10
「結局、学校の近くまで戻って来ちゃったなー」
春臣がトボトボと歩きながら嘆いている。
ゲームセンターから逃げ出したあと、四人は稀野学園の近くまで戻ってきていた。校門前には部活動を終えた生徒たちの姿が見られる。太陽は徐々に傾き始めているが、これから駅前でひと遊びしようかというものたちも多いようだ。
「あんな高そうなスクリーンを故障させちまうだなんて、もう二度とあのゲームセンターには行けないぞ……」
「……ご、ごめん。完全にキックペダルの存在を忘れてしまった」
素に戻ってからというものの、シルフィの顔色は真っ青になったままである。
「悪気はなかったんだ。ただ、あの街が救いたい一心で……」
「まぁまぁ、手は打っておきましたから」
マリアがそう言って、こわばったシルフィの背中をぽんぽんと叩いた。
彼女の右手には最新型のスマートフォンが握られている。
「先ほど、壊れたスクリーンを弁償すると一報入れておきました。代金は私のポケットマネーから軽く出せる程度だったので心配しなくて良いですよ。なんだったら、店ごと買い取ってしまっても良かったくらいですから」
あんぐりと口を開けて、春臣がマリアのことを見た。
「マ、マリアちゃん、すげーな! 本当にマジのお嬢様だったのか」
「ふふふ、もっと褒めてくれてもいいんですよ? 西園寺さんは完璧ですからね」
涙腺にうるうると涙を浮かべて、シルフィもマリアのしたり顔を見上げる。
「た、助かったぞ、マリア……なんて言葉を送ればいいのか、」
「お礼なんて良いですよ。そのかわり、あとでコスプレに付き合ってください」
「コスプレがなんなのかは知らないが、できる限りのことは何でもやるぞ!」
お安いご用ですよ、シルフィさんのコスプレが見られるならね……。
マリアがよだれの滴り落ちそうな笑みを浮かべているが、その意図をシルフィが知ることはできない。
それから、シルフィは森斗の方に振り返った。
「お前にも迷惑を掛けたな……あの担がれ方はとてつもなく恥ずかしかったが」
彼はあっけらかんと笑ってみせる。
「大した迷惑ではないよ。僕はむしろ、きみにお礼を言いたいくらいなんだ。女の子を肩に担いで、町中を走り回るだなんて経験はなかなかできないことだからね。シルフィのお腹はシュッと締まっていて、とても担ぎ心地が良かったよ」
「お前は、二度と、私に触れるな!」
何か変なことを言ったかな、と森斗。
春臣が「おいおい……」と彼をあきれ顔で見る。
「変なやつだとは思ってたけど、お前って結構スケベなキャラだったんだな」
「そうかな? 僕は至って普通だと思うんだけど。そう言ってる春臣だって、女の子のお腹に触れられたら嬉しいと思わないか?」
「そりゃあ否定しないがな」
あっさりと同意した春臣。
すると、マリアがニコニコ顔で森斗に話しかけてきた。
「そうそう、健全な男子高校生だったら女子生徒のお腹が触りたくて仕方ないときだってありますよ。どうですか、森斗さん? 試しにシルフィさんのお腹だけではなくて、この西園寺さんのお腹も触ってみませんか?」
彼女はセーラー服の裾をぺらっとめくってみせる。
マリアは内部監査班の所属だが、狩人と同じレベルの戦闘力を持っている。当然、体はしっかりと鍛えられているので、ウェストはきゅっと健康的にくびれていた。腰回りがしまっていると、チラリと覗いているおへそまで魅力的に見える。
だが、森斗は強い反応を見せなかった。
「シルフィのお腹を触っておいて、これでさらにマリアのお腹まで触ったら、幸運が重なりすぎたせいで明日は交通事故に遭っちゃうかもしれない。きみの提案は非常に魅力的だけど、ここは涙を飲んで我慢することにするよ」
「あら、残念です。我慢できなくなったら、いつでも言ってくださいね?」
「マリアちゃん、俺にも触らせてくれ!」
授業中には決してやらないような、とても元気な挙手をする春臣。
「春臣さんの場合はワンタッチ一万円です」
「酷くないか!? 俺の扱い、酷くないか!?」
ゲームセンターで頑張ったご褒美ですから、とマリア。
春臣はすぐさま気を取り直して、新入部員(予定)の三人に提案した。
