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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
グリム機関の赤頭巾
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 魔眼を使われている――というのはすぐに理解できた。


 シルフィはそれを知識としてなら知っている。吸血鬼などの異端者が持つ超能力で、睨み付けるだけで相手を眠らせたり、催眠状態で言いなりにしたりすることが可能だ。意志薄弱なものは懸かりやすく、訓練を受ければ多少は対抗できる。


 一人前の狩人として、シルフィは催眠術に抵抗するための訓練は受けていた。けれど、今はその訓練も役に立ってくれない。インペリアルの赤い瞳が意識を吸い取っていく。全身に力が入らなくて、まるで空中にふわふわと浮いているようだ。掴まれる場所が見当たらない。暗闇に吸い込まれていく。


 目をつぶったら最後、次に覚醒したときは日本を離れていることだろう。それどころか、両手両足を切断されて、すでに立派な血液サーバーになっているかもしれない。しゃべったりできないような手術も施されて、血液を生み出すためだけに生きるようになる。ガラス製の棺の中、そんな一生を送るようなことになるのだ。


 嫌だ、そんなのは嫌だ。

 シルフィの脳内で二つの恐怖がせめぎ合った。


 両親を殺した人狼に自分も食い殺されること。四肢を切断されて、血液サーバーにされてしまうこと。あぁ、そんなの選ぶことはできない。だったら、雑居ビルの屋上で森斗に撃ち殺された方が良かった。どうして、あいつは私を殺してくれなかったのか。


 次々と負の感情が押し寄せてくる。

 狩人になんて、ならなければ良かったんじゃないか? 復讐なんて無駄なことだったのだ。諦めてしまえば良かった。悪夢にうなされながら生きる方がまだマシだかもしれない。少なくとも、悪夢に四肢をもがれることはないのだから。


 自分は強くなったつもりでいた。でも、それは全くの誤解だった。心は何一つも強くなっていないじゃないか。異端者を全て滅ぼしたら、きっと弱い心のままでも生きていけるだろうと思っていた。けれど、弱い心を持ったまま異端者を倒せるわけがない。


 立ち向かっている振りをして、逃げ回っていたツケを払うときが来たのだろう。一人で暴れ回っていただけ。迷惑をかけただけ。何の意味もない人生だった。終わらせることでしか清算できない。だから、これは訪れて当然の終わりなのだ。


「……さぁ、眠ってしまえ」


 インペリアルの声。

 最後に聞くのが異端者の声だなんて嫌だ。

 あいつの声が聞きたい。

 私のことを絶対に守ると、あの言葉をもう一度だけでいいから聞きたい。


「――森斗」


 意識が落ちる。

 寸前、だった。


 窓ガラスが派手に割れたかと思うと、一つの影がキャットウォークを飛び越えてくる。

 それは倉庫の中央に着地して、コートに付いたガラス片を払った。

 全力疾走で乱れた呼吸を整える。


「……待たせたね、シルフィ」


 狩屋森斗が――来ないはずの狩人がそこに立っていた。


 ×


 武器はない。仲間もいない。様子見している場合でもない。

 埠頭の倉庫群に到着して、森斗は迷わずにB‐3倉庫に飛び込むことを選んだ。ぐずぐずしていたら、グリム機関から差し向けられた追っ手に捕まってしまう。シルフィと一緒に見捨てられる可能性もかなり高いが、どちらにせよ悠長にしてはいられない。


 森斗はインペリアルと対峙する。

 相手は二十メートル弱ほど離れた位置にいる。傍らにある診察台には、シルフィが両手両足を拘束されて寝かされていた。二人の両脇には西洋棺のような装置が立ち並んで、そこには四肢を切断された死体が収められている。おそらく、あれがインペリアルに攫われた女性たちの末路なのだろう……。


「……森斗!」


 シルフィが笑顔になって彼の名前を呼ぶ。

 彼女は首を起こして、どうにか森斗の方を見ていた。


「どうして助けに来たりした!? グリム機関は私なんかを助けようとしないはずだ!」

「……命令は無視した」

「はぁっ!?」

「マリアも騙して、手錠をかけてきちゃった。僕は裏切り者として扱われるだろう。でも、それでいいんだ。きみを助けに来ることができたからね」


 靴底が砕け散ったガラス片を踏む。

 森斗はインペリアルに向かって問いかけた。


「シルフィを返してもらうぞ、吸血鬼。応じるつもりはないか?」

「悪いが、ない」


 インペリアルは姿勢を正して答える。

 彼の口調からは不真面目さが感じられない。まるで時代を生きた本物の紳士であるかのようだった。異端者の多くは能力を過信するあまり、態度が厚顔不遜になるものが多い。彼からはそのような驕りを感じられなかった。

 森斗は宣言する。


「それなら答えは一つだ。お前を倒してシルフィを返してもらう。関係のない沙耶を巻き込んだこと、今まで多くの女性を傷つけてきたこと、シルフィを連れ去ったこと……それを僕は許したくない」

「正義が許さない、とは言わないのだな?」

「あくまで僕個人の判断だ。正義なんて大それたものは分からない……」

「――なるほど、素晴らしいっ!」


 インペリアルが唐突に拍手をし出した。

 森斗は思わず面食らってしまう。


「……す、素晴らしいって、何が?」

「きみのことだよ、少年。機関に背いてまで仲間を助けに来る。正義を語らずに、自分の判断で相手を倒そうとする。私はそういった人々に努力と敬意を惜しまないようにしている。失礼にあたってしまうからね」


