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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
グリム機関の赤頭巾
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02

 路地裏で殺戮が行われた日の朝。


 狩屋森斗かりや もりとはマンションの自室にて、愛用している自動拳銃のメンテナンスを行っていた。自動拳銃をパーツごとに分解して、一つずつ丁寧に汚れを拭き取って、再び組み立て直すのである。彼は毎朝、このメンテナンスを必ずこなしていた。


 自動拳銃に関してはきれい好きな森斗だが、彼の生活しているスペースはごちゃっとしている。男子高校生の一人暮らしならばさもありなん、といった様子だ。教科書やノートが床に放置されていたり、雑誌が散らばっていたり、シンクには洗われていない食器が水に浸されたままになっている。


 掃除には気が回らないが、毎日の日課だけは淡々とこなしていく。

 森斗は弾丸の入っていない状態で自動拳銃の抜き打ち練習を始めた。壁に掛かっている鏡を見ながら、動き方、構え方が歪んでいないかを確認する。本当は射撃練習もしたいところなのだが、日本国内で練習できる場所はごく少数に限られている。


 自動拳銃を専用の金庫にしまうと、森斗はそれから小さめのテレビに電源を入れた。テレビでは朝のニュース番組が流れている。彼はそれを眺めながら、腕立て伏せに始まり、腹筋、背筋、スクワットと地味で苦しい筋トレをこなしていった。


『アメリカのニューヨークでは今、下水道に人食いワニが住み着いているのではないかと話題になっています。現場のレポーターと中継が繋がっています』


 テレビ画面が高いビルに囲まれたニューヨークの町並みを映し出す。

 現場のレポーターは興奮した面持ちで語り始めた。


『ニューヨークでは一ヶ月ほど前から、下水道で人間の死体が発見されるという事件が頻発していました。市警はこれを連続殺人として捜査していましたが、巷では人食いワニの仕業ではないかという声が多数上がっています。そして、これが――』


 レポーターが手作り感満載のフリップを持ち出す。

 そこには若干ピンぼけしているが、下水から鼻先を突き出しているワニの写真が貼り付けられていた。


『新聞社に寄せられた写真がこちらです。同じような写真、あるいは動画がインターネット上にあふれかえっています。専門家の判断によると、偽物の写真や動画が多く見られているものの、こちらの写真は本物の可能性が高いということです。写真を解析したところ、体長は五メートルを優に超えて、人間を簡単にかみ砕けるあごの力を――』


 そういう方向性か、と腕立て伏せをしながら感心する森斗。


 下水道で行われた連続殺人事件……世間は犯人を『連続殺人犯』か『人食いワニ』の仕業であると考えているらしい。だが、狩屋森斗はその両方が不正解であることを知っている。事件の犯人――それは『異端者』と呼ばれる存在だ。

 化け物、怪物、怪獣、妖怪……呼び方はなんでもいいだろう。そういった異形の存在は人知れず確かに存在している。なぜならば、異端者と呼ばれる存在はその全てが『人間』を起源としているからなのだ。


 怪物は生まれたときから怪物なのではない。

 あるとき、突然、けれども明確な契機を伴って怪物になる。例えば猟奇的殺人、食人、近親相姦、宗教によって固く禁じられている行為――それらを破ることによって、人間は異端者へと変異するのだ。

 その変異は物理法則を凌駕する。ただの人間が巨大な怪物に、不定形の存在に、超常的な能力を持つ異能力者に生まれ変わる。死という概念すら持たず、永遠に生き続ける存在にだってなってしまう。


 あなたの隣に住んでいる人が、同じクラスにいる生徒が、食卓を囲んでいる家族が、突如として想像を絶する怪物に変異するかもしれない――そう知らされたらどう思うだろう? かつての魔女狩りが分かりやすい例だ。人間は疑心暗鬼に陥って、自らの首を絞めてしまう。人間社会は簡単に崩壊してしまうのだ。


 それでも、こうして今まで人間たちは日常を守ってきた。

 なぜならば、世界の平和を異端者たちから守る組織が存在するからである。


「……む?」


 テーブルに置いてあった携帯電話から、不意に着信音が鳴り響く。

 森斗は片手腕立て伏せをしながら、携帯電話を手に取って応答した。


「はい、もしもし」

『おはよう、森斗くん。元気にしていた?』


 聞こえてきたのは彼の上司――葛原美希くずはら みきの声である。

 彼女の声を聞くと、森斗はすぐさま銀座にある高級バーだとか、ビルの最上階にあるスイートルームだとかを思い浮かべる。仕事ができて、高給取りで、色気があって、お酒が大好き……そんなイメージが脳に焼き付いているのだった。


