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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
グリム機関の赤頭巾
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 正確に言うと、森斗は一回だけ学校図書館を利用したことがあった。

 それは一年前……稀野学園の高等部に入学したばかりのことである。授業の一貫として、ロングホームルームの時間に『図書館の利用の仕方』をレクチャーされたのだ。以後、偶然前を通りかかったことすら一度もない。


 稀野学園の図書館はちょうど、高等部校舎と中等部校舎を繋ぐように建てられている。赤煉瓦風の見た目をした立派な三階建てで、広々とした勉強スペース、扱いやすい検索装置が設置してある。大学図書館にこそ及ばないが、中高生には十分すぎる設備だ。


 ガラス張りの自動ドアを抜けて図書館に入る。

 さりげなく、中高の敷地内で自動ドアがあるのはこの場所だけだ。

 図書館に入室してまず目に入ったのが、三階まで吹き抜けになっているロビーである。本棚がぎっしりと並んでいる場所とは思えない開放感だ。聞くところによれば、学園の卒業生が設計したものであるらしい。


 流石は図書室ではなくて学校図書館と銘打つだけはあるな、と感心する森斗。

 彼は早速本を探そうと一歩踏み出すが、途端に二歩目が出なくなってしまった。


 美術室でも同じことがあったように、自分がどんなものに興味を持っているのか分からないのである。強いて言うならば、漫画とゲームに興味が湧いてきたところだ。だが、そんな娯楽性の強い図書が学校に存在するとは思えない。


 そのとき、柱に貼ってある一枚のポスターが目に入る。

 手作りのポスターにはアニメ調のキャラクターと『困ったときは図書委員に!』というメッセージが描かれていた。


 聞くは一時のなんとやら……。

 森斗は周囲を見回して、カウンターで文庫本を読んでいる図書委員に声を掛けた。


「すいません、聞きたいことがあるんですが」

「……はい?」


 エプロン姿の図書委員が顔を上げる。

 が、ここで森斗は自分の選択が大間違いだったことに気づいた。

 うつむいて文庫本を読んでいた図書委員――彼女は大神沙耶だったのである。


 稀野学園の学校図書館は中高両方の生徒が利用する。また、それだけではなく中高両方の図書委員が協力して運営しているのだ。だから、こうして声を掛けた相手が中等部の生徒であるのも当然である。

 だが、まさか大神沙耶に声を掛けてしまうだなんて……。

 沙耶は小首をかしげて森斗のことを見ている。


「あの……先輩、用件は?」


 人違いだった振りでもして逃げた方が良いかもしれない。

 森斗はまずそう思ったが、また同時に別のことを考えていた。


 グリム機関のエージェントとしてまずは仕事が第一である。だが、特に学生であるうちは無理な仕事を強要しないのが機関の方針だ。森斗は少なくとも稀野学園に卒業するまで通うことになる。仕事のためだけに場所を移すことはないだろう。


 稀野学園で生活する以上、大神沙耶と顔を合わせる可能性は常にある。制服を見たところ、彼女は中等部の三年生であるようだ。外部進学を選ばなければ、来年の彼女は高等部にやってくるだろう。


 ならば、ここで逃げ出したら逆に面倒なことになるのでは?

 あえて話したことはある人という立場に落ち着くことで……。


「お薦めの本って何かないかと思って」


 森斗は質問しながら、やってしまった、と深い自己嫌悪に陥る。

 退却することではなくて、あえて前進することによってピンチをかいくぐる――そんなことができればかなりかっこいい。

 だが、さっきは本当に前進するべきタイミングだったか? 大神沙耶のその後が気になる。彼女が立ち直っていることを確認して、大神煌を殺した判断が間違ってなかったことを確認したい。そんな気持ちはなかったと言い切れるのか?


 未熟! なんたる未熟!

 狩屋森斗、自分は自己満足のためだけに退路を塞いでしまったのだ。

 沙耶は少し困ったように視線を泳がせた。


「……ええと、何かジャンルを言ってもらえたら本をピックアップできますけど」


 無理ですと即答しないあたり、どうやら彼女は図書委員として優秀らしい。

 大神煌の間接的、ある意味で一番の被害者――という大神沙耶の知識に『おそらくは本好きである』という項目が追加される。


「自分の好きなジャンルがよく分からなくて、けれど本は読まなくちゃいけなくて……」

「……それだと、ちょっと調べようがないですけど。何か得意なこと、すでに多少は詳しいことはないですか? 全く知らないことを調べていくよりも、あらかじめ取っかかりがあった方が興味も湧きやすいと思います」

