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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
グリム機関の赤頭巾
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 しばらくの間、森斗は美術室で漫画本を読むことにした。

 春臣がオススメしてくれた『英国メイド物語シャルマ』は心温まる話だった。身寄りのない少女・シャルマがハウスメイドとして雇われて、日々成長していく様子がとても丁寧に描かれている。そして、何よりもシャルマが可愛い。作者の後書きに『シャルマみたいな子がうちにも来ないかな』と書いていたが、まさにその通りだと森斗は思った。


 森斗が漫画を読んでいる間、シルフィはスケッチブックに絵を描き続けていた。

 彼女がやっているのは四角柱のスケッチである。絵を描くものが一番最初にやる基礎中の基礎レッスンだ。絵を描くのが好きだとシルフィは言っていたので、ちょっとしたリハビリのつもりでやっているのかもしれない。


 スケッチをするシルフィはとても真剣な表情をしている。

 森斗は彼女の後ろ姿を見て、漫画のヒロインであるシャルマ、そしてマリアが着ていたメイド服を重ね合わせてしまう。彼女がメイド服を着たら間違いなく似合うだろう。ロリータ調の戦闘服も、フリルのパジャマもよく似合っていたのだから。

 だが、そんなことを直接伝えられるはずもない。


 英国メイド物語シャルマをロッカーにしまって、森斗は別の漫画本を読むことにする。

 そして、ロッカーの中に一通り目を通して気づいたのだが、漫画の中にはスパイだとか、殺し屋だとか、泥棒だとか……意外と裏の職業を扱ったものが多くある。今のうちに読んでおいたら、あとで役に立つことがあるかもしれない。


 と、漫画を読み進めること五巻分。

 気が付くと時刻は五時半に迫ろうというところだった。


「……ふぅ、できた」


 シルフィが一言呟いて、スケッチブックを持って立ち上がる。

 森斗は漫画本をロッカーに片づけると、彼女の描いたスケッチを覗き込んだ。

 彼には美術の良し悪しは分からない。だけど、シルフィのスケッチはとても上手に見えた。線のゆがみはなくて、陰影がハッキリと付けられている。どことなく、彼女らしさを感じさせるような絵だ。


「調子はどうなの?」

「悪くはないな。そこそこ、といったところだ。また明日も描くぞ」


 シルフィはふんすと鼻を鳴らして、スケッチブックを部員用のロッカーに戻した。

 すでにロッカーには彼女の名前が書かれた札が下げられている。

 長山に戸締まりを任せて、二人は下校することにした。


 太陽はすでに沈みかけで、強烈な西日が校舎内に鋭く差し込んでいる。廊下全体がオレンジ色に明るく輝いており、見慣れたはずの学校がずいぶんと神秘的に見える。夕暮れにはいつもの空間を魅力的に演出する力があるようだ。


 森斗は校門から出たところで立ち止まる。

 マリアと待ち合わせをしているので、ここでシルフィとは別れなければいけない。


「シルフィ、僕は用事があるから」


 森斗がそう言うと、珍しくシルフィは困ったような顔をした。

 期待が外れてしまって、がっかりした表情のようにも見える。


「……そうか、用事があるのか」


 彼女が顔を伏せると、西日に作られた濃い影のせいで表情が読み取れなくなった。


「二人きりで話したいことがあったのだがな……」


 どくん、と森斗の心臓が跳ねる。

 きっと仕事の話か何かだろう――頭ではそう考えようとしても、そんな言い方をされたらどうしても期待せずにはいられない。マリアといい、シルフィといい、今日の二人はいきなりどうしたというのだ?


