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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
グリム機関の赤頭巾
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19

 夜が深まった時刻。

 待機命令を告げられて、森斗はマンションの自室で調査班の報告を待っている。すでに戦闘服の黒コートを着用しているが、着替えてから結構な時間が経過していた。ベッドの縁に腰掛けたまま、時計の針が進むのを眺めている。


 部屋には駆けつけたマリアの姿もあった。彼女も戦闘服のセーラー服に着替えている。太いベルトを巻いており、スカートの丈が長めでレトロな雰囲気だ。彼女が制服を蒐集していると言ったのはあながち嘘ではないのかもしれない。傍らに主武装とおぼしき日本刀を携えて、テーブルの前に座布団を敷いて正座していた。


 狩人としては完全に待ちの状態である。

 インペリアルがシルフィを連れ去ったあと、森斗はすぐさま事態をグリム機関の調査班に報告した。調査班はこれを受けて、シルフィの現在位置を割り出し開始――もうすぐ、彼女がどこに連れて行かれたか判明するはずだ。どこにいるかさえ分かったら、その先は森斗たち狩人の仕事である。


 また、インペリアルと名乗った異端者の正体についても調査は行われている。彼は人間の姿のまま、驚異的な身体能力を見せつけた。変異形態はハッキリとしていない。だが、わざわざ名乗ったのは名前を隠す意味がないと判断してのことだろう。インペリアルの正体について、調べが済むのは時間の問題だった。


 一つだけ安心できることは、気を失った沙耶の容態が安定していることだろう。彼女は治療班に保護されて、その後の経過を見守られている。一連の不自然な行動から、暗示や催眠の類をかけられたのではないかという予測が立っていた。


「――はい、こちらマリアです」


 マリアのインカムに通信が入る。

 現在、森斗とマリアは二人一組の行動が義務づけられているが、正確には森斗がマリアの指揮下に入った形だ。年齢は同じでも、グリム機関の仕事歴はマリアの方が長い。部署は違うけれども、役職はマリアが上なのである。そのため、全体連絡でない場合はマリアにまず連絡が伝えられる。


 通話は一分もかからずに終了した。

 マリアは通話中、淡々とした声で相づちを打っていた。学校での陽気な雰囲気はなりをひそめて、目つきも研ぎ澄まされた日本刀のように鋭い。動揺を隠しきれない森斗の一方、彼女はこの状況下でも冷静さを失っていなかった。


「まずは先に敵の情報を伝えますね」


 日本刀を携えて、マリアはその場ですくっと立ち上がる。


「シルフィさんを攫ったのは、グリム機関が『インペリアル』と呼称している異端者です。属性は吸血――彼はつまり吸血鬼に変異しています。普通の人間と変わりない姿に見えたそうですが、おそらくはあの状態で変異済みということなのでしょう」

「インペリアルはシルフィの血を狙って?」


 森斗の言葉にマリアは大きくうなずいた。


「狙いはそのはずです。インペリアルは積極的に女性を襲って、ときには攫ってまで吸血行為を愉しんでいます。ハイブリッド状態になった人間の血液は、通常の血液とは構造が異なっていますから。血の味を確かめたい、という純粋な快楽が目的でしょうね」

「そのために、あいつは沙耶を操ってまで……」


 吸血鬼の異端者は古くは中世から出現している。その中でも人間を操る『魔眼』はポピュラーな能力の一つだろう。ただ、昨今は吸血鬼イメージの多様化によって、十字架だとか、太陽光だとか、そういったものが通用しないパターンも多い。インペリアルを典型的なタイプと安易に想定するのは危険だろう。

 マリアは情報共有を続ける。


「香港の狩人を倒したのもインペリアルでしょう。シルフィさんを追いかけてきた、と考えるのが打倒です。昨日の今日で日本入りを果たしたことから考えて、超越者協会が密入国を手引きした可能性が高い。どこかに隠れ家を構えているのではという話が出て……案の定、埠頭の倉庫に逃げ込んだことが調査班の調べで分かりました。倉庫番号はB‐3。偽装のために周辺一帯も押さえているみたいですな」

