシルフィが言った。

 森斗は彼女の言葉に、つい脇腹の痛みを忘れて笑ってしまう。


「僕はきみをインペリアルのコレクションなんかにしたくないよ」

「私だって、あんなのはゴメンだ……だが、」


 目をつぶるシルフィ。


「助けてもらったところで、私はもう戦えない……戦えないよ。私は全然強くなってなんかいない。異端者たちのことが怖いんだ。やつらを倒すことで恐怖を拭おうとしていた。でも、駄目なんだ……駄目なんだよ、森斗」


 ざくり、ざくりと、森斗は枷の鎖を断ち切っていく。

 彼はシルフィに向かって語りかけた。


「それでも、僕はシルフィを助けたいんだ。約束したじゃないか。それにきみのことを初めて知ったときから思ってたんだ。きみのことをもっと知りたいって、仲良くしたいって。こんな風に思うこと、今まで一度もなかった。だからっ!」


 最後の鎖を切断する。

 その音を聞いて、シルフィがハッとまぶたを開いた。

 だが、まだ麻酔が抜けていないようで、彼女は自力で起きあがることができない。

 シルフィは視線を逸らした。


「……森斗、抱っこしてくれ」

「分かった。安全なところまで――」

『――マリア、後ろだ!』


 次の瞬間。

 別方向から聞こえてくる自分の声。

 ドォオン――と、倉庫全体を揺さぶるような音。


 森斗が顔を上げた先で見たのは、倉庫の壁に叩きつけられてぐったりとしているマリアの姿である。セーラー服の前部が大きく破れて、その下に仕込んであったグリム機関制作のボディアーマーが真っ二つに割れていた。内臓に深刻なダメージを負ったのか、胸元にかかるほどの吐血をしている。


 そして、すでに目前まで接近している敵の姿。

 インペリアルは狩屋森斗の姿から、元の吸血鬼に戻ろうとしている最中だった。剥離した表面組織が、まるでダイヤモンドダストのようにキラキラと輝いている。超高速で迫り来る拳に対して、森斗は衝撃を流す構えで対応するしかない。


 受けるために差し出した左腕が、インペリアルの拳と接触した瞬間――手首から肩までめしゃめしゃに破壊される。衝撃を通した代償として、骨と関節が完全に粉砕された。技術が未熟であるが故に、威力の全てを地面に流すことができない。


 殴り飛ばされた森斗の体が、吹き飛んで棺型装置の一つに衝突する。透明な材質の上蓋を破壊して、彼の肉体は棺に保存されていた死体と共に崩れ落ちた。少年の若くて、色合いの良い血液が床面に流れ出す。


 指一本動かさなくなる森斗。

 彼を中心にして大きな血溜まりが出来上がっていく。

 その光景を目の当たりにして、シルフィが絹を裂くような悲鳴を上げた。


「……う、嘘だろ! 立ち上がるんだ、森斗!」

「案ずるな。彼はまだ生きている」


 インペリアルが微かな呼吸を聞き取って断定する。


「だから、とどめを刺さなければならない……」


 森斗のそばに歩み寄ろうとするインペリアル。

 その背中を狙って、倉庫奥から何かが投擲される。


 インペリアルが振り返って受け止めてみると、それは小学生が授業で使うようなプラスチックの三角定規だった。

 壁に倒れかかったまま、どうにかといった感じにマリアが顔を上げる。

 彼女はにへらと笑って見せた。


「……こっちだって、まだ終わっちゃいませんよ。武器もたっぷりあるんですから」

「いいや、殺すのは彼が先だ」


 インペリアルはきびすを返すと、落ち着き払った態度で森斗に歩み寄る。

 彼は血溜まりの中に倒れている。微かに呼吸する音が聞こえているが虫の息だ。腹部から漏れだしたはらわたが血溜まりの中にこぼれ落ちている。それはまるで別の生き物のように柔らかい色合いでぬめっていた。


「少年、きみは素晴らしかった」


 森斗の首筋に手を伸ばすインペリアル。


「できることならば、あと百年は経過してから戦いたかっ――」


 彼は耳に届く発砲音。

 吸血鬼の感覚としては、発砲音からだいぶ遅れて眉間に痛みを感じた。


 インペリアルは虚を突かれていた。

 だから、銃弾が放たれてから回避できる能力を持っていながらも眉間を撃たれた。

 森斗は自分の体越しにインペリアルを自動拳銃で撃ったのである。


 肩口を銀弾が貫通する。でも、彼の左腕はインペリアルの拳を受け止めたせいで、すでに複雑骨折、神経もバラバラ、使い物になんてならない。銃弾を隠すための隠れ蓑にはもってこいの使い捨てアイテムだろう。


 インペリアルの眉間から黒い煙が吹き出す。吸血鬼の再生能力と、銀弾の破壊能力がせめぎ合っていた。だが、銀弾は多くの異端者にとっての弱点――それはインペリアルも例外ではない。彼は脳みそを焼かれながらも、なかなか死ねない地獄の苦しみを味わう。


「……ぐっ、ぐォオオオオオオオッ!」


 吸血鬼に変異したインペリアルが初めてあげる雄叫び。

 なぜ撃てた? 瀕死だったはずだ?