「……マンションに帰ってからでもいいかな?」

「早いに越したことはないが仕方ない。待っているからな、森斗」


 シルフィがきびすを返して、マンションの方向に歩き始める。

 彼女の話したそうにしていたことが気になるけれど、いつまでもシルフィの背中を眺めているわけにもいかない。


 森斗もすぐさま駅に向かって歩き出した。

 昨日、みんなでゲームセンターに行ったおかげで、駅までの道のりはしっかりと覚えることができた。ただ、マリアの言っていたハンバーガーショップは記憶にない。興味がなければ目に映らない――という春臣の言葉には納得だ。


 困ったら電話かメールで聞けばいいか……と思っていると、駅前通りに掲げられているやたらと目立つ看板を発見した。

 何しろパンツ一丁でマッスルポーズを決める黒人男性(おまけに全力の笑顔)が映っているのである。男性の隣には荒々しいロゴで『腹筋バーガー』と描かれていた。昨日も駅前通りに来ていたはずなのに、これに気づけなかったのには森斗も逆に驚いた。


 謎の看板を掲げるハンバーガーショップに入店する。

 中身はログハウスを意識したような造りで、ファーストフード店にしてはなかなか渋い雰囲気だ。すでに濃厚な肉とトマトケチャップの匂いが漂っている。ちょうど腹の空いてきた頃合いで、森斗は強烈に食欲をかき立てられた。


 カウンターに並んで、レジ横に置いてあるベルを鳴らす。

 すると、看板に映っていた黒人男性が厨房から姿を現した。


 森斗はちょっと飛び退きそうになる。

 黒人男性は流石にエプロンこそ着ているが、上半身は裸、下半身は迷彩柄のズボンというハジケた格好だ。それに加えて、エプロンにはバッキバキの腹筋の画像がプリントされている。名札には『店長』とだけ書いてあった。


「お客様、ご注文は?」


 店長が流暢な日本語で尋ねる。


「……このダブル腹筋プレートで」

「少々お待ちください」


 夕方だが店は繁盛しているようで、注文したダブル腹筋プレートもすぐに出てきた。

 トレイを持って店内を見回すと、奥まった席で待っていたマリアを発見する。


「ごめん、待たせたかな?」

「いえ、時間通りですよ――って真面目な話だってのにハンバーガーですか?」


 などと言いながら、マリアのトレイには林檎が丸ごと一つ使われたアップルパイ(すでに半分くらい食べている)がのっかっていた。


「いやー、お腹が空いちゃったからさ。すぐに食べるよ」

「まぁ、食べながらでも話はできますけどね……」


 森斗は席に着くと、さっそくダブル腹筋バーガーに食べることにする。


 二枚重ねになっているミートパティは、パンズからはみ出てしまうほどの大きさだ。かぶりつくと肉汁があふれ出して、それが特製トマトケチャップと良く絡む。これでもかと挟まれているレタス、タマネギといった野菜たちの甘みが肉のうまみによって引き立てられる。ファーストフードの領域は間違いなく突破されていた。

 フライドポテトはなんと二種類の食べ応えが楽しめる。太めにカットされている方のポテトを噛めば、ジャガイモのホクホクした感じが口一杯に広がる。一方、細めにカットされている方のポテトを噛めば、カリカリッとしたスナック的食感が味わえる。ダブルなのはハンバーガーだけではないのだ。


 しっかりと辛いジンジャエールを飲んで一息。

 マリアもアップルパイを食べ終えて、食後の紅茶を飲んでいるところだった。


「さて、重要な話を済ませておきましょうか」

「分かった」

「ちなみに告白するとか、そういった青春の話ではありません」

「若干期待していた」


 森斗の言葉に対して、マリアは小さくため息をついた。

 彼女はテーブルに肘を突いてけだるそうにする。


「今まで、あれだけアピールしていたわけですから、少しくらい私になびいてもらえないと困るわけですよ。何のためにお腹を触らせようとしたり、ガーターベルトをチラ見せしたのかとね……ほとんど効果がなかったようですが」

「えっ、あれって特別な意図があったの?」


 森斗はマリアが披露してきた数々のサービスシーンを思い返す。


「てっきり、マリアには露出好きの傾向があるのかと思っていたよ」

「ないことはないですけどね」


 ……ないことはないのか。


「森斗さんの好感度を稼ごうと、ちょっと露骨にアピールさせていただきました。結果、春臣さんの方が釣れて困ってしまいましたよ。これから、森斗さんには少しキツい命令を聞いてもらいます。上からの命令ですから拒否権はありません」


 ごくり、と森斗は生唾を飲み込んだ。

 キツい命令だって?