「特技といっても、射撃か格闘技か――」


 言って、森斗は固まる。

 これは完全なる失言だったかもしれない。


「ミリタリーと格闘技だったら、書籍も雑誌も色々と揃ってますよ」


 だが、沙耶は彼の言葉をそのまますんなりと受け止める。

 彼女はもちろん大神煌を殺したのが森斗であることも、事件の背後でグリム機関という組織が暗躍していたことも知らない。射撃とはエアガン、格闘技とはボクシング……という程度に連想するだけだ。


 自分がボロを出さなければいいのだ。

 今日はお薦めの本を聞きに来ただけ。

 本を借りたらそれきりで、あとは学校内でたまに顔を見かけるという間柄……。

 沙耶が壁掛け時計を見上げる。


「……もう少しで昼休みが終わりますね」


 彼女はそれから再び森斗の方を見た。


「私、今日は掃除当番じゃないので早めに図書館へ来られます。ですから、その間にお薦めの本をピックアップしておきますね。先輩、放課後にまた来ていただけますか?」

「え、あ、うん、よろしく……」


 そこまで親切にされたら、わざわざ断る理由はない。

 森斗は約束を取り付けて学校図書館をあとにする。


 大神沙耶の様子を見たかったという思いは否定できない。ただ、まさか、彼女から優しく丁寧な対応が返ってくるとは思わなかった。もっと心に余裕がなくて、人を怖がっているような素振りを見せるのかと森斗は思い込んでいたのだ。


 ともかく、正直言って面食らった。

 予鈴が鳴ったのを耳にして、森斗は小走りで教室に向かうのだった。


 ×


 結局、大神沙耶のことが頭にいっぱいで、午後の授業は頭に入らなかった。

 帰りのホームルームを終えたあと、森斗はすぐさま荷物をまとめにかかる。彼女と接触したのは間違いだったと思いながらも、彼女に会いたい気持ちがそれを上回っていた。沙耶の様子がまるで森斗の予想と正反対だったからだ。


「んあ? お前、美術部には来ないのか?」


 春臣から尋ねかけられる。

 廊下に出ていた森斗は、教室に顔だけ出して答えた。


「まだ、本を借りていないんだ。用事が済んだらすぐに行くよ」

「なんだよ、本が決められなかったのか? 優柔不断だなー」


 思わず早足になってしまう。

 学校図書館前の廊下までやってくると、すでに多くの生徒が自動ドアを出入りしていた。生徒たちが図書館を訪れる理由は本を借りるためだけではない。勉強スペースで宿題を済ませたり、部室代わりに利用したりする生徒がいるのだ。


 森斗も自動ドアを通って入室する。

 カウンターの方を見ると、沙耶はすでに文庫本を読みながら待ってくれていた。

 彼女は隣にいる図書委員に「貸し出し作業、お願いね」と一言伝えた。

 そばまでやってきた森斗に向かって、沙耶は小さく会釈をする。


「先輩、本は用意してありますよ」

「ありがとう。本当に仕事が速いね」


 好きですから、と沙耶は答えてカウンターの下に手を伸ばした。


「一度に借りられるのは四冊までなんですけど、色々とそれらしいものをピックアップしておきました」


 彼女はそこから選んでおいた図書を引っ張り出す。


「こちらは銃器の歴史に関する本で、火薬の発明から最新技術までが紹介されています……といっても発行が二年前ですから、本当に最新ってわけではないですが。こちらは格闘技大全という本で、様々な格闘技が写真と共に掲載されている男子生徒に人気の一冊です。こちらはいわゆるライトノベルですね。銃器と格闘技が出てきます」


 他にも、と沙耶は何冊かさらに本を提示した。

 森斗はその中から気になったものを選んでいく。


 さりげなく一番気になってしまったのが、彼女がライトノベルと呼んだ文庫本だった。まさか、漫画のようなイラストの入った小説があるとは驚きである。てっきり、こういった娯楽要素の強いものは学校図書館で扱わないのだと思っていた。


 そして、何より驚いたのは――本について語る沙耶がとても生き生きしていたことである。彼女は本当に大神沙耶なのか、校門前で怯えた表情をしていた生徒と同一人物なのか、確信が持てなくなってしまうほどだ。


「先輩、どうしました?」


 彼女に言われて、自分が面食らって惚けていたことに気づいた。

 森斗はつい安心して、思わず本音をこぼしてしまう。


「……いや、元気そうで良かったと思って」


 途端、である。

 森斗を見上げる沙耶の瞳に大粒の涙が浮かんだ。

 ひっく、としゃくり上げる彼女。


 こんな目立つ場所で泣かれては困るので、森斗はカウンター裏に回り込むと、彼女の手を掴んで本棚の影に連れ込んだ。郷土資料のコーナーには生徒たちの姿が見えないので、とりあえず周囲から注目を浴びる事態は防げるだろう。