「ちょうど人食いワニのニュースを見ていたところです」

『あぁ、あれね。ニューヨーク支部の仕事よ。下水道で殺しがあっても、このパターンで処理できるからアメリカの都市部は楽よね。東京だと人食いワニでは、ちょっと無理があるもの……まぁ、日本でリザードマンは出現しにくいけれど』


 リザードマン。

 それがニューヨークで発生した連続殺人事件の犯人だった。冷血の属性を持つ異端者で、そもそも連続殺人犯だったのが、いよいよ理性の歯止めが利かなくなってリザードマンに変異したのである。理性的ではないのに冷血だとは、なんとも皮肉の効いた事例だ。


 では、そのリザードマンを闇に葬ったのは何者なのか?

 それこそが森斗の所属する『グリム機関』と呼ばれる組織である。


 組織が生まれたのは十九世紀初頭のことだ。発足したのはグリム兄弟――それすなわち、グリム童話と呼ばれる童話集を編纂した彼らのことである。男子五人、女子一人の兄弟だが、組織に関わったのは長男と次男の二人のことだ。


 グリム兄弟が各地で童話を集めていたのには真の目的があった。

 それこそ、世界を揺るがす異端者を社会的に排除することである。


 当時は産業革命の真っ最中――かつて世界を震撼させた怪異たちは、科学の発展に伴って存在を疑われ始めていた。理論的に説明できないものであれば、それは目の錯覚、ねつ造された虚偽、根も葉もない噂に過ぎないのである。怪談は聞けば恐ろしいものだけれど、それ自体が人々に物理的なダメージを与えることはない。

 そのため、グリム兄弟は異端者たちの存在を『童話』という形で記録することにした。実在する怪物を架空の存在として物語に記し、それを世間一般に広めることによって、異端者を人々の記憶から追い出そうとしたのである。


 ニューヨークの下水道で発生した連続殺人事件であれば、犯人を人食いワニであると報道することによって、リザードマンの存在を世間一般の人々から隠したのである。下水道に住んでいるワニとは古典的な都市伝説だが、つまりは昔からたびたび使われてきた情報隠蔽パターンの一つなのだ。


 卵が先か鶏が先かという話になるが、異端者化は人間が持つ怪物のイメージに影響されることが多い。美希が『日本でリザードマンはそうそう出現しない』と言っていたのは、リザードマンという怪物が日本ではさほどメジャーではないからである。ただ、西洋文化が浸透して、怪談や神話よりも都市伝説という形が世間一般で好まれるようになってからは、日本でも日本らしからぬ異端者化が増え始めていた。


 異端者は増え続ける一方で、それは情報操作だけだと存在を隠蔽しきることができない。グリム機関が革新的だったのは、宗教的組織を除けば世界で初めて、情報操作と同時に異端者の抹殺を執り行ったことだ。


 異形の怪物に対抗する存在は昔から存在した。エクソシストやヴァンパイアハンターなどと呼ばれるものたちである。彼らは人間にして奇跡や魔術の類を操るが、宗教的意識に縛られることが多い。厳しい戒律、他宗教との対立は活動の非効率化を生んでしまう。


 その点、グリム機関は非常に身軽だった。宗教的組織のような歴史、超常的な法こそ持たないが、あっという間に全世界を活動範囲にしてみせた。彼らの活動能力、隠蔽能力は軍隊や暗殺者に例えられる。人間としての頭脳、肉体を究極的に磨き上げて、時には自らの四肢で、時には最新鋭の現代兵器を駆使して異端者を葬り去るのである。


 後始末は専門の処理班があるため、ある程度のド派手な戦闘行為をしても隠蔽できるのも特徴の一つである。グリム機関はメディアや政府に多大な影響力を持っている。何よりも、地道な活動のおかげで『怪物なんてものは架空の存在である』という認識が世間一般に浸透してくれたことが一番の隠れ蓑だった。


 そして、現代日本――東京都下。

 狩屋森斗は表向きは私立校の高校二年生として、本職はグリム機関の戦闘班エージェントとして生活していた。彼が戦闘班のなかでも、異端者とまともに渡り合える数少ない『狩人』の一人であることはグリム機関の人間しか知らない。


