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メビウスの終わりと先輩

 回斗は、順調に廻瑠先輩とのループを重ねていった。二回目、三回目、四回目……と続いても、まるで毎回初めてのような気持ちで接することができた。

 そのおかげか、回斗は先輩のいろんな表情や仕草に気づいた。

 まずはベタだが、髪を耳にかける仕草だ。ファサリとしなやかな手つきで見える耳と首のラインが、どうしようもないほどに色っぽさを演出させた。その時の無垢っぽい顔つきもまた狂わせる要因だった。

 次に小さいが、鼻歌を歌っているところだ。今までデパートの店内BGMや自然公園にいるときの風で邪魔されたのだが、よくよく聞いてみるとそれは、回斗の母親が自分と同じ歳の頃に流行ったいわゆる歌謡曲という括りの歌だった。

 なんの歌か聞いてみると、「教えてやんない」とツンとした態度で言われてしまった。ショックだった反面、その時の先輩の頬がわずかに紅潮していたのを見ることができたのはラッキーだった。

 時折言いたくなる事がある。たった二文字だけの特別な気持ち。のどに封じ込めた秘密が、蓋をこじ開けようとしてくる。そのたびに不屈の精神でソレを押し殺した。 

 そしてループは、八回目の七月二十四日を迎えて……


「そろそろ帰らないと。親も心配してるだろうし」

「…………」

 

 何度も同じ展開、同じやりとり、同じ言葉。お気に入りの漫画を何度も読み返している感覚。でも回斗はそれで満足だった。これは自分自身の性格が大いに関係していると思う。

 例えばラーメン屋に行ったとき、回斗は必ず味噌ラーメンを頼む。店のオススメが醤油でも味噌、塩でも味噌、何が何でも味噌、何ならラーメン屋ですらない食堂や、挙句の果てに海鮮料理の専門店や焼肉店ですら頼もうとする始末だ。

 でも回斗は仕方ないと思う。だって好きなのだから。

 好きな気持ちを止められないように、このループ世界がいつまでも長続きしてほしいと思うのは、当然のことではないだろうか?

 だからこそ、


「――もう、やめないか? こんな猿芝居」

「……!!」

 だからこそ回斗は、たった今先輩から取り出した言葉の意味が理解できなかった。衝撃ですっかり頭がフリーズしてしまう。

「聞こえなかったのか? こんな猿芝居、もうやめろって言ってんだ。回斗」

「…………」

 そういった先輩の目つきは獲物に狙いを定めたライオンのようで、さながら回斗は恐れおののくだけのシマウマだった。

「本当はこの世界で何をすべきか、何を言うべきか、回斗自身分かってるはずだ。それを分かってて、目を逸らして、あたかも知らないと演技して……もう見てらんないよ」

 

 先輩の最後の口調は震えていた。今、回斗には計二つの問題が目の前に立ちふさがっていた。

 一つ目は、先輩が突然ループから外れた行動をとった理由。今までがうまく行き過ぎたというのもあるが、それでも外れるなら何かしらきっかけがあったはずだ。セリフや行動を間違えたとか? それはない。

 回斗は万が一ミスのないように、まるで大統領のスケジュール帳みたいに自分がすべき行動や発言を細かくノートに取ったからだ。それに倣ってやっていれば、まず問題ないだろう。現に今まではうまくいった。今までは。

 二つ目は、このループ世界が音を立てて崩れてしまうという予感がした。根拠はない。だが先輩の「何をすべきか、何を言うべきか、」という発言に、ひどく心当たりがあった。でも言えない。言えるわけがない。

 もしソレを言ってしまったら……考えるだけで恐ろしかった。回斗の最も恐れていた事態の前兆ともよべる出来事が起きている。何とかしなければ。

  

「いや……オレは本当に……!」

  

 回斗の声は、ループした世界の中で一番頼りない存在に思えた。

 打開策を考えた。

 何も浮かばなかった。

 

「私も!」 

 と先輩の声が誰もいない自然公園に響く。それにびっくりしたのか、何羽か鳥がバザバサと羽ばたく音が聞こえた。風も幾分か穏やかになっている。 

「私も、気づいているんだ。ループした、この世界に」

「……!」

 わかっていた。言われる前から回斗はわかっていたが、いざはっきりと言語化されると、心がスプーンでえぐられるような痛みが走った。自分だけのプライベート空間に、赤の他人が土足で入ってきたかのような不快感。

