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魔女裁判

掲載日:2025/12/21

1645年11月、イングランド東部エセックス州の小村。

エリザベス・クラークは、教会の地下室で木の椅子に座らされていた。二十四歳。夫を黒死病で亡くして三年、一人で薬草を売って暮らしていた。

「エリザベス・クラーク、あなたは魔女である」

目の前に立つ男——魔女狩り将軍と呼ばれるマシュー・ホプキンズは、冷たい声でそう告げた。

「違います。私は何もしていません」

エリザベスは震える声で答える。

三日前、隣家の赤子が病で亡くなった。

その母親が「エリザベスに呪われた」と叫び、村人たちが彼女を捕らえた。それだけだった。

「では、証言を読み上げましょう」

ホプキンズは羊皮紙を広げる。

「未亡人エリザベスは、夜な夜な一人で森を出入りしている。魔女の集会に参加しているに違いない——アン・ウェストの証言」

「薬草を採りに行っていただけです」

「夫が死んだ後も、生活に困っている様子がない。悪魔と契約して金を得ているのだ——トマス・エヴァンスの証言」

「夫の遺した僅かな財産で……」

「彼女が私の赤子を睨んだ翌日、子供が熱を出した——メアリー・ジョーンズの証言」

「そんな……ただすれ違っただけで……」

ホプキンズは羊皮紙を置いた。

「十七名の村人が、あなたを魔女だと証言しています」

エリザベスの顔が青ざめる。

十七人。村の半分以上だ。

「でも、私は何もしていません……」

「では、潔白を証明していただきましょう」

ホプキンズが手を叩くと、助手たちが入ってきた。

「まず、悪魔の印を探します。魔女には、悪魔が乳を吸った痕があるはずです。」

「え……」

助手たちがエリザベスに近づく。

「待って、やめて……!」

彼女の服が剥ぎ取られていく。

「やめてください! お願いします!」

だが、誰も止めない。

下着一枚にされたエリザベスは、三人の男たちに全身を調べられた。ほくろ、傷跡、あざ——あらゆる皮膚の変化が、「悪魔の印の可能性」として記録される。

「左の肩甲骨の下に、黒い痣が一つ」

「右太腿の内側に、小さな傷跡」

「背中に、ほくろが三つ」

屈辱だった。

エリザベスは涙を流しながら、ただ震えていることしかできなかった。

検査が終わると、薄い毛布だけを与えられて、再び椅子に座らされる。

「典型的な魔女の印が、複数見つかりました」

ホプキンズが記録を読み上げる。

「違います……ただの傷跡です……子供の頃に転んで……」

「はいはい...魔女はそう言います。」

男は淡々と続ける。

「では次の試練です。三日三晩、一睡もせずに座っていただきます。魔女は悪魔の力で眠らずにいられる。もしあなたが本当に魔女なら、平気なはずです」

「そんな……人間には無理です……」

「無理だと? では、あなたは人間だと?」

「そうです!」

「ならば証明してください。三日間、眠らずにいられないことを」

エリザベスは混乱した。

眠ってしまえば、魔女の力がなかったと証明できる。でも——

「もし眠ってしまったら?」

「眠れば、あなたは普通の人間だと分かります。

しかし、そうなれば『別の証明』が必要になりますね」

ホプキンズは微笑んだ。

「さあ、始めましょう」

部屋には数人の助手たちが詰め、澱んだ空気が停滞している。 エリザベスのまぶたが重く落ちそうになるたび、鼓膜を破らんばかりの罵声が響き、容赦のない冷水が彼女の顔を打った。

一日目。

エリザベスは、ただひたすらに耐えていた。しかし、刻一刻と疲労は重く澱のように積み重なり、彼女の思考を蝕んでいく。 濡れて肌に張り付いた服の冷たさも、もはや感覚を麻痺させる要因でしかなかった。

「私は魔女じゃない……魔女じゃない……」

彼女は祈るように、あるいは自分という存在を繋ぎ止めるように、その言葉を何度も何度も呟き続ける。その声は次第に、誰に届くあてもない、虚ろな呪文のように響き始めた。

二日目。

意識が朦朧としてくる。何度も頭が落ちかけ、その度に冷水を浴びせられる。

「やめて……もう……」

「やめてください、貴方は魔女だ。魔女なら平気なはずですよ?」

三日目。

エリザベスの目は虚ろだった。もう、思考を巡らせることが出来なくなっていた。ただ、座っていることだけで精一杯だった。

そして——一瞬、意識が途切れた。

パシャン!

再び冷水が叩きつける様に顔へ掛けられ、エリザベスは目を覚ました。

「眠りましたね」

ホプキンズが記録する。

「やはり、悪魔の力はなかった。では次に移ります。」

「次……?」

エリザベスは呆然と呟いた。

「はい、水に沈めます。魔女は水に浮くでしょう?

