エピローグ
エピローグ
嵐の後の静けさってやつかな。
夏休みも残りあと僅かになってきて、そろそろまた学校が始まるのか、なんて思いながらぼーっと過ごす毎日。
アンリの方も、戦いの緊張が一気にほどけたからか俺以上にだらだらとしていた。
というか……今まで以上に悪化してる気がするわ。生活の習慣はゲームのしすぎでおかしくなっているし、何をしても散らかしっぱなしだし、当然のように家事はしないままだし。
戦いの反動ってのはわかるが、また一喝しないといけないのかな、なんて思うんだけど。俺も俺でそんな気力がないくらいやはりぼーっとしていた。
感化されたってわけじゃないが、掃除をやる気もなくなっちゃって、部屋はちらかり放題だ。これを才川や雨露木さんに見せたら卒倒するだろうなぁってくらい。
ま、いいよな。夏休み終盤って大体こんなもんでしょ。
「そいじゃ。行ってくるわ」
ぼやぼやーっと。そんなまま迎えた8月27日。もういくつ寝ると始業日だが、その前に俺は学校に行かなけりゃならんかった。登校日とかいうあのわけのわからん制度である。俺の学校は、複数ある登校日から自分で選べるという少し特殊な制度を設けているので、その点では柔軟性があるのかな。
まぁちょっと最近引きこもり過ぎたし、授業がないから足を運ぶのにそこまで気が重いってわけでもない。
アンリの奴はまだゲームにかかりっきりで、誘っても「行かない」と背中で答えられた。新しいの買っても俺が出来ないままあいつがずっとやってやがる。
・
登校日なんつっても、教卓の上にある出席帳にサインをするだけだ。いかめしいツラして担任が暇そうに俺のことを待ち構えていた。なんと俺が来ていない最後の生徒だったらしく、俺が記帳を終えるとのそのそと職員室に引き上げていった。
教室の、左隅奥。何気なく見た。
才川がいて、こっちを見ていた。授業中のようなプレッシャーは放たれていなかったから、気が付くのに遅れた。
まるでお化けを見るみたいな目で俺を見てきた。才川の中で俺は死んでいたのか?
あれから一回も会っていなかったし、メールの方もぱったり止まってたからな。
あれだけの激闘だったし、夏休み中はこれ以上の戦いは止めようって暗黙の了解が出来ていた。
「なんだ、才川もまだ登校日を消化していなかったのか」
「色々と忙しかったから」
「そうだな」
俺と才川以外に誰も人がいなかった。授業のない教室の朝ってのは清々しいものがある。俺は才川が座っていた隣の席の机に腰掛けた。
「ありがとうな。俺達の為に体を張ってくれて。才川がいなかったら負けていた」
あの時のお礼。まだ言ってなかったんだ。
「それはこちらの台詞よ。結局決めたのは汐見君達でしょ」
「あの魔法は不安要素だらけだったんだ。才川達の足止めがなければ絶対に放てなかった」
「もう。どうだって胸を張っていればいいのよ。らしくないじゃない」
「俺ってそんなキャラか?」
「ふふ。私こそね。ありがとう。本当に感謝している」
才川が照れながら上目遣いでこちらを見て笑っている。なんだ、ちょっと不気味だぞ。あれか、誰もいない教室ってやつがそうさせるのか。
「そういえば、結局<レインボーバブル>はどういう魔法だったんだ?」
「簡単に言えば私の感情を込めて発動が出来る魔法よ」
「そういや、喜怒哀楽の精霊だったもんな」
「ええ」
「そいじゃぁもう一つ聞いていいか。どんな感情を込めたんだ?」
あの時の目。今まで見たことないな、って感じはあったんだけど。何を考えていたのかは聞かないとわからない。
才川はちょっと俯いてから、俺に向き直った。
「……秘密。私の中で大切に持っておくべきものだと思うから」
意味ありげに含み笑いを見せた。才川のその表情は、いつも教室で見せる鉄仮面が全くそぎ落とされた、純粋な、こいつの笑顔のように思えた。思えただけで、知らないけどな。