 テレビの映像がニューヨークから東京に切り替わる。

 映し出されているのは閑静な住宅街で、リポーターがゆっくりと歩きながらカメラに向かって語りかけていた。


『平和なはずの住宅地で、またもや女性が暴行を受けるという事件が発生しました。一ヶ月ほど前から断続的に続いているこの事件……警察は複数犯の犯行と見て捜査していますが、調査の進行具合は芳しくないようです――』


 電話からは美希の声が聞こえてくる。


『そうそう、前々から問題になっていた連続婦女暴行事件があったでしょう?』

「えぇ、ちょうどテレビのニュースで流れています」


 ニュースで流れた通りに、この事件が話題になり始めたのは一ヶ月ほど前のことだ。夜道を歩いていた女性たちが連れ攫われて、性的な暴行を受ける、あるいは殺害されるという事例が頻発している。手際の良さから犯人は複数で、足がつかないように組織的な行動を心がけていると分析できた。


 だが、何よりも不可解なことが一つ。

 生き残った女性たちが「自分たちを襲った男たちはまるで怪物のようだった」と、口を揃えて語っているのだ。それは精神的恐怖によるパニック、薬物による幻覚症状だと警察や世間一般では考えられている。そこから先の真相に至れないのが、一般人の限界であり、同時にグリム機関の成果でもあった。

 美希が少々不機嫌そうに言った。


『調査班からの報告で、この事件にはやはり異端者が関わっていることが判明したわ。女性たちを連れ去って、暴行、殺害しているのはグールたちね。まるで怪物のような男たちではなくて、本当に怪物そのものだったというわけ』


 グールとはすなわち異端者の手下である。

 異端者はその力を人間たちに分け与えることができる。力を与えられると、人間はグールに変異するようになり、一般人では太刀打ちできない強力な肉体を得られる。だが、訓練を受けた狩人であればグールを倒すことは十分に可能だ。


 それで今回は森斗に話が回ってきた。

 彼は腕立て伏せを終えて、フローリングの床にどかっと座り込んだ。


「グールたちを狩りますか?」

『頼むわ。グールたちを捕らえて、彼らに力を分け与えた異端者が誰であるかを聞き出してちょうだい。ただ、私が直接サポートすることはできないの。別件の方で忙しくて、日本中の実力ある狩人たちも自由には動けないわ』

「それなら、今回の作戦は僕一人でやるというわけですね?」

『いいえ、応援が一人やってくるわ。あなたは狩人一年ちょっとのルーキーですもの。最後に戦闘をしたのも一ヶ月以上前……まだ全てを一人に任せることはできない。ただ、応援は私が呼んだのではなくて、相手の方から勝手に来ちゃったのよね』


 応援が勝手に来ちゃった?


「ずいぶんとお茶目な応援ですね」

『いえ、表現が不真面目すぎたわ。あの子、元々は香港で別の事件を担当していたの。けれども、東京の婦女暴行事件に異端者が関わっていると知った途端、担当事件を投げ出してきたのよ。当然、処罰が必要なレベルの責任問題だわ』


 グリム機関は軍隊や暗殺者に例えられるような組織だ。命令違反をすれば、校庭のゴミを拾わされるとか、廊下の雑巾掛けをさせられるとかでは済まされない。活動の一つ一つにエージェントの命が掛かっているのである。


「……どんな子なんですか?」

『とても可愛い子よ。年齢は十六歳。背が妖精みたいにちっちゃくて、髪の毛は透き通るようなプラチナブロンド。瞳はエメラルドみたいに綺麗で、睫毛なんてばっさばさなんだから。化け物退治なんか辞めて、彼女をアイドルにプロデュースしたいくらいだわ』


 森斗は頭の中で少女の姿を想像してみる。


「…………」


 しばらくの沈黙。


『森斗くん、ちゃんと話を聞いてる?』

「……あぁ、すいません。その子の姿を全力で想像していました」


 電話越しに美希のため息が聞こえてくる。


『彼女はドイツ生まれなのだけど、日本語も流暢に話すことができるわ。だから、英語の苦手なあなたでも問題なくコミュニケーションが取れる。そして、今晩から早速協力してグールを捕まえてもらうから』

「了解しました」


 狩人として活動を初めて一年――森斗は他の狩人と協力して戦ってきたが、同い年の……しかも女の子と一緒に仕事をするのは初めてだ。おまけにとても可愛いらしい。プラチナブロンド、エメラルド色の瞳、長い睫毛……思わず期待が高まってしまう。


 容姿は二重丸。

 ただ、応援に来た狩人がどんな性格をしているかまでは森斗も考えていなかった。

 まさか、発見したグールを片っ端から殺してしまうとは思ってもいなかったのである。

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