 今まで、異端者と戦うために体を張ってきた。命を懸けてきたと言っても過言ではない。だけど、そんなキツい命令だなんて言葉を聞くことは初めてである。自分の命が危険にさらされること以上の危険があるというのか?


「僕にその命令をすんなり聞いてもらえるため、好感度を稼ごうとしていたってこと?」

「そういうことです」


 マリアはすくっと姿勢を正した。


「シルフィさんが出動禁止になっている間、私とあなたでコンビとして活動する。これは彼女を監視することも含まれています」

「あいつが暴走しないように注意して、もしも暴走したら対処する……だったよね?」


 大神煌と戦ったとき、森斗はシルフィの暴走をすでに一度止めている。

 両手を怪我することにはなったけれど、それでも全力を費やせば止められないものではなかった。次は自分だけではなくて、シルフィと一緒ならばさらにやりやすいだろう。グリム機関の正式なバックアップも求められるのだから。


「森斗さん、やはりあなたは勘違いをしていますね」

 だが、マリアは真剣な表情で言い放つ。


「――グリム機関の命令する対処とは、すなわち殺害と同じ意味なのですよ」


 森斗は聞き返そうとしなかった。

 マリアの言葉は確かに彼の耳に届いていたからだ。

 だが、その代わりに森斗はすぐさま反論した。


「そんな……殺す必要はないはずだ! シルフィは一度、人狼化した状態から人間に戻っている。また暴走したとしても、みんなで止めれば大丈夫なはずだ。それにハイブリッド状態の人間がグリム機関の上層部にはいるんだろ? シルフィが人狼化を正しく使えるようになったら、それは大きな戦力になるはずじゃないか」

「大神煌の一件はレアケースです」


 マリアは軽々と言い切った。


「ハイブリッド状態をコントロールできる人間はごくわずかです。そして、コントロールできるか否かはハイブリッド状態になった瞬間から決まっています。最初から正しく扱えたものだけが、機関の上層部で戦力として重宝されているのです。訓練次第で克服できるというものではない……」


 彼女の説明はなおも続く。


「ハイブリッド状態の人間が異端者化を繰り返すと、その度に異端者としての深度が高まっていきます。シルフィさんがこれ以上の人狼化をすれば、彼女は人狼の異端者になってしまうことでしょう。そうなれば、人間には二度と戻ることができません」

「だから、異端者化が進んでしまう前に殺すってことなのか?」


 森斗の問いかけ。

 マリアは深くうなずいた。


「その通りですよ、森斗さん。シルフィが再び暴走を起こせば、彼女は自らが最も嫌悪している本物の人狼になってしまいます。そうなる前に殺すのです。上から送り込まれてくる狩人ではなくて、せめて彼女の友人になれた私たちが――」


 命を奪われるのであれば、その命を尊んで人くれる手によって……。

 そういった考え方も、場合によってはあるかもしれない。

 だが、森斗はどうしても納得することができなかった。


「暴走したシルフィを殺せば、問題を解決することは簡単かもしれない。だけど、まだ助かる見込みがあるのに全てを諦めてしまうのはあまりにも早計過ぎる。仲間を見捨てない……それは当たり前のことじゃないか!」


 一人で異端者と戦えるような実力は持ち合わせていない。知識だって不足している。だからこそ、当たり前のことだけは守っていきたいと森斗は考えている。ルーキーである自分が守れるとしたら、手の届く場所にいる相手だけだからだ。


「森斗さん、あなたの心意気はとても素晴らしいものです」


 マリアは空っぽになったトレイに視線を落とした。


「私だってシルフィさんの命を奪いたくなんてありません。担当する相手が同年代の少女であると知ったとき、私はショックを受けて言葉が出ませんでした。もしかしたら、私は彼女を殺すことになるかもしれない……そう考えると今でも胸が苦しくなります」


 いずれ殺すことになるかもしれないなら、仲良くする必要はなかったかもしれない。だが、せめて友人としてシルフィを殺すべきだろう――マリアはそう考えていた。そして、その気遣いが彼女の精神をさらに追いつめているのだった。


