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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
グリム機関の赤頭巾
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18 当たり前を守るということ

 ふと目が覚めて、シルフィはまず自分の体が動かないことに気づいた。

 焦って目を向けてみると、両手両足に枷が填められていると分かった。金属製の枷からは鎖が伸びて、自分が寝かされている台の裏側に繋がっている。だが、体が動かないのは枷を填められているせいではない。そもそも全身に力が入らないのだ。かろうじて、首をわずかに動かすことだけはできる。


 連れ去られてからの記憶がハッキリとしない。インペリアルに抱えられて、ビルの屋上を渡っている最中に気を失ってしまったようだ。全身に力が入らないのは、麻酔か何かの薬物作用か、これ自体がインペリアルの能力なのか……。果物ナイフで刺されたはずの脇腹にも、今は痛みを感じていない。


 天井はかなり高い。鉄骨が剥き出しになっており、大型のライトが点々とぶらさがっている。おそらくは倉庫の一角だろう、学校の体育館ほどの広さがありそうだ。高い位置にある窓からは月明かりが差し込んで、二階部分にあたるキャットウォークを照らしている。ただ、シルフィが寝かされている場所までは月明かりが届いていない。診療台のすぐ脇にスクールバッグが落ちているのだけは見ることができる。


 シルフィの頭が向いている方――倉庫の奥から足音が聞こえてきた。

 闇の中から現れたのはインペリアルである。


 彼がまとっている燕尾服は夜の暗がりにとても馴染んでいた。輪郭がぼやけて、インペリアルのシルエットが闇の中に溶け込んでいる。まるで、闇に溶け込んでいた肉体がわざわざ実体化して、シルフィに姿を見せたようにすら感じられた。


 インペリアルは胸ポケットからスキットルを取り出して、中に入っている液体を一口だけ飲んだ。ごくりと喉が上下する。彼は「これも悪くはないが……」と独り言を漏らして、スキットルをポケットに戻した。


 さっさと殺せ。

 シルフィはそう言おうとしたが、麻酔の効果か声を出すこともままならない。

 だが、インペリアルは彼女の喉から漏れ出る掠れた声を聞き取っていた。


「きみを殺すつもりはない。大神沙耶を利用したのは虚を突くためであって、最初からきみを攫うことだけが目的だった。その証拠として、きみの刺し傷は治療させてもらったよ。麻酔が切れても動かない方が良い。傷口が開いてしまうからね」


 インペリアルが手術を行ったのか?

 シルフィにはそう思えなかった。

 あくまで勘でしかないが、彼が手術をするような男には見えない。自分が閉じこめられている倉庫のことも気になる。異端者が個人で、東京都下に倉庫を持てるとは考えにくい。おそらくは超越者協会が関わっているはずだ。手術を施したのも、インペリアルではなくて彼が協会を通じて呼んだ医師だろう。


「……人質、にでも、するつもりか? 機関は、甘くないぞ」


 かろうじて声が出た。

 これは虚仮威しではない事実だ。エージェントを人質に取られたところで、グリム機関は異端者の討伐を諦めたりしない。森斗は撃つのを躊躇ったが、他の狩人であれば間違いなく撃っていたはずだ。

 だが、インペリアルは首を横に振る。


「人質だって? まさか! 私はむしろ、きみのことを守らなければいけないと思っている。きみの体を傷つけるのは今回限りだ。グリム機関がどのような乱暴な手段を用いても、きみを必ず守ってみせる所存だ」

「何が、守ってみせる、だ……」


 同じような言葉なのにあいつとは全く違うな。

 森斗が交わしてくれた約束を思い出してしまう。


 色々な狩人と一緒に仕事をしてきたが、あんなことを言ったのは森斗が初めてだった。グリム機関の方針に従うことができない大馬鹿者だ。仲間を人質に取られたくらいで敵を逃していたら、狩人なんて到底やっていられない。取り返しの付かない失敗を犯して、仕事を下ろされる姿が今から目に浮かぶようだ。


 森斗は助けに来たいと思っているのかもしれない。それはとても嬉しいことだ。いつ死んでもいい覚悟をしていても、死の恐怖を拭うことはできない。なぜなら、異端者と戦いたい根本的な理由は、異端者を恐れていることに他ならないからだ。両親を失ったときの恐怖から逃れたいからだ。


 シルフィは今も死んでしまうことが怖い。覚悟を決めているから武器の切れ味は鈍らないけれど、いつも恐怖は胸の奥底に住み着いている。グリム機関は唯一の拠り所だが、胸の内に巣くっている恐怖を駆逐してまではくれない。恐怖を紛らわしてくれる人間がいるとしたら、それは機関とは真逆の方向に走ることを決めたバカだけだ。