 インペリアルが晴れやかな笑顔で語り始めた。


「私は常々思っていた。どうして、私たちのような悪は最後に倒されてしまうのか? それは努力と敬意の二つを忘れてしまうからだ。正面から戦ったとしても、私にはシルフィをさらう自信があった。だが、実力を過信して努力を怠る悪党は多い。私は大神沙耶を利用することによって、より確実に成功する手段を採用した。策を打つ努力だ」


 彼は右手に填めている白手袋を外すと、


「そして……敬意だ!」


 森斗の足下に向かって投げつけた。


「策を打つのは大いに結構。だが、ここ一番の大勝負で姑息な手段に訴えて、因果応報とばかりに敗北する悪党もまた多い。彼らには何が足りなかったのか……敬意だよ! 相手に敬意を払って、正々堂々と戦っていれば勝利していたはずなのだ。私はきみに敬意を払い、ここに一対一の決闘を申し込む!」


 返答を待つインペリアル。

 森斗よりも先にシルフィが口を開いた。


「引き返すんだ、森斗! 相手はお前を逃がさないように――」

「きみが私と一対一で戦う限りは、私は吸血鬼としての能力を使わないと約束しよう」


 その一言でシルフィを沈黙させる。

 インペリアルはさらに条件を細かく定義付けしていった。


「すなわち、吸血鬼としての変異形態を解くということだ。人間として戦うと言い換えることもできる。超常的な能力も、人間離れした身体能力も使わない。そして、きみはどんな武器を使っても構わない……といっても、今のきみは丸腰であるように見えるがね。乱入者がないかぎりは、私はどんなピンチに追い込まれようとも吸血鬼にはならない」


 彼の言葉を信用するに足る理由はない。

 言うなれば紳士協定というものだろう。お互いを信頼しあっての不文律だ。守らなければ、破った人間の名誉に傷が付く。それを躊躇わないものは紳士たり得ない。紳士協定を破って策を弄すると、それはインペリアルの理論に基づけば自らに敗北を呼び込む。


「……どのみち、僕はあんたと戦わないとシルフィを取り戻せない。それが本当の約束だったとしても、騙すための罠だったとしても受け入れるしかない。僕は今のところ、一人で戦いに来たんだからね」

「だから、帰れって言ってるだろう!」


 シルフィが森斗に怒声を浴びせる。

 ぎりぎりと奥歯を噛みしめて、怒りと呆れと悲しみの混じり合った視線をぶつけてきた。

 森斗はそれを軽くいなしてしまう。


「いやいや、僕が来たときは嬉しそうな顔をしてくれていたじゃないか」

「あ、あれはだな……」


 口を噤んでしまうシルフィ。

 森斗は白手袋を拾って、それをインペリアルに投げ返す。


「……決闘は受けて立つ。だけど、決闘を始まる前に異端者になった理由を教えてくれ。あんたを倒して誰かが困ったりしないか知っておきたい」

「きみは面白いことを聞くな……」


 インペリアルは戻ってきた白手袋をはめ直した。

 実に面白い、と彼は目を細める。


「私はかつて世界を股にかけた冒険家だった。まだ飛行機が発明されていないような時代、私はキャラバンと共に砂漠を横断していた。だが、途中で砂嵐に巻き込まれてキャラバンは散り散りになって、私と仲間たちは砂漠のど真ん中で遭難してしまった」


 先になくなったのは、食料ではなく水の方である。

 成人の男女が十数名に対して、水は一日分しか残っていなかった。奪い合いをすることもなく一日で水は消費されて、インペリアルを含む男女十数名は乾きに苦しんだ。砂漠横断を成し遂げれば人類初の快挙……彼はどうしても生きて帰りたかった。


 最初に思いついたのは誰だったか。

 死んだ仲間の血液を飲もうというアイディアが遭難者たちの間で生まれた。


 当然、血液などまともに飲めたものではない。けれども、インペリアルは鬼気迫る思いで血液を飲み干した。極限の渇き、冒険家としての野心が、尋常ならざる行動を可能にしたのである。動けなくなった仲間を引きずりながら、インペリアルは灼熱の砂漠を横断し続けた。彼にとって、仲間はすでに血液を溜めてあるタンクと同じだったのである。


「砂漠を渡りきったとき、私は超常的な能力を手に入れた。吸血鬼として覚醒していたのだ。血液のわずかな味の違い、美味い不味いを理解していたよ。年寄りや男性よりも、うら若い乙女の血液が美味であることもね……」


 インペリアルが恍惚として語った。

 森斗は質問を投げかける。


「それからの吸血行為は完全に快楽を求めてのことなのか?」

「あぁ、その通りだ。私の肉体は人間と同じように、普通の食事と水を必要としている。生きていくだけなら吸血行為は必要ない。だが、娯楽のない人生は退屈だ。退屈は超越者をも殺すのだ。精神の死は、肉体の死と同意であるからな!」

「……そうか。そうなんだろうな」


 質問するまでもなく、周囲に立ち並ぶ棺を見ていれば分かることだった。

 インペリアルは最後に付け加える。


「だから、きみはこの私を何のためらいもなく滅ぼしていい。私に家族はいない。己を磨くための努力、快楽のための吸血。それが私の全てなのだから!」

「それなら、確かに心おきなく戦える」


 足を肩幅に開いて、森斗は父から習った基本の構えを取った。

 それに応じて、インペリアルも構えを取る。

 ニィと開かれた口元から、鋭い八重歯が引っ込んでいくのを確認できた。また、同時に赤色の瞳が青色に変色していく。吸血鬼としての変異形態から人間に戻ったのだ。これで、彼は人間の肉体、反応速度、技術で戦わなくてはいけない。


 決闘開始の合図はない。

 だが、二人は同時にお互いの距離を詰めた。

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