なんとなくそれはその場しのぎの受け答えではなく、才川の中で本当にそうすべきもののように思えたから、俺はそれ以上追及しなかった。
「そうだ。汐見君、今日、暇? 実は誘いたい行事があって」
「ああ。別に暇だぜ。最近は家でぐうたらしてるだけだしな。アンリもゲームばっかしてやがる」
「だったらお祭りに行かない? 小規模だけど花火もやるみたいなの。エルロットがどうしても行きたいって言うから」
祭りか。屋台の焼きそば食いたいな。
しかし才川の嬉々としている目を見ると、エルロットでなく単純にこいつが行きたいだけじゃ……まぁどっちでもいいけど。
「いいな。夏休みの終わる前に、最後に思い出作り。俺達の祝勝会もまだだったしな」
才川の着物姿も見てみたい気もする。不思議だな。以前はそんなこと、思わなかっただろうに。なんでだよ、俺。いや。多分親密になれたって。そういうことだ。
簡単に待ち合わせ場所と時刻を決めて、俺達は一度別れた。
アンリに言ったらどうだろう。喜ぶのかな。相当今のゲームにお熱のようだから、下手すると断られるかもしれんな。
なんてことを考えながら歩いて、家の前に到着。
ガチャっとな、って……あれ。鍵が閉まってる。
アンリが中にいたはずだが? っかしいな。
試しにインターフォンを鳴らしてみるか。あ、出た。
『おーい。お前は俺の家を占拠する気か』
『はれっ? 汐見さん。はやいんですね。ちょちょちょちょっと待っててくださいね。今開けますから』
うーん。なんだ。やたらと焦ってるが。
それから数分待っても鍵が開く様子はない。
もう一度押してみるかと思ったところでようやく鍵が開く音が聞こえた。
「ま、まだ開けないでくださいね!! いいって言うまでですからね!」
必死なアンリの声に、思わず手を止めた。
なんだろう。いかがわしいことでもしてたのか。
予想。アンリのことだ。家具をぶっ壊したか、ジュースをどっかにこぼしたか、大体そんなところだろう。
「おーい、もういいだろー。ことと次第によっては怒っちゃうけど、そこまでびびるなよ」
「そんなんじゃないですからー」
そんでもう一度待つこと数分。
「どうぞー」
どうぞってここは俺の家だがな?
「はいはい、おじゃましまーすっと」
ドアノブをひねる。ようやく帰宅出来た。
玄関、廊下特には異常なしかな。目につく所に問題を置いてはおかないだろう。
さーて、お次はリビング……
──な!?
部屋の様子が、まるで違う。ど、どういうことだ。
「空き巣か、空き巣に入られたのか」
「ちっ違いますよ。もっとよく見てください」
あそこまで散らかっていた物の類いが全くなくなっている。
いやいや。違う。ないんじゃない。よくみれば片付けられている……んだよな? そうだ。綺麗に整頓されていて、アンリが転がり込んでくる前のような俺ん家に戻ってる……どういうことだ。新手か、新手なのか。襲われた? 新魔法? 違う。魔法は俺しか使えないはずだ。
これもカムフラージュか? 何かやらかしたことを隠す為の。
いやそれも違う。ビフォーアフターを考えれば相当の時間を要するはずだ。よく見るとまんべんなく掃除機も行き届いていて……つまりこれは、アンリが……
「えへへ、どうです」
「ま、まさか、お前がやったのか?」
照れくさそうに頷くアンリを見てようやく俺は理解出来た。そうまで逡巡しないと気が付けなかったのは、やっぱりこいつの日頃の行いってことにしておくよ。
でも……よくやったな。驚きと混乱から一転して、違う感情が芽生えてきた。
「待ってください。驚くのはまだはやいので!!」
しゅたたたっと台所へ消えていく。まさかの連続。第二波があるってのか?