「とにかく、今日のところは駅前に近づかない方が良いだろう。カラオケには行けなくなったが、その代わりに俺が気に入っている場所を紹介するぜ。ドイツ生まれのシルフィちゃんにとっては、なかなか興味深いところのはずだ」
三人を引き連れて、春臣は住宅地の路地裏に入っていく。
駅前とは逆方向に進んでいるので、徐々に昔ながらの下町の空気が濃くなってきた。
そして、春臣が目的地として指し示したのは、その中でも一層古く見える木造家屋だった。
「……誰の家?」
小首をかしげるシルフィ。
「ここら辺に住んでいる子供は『ばーちゃん家』って呼んでる」
気さくに答える春臣。
三人が連れてこられた場所は、年季が入った見た目の駄菓子屋である。
店頭には小さくパッケージングされた色とりどりの駄菓子が並んでいた。他にはプラスチックボトルにまとめて入れられている串もの、天井から垂れ下がっているくじ引きの景品、ボトルクーラーで冷やされている瓶入りジュースなど、子供心をくすぐる品々が揃えられている。周囲には懐かしい甘い香りが漂っていた。
商品棚の奥は居間に続いていて、そこにはドラマの再放送を見ているおばあちゃんの姿がある。シルフィに負けず劣らずちっちゃいおばあちゃんで、四人が来たことに気が付くと、「あら、いらっしゃい」と小さく手を振った。
四人は「おじゃましまーす」と口々に返事をしてから、小さな商品かごを片手に駄菓子を物色し始めた。
「ハリボーが個別に売られている! しかも、当たりがついているかもしれないだと!?」
一個十円のグミキャンディを食い入るように見つめるシルフィ。
彼女はコーラ味、ソーダ味、オレンジ味、ピーチ味と、全種類を網羅するように一つずつ商品かごの中に入れていく。
「そういやあ、グミはドイツが発祥なんだっけ?」
春臣が確認すると、シルフィが「その通りだ!」と力強く答えた。
「日本のグミが果たしてどれほどのものか見極めさせてもらうぞ……」
十円グミの他にも、グミと名前が付いているものをシルフィは次々と確保していく。もちろん、グミの他にも気になる駄菓子は色々あるようで、彼女はあちこち目移りしながらも商品かごを一杯にしていった。
「昼休みもドーナッツを食べてましたけど、シルフィさんは本当に甘いものが好きですね」
むふふ、と愉悦満載の表情をするマリア。
「わ、悪いか? 好きなものを食べちゃ悪いのかっ?」
シルフィはそう言いながら、居間から出てきたおばあちゃんに代金を支払う。
「そうツンツンしないでくださいよ、可愛いですねー」
残りの三人も会計を済ませて、少し離れたところにある公園に移動する。
ベンチが一つだけ空いていたので、手狭だが四人で座ることにした。
各々、好きなように購入した駄菓子を味わい始める。
「なんつーか、俺たちは完全に選び方が男子だよな」
春臣と森斗はお互いの駄菓子を見比べてみる。
ベビースターラーメンのチキン味、一つだけ酸っぱいロシアンルーレットのガム、いろんな味のうまい棒、ピリ辛のするめ串……甘いものは少なめで、塩辛いスナック系のものが多く割合を占めている。
森斗は瓶入りのコーラをごくりと飲み干す。
「缶入りやペットボトルのやつを飲み慣れているはずなのに、不思議と瓶入りのやつはいつもより美味しく感じる」
「あー、あるある。雰囲気の違いだけでうまく感じるよなー」
春臣も彼と同じように、瓶入りのコーラを美味しそうに飲んでいた。
堅いするめを咀嚼しながら、森斗は「最後に駄菓子屋に立ち寄ったのはいつだろうか……」と考える。小学校の中学年くらいからは、基本的に父親である深山と特訓の日々だった。だから、おそらくは低学年……もしかしたら幼稚園児だったとき以来かもしれない。
するめじゃなくて、懐かしさを噛みしめているようなものか。
森斗がそんなことを考えている隣では、メインディッシュのグミを前にして、シルフィが水飴に挑戦しているところだった。
「なになに……チューブから絞り出した水飴を割り箸にのっけて舐めるだと?」
パッケージ裏の説明に従って、彼女は付属品の割り箸に水飴を垂らした。
が、ここで誤算が生じる。
水飴をチューブから全て搾ったせいで、割り箸では受け止めきれなくなったのだ。水飴はシルフィを嘲笑うかのように、割り箸の間をすり抜けて落ちていく。それはさながら、手のひらですくった命の水がこぼれ落ちるかのように悲劇的な光景だった。