「じゃあ、シルフィはそこにいるんだな!?」


 これで彼女を助けに行く準備は整った。

 自動拳銃がホルスターに収まっていることを確認しながら、森斗はベッドの縁から飛び出してしまいそうな勢いで立ち上がる。


 何があっても守るとシルフィに誓った。

 自分の失態には自分で蹴りをつけなくてはいけない。

 そして、森斗が外に向かおうとしたところである。


「――出動はありません」


 彼の背中に向かって、マリアが端的に言い放った。


「私たちに出動命令は出ていないんです」


 振り返りざまに森斗は訴える。


「……そ、そんなはずはないだろ!? 異端者が出現したんだ。グリム機関の仕事はどんな手を尽くしてでも異端者を狩ることのはずじゃないか。それなのに、どうして出動命令が出ないなんてことがあるんだよ!」


 自分たちが出動しないなら、攫われたシルフィはどうなるというのだ。東京支部が別件で多忙を極めている以上、インペリアルの一件で動けるのは自分たち二人だけであるはず。他の狩人が応援に当てられるなんて話もない。

 森斗はコートのポケットから携帯電話を取り出した。


「美希さんに確認する」


 少なくとも、美希は自分たちよりも高い役職の人間である。出動命令が出されない詳しい理由をしているはずだ。


『――どうしたの、森斗くん?』


 幸いにも、美希はすぐさま応答してくれた。

 ただ、彼女の声は精彩を欠いており、ひどく疲れていることが伺える。携帯電話の向こう側からは、オフィスにいるエージェントたちの声がいくつも聞こえてきた。やはり忙しさは変わっていないようである。


「出動命令がどうして出ていないんですか!?」


 すぐさま疑問をぶつける森斗。

 わずかに沈黙。

 美希は思い詰めた様子で聞き返した。


『理由を話せば納得してくれるかしら?』


 断固として森斗は答える。


「シルフィの命が懸かっています。どんな理由だとしても納得はできません。だけど、理由を聞かなければ説得だってできない。まずは教えてください」

『……インペリアルを狩ること、シルフィさんを助け出すこと。私よりも上の人たちは、この二つのことに極めて消極的なの』


 理由を語り始める美希。

 理不尽なことは分かっているけれど、私の立場では何もすることができない。

 そんな気持ちの現れか、彼女の声は小刻みに震えていた。


『インペリアルとは極上という意味の言葉よ。極上の血液を求めることが、あの異端者が行動原理なの。気に入った女性から血を吸って、稀に攫うことがあるけど、それ以上の破壊行為は行わない。グリム機関との衝突も今までは一度もなくて、かち合ったとしても戦わずに逃げるばかり……異端者にしては被害が少ない方なのよ』

「被害が少ないから放っておけってことですか?」

『それがグリム機関の方針よ。それは森斗くんでも分かっているはず』


 分かってはいる。

 グリム機関は正義の味方だなんて気軽に定義できる組織ではない。巨悪を倒すためならば、小さな悪の対処を行わないこともある。表社会で扱われる事件とは被害の大きさが違うのだ。子供のイタズラを注意していて、大量殺人犯を逃すような真似は許されない。


「でも、僕とマリアは動けます。僕たちでインペリアルを倒します」

『相手は香港の狩人を倒しているの。しかも、特別な能力を使った痕跡すら見られない。今まで、狩人の追走から全て逃れてきたことを考えても、インペリアルはかなりの実力者であることが伺えるわ』

「ならば、その危険性を確認できた今こそ、インペリアルを叩くべきじゃないですか!? この機を逃したら、次はいつ姿を現すのか分からなくなる。実力を確かめるだけでも、僕たちを出動させる意味はあるはずです!」


 出動する口実さえできれば、あとは現地でシルフィを救出すればいい。

 もちろん、インペリアルを取り逃がすつもりだってない。

 だが、美希は森斗の熱意を持てあます。


『……上はこう思っているの。被害がシルフィさんだけで済むなら安いものだ、と』

「何を馬鹿な!」

『シルフィさんは人狼化をコントロールすることができない。これは訓練次第で鍛えられるものではない。できたとしたら、奇跡と言っても過言ではないでしょう。グリム機関は奇跡に賭けてまで、シルフィを狩人として扱えるようにしたいとは思っていないの』

「問題が一つ見つかったら、僕らみたいな下位のエージェントは用なしですか」

『それが致命的な問題であれば……』


 自己嫌悪だわ、と美希は呟いた。


『あなたを傷つけたくて言っているわけじゃないの。ただ、インペリアルを倒したい、シルフィさんを助けたいという話だと上を説得することはできない。私の立場では不可能なの。だから、ここはどうにか耐えてもらうしかないわ』