「目が覚めると廊下だった。ほとんど何の前触れもなく、いきなり放り出された感じ。それと同時に、今まで私が積み重ねてきたループの記憶が、頭の中に入ってきたんだ。更衣室の出来事も。本屋の会話も。自然公園でホタルを見れなかったことも、全部」

  

 先輩の目つきは真剣だった。わざわざ口で言わなくても、望んでいることが明確に分かった。

 ()()()()()()()()()

  

「あの、先輩……一ついいですか?」

「なんだ」

「先輩は……この世界――」

「出たい」

 

 食い気味に答えた先輩からは、これ以上ない決意を感じさせた。その熱意につい引っ張られそうになるが、すんでのところで身体の軸の位置をはっきりさせる。

「嫌だ」と心のなかで回斗ははっきりとその二文字を叫んだ。本当は直接口で言いたかったが、そのタイミングがまだつかめていなかった。

 

「いや……正確には、回斗をこの世界から出したい」

「……はい? 何を言って……」

 先輩はこちらの喋る暇を与えないかのようにまくし立ててくる。

「毎回毎回同じ言葉をしゃべって、同じ行動をして、同じ展開を目にする。回斗は本当にそれで満足なの? 台本があって、何をするか決まってて、そんなの……ロボットと変わらないじゃん!」

「っ!!」

「回斗は人間でしょ? 人間である以上、回り道ばっかじゃダメなことなんて、一番わかってるんじゃないの? 

 本当は自分自身が、一番バカなことをやってるって……」

 言葉が続くより先に回斗は、突き上げるようにして一気に立ち上がり、

「余計なお世話です!」

 

 と声を荒げ、拳を握りしめて震えていた。その正体が怒りだと分かったときに、同時にその原因も分かってしまった。

 

 ――ロボットと変わらないじゃん!


 否定したかった。でも、できなかった。手の横の部分が黒くなるくらいにびっしり書いたスケジュール帳を思い出す。まるで自分自身がプログラミングされた機械みたいだと思った。

 せっかく今まで無視できていた事実なのに、ここにきて回斗の心に波紋が生じていた。

 馬鹿なことやってる? 自分が?

 どうして? 繰り返しているから?

 そんなにダメなことか? ただ青春の日々を送っているだけなのに。

 好きなのに、

 好きなのに、

 好きなのに、

 この世界と……………………………………………………………………

 嫌な沈黙が流れる。

 

「……どうして」

 と放った先輩の顔は、なぜそんなことを言うのかと本当に困惑している顔だった。

「現実の世界が……自分の青春が……つまらないからです」

「なんで?」

 先輩から憐れみの表情を向けられる。そんな顔されるのも無理ない。だってこれから話す内容は、親ですら話したことはないのだから。

「この話をするのは、廻瑠先輩が初めてです」

 と前置きを言った回斗は、ゆっくりと一言ずつ噛み締めるようにして話し始めた。

 過去に夢があったこと。それも少女漫画家という子供じみた目標を掲げていたこと。そして……夢半ばで挫折したこと。

 陰ながら努力を重ねていった。ある日、小規模だが少女漫画の原稿を応募できるというネット広告を見つけ、その日から寝る間も惜しんで創作作業に没頭した。

 これまで歩いてきた人生で、あの時ほど情熱と夢と希望に満ち溢れていた時期はなかったと思う。睡眠の平均時間が三時間を切っても、ちっとも苦しくなかった。

 そして迎えた結果発表。結果は――一次審査すら通らなかった。当時小学五年生だった回斗は、まるで目の前で親を殺されたときのような絶望感を味わった。「あんなに頑張ったのに……」という言葉を小さく復唱しながら、才能のない自分自身に打ちのめされた。

 努力は実らない。

 そんな固定概念のようなものが、回斗の以降の人生で根を張ってしまい、今現在も心を養分にして成長し続けている。このままじゃダメなのは分かっているが、だからといってどうすることもできない。何をすればいいか分からないから。

 視界の景色は徐々に色あせ、モノクロに染まっていくのを止められなかった。ただ指をくわえてみているだけだった。

 

「……ですから、このループする世界こそ、オレの居場所なんです。この世界にいれば才能なんて言葉に振り回されないし、嫌な思いをしないで済むし、何より、自分の青春が――」

「本気で言ってんのか?」

 

 と言った先輩の声は、最初当人から出ているとは思えない程に低く、耳の奥を痛く刺激した。

 回斗の足は、ジリリと無意識に一歩後退していた。

 