「なんだっ……この水飴という物体……どういうっ、ことだっ……」
「シルフィ、ぐりぐりと練るんだ! 割り箸を回転させて、水飴をすくい上げろ!」
森斗から飛ばされる的確なアドバイス。
彼も幼い頃、同じような経験で水飴を失ったことがあるのだった。
「お願いだ、止まってくれっ! はぁああああっ!」
ここでシルフィ、全力の割り箸回転――あわや地面に着きそうだった水飴を引き上げる。
滑車がつるべを持ち上げるように、水飴は彼女の手元まで戻ってきた。
もう二度と逃すまいと、シルフィはすぐさま水飴を口に運ぶ。
「むぐむぐ……食べるのに苦労させられただけあって、これはなかなか美味しいな」
「シルフィさんの駄菓子も美味しそうですが、私が食べているのも結構なものですよ?」
ちょっと自慢げに見せつけるマリア。
彼女が食べているものは、カツの名前を持つポピュラーな駄菓子だった。
「初めて食べましたが、このカツレツは素晴らしいものです。これがたったの三十円で味わえるのですから。確かに薄っぺらではありますが、しっかりとした豚肉のジューシーなうまみが全体から染み出してきて――」
「あの……マリアちゃん?」
春臣が恐る恐る真実を伝える。
「その駄菓子の原材料……豚肉じゃなくて鱈だぜ?」
×
あっという間に夕暮れ。
大量に買い込んだ駄菓子が食べきれるはずもなく、四人はビニル袋を片手に公園をあとにした。ビルの頭に引っかかった夕焼けが、住宅地の路地にオレンジ色の光を差している。並んでいる四人の影が、視界の端までぐにゃぁーと引き延ばされていた。
「俺、こっちだから。ここでお別れだなー」
春臣がY字路の右側を指した。
「今日はありがとう、春臣」
さっさと帰ろうとする彼を森斗が呼び止める。
立ち止まって、春臣は三人の方に振り返った。
「なんだよ、いきなり?」
「お礼を言いたかったんだ。この高校に通い始めて、最も楽しい放課後だったから」
森斗の言葉に対して、春臣は微笑ましいものを見たような顔をする。
「お前ってやつは……今日が一番楽しかったとか、どれだけ楽しくない学園生活を送ってきたんだよ。一年生のときにだって、学園祭とか体育祭があったじゃねーか!」
「いやぁ、やっぱり友達がいると楽しさが全然違うよ」
そんなことをさらりと言ってしまう森斗。
春臣は右の拳を突き出して、グッと親指を立てた。
「やっぱり俺たち、親友になれるんじゃねーのか?」
「いや、親友は一身上の都合で無理」
「なんでだよ、おいっ! なんでそこだけ、頑ななんだよ!」
春臣は「シルフィちゃんとマリアちゃんもよろしくなー」と一言添えて、Y字路の右方向に去っていく。
「彼、ずいぶんといい人ですよね」
「調子のいい人の間違いじゃないのか? まぁ、悪いやつじゃないがな……」
マリアとシルフィが春臣を一言で評して、それから三人は再び歩き始める。
商店街のアーケード前に着いたところで、今度は不意にマリアが立ち止まった。
「私のマンションはあちらなので、お二人とはここでお別れですね」
「……あれ? マリアもグリム機関のエージェントなんだから、マンションは僕たちと同じ場所なんじゃないの? 美希さんが用意してくれるはずなんだけど」
森斗自身も高校進学および狩人デビューの際、美希にマンションを用意してもらったのである。当時はとにかく都会に出たい、一人暮らしがしたいと思っていたので、自分だけの部屋を用意してもらったのは本当に嬉しかった。
すると、マリアがさらりと言った。
「お父様がマンションを買ってくれたので、私はそちらに住むことにしました」
「買ったの!? わざわざマンションを!?」
あんぐりと口が開いてしまう森斗。
「私は持ち物が色々と多いので。部屋が広くないと困ることが多くて……」
「しかし、私を監視するという役目はいいのか?」
シルフィが問いかける。
監視されている対象が、ちゃんと監視しろと注意するのも変な話であるが。
マリアは「大丈夫ですよ」と言ってうなずいた。
「もしも、シルフィさんが夜中にマンションを抜け出したりしたら、私にちゃんと報告が入るようになっています。出撃禁止が解けるまでは、深夜のコンビニ巡りとかは控えてもらうと助かりますね。そもそも、私はぶん殴って止める係ですから」