 けれども、やつと顔を合わせることは二度とないだろう。

 グリム機関がどのような対応を取るか、シルフィにはすでに分かっていた。

 さっさと殺してくれ。

 麻酔の効いた体では舌を噛むこともできない。


 肉体を異端者に拘束されて、人質にするわけでもないのに生かされている。怪物たちとの戦いに置いて、死んだ方がマシだと思えるような状況はザラだ。ただ、命があるだけでは生きていると言えない。生きたまま地獄に落とされることがこの世にはあるのだ。

 麻酔を打たれていなければ、シルフィの体は小刻みに震えていたことだろう。


「……私、を、どうする、つもりだ?」


 思わず問いかける。

 安心できる解答なんて返ってくるはずがない。気の弱さから生まれた意味のない質問。相手が本当のことを言ってくれる保証はない。そして、告げられた真実が恐怖心をさらに煽ることだってある……いや、今はそのケースでしかないはずなのだ。


「知りたいならば教えよう」


 インペリアルが暗がりの中で手を掛ける。

 彼が手を下ろすと、ガシャンと機械的な音が聞こえてくる。暗くて見えない場所に何かの装置が設置されているのだろう。しばらくして、床面に設置されていたライトがぼうっと周囲の様子を照らし始めた。


 浮かび上がったのは倉庫中に並んでいる黒塗りの棺だった。西洋風のデザインであるが、ふたはガラスのような透明の素材で作られている。数は十や二十では下らない。立つように並べられているため、シルフィからも内部を見ることができた。


 見えてしまった。

 棺の中に閉じこめられているのは――四肢を失った女性たちの死体だった。


 彼女たちは総じて年若く、シルフィほどの年齢の少女も多い。服を着せてもらえず、まるで標本のように棺の中に収められている。棺の上部には点滴装置が組み込まれて、そこから伸びた管が死体の首筋に繋がっていた。その一方で、下部には一抱えもある透明の容器が設置されており、太ももに突き刺さった管から血液を集めていた。


 だが、点滴はすでにストップして、血液もほとんど滴らなくなっている。

 女性たちは間違いなく死んでいる。胸の動きは微かにも感じ取れない。わずかながら血液が流れ落ちているということは、少し前までは生きていたはずだ。よく見れば、取り外された人工呼吸器のマスクが足下に転がっている。

 自分がのうのうと居眠りしている間に、彼女たちはすぐ隣で命を奪われたのだ。


「……インペリアル、お前ッ!」


 女性たちの命を奪った異端者。

 シルフィは彼を鋭く睨み付ける。

 だが、インペリアルは彼女の怒りなど歯牙にも掛けていなかった。


「一時的な隠れ家として利用した以上、この場所はもはや放棄するに他ない。彼女たちは私の大切な血液コレクションだったが、一緒に連れて行くわけにもいかないのでね。せめて、苦しまないように終わりを迎えてもらった」

「殺す必要なんて……」

「四肢を失ったうえ、人語を理解することもできなくなった彼女たちをグリム機関が引き取るのかね? するはずがない。それとも、きみ個人が彼女らを養うとでも? そのつもりであったのなら申し訳ない。確認を怠っていたよ」


 唇を噛みしめるシルフィ。

 ふがいないにもほどがある。自分は何もできなかった……いや、この瞬間だって何もできないでいる。女性たちを救えたかもしれない方法を何一つ思いつけない。だが、死んでしまったら何もかも終わりだ。大神沙耶に刺されたりしなければ、インペリアルに連れ去られたりしなければ、こんな最悪の事態だけは防げたはずなのだ。


「次はきみが棺に入るのだ」


 インペリアルがシルフィの頬を指でなぞる。


「人狼に噛まれたことでハイブリッド化した少女――それがきみだ。私は年若い女性の血液が好きでね、数え切れないほどの人間の血液を飲んできた。だが、人狼化した少女の血液は飲んだことがない。とても美味だと聞いてはいるのだが……」

「ぐっ――」


 シルフィはとっさに、彼の人差し指に噛みついた。

 悔しさと怒りからの行動だったが、インペリアルの皮膚に歯形を付けることもできない。

 彼はするりと指を抜くと、付着したシルフィの唾液を舌で舐め取った。


「少々、獣臭いか。だが、それがむしろ癖になる。これは血液も期待できそうだ」

「常軌を逸した、異常者がっ!」


 苦し紛れの罵倒を吐いたシルフィ。

 インペリアルは「それは違う……」と指を振った。


「我々は自らを異端者とも異常者とも呼ばない。超越者と呼ぶのだ」


 そして、両目を見開いてシルフィの顔を覗き込む。

 彼女は赤色の瞳に見つめられて、意識が遠のいていくのを感じていた。

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