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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
グリム機関の赤頭巾
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 同時刻。

 住宅地にある二階建ての一軒家――大神家。


 一階リビングのテーブルには、遅めの夕食を取っている沙耶と美野里の姿があった。

 沙耶は制服から部屋着に着替えている。ただ、下校時にまとっていた物憂げな雰囲気は今も背負ったままだ。彼女を端的に表現するなら、まさに薄幸の美少女、あるいは宝石の原石といったところだろう。大神煌が美形だったように、彼女もまた素材は確かなものを持っている。けれど、自信のなさや臆病さがそれを半減させていた。


 母親の美野里は通勤時のスーツ姿から着替えていない。彼女が帰ってきたとき、沙耶は夕食を作っている最中だった。美野里は部屋着に着替えるのも忘れて、娘の夕食作りを手伝ったのである。今日も激務だったのか、後ろでまとめ上げられている髪からは、いささか後れ毛が目立っていた。


 テレビからは陽気なバラエティ番組が流れている。二人はそれを見るわけでもなく、目の前にある食事を食べている。美野里は看護師の仕事をしているため、自宅に帰れる時間がバラバラなのだが、今日に限っては沙耶が母の帰宅を待ったのだ。二人の間に会話は少ないけれど、心地よい落ち着いた時間が過ぎている。


「今日くらいは学校を休んでも良かったのにね」


 娘を気遣っての言葉。

 美野里に向かって、沙耶はふるふると首を横に振る。


「……私が学校に行きたかったの。お母さんの方こそ、今日くらいは仕事を休んでも良かったんじゃない?」

「患者さんを放ってはおけないもの。それに私も仕事に行きたい気持ちだったから」


 沙耶と美野里は同じ気持ちだった。

 大神煌が亡くなったと連絡があったのは昨晩遅くのことである。美野里は仕事場から呼び出しを受けて、そろそろ寝ようとしていた沙耶も駆けつけた。


 警察の口から聞かされたのは、大神煌のとても奇妙な死に様だった。

 死体は細かく裁断されており、身元を特定できたことが奇跡的であること。死体が発見されたのは河川敷だが、周囲が荒らされていないことから、別の場所で彼が殺されたということ。だが、どこで殺されたのか、誰に殺されたのか分からないということ……。


 捜査に全力を尽くすと警察は言ってくれた。美野里の夫であり、沙耶の父親である男は、十年ほど前に失踪している。彼の捜索にも地元警察は手を貸してくれた。だから、いよいよ母娘の二人きりであると警察は把握しているのだった。


 けれども、沙耶と美野里は心なしか腑に落ちた思いだったのである。美野里は実の息子を鎮めようと、自らの肉体を差し出した過去がある。沙耶は現在進行形で、学内学外を問わずに兄の周辺人物から迷惑を被っている。


 因果応報――大神煌はやりすぎていた。

 だから、いつか何かの天罰が下るのではないかと、大神家の女性二人は予感していたのである。そのため、大神煌がバラバラ死体となって発見されたときも、酷い有様に同情せずにはいられなかったが、それでも奇妙に納得できてしまったのだ。


「学校が楽しくなるといいわね」

「……うん」


 母親の言葉にうなずく沙耶。

 そのとき、インターフォンの呼び鈴が鳴らされた。

 時刻は夜十時を回っている。来客にしては不自然な時間だ。


「私が出てくるよ。いたずらかもしれないし……」


 無視するわけにもいかないので、沙耶が立ち上がって玄関に向かう。

 どちら様ですかと問いかけながら、彼女はドアの覗き穴から来客の姿を確認した。


 瞬間、沙耶は自分の目を疑うことになる。

 ドア一枚を挟んだ先にいたのは、死んだはずの実兄――大神煌だったからだ。


 彼の立ち姿はバラバラ死体となる以前と何ら変わっていない。女性を虜にする魅惑の容姿、底知れぬ闇を胸の内に抱えていることが感じ取れるオーラ、他人のことを自分が利用するための道具としか思っていない冷たい瞳。

 煌はいつもと変わらない声で沙耶に向かって命令する。


「沙耶、ドアを開けろ」


 父親が失踪してから、煌は大神家ヒエラルキーの頂点に立っていた。沙耶にとっても、美野里にとっても、彼は暴君に他ならなかった。彼は子供でありながら、失踪した父親よりも得体の知れない迫力を持っていた。彼の興味が家庭内から、外に向けられたときは安堵すら覚えたほどである(それはただ単に新たな火種を生むだけだったが……)。


 気づいたとき、沙耶は自宅のドアを開け放っていた。

 幼い頃から刷り込まれた恐怖心が、人間の防衛本能に勝ったのである。

 開かれたドアの向こうに大神煌が――


「えっ?」


 だが、沙耶は再び自分の目を疑った。

 先ほどまで大神煌がいたはずの場所に、全く別の男性が立っていたからである。


 彼は長身の白人男性だった。ただ、その肌は青白いと表現した方が良いだろう。ブルネットの髪をキッチリとオールバックになでつけている。年齢は二十代半ばに見えるが、なぜだか老成したような落ち着きが感じられた。

 服装は東京都下では場違いな燕尾服である。だが、突如現れた白人男性にはその格好が妙に似合っていた。両手に填められた白手袋が、月明かりを受けてキラキラと輝いている。ともすれば、自分が社交界のパーティ会場にワープしたのではないかと錯覚しそうだ。


「失礼。招かれなければ入れない体質だったのでね」


 流暢な日本語である。

 紳士はそう言うと、沙耶の顔をじぃっと見つめる。

 そのときになって、彼女は紳士の瞳が血のような赤色をしていることに気づいた。


 途端、沙耶の視界がブラックアウトしたかと思うと、次の瞬間にはすでに紳士は目の前から姿を消していた。

 それどころか、沙耶は自分がなぜ玄関先までやってきたのか思い出せなくなっていた。実兄が現れたことも、燕尾服を着た紳士のことも、全て記憶から抜け落ちていたのである。それに加えて、記憶が抜け落ちたことすらも疑問に思わなかった。


 リビングから美野里の声が聞こえてくる。


「沙耶、どちら様だったの?」

「ううん、イタズラだったみたい……」


 そう答えると、沙耶は何事もなかったかのようにリビングに戻った。

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