戻って来たアンリの両手にはおぼんが抱えられていた。正直かぐわしいともこうばしいとも言えない……つまりは得体の知れないにおいに気が付いてしまった時点で、料理とは予想したくなかったのだが。それがことりと机の上に乗せられた。
これは多分……いや、推測が出来ないぞ。魚介系……エビ、か? なんか赤黒くて、ねばっこいソースと絡められてるけど。
「エビチリです」
えぇー! なんでそんなあまり親しみのない料理選んじゃったー!?
「さぁ食べてください。今すぐ。さぁさぁ!」
「お前、これ自分で食べたか?」
「た、食べましたよー」
うわぁ、嘘くせー!
でも、部屋の掃除までして俺の為に作ってくれたんだよな。無下にするわけにはいかん。
ええい、ぱくり。
「うっ」
「どうです?」
「うまい!」
なんだかよくわからん味もしたが、予想していた以上に普通の味だった為、その反動がうまいと言わしめた。
「どうです。私だって家事くらい出来るんですよ。えっへん」
「一体どうしたんだ。明日は雨……いや、雷……じゃない。隕石でも落っこちてくるんじゃねーか」
「失礼な。これくらいお茶の子さいさいですよ」
「はは。継続出来なさそうだけどな」
「……汐見さん」
突然、アンリが姿勢を正して俺に向き直った。
「な、なんだ?」
ふざけたようではなく、真剣な顔だった。なぜだろう。すげぇどぎまぎしてしまうのは。
「この前の戦い、本当に……その、格好よかったです。これからもよろしくお願いします」
深々とお辞儀をしてきた。うわっ。本当にこの目の前の人はアンリか?
俺は気恥ずかしさが先行して、あわあわすることしかできない。本当なら度量の広そうな返事をしてやるべきだと思うんだが。
「あ……ちょっと目をつぶってもらってもいいですか?」
「……え? ああ別に構わんが」
「いいって言うまでずっとですよ」
よくわからんが、言われるまま閉じた。
アンリが立ち上がる音が聞こえて、ほっぺたに熱い感触。
「いいですよ」
何をされたのかよくわからなかったが、アンリがまた照れくさそうな顔をしているのを見て、理解した。理解したと同時に、俺は顔が沸騰するように赤くなった。全く予期していなかったのだ。しょうがない。
「女の子らしいこと、しちゃいました」
「ちょっと焦った」
「ふふ。案外うぶなのね」
「えぇ。なんだその手だれた口調は」
アンリだって顔赤くなってるくせに。
「いやまぁ……その、なんだ。こちらこそ、よろしくな」
ふとカレンダーを見た。
外枠の空白の部分に、俺達の、あの時のプリクラが貼られていた。
それを見て、忘れられない夏になったな、とセンチな気持ちになった。たまにはそんなのも悪くはない。
夏休みはもう僅か。
祭りに行って帰って来たら、多分もう本当に夏は終わりなんだなって実感する。
実感するけど、続く。夏は終わっても、続くんだ。
先のことなんてどうなるかわからないけど、こうしてこいつらと居続けられたら、見えない何かが、きっと手に入ってくるんだって。続いた先にあるんだって、今は自分に胸を張ってそう思える。
もしかすると、その何かなんてのは案外もう手に入っていて、俺は変われているのかな。そんなに大層なものじゃなかったのかな、何かなんて。という気もするけど、まぁいいさ。また後で。
「あれ、これ」
なんかクローゼットが開きかけてる。この感じは……もしや。
恐る恐る開けてみる──と。
「ぐぅわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
物の土石流。今までリビングに散らかってたものだ。さすがにゴミの類いはないが……
「アーンリぃぃ…………」
「こ、これはあれですよ。収納。ね、後できれいに収納しなおせば……」
「こうしてやりゃぁぁぁぁ!」
「ぎょえぇぇぇぇぇ!!」
悲鳴をあげるアンリも、怒ったふりをする俺も、二人して笑顔だった。
<了>