 沙耶は壁を背にして、必死に涙を堪えるようにしている。

 思いきり泣かせるわけにもいかず、森斗は彼女が耐えている姿を見ているしかない。

 ハンカチを取り出して、沙耶は目尻に溜まった涙を拭き取った。


「高等部は中等部よりも、もっと噂が広まってますよね。兄が死んだのは、昨日の今日だっていうのに……」

「……ごめん。僕も、その、色々と聞いているから」


 大神煌と直接的に関わるまで、彼女のことは遠くにある悲劇だと思っていた。だが、森斗はもはや関わってしまった。沙耶のことをただの他人だと割り切ることができない。真実を告げられないことがとても辛い。


 きみの兄は僕が殺したんだ。

 森斗はそう言ってしまいたくてたまらなかった。


 だが、それを教えてどうなる? グリム機関の秘密を知った一般人は捕らえられて、機関に関わる記憶を消されると言われている。その具体的な方法を森斗は知らない。もしかしたら、一般的な生活に戻れない体になるかもしれない。あるいは、ただ単に命を奪うことで済ませてしまう可能性だってある。


 真実は絶対に伝えられない。

 でも、ただの上級生として気遣うことは悪いことではないはずだ。


「僕は噂で聞いたことしか知らない。でも、きっと大変だと思ったんだ」

「……ありがとうございます、先輩」


 沙耶はハンカチで口元を押さえる。


「会ったばかりの人から心配してもらえるなんて、思ってもいなかったんです……。だから、思わず涙があふれそうになってしまって。だけど、私はもう大丈夫ですから心配しないでください。私、いつも暗い顔をしてるから、平気そうに見えないですけど」


 自嘲気味に笑みを浮かべる彼女。

 だが、それでも笑顔であることには変わりなかった。


「人の死を喜ぶことはできません。だけど、兄が亡くなって……私は自分と兄を切り離して考えられるようになってきました。今まで、私は自分を兄の付属品のように思っていたんです。だけど、今は違います。私は私なんだと思えるようになって、そのおかげで他人から色々言われても傷つくことが少なくなりました」

「そうか……」


 森斗は微かな安堵を覚える。

 グリム機関のエージェントとして、異端者たちを倒すことが正しいのだと思っていた。だけど、今回の一件でその考え方の成否が分からなくなった。大神煌を討ったことが、果たして大神沙耶のためになったのか……。でも、どうやら沙耶本人の様子を見た限りだと、少なくとも全てがマイナス方向に傾いたわけではないようだ。


「……あぁ、そうだ。本でしたよね?」


 沙耶が先に本来の目的を思い出す。


「そうそう、僕は本を借りに来たんだった」


 森斗は彼女と一緒にカウンターまで戻った。

 カウンターの裏側に回って、沙耶がレジに付いているような読み取り機を手に取る。

 彼女はすでに立派な図書委員の顔をしていた。


「先輩、学生証を貸してください。貸し出しに必要ですから」


 言われて、森斗はポケットの財布から学生証を引っ張り出す。

 学生証を受け取ると、沙耶はそれを読み取る前にじぃっと注視した。


「……狩屋森斗さん。先輩、あの狩屋森斗さんだったんですね」

「えっ、僕も何か噂になってるの?」

「高等部の二年一組に美少女転校生が二人も来たって、中等部でも噂になっているんですよ。その二人が美術部に入部したことや、狩屋森斗っていう人が銀髪の転校生と仲良くしているらしいってことも」


 目立つようなことはしていないし、シルフィと仲良くなれたわけでもないのだが……。

 森斗の脳内を大量のハテナが埋め尽くす。

 沙耶は学生証を読み取ったあと、貸し出す図書のバーコードも読み取っていった。

 彼女がピックアップしてくれた四冊が森斗の手元にやってくる。

 森斗は四冊の図書をスクールバッグの中に押し込んだ。


「ありがとう、助かったよ」

「これも図書委員の仕事ですから。用事があったら、また声を掛けてください。美術部の美少女転校生について、私もとても気になっていますから。良かったら、二人のお話を聞かせてください」


 イタズラっぽく微笑む沙耶。

 この子は僕なんかが思っているよりも強い子なんだな、と森斗は再認識する。


「それはまた機会があったらね」


 彼はそう言って、混雑してきた学校図書館をあとにした。

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