 納得できていないのは自分だけじゃない。

 それは森斗にも分かっている。

 分かっているのだが、だからといって首を縦に振ることはできない。


「……森斗さん。私たちはグリム機関のエージェントとして、いよいよ理解するべきなのかもしれません。私たちが愛してやまない当たり前の平和を守るためには、仲間を犠牲にする必要だってあるということを」


 グリム機関という組織の方針。

 社会全体を守るためであれば、機関のエージェントや一般市民の犠牲も厭わない。犠牲に惑わされないからこそ、異端者たちをどんな組織よりも多く狩ることができた。社会の裏側に潜伏し続けることができた。


 犠牲をためらえば、自分だけでなく組織全体の首を絞めることになる。

 そして、組織に悪影響を与えることは平和そのものを危うくするということだ。

 森斗は背中にじっとりとした嫌な汗を感じる。


「……そんなことには絶対させない。させたくない」

「そうですね、森斗さん。まずはシルフィさんの出動禁止が解けるまで頑張りましょう。特に人狼系の異端者は確実に倒さねばなりません。流石に同じような異端者が、同じ場所に連続で出現するとは思えませんが……」

「そう、だね……」


 異端者が出現する場所、間隔はグリム機関でも把握しきれない。

 いつ、誰が、どこで禁忌を犯すのかは全て人間次第だ。そして、禁忌の基準もまた世界各国の常識、宗教的な価値観によって変わってくる。東京のような人口の多い大都市ですら、明日また異端者が現れるかもしれないし、数年先まで平和が続くかもしれない。狩人の事情を考えてくれる異端者なんているはずもない。

 異端者が現れないことを願って、今はただ待ち続けるしかないのか……。


「そのときが来たときに仕事をしてさえくれたら、他のことは森斗さんの自由です」


 マリアが食器の載ったトレイを持って立ち上がる。


「私はシルフィさんと友達を続けたいと思います。彼女、本当に可愛いですよね。一緒にいると楽しいですし、もっともっと仲良くなりたいですね。それに彼女を手に掛けなければいけなくなったとき、なるべくたくさんの思い出を残しておきたいですから……」


 彼女はトレイを片づけると「また明日、学校で」とだけ言って店から出て行った。

 料理を食べ終わり、用事も済んだのに居座るわけにもいかない。

 ちょうど店員が通りかかったので、トレイの片づけを頼んでから店を出る。


 太陽はビルの向こう側に沈み、すでに駅前通りは夜の風景になっていた。街灯が人工的な明かりで通りを照らしている。仕事から帰ってきたとおぼしき社会人や、これから電車に乗って帰る学生たちの姿が入り交じっていた。


 誰も彼もが知らない顔だ。

 東京都下どころか、この町にいる人間ですら森斗はよく知らない。この町に住んで二年目になるけれど、それでもクラスメイトの顔を把握するだけで手一杯だ。この中に異端者が潜んでいたとしても、それを事前に見抜くことなんて個人ではできるはずがない。


 大神煌の事件より前だと、最後に異端者と戦ったのは一ヶ月ほど前になる。けれども、また一ヶ月間も平和な日々が続く保証はない。携帯でメールを打っている女子高生が、疲れた顔をしているサラリーマンが、駅前にうずくまっているホームレスが、突如として異端者に変異するかもしれない。


 シルフィが暴走を起こさないように守ることができるのか?

 異端者がすぐにまた現れるはずがない。人狼なんて簡単に出現するものか。

 そう思い込んだところで可能性をゼロにできるわけではない。


 現実逃避もいい加減にしなければ、と森斗は自分自身に言い聞かせる。だが、そうなると……本当にシルフィを殺さなければいけないのかと、堂々巡りの思考に陥ってしまう。ならば、せめて悔いが残らないように気持ちを整理するしかないのか?


 道ばたに突っ立っていたせいで、先を急ぐ人と肩がぶつかってしまう。

 森斗は我に返って顔を上げた。


 そのとき、彼は行き交う人々の中で立ち止まっている少女を見つける。

 こちらを真っ直ぐに見つめる赤パーカーの少女――彼女は見間違いようもなく、マンションで待っているはずのシルフィだった。

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