「回斗は言ったな。現実の世界がつまらないって。自分の青春がつまらないって。だからこそ、このループしている世界のほうがずっとずっとマシだって」

「あ、ああ」

「ふざけるのもいい加減にしろ!」

 うつむきながら、頬をぶん殴られたかのような怒号が先輩の口から飛び出す。身体全体がプルプルと震えており、憤怒に満ちあふれていることが分かった。

「回斗。つまらない理由、教えてやるよ」

「…………」

「世界や青春がつまらないんじゃない。お前の面白いと思う感性が軒並み死に絶えているからだ。たかが夢に敗れたからって簡単に諦めやがって。勝てるように努力すればいいだけのものを、自分の怠惰を棚上げして、あげく面白くないのは世界などと責任転嫁? これが笑い話だとしたら、センスはゴキブリの死骸以下だな。

 糞ったれ」

「いい加減にし……!!」

 

 笑い話のくだりで回斗は、いくら先輩であっても拳を振るうことに対して何も躊躇はなくなっていた。カッと目を見開き、だらりとした腕に力を入れて頬へと狙いを定めようとしたその時――自分の両頬が突如として冷たいものに捕まえられた。

 先輩の両手は、驚くほどひんやりとしていた。

 目が合う。


「一つ、言い忘れていた事がある」

「……なんですか」

「この世界はループしていると自覚したとき、もう一つ分かったんだ。それが回斗を救う方法。だからこれからやることは、必要なことだから」


 そう言うと先輩は、更衣室のときにされた鼻の下の接吻とは違い、唇と唇同士を重ねる本物をキスをしてきた。伝わる感触は信じられないほど冷たく、そして柔らかく、文字通り時間が止まったかのような感覚を味わった。

 風も、夜空も、木々も、常に聞こえてくるはずの音がすべてどこか遠くへ追いやられてしまったと錯覚する。

 ソッと唇が離される。だが回斗は数秒間はそれに気づかずに、ただただ呆然としていた。自分の頬が見なくても赤く染まっていることが理解でき、頭の中はずっとさっきのキスシーンが再生され続けていた。

 たかが数センチずらしただけで、ここまで印象が変わるのかと呑気なことを考えていた。

 だがその刹那、()()()()()()が回斗の血管を伝って全身へ流れてきた。途端に驚きの感情から、夕立のような瞬間的な憎悪に変貌したかと思うと、自分の両腕は先輩を勢いよく突き飛ばしていた。ドスンと情けなく尻もちをつかせてしまう。


「あ、ごめ……」

 

 回斗は手を伸ばして謝ろうとするも、その手を握ることなく先輩は、まっすぐホタルがいる小川の方向へ走り去ってしまった。

 徐々に小さくなっていく背中は、何も語ってくれなかった。

 全く別の意識――先輩がこの世界から自分を追い出そうとしていること。回斗にとってそれは、あってはならない裏切り行為にほかならなかった。


 ――それが回斗を救う方法。だからこれからやることは、必要なことだから。


 そう言って先輩はキスをしてきた。意図は分かっている。分かっているからこそ、回斗はかつてないぐらいに腹が立った。

「廻瑠先輩なんて……嫌いだ」


 嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。試しに口に出してみる。ズキンとおなかの内部を弄られるような痛みが走り、思わず苦痛で顔をしかめる。身体が、心が、過剰なまでに拒否反応を示していた。

 当たり前のことを言っているだけなのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。自分が自分でなくなるような恐怖、姿の見えない不安に押しつぶされてどうにかなりそうだった。


「そう、か……そう、だったんだ」

 

 痛みのおかげで分かった。どうして先輩がループから外れたのか。完ぺきだったはずの回斗の作戦が、どうして崩れたのかが。

 ()()()()()()()()()

 確かに今まで回斗は同じ言動、行動をしてきた。そうすることでループ世界の存続を図ったのだ。しかし回数を重ねるたびに、唯一変わらざるを得なかったものがある。それが心だ。

 それはまるで風船のように、徐々に少しずつだが恋という名の空気を入れられて、今回のループをきっかけに許容量を超えてしまい破裂したのだろう。

 ()()()()()()()()。たったそれだけ。

 でもそのたった一つが、回斗にとってはまるで目の前に山でも作られたかのような途方もない事実に感じる。

 この気持ちを消さないと、世界は終わってしまう。でも……そんなこと……


「でき、ない……」

 

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 回斗の声は涙で震えていた。きちんと発音できていなかった。何度言っても、何度思っても、その数百倍の好きの言葉が返ってくる。お腹の痛みは、ますます拍車がかかっていく。

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 回斗は自分の趣味に誇りが持てたこと、自分の心の内を話したとき、真剣に答えてくれたことを思い出す。あとは……そうだ、おかげで昔からのどもり症が治ったんだ。感謝しかない。なのに、なのに……!!