 それから、携帯電話の向こう側から美希を呼ぶ声が聞こえてくる。

 彼女にタイムリミットがやってきたようだ。


『……ごめんね、森斗くん。力になれなくて』

「いいえ、すみません。美希さんは悪くないのに……」


 通話が途切れる。

 森斗はポケットに携帯電話を戻した。

 そして、そのまま自室から出て行こうと足を進めた瞬間――


「……駄目ですよ、森斗さん」


 玄関のドアが開いて、完全武装の戦闘班が室内に駆け込んできた。

 その姿は各国の対テロ部隊さながらである。顔を隠すマスク、防弾プロテクター、構えられたアサルトライフル――いつもは戦闘のバックアップを任せている彼らが、今は森斗を取り囲んで銃口を向けていた。


「今、一人で出て行こうとしていましたね?」


 振り返ると、マリアがインカムのマイクを指で摘んでいた。


「命令違反です。森斗さん、あなたを拘束します」


 それから日本刀の柄に手を掛ける。

 森斗は臆せずに主張した。


「……マリア、僕たち二人でシルフィを助けに行くべきだ」

「私だって考えてないわけじゃないですよ。それなりの手だってあるんです。だけど、上からの命令は絶対、規律は絶対です。それが守られなかったら組織は崩壊する。悪いですが、今回の一件で組織の輪を乱すわけにはいきません」

「どうしても駄目かな」


 首を横に振ってマリアは答える。

 不審な動きをすれば斬ると、彼女の真っ直ぐとした眼差しが語っていた。

 森斗は両手を上げて、抵抗する意思はないことを示す。


 戦闘班の一人がボディチェックをして、彼の愛用している自動拳銃を回収した。武装はそれきりであることを確認して、森斗に後ろ手で手錠を掛ける。インカムまで取り上げると、呼び出された戦闘班の面々は森斗の自室から出て行った。


 再びマリアと二人だけになる。

 森斗はテーブル前の座布団にドカッと腰を下ろした。


「……今から後悔したって遅いですよ。遅すぎですよ。決断力が足りていませんよ」


 調査班から連絡を受けるまで寡黙にしていたのに、いきなりマリアが機関銃のような速度で嘆き始めた。


「今になって後悔するなら、どうして最初から撃たなかったんですか!? シルフィさんも撃てと言っていたんですよね? 彼女は自分の命を捧げる覚悟ができていた。それができていなかったのは森斗さんだけじゃないですか! 美希さんに文句を言いたいのは私の方ですよ。私にはシルフィさんを撃つかで悩む機会すら与えられていないのに!」


 森斗に背を向けるマリア。

 顔を合わせているだけでも腹立たしい、と背中にまるで書いてあるようだった。


「シルフィさんを傷つけたくない――その気持ちは私だって分かります。だけど、シルフィさんの覚悟を踏みにじれば、彼女の心を傷つけることになる。このままでは、シルフィさんが残した最後の願いを叶えないまま、彼女を見捨てるだけになってしまう……」


 あなたのやったことは最悪中の最悪です。

 マリアはそう言って、日本刀の鞘をギュッと抱きすくめた。


「でも、僕は思っていることがある」


 森斗は彼女の背中に向かって言葉をかける。

 ほんのわずかに、マリアの背中がぴくっと反応した。


「……なんですか?」

「あのとき、僕が撃てなかったのは覚悟がなかったからじゃない。僕が弱かったからだ。強ければシルフィを守りながらインペリアルを倒せたはずだ」


 弾丸が発射されたあと、それを回避する相手だったとしても。


「僕は今まで、自分は強くないから当たり前のことだけでも守りたいと思っていた。でも、それも甘い考えだって分かった。本当に強くならなければ、自分の守りたいものを守ることはできないんだ。今ほど強くなりたいと思ったことはない」


 訓練することしか許されなかった小学生のときよりも、ただ強くなることだけが目標だった中学生の時よりも、狩人の厳しさを知って強さを諦めていた昨日までよりも、今、森斗は最も強くなりたいと考えている。