 激しい痛みと同時に、彼の脳はそのような疑問で埋め尽くされている。


 瀕死も瀕死だ、と森斗は言ってやりたい。

 ただ、もっと死にそうな感じに偽装させてはもらった。


 脇腹に貼り付けた絆創膏もどきを剥がして、さらなる出血を意図的に起こさせる。腹部から漏れだしたようにみえる内臓は、棺型装置に収まっていた死体のものを利用させてもらった。戦闘班が突入してきたの一斉射撃で、死体が傷ついていたのは一つの光明だった。


 当然、全身が激痛だらけだ。棺型装置に突っ込んだとき、ガラス片が体にザクザクと刺さってきた。左腕はボロ雑巾のようになっているのに、追い打ちをかけるかのように銃弾を撃ち込んだ。せっかく止血した腹部の傷口も、わざと出血させるために開いてしまった。大量の血液と一緒に意識が遠のいていき、真冬みたいに体がガクガクと震えてくる。


 けれど、それでも撃った。

 インペリアルが頭を抱えてよろめく。脳内に埋まった銀弾を指でほじくり出そうとするが、弾痕に差し込んだ先から指が溶けていった。狩人との戦いを極力避けていた彼にとって、それは初めての死を実感する痛みだろう。


「まだ、ダ。まだ、そう簡単にハ……私も生ヲ諦めないッ……」


 おぼつかない足取りで、インペリアルは未だ動けないシルフィに近づいていった。


「灼熱ノ砂漠に取り残されタときを思えバ、これしキのこと――」

「させるかぁっ!」


 森斗はインペリアルに向かって射撃を繰り返す。

 頭部に二発、三発、四発、まだ止まらない。

 戦闘班に射撃を要請――いや、シルフィにまで当たってしまう!


 インペリアルは最後の力を振り絞って、穴だらけになった自らの頭部を変化させる。

 先ほどは森斗に変身して、マリアを見事に騙してみせた。

 ならば、今度は――


「……さぁ、私にその血を飲ませておくれ」


 インペリアルの頭部がオオカミに変化する。

 森斗たちには見覚えがある。それは先日倒した大神煌の……人狼形態の頭部だった。


 麻酔による思考力低下、迫り来る死の恐怖、魔眼による精神圧迫。

 首から上だけの変身でも、シルフィの心を乱すには十分である。


「い、嫌だ……私はっ、私は人狼になんてなりたくはっ……」

「きみハ、人狼にナるのダッ!」


 シルフィの肉体が診療台の上で跳ねあがった。

 フードの下から獣の耳が、スカートの下から獣の尻尾が現れる。瞳の色はエメラルドから赤に変化して、八重歯はオオカミのように鋭く伸びた。雷に打たれたように痙攣しながらも、人狼化は速やかに進行する。


 インペリアルが彼女の首筋に噛みつく。血液だけを吸い取ろうなどという上品な行動ではない。首筋の肉ごと噛みちぎるような荒々しい動きだ。もちろん、その程度のダメージで人狼化したシルフィは死なない。だからこそ、思い切りかぶりつくことができる。


 生まれて初めて、人狼化した少女の血液を飲み下す。

 インペリアルの反応はまさに目の色が変わったという風だった。喜びのあまりに体が踊り出しそうになってしまう。今まで飲んだことがない全く新しい味が全身に染み渡ってくる。自分が吸血鬼から別の……さらに上位の生き物に生まれ変わりそうなほど、シルフィの血液は圧倒的に美味!


 溢れ出てくる不死のエネルギー。

 脳に撃ち込まれた銀弾を外にはじき出しそうなほどの再生力。

 もう一口……もう一口だけっ!


「地獄の底でッ――」


 グルカナイフを掴んで、診療台から跳ね起きるシルフィ。

 獣の耳と尻尾をはためかせて、彼女は力一杯に愛用の武器を振りかぶる。

 そして、


「――悶え続けろぉっ!!」


 シルフィのグルカナイフは、インペリアルの胴体を真一文字に切断した。


 確かな手応え。

 脈動する心臓が二分にされて、黒煙を上げながら溶けていく。途端、インペリアルの再生能力が急激な衰えを見せ始めた。塞がりかけていた頭部の銃痕が、まるでブラックホールのように広がっていく。インペリアルは真っ二つになった胴体をくっつけようと、切り離された胸から下を掴もうとしたが、体が痙攣して触れることさえもできないでいた。

 見開かれる瞳。


「……ァあ、美味、だッた。生まレ変わっタら、また、きみの血ガ吸いたイ」


 インペリアルは断末魔をあげて動かなくなる。

 人生最高の血液を味わえてもなお、彼は復活することができなかった。数百年前、砂漠の真ん中で死ぬはずだった男がようやく眠りにつく。その顔は苦痛に歪んでいるようにも、喜びに満ちあふれているようにも見える。