沈めば、あなたは魔女ではない。」

「でも……沈んだら……溺れて……」

「.....溺れる前に引き上げます。ご安心を」

翌日、エリザベスは村の池に連れて行かれた。

両手両足を縛られ、裸体のまま——村人達から舐め回す様に見つめられながら、池に投げ込まれた。

冷たい水が全身を包み込む。

エリザベスは必死でもがいた、足掻いた。

しかし、うまく沈めない。体が浮き上がってくる。

「浮いた! 魔女だ!」

村人たちの叫び声。

助手たちが彼女を引き上げる。

「見てください。水が魔女を拒絶しました」

ホプキンズが宣言する。

「違う……体が浮くのは……当たり前……」

エリザベスは咳き込みながら訴える。

だが、誰も彼女の言葉に耳を貸さない。

「魔女の証拠は揃いました」

その夜、エリザベスは独房で膝を抱えていた。

三日間眠らされず、裸で検査され、村人の前で辱められた。

そして何より——誰も、自分を信じてくれない。

幼馴染だったアンも、世話になった神父様も、優しかった雑貨屋のおじさんも。

みんな、私を魔女だと信じている。

「私は……魔女じゃない……」

でも、その言葉には、何の力も、何の根拠もなかった。

翌朝、ホプキンズが再び現れた。

「自白してください。あなたは魔女です」

「……違います」

「では、使い魔について聞きましょう。魔女には必ず、悪魔から与えられた動物の使い魔がいます。あなたの使い魔は何ですか?」

「そんなもの……いません……」

「嘘をつかないでください。昨夜、あなたの独房にネズミが入ってきましたね?」

エリザベスはその発言に思わず身体を凍りつかせた。

確かに、古い独房にネズミが一匹入ってきた。

あまりの孤独に、彼女は思わずそのネズミに話しかけてしまったのだ。

「怖いの。助けて」と。

「見ていたのですか……?」

「ええ。あなたはネズミに話しかけていた。それが使い魔ですね?」

「違います! ただの……独り言です……」

「いや違う、使い魔に命令していたのです」

「そんな……」

エリザベスの心が折れかけていた。

何を言っても、どう行動しても、全てが魔女の証拠にされる。

眠れば人間だが別の試練が待ち、眠らなければ魔女の証拠。

体が浮けば魔女の証拠、沈めば溺死。

ネズミに話しかければ使い魔、話しかけなくても「悪魔が守っている」と言われる。

逃げ道がない。

逃れようのない結末。

「もう……どうすればいいんですか……」

エリザベスは泣き崩れた。

「自白すればいいのです」

ホプキンズが囁く。

「自分が魔女だと認めれば、全ての苦しみから解放されます」

「でも……私は……」

「誰もあなたを信じていません。村の人々は皆、あなたを恐れている。あなたの無実を信じる者は、もういないのです」

それは、残酷なまでの真実だった。

「自白すれば、楽になれます。もう、誰からも疑われることはありません」

「でも……魔女だと認めたら……」

「火刑です」

ホプキンズは静かに告げた。

「しかし、それまでのこの苦しみからは解放されます」

エリザベスの中で、何かが壊れた。

無実を叫んでも、誰も信じない。

証明しようとしても、全てが罠になる。

生きていても、地獄のような日々が続くだけ。

ならば——

「私は……」

エリザベスの唇が震える。

「私は……魔女……です……」

ホプキンズは満足そうに頷いた。

「詳しく聞かせてください。いつ、悪魔と契約を?」

「三年前……夫が死んだ時……」

嘘だった。

でも、もう何も分からなかった。

エリザベスは泣きながら、ホプキンズの誘導に従って、ありもしない悪魔との契約を「自白」していく。

どの村人に呪いをかけたか。

何人を殺したか。

夜の集会で何をしたか。

全て、作り話だった。

でも、それを証明する術はもう、彼女にはなかった。

二週間後、エリザベス・クラークは火刑に処された。

最後まで、彼女は泣いていたという。

「私は魔女じゃない」と、小さく呟きながら。

だが、その声は、群衆の歓声にかき消された

魔女裁判にかけられた人間は、罪を犯したわけではない。

ただ、社会に溜まった不安や恐怖、そしてストレスの捌け口にされたに過ぎない。

それは正義ではない。

明確に、許されざる行為だ。

冤罪事件とは、時代や制度の失敗ではなく、

人間が「考えることを放棄した結果」だと、僕は思う。

だからこそ、冤罪は一つたりとも見逃してはならない。

情状も、同情も、絶対理由にはならない。

誰かを守るため、無実の人を犠牲にする裁きなど、裁きではないのだから。

僕は、そう考えています。

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