 覚悟ならある。

 シルフィを助けられなかったら、彼女は死ぬよりも辛い目に遭わされるかもしれない。それだったら、介錯してやるのが仲間としての義務なのだろう。だけど、それで彼女を救える最後の機会を潰してしまうのならば、森斗は安息の死なんて望まない。


 当然、最も苦しむのはシルフィだ。だから、この覚悟は一人だけで決めることができない。でも、彼女は森斗の言葉を真っ直ぐに聞いてくれた。最後まで守るという約束だ。それがシルフィの中で生きているなら、彼女はきっと助けを待ってくれている。


「僕はシルフィを信じている」

「……仲間を信じるだなんて馬鹿なことはやめてください!」


 マリアが焦り気味の声で言った。


「友情や愛情を信じられるのはプライベートの場だけです。グリム機関において、異端者との戦いにおいては規則が全てに優先されます。人間的な感情が正確な判断を鈍らせるんです。森斗さんは冷静さを欠いている」


 彼女は矢継ぎ早にまくし立てる。


「私も同じような経験をしてきました。父の親友が異端者にそそのかされて、私を誘拐しようとしたことがあるんです。本当に怖かった。そんな思いは二度としたくない。事件が起こる予兆はありました。だけど、私も……父も気づかないふりをしていた。親しい相手が自分たちを騙そうとしているなんて思いたくなかった」


 自分たちが友情に惑わされなければ、規則やデータに従う人間であれば……。

 幼かったマリアは命の危険を感じて思い知ったのである。

 彼女が内部監査班を選ぶのは当然の成り行きといえるだろう。


「だから、今回のことを教訓にして森斗さんも規則を守ってください。シルフィさんを助けられなかったことで、誰もあなたを責めたりはしません。彼女を見捨てることは命令なんですから。友情や愛情に心を痛ませる必要はないんです」

「……ありがとう、励ましてくれて」

「えっ!?」


 びくん、とマリアの背中が跳ねる。

 森斗は思ったことを言っただけなのだが。


「僕が傷ついたりしないように気遣ってくれてるんだよね?」

「いや、まぁ、そうなんですけど……そう真っ直ぐに言われると照れるというか、私が我慢できないっていう気持ちが半分くらいというか、うぅん……なんだか、これだとシルフィさんみたいな物言いですよね」


 カチャッ――

 恥ずかしさで身をよじらせるマリア。

 彼女はそのときになって、背後に回している両手に何かが填っていることに気づいた。


「ふぇっ!? あっ、ちょっとこれ……」


 マリアの両手を繋いでいたのは、森斗を拘束していたはずの手錠である。

 森斗は両手を自由にさせて、今は彼女を見下ろすように立っていた。

 よくよく見ると、彼の手には細い針金が握られている。


「手錠のピッキングなんて、どこで覚えたんですか!?」

「今日の放課後、美術室の漫画で読んだんだよ。これは使えるんじゃないかと思って、とりあえずは見よう見まねって感じで……」

「それでピッキングができたら苦労しませんよ、変なところで才能がありますねぇ!」


 戸惑うマリアを尻目にして、森斗はベランダに通じる窓を開け放った。

 すると、肌寒い夜風が室内に吹き込んでくる。

 インペリアルが現れたときのように、空では青白い満月が煌々と輝いている。


「埠頭のB‐3倉庫だったよね? 真っ直ぐに走れば、自動車で行くより早いな」

「も、森斗さん、何を馬鹿なこと言ってるんですか!? あなた、丸腰ですよ! 吸血鬼と素手で殴り合うつもりですか? 間違いなく死にますよ。死んでしまいますよ! どれだけ私たちを困らせるんですか!」

「いやぁ、でも、シルフィと約束しちゃったし……」


 森斗はベランダの手すりによじ登ると、


「後は頼むよ。ゴメンね、マリア」


 そのまま、マンションの向かい側にある一般住宅の屋根に飛び移った。

 いつまでも屋根の上を走っていられないけれど、やたらと入り組んだ住宅地の場合はやっぱりこれが一番速い。ビルの屋上に飛び移るだけの脚力があればなぁ……と思わずにはいられないけれど、とにかく今は四の五の考えずに走るだけだ。


「……シルフィ」


 守ると決めた人の名前を呼ぶ。

 彼女が答えてくれることを信じて、森斗は埠頭の倉庫を目指して走り続けた。

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