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 嫌いだ。 

 先輩が自分にだけ見せてくれた一面? 驕り高ぶるのもいい加減にしろってんだ。回斗はあの時の自分をぶん殴ってやりたかった。


「なんで……まだ好きなんだよぉ……!!」


 もう嫌だ、こんな気持ち。どうして、あんなヤツを好きになってしまったんだろう。自分が恥ずかしい。

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 どうしてこんなにも思い通りにならないのだろう。他人の心さえどうにもならないのに、せめて自分の心くらいうまく操りたい。しかし現状は、むしろこちら側が操られてしまっている。

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 前にも一度、こんなことがあった気がする。それはループ世界の出来事じゃない。先輩と一緒に回斗がホタルの住む小川へ()()()()()()()()()()()

 約束をすっぽかされたと思い込み、恨みの言葉を吐きながら家路についた馬鹿な自分の記憶。

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 嫌いだ。

 そう、こんな感じに。

 欲しくもない記憶が、どんどん回斗の頭の中に詰め込まれていく。嫌だ嫌だ嫌だ。さっきからずっと、この世界に浸り続けていたいという気持ちと、先輩への想いがぶつかり合っている。

 しかしそれは、あっけなく終戦を迎えた。

  

「遅いよ。もう四週目に入っちゃった」

 

 絶対に聞けるはずのない声。繰り返し聞いた声。忘れるはずのないの声。回斗はいつとはなしに、ホタルがいる小川近くに架けられている半円状の橋にいた。まるで夢の世界のような場面転換。

 こんなの反則だろ……と思ったが、じゃあループする世界なんてバリバリアウトじゃないかと自分で自分をツッコんだ。

 先輩は、橋の欄干部分のみを綱渡りのような要領で渡っていた。ふらふらと上半身を揺らしながらも、途中にある欄干の出っ張った部分をうまくまたいで回斗の方へと向かってくる。


 ――本当は自分自身が、一番バカなことをやってるって……

 

 残響する先輩の声に、回斗は何も反論しなかった。というよりできなかった。今の自分ほど似合う言葉なんて、この世にあっただろうか。

 心の奥底では全部、わかっていたかもしれない。

 幅約十センチの足元を、両腕を左右に広げることでバランスを取り、「おっとっと」と言いながらも着実に進んでいる。月明かりによって白く照らされているせいか、その様はとても危うく見える一方で、とても美しくも見えた。まるでシャボン玉のようにはかなげで、消えてしまいそうだった。

 

「何を……してるんです」


 やっとのことで絞り出した回斗の呼びかけに答えず、先輩は何を血迷ったのか小走りで移動を始めた。今いる位置は、橋の中間地点をやっと通過したところ。距離は二十メートルぐらい。ラストスパートにしちゃ、あまりにもタイミングが早すぎる。

 自分が欄干にいるわけでもないのに、回斗の心臓は喉元まで跳ね上がり、危うく息の仕方を忘れてしまうところだった。

 ――先輩が死んでしまう。

 

「っ!? どうして、そんなこと思って……」

 

 いくらなんでも大げさすぎる。考えがまとまらずグチャグチャな回斗とは違い、先輩は射られた矢のように迷いのない走りで、あっという間に渡りきってしまった。地面に着地する際、まるで体操選手が決めポーズをするように、両腕をYの字に伸ばしている。

 再度先輩を呼びかけようとしたが、それよりも早く、

 

「ゴォォォーッッッル!」


 と声高々に叫んだ。そしてポケットに手を入れたと思ったら……中から飴? のような包み紙にくるまれた何かを口に放り込んだ。よほどに好きなのか、先輩は口の中で転がしながら満足そうな笑みを作っている。

 回斗は話かけようとしたが、どうしてもそのチャンスをつかめずにいた。たった一分ほどが妙に長く感じた。ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえたと思うと、満を持してと言わんばかりに先輩が口を開く。

 

「ごめんごめん。今の飴はご褒美用としていつもポケットに入れてるんだよ。ギルティちゃんの濃旨いちごミルク味。値段は張るけどすごくおいしくて……って、まぁ回斗にはそんなことより、本題を話したほうがいいよね。