彼女の仕事は至極単純――シルフィが人狼化しないように止める、あるいは人狼化したら全力で元に戻すことだ。地味な監視の仕事はあくまで平班員の担当である。わざわざ、狩人と同じ実力のマリアを本当の監視役にさせるメリットはない。
「というわけで、私はこれで帰ります。明日、また学校で!」
マリアは大きく手を振って、買い物帰りの多いアーケード街に姿を消す。
森斗とシルフィはきびすを返すと、一路マンションに向かって再び歩き出した。
今日の放課後は楽しいことばかりだったな……と感慨に浸る森斗だったが、彼は今晩の夕食について何も考えていなかったことを思い出す。
さっきの商店街に寄ってくれば良かったなと考えていると、
「私はここに寄っていく」
シルフィがコンビニの前で立ち止まった。
コンビニの自動ドアが開いて、店内から客の一人がレジ袋を片手に出てくる。レジ前に陳列されているフライドチキンの匂いが二人のところまで漂ってきた。店の前にずらっと並べられたのぼりには『新発売・ゆず胡椒チキン』と書かれていて食欲をそそる。
森斗はふと気になって彼女に質問した。
「そういえば、夕食はどうするつもり?」
「その夕食をこれから買うつもりなんだがな。今晩はロールケーキだ」
シルフィの答えを聞いて、森斗は怪訝そうに顔をしかめた。
「昼食がミスドのドーナッツ、おやつに駄菓子、夕食にはロールケーキって……その食生活、狩人的にはアウトなんじゃないのか?」
「……あぁん?」
途端、青筋を立ててシルフィが詰め寄ってくる。
彼女の反応がまるでいちゃもんを付けられたヤンキーのようで、森斗はシルフィの見た目とのギャップに気圧されてしまった。黙っていれば妖精なのに、どこから「あぁん?」だなんて乱暴な声が出てくるのか。
シルフィは森斗に向かって、おもむろにパンチやローキックを放ってくる。
「昼食のことも、おやつのことも、夕食のことも、どうして森斗に気にされなくちゃいけないんだ? お前は私のなんだってんだ! 保護者か? お兄ちゃんか? 監督生か? 私はどうせ出動禁止なんだから、何を食べたっていいだろうが!」
「いや、ほら、僕にも出動禁止になった責任があるからさ……」
「責任だって?」
シルフィが理不尽な八つ当たり行為をストップさせる。
「お前がどうして責任を感じるんだ?」
「大神煌を狙撃で倒せていたら、シルフィが人狼化することはなかったじゃないか」
森斗の言葉に対して、シルフィは首を横に振った。
「あれは……仕方ない話だ。大神の強さを見誤った私が悪い。あいつがスナイパーライフルの狙撃を止められる時点で、あの作戦は破綻していたんだ。それに大神との直接対決は私が望んだことだ。この手で始末しなければ我慢できなかった」
彼女は先ほどまでと一転して、しゅんと地面に目を伏せる。
「責任を感じるべきは私の方だ。私が暴走したせいで、お前は両手に怪我をしただろう?」
言われて、森斗は両手に包帯が巻かれていることを思い出した。
「いや、大丈夫だよ。授業中もゲームセンターで遊んでいたときも気にならなかったから。だから、僕のことは心配しなくていい。それよりも、僕はやっぱりシルフィのことが気になる。きみのために何かしたいと思っているんだ」
彼は諦めずに訴えかける。
「大神煌を倒して、きみが機関に連れて行かれたあと、僕はとても後悔していたんだ。もっと話をしたかった、もっと仲良くなりたかった、きみが辛い思いをしているなら助けになりたかった……他の狩人たちと一緒に仕事することは何度かあったけど、今回みたいに気になって仕方がないのは初めてなんだ。なんでだろうね?」
シルフィの顔をまじまじと見つめる森斗。
すると、彼女は眉毛をモニョモニョとさせてそっぽを向いた。
「わ、私に聞くなよ! 分かった、お言葉に甘えることにするから!」
コンビニに背を向けて、シルフィは一人スタスタと歩き出した。
「夕食を作ってくれ、森斗。ただ、お前の部屋には入りたくない。卑猥な雑誌がいっぱいあるからな。私の部屋で夕食を作るんだ」
「分かった。それで、どんな料理を作ればいいのかな?」
森斗が満面の笑みで尋ねる。
シルフィは彼に背中を向けたまま答えた。
「カレー・ヴルスト……日本風に言えばソーセージカレーだ」