 ただ、インペリアルへの攻撃は続けられようとしてた。


「――うァああアああアッ!!」


 人狼化したシルフィが雄叫びをあげる。

 まだ刻み足りない。殺し足りない。粉微塵にしたって足りない。

 異端者を殺し尽くさない限り、彼女は恐怖から逃れることができないのだ。

 シルフィのグルカナイフが、崩れ去るインペリアルの死体を刻もうとする。


 寸前。

 森斗は彼女の前に立ちはだかっていた。

 左腕は動かないから、精一杯に右腕を広げて……。


「シルフィ、こいつはもう死んでいる。死体を傷つけても意味はない」


 グルカナイフの切っ先が森斗の胸に突きつけられた。

 その姿勢のままで、シルフィの体が小刻みに震え始める。額から大粒の汗が流れ落ちて、呼吸もひどく荒い。異端者を殺したい。そうでなければ恐怖から逃げられない。人狼化によってぐしゃぐしゃになった彼女の心が肉体を突き動かそうとした。


「森斗さん、下がってください!」


 立ち上がることができなくて、マリアが這うようにして二人の元にやってくる。

 口から血を流しながら、それでも彼女は仲間のためを思って声をかけ続けた。


「彼女はもう元に戻れません! 能力をコントロールができない人間は、一生できないままなんです! 暴走したシルフィちゃんは私たちで倒さなくてはいけない。それなのに、森斗さんまで失ったらどうすればいいんですか!」

「シルフィなら大丈夫だ! ナイフも体に刺さってはいない……」


 森斗はマリアに向かって言った。

 グルカナイフは黒コートだけではなく、その下に仕込んだボディアーマーも貫いている。だけど、森斗の体にまでは到達していない。両手でグルカナイフを受け止めなくてはいけなかった大神煌の一件とは明らかに違っていた。


 シルフィは葛藤している。

 だからこそ、森斗も最後の最後まで彼女を信じ抜くことができる。


「……聞いてくれ、シルフィ。異端者との戦いは終わりない。怖いこと、痛いこと、苦しいことばかりかもしれない。だけど、僕はきみと一緒に戦い続けるよ。もちろん、戦うことだけじゃない。学校にも行って、部活にも参加して、みんなで楽しいことをいっぱいするんだ。シルフィにもそんな気持ちが残ってるなら、きっと人狼化を抑えられる!」


 根拠のないことを、とマリア。

 だけど、シルフィが暴走に抗っているのは紛れもない事実だった。


「シルフィ! 頑張るんだ、僕たちが一緒だっ!」


 森斗は呼びかけ続ける。

 グルカナイフを取り落として、シルフィは頭を抱えてうめき声を上げた。


「……うぅッ! 森斗、あぁ……森斗ッ!」


 震える彼女に向かって、


「――シルフィさん、私もです!」


 マリアも意を決して精一杯の言葉をかけてくれる。


「一度は戻ったんです、今度も自分を取り戻してください! あぁ、もう、あなたが諦めないなら私だって諦められませんよ。最後の最後まで、この戦いが終わったら学校も放課後も付き合います。だから、戻ってきてください! あなたのためにも、あなたに全てを捧げた森斗さんのためにも!」


 彼女の言葉が引き金になって、見守るしかなかった戦闘班の面々も声援を送り出した。

 シルフィ。頑張ってくれ。人狼の血に負けたりするな、と。

 森斗は仲間と共に力の限り叫ぶ。


「――戻ってこいよ、シルフィ!!」


 刹那、弾かれたようにシルフィの背中が跳ねた。

 彼女が前に倒れ込んで、森斗は膝立ちになりながら胸で受け止める。右腕で強く抱きしめると、シルフィの体温がとても暖かく感じ取れた。彼女の髪の匂いが鼻をくすぐる。暖かさと匂いが合わさって、森斗をとても心地よくさせた。


 シルフィを見れば、すでに獣の耳、そして尻尾がなりをひそめている。

 彼女が再びまぶたを開いたとき、その瞳は宝石のようなエメラルド色に戻っていた。


「私は……戻ったのか?」


 上目遣いでシルフィが問いかける。

 彼女を安心させたい一心で、森斗は大きく大きくうなずいた。


「戻ったんだよ、シルフィ。きみは自分の力で戻ったんだ!」

「そんな……私だけの力じゃないさ。お前が、呼びかけてくれたから……」


 こつん、とシルフィの額が森斗の胸に当たる。


「もう少しだけ、このままでもいいか? なんだか、それほど、悪くない気分だ……」

「僕もそう思っていたところだよ。いやぁ、今回も生き残れてよかったなぁ!」


 本当はもう左腕やら脇腹やらが痛くて痛くて仕方がないのだけど、それでもシルフィとくっついてられるのはかなり悪くない気分だ。死ぬほど頑張った甲斐があった。これからも、きっと頑張れるだろうという気持ちになる。

 それほど時間が掛からず、シルフィからすぅすぅと寝息が聞こえてきた。


「……さて、私たちは担架に運んでもらいましょうか」


 マリアがそう言って、派手に破られた正面シャッターを指さす。

 医療班の面々が駆け寄ってくるのを確認したところで、森斗の意識はパタンと落ちた。

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