 有名な一休さんの話で、この橋渡るべからずってヤツあるじゃん? アレがもし逆だったらってどうなるかって一人でシュミレーションしてたんだけど……結構ヒヤヒヤしたなー。でも楽しかった! ちょっともう一回やってくる!」

 と先輩は、童心に返ったみたいに軽くステップしながら、さっきと合わせて五回目の綱渡りへと駆け出していってしまった。 

「…………」


 先輩の顔は、やってやったぜ! と言わんばかりに澄まし顔をしていた。回斗はそんな顔を見ていると、さっきまでこの世界との別れや葛藤の中で苦しんでいたことが、急にアホらしく思えた。どもり症で後悔していた自分を思い出す。

 でも同時に、少し安心していた。何度もループ世界で見てきた、春風廻瑠という人柄。時折見せる年齢不相応な子供らしさが、こちらと笑いのツボを押してくると同時にギャップ萌えを感じさせる。

 ああ、やっぱり自分は、先輩のことが……

 

「世界は公園だよ!」

 叫ぶように先輩は、馬鹿丸出しな発言をする。しかしそんなところも、いかにも彼女らしいなと安心した。

「さすがの回斗も、小さい頃に公園で楽しく遊んだ思い出の一つや二つ、あるんじゃない?」

「……何が言いたいんです」

「回斗は現実の世界がつまらないと言った。でも私は、その原因が回斗自身にあると言った。それもあるかもしれない。でもね、前提として世界は公園のような遊び場なんだよ。大人になる過程で、みんなそれを忘れちゃうだけ」

「……………………羨ましいな。自分はそんなふうに、考えれないです」

 

 大人になること――それはたぶん、最も青春から遠ざかっていく一つだと思う。でもすべての人間は、それに抗うことなんてできやしない。時計の針が決して逆方向に進まないように、誕生日のろうそくが毎年一本ずつ増えてしまうように。

 生涯を八十年ほどだとすると、青春とよべる期間は約二十年。残りの期間はずっと大人だ。本当は子供のままがいいなんてみんな思っている。回斗もそう思っている。でもダメなんだ。ダメなんだよ! 

 大人であることを受け入れて、諦めて、失って、絶望して、嘲笑して、地に這いつくばって生きる。それが人生じゃないだろうか。

 そうやって後ろ向きに、期待せず、あらかじめマイナスのバリアを張って考えたほうが、キズが最小限で済むじゃないか。

 回斗は今更気づいた。青春を求めてしまったからこそ、かえって自分の青春を傷つけてしまったことに。期待してしまったからこそ、かえって世界への絶望を深めてしまったことに。

 自分の青春の加害者は、自分だった。 

 自分の世界の加害者は、自分だった。

 先輩は欄干に棒立ちした状態で、何も言わずこちらをみている。文字通り見下されているので、さらに回斗は自分がみじめに思えた。


「――()()()()()()()

「…………え?」

 

 先輩は謎の言葉を残すと、身体の向きを川が流れている方向へと向けた。それと同時に回斗は、まるで氷塊に後ろからハグされたかのような悪寒を覚えた。橋へと身体を動かそうとするも、どうしてか一歩も動けなかった。

 次の瞬間、まるで狙ったかのような拍子で雲に隠れていた月が顔を出し、先輩とその周辺を照らし出した。それは演劇のワンシーンに見えた。


「回斗」

「は、はい」

「自分に嘘をつきな。でも決してそれは、自分自身を偽ることじゃない。自分が信じたいと思う方向、信じたら面白いと思うことにのみ、嘘をつくんだよ」

「……言ってる意味が、わから、ないです……」

 

 回斗はそんな質問より、今すぐにでも先輩の元へ行きたかったのに、相変わらず身体は足先一つ動かす事が出来なかった。 

 言い終えた先輩の顔は、しょうがないな……と言わんばかりに破顔していた。まるで何かを覚悟したみたい――と思ったときには、とっくに欄干にあったはずの彼女の身体は、川へと投げ出されていた。

  

「め、廻瑠先輩!!!!」

 

 ようやく身体が動いた。急いで回斗は先輩の落ちた欄干へ身を乗り出したが、()()()()()()()に気づいた。その答えにたどり着くと同時に、自分も同じように川へ真っ逆さまに落ちていることに気がつく。

 ――欄干が直っている?

 どうして気づかなかったのだろう。先輩が綱渡りしている時点でおかしいと思うべきだったのだ。でも今は、そんなことより……

 

「廻瑠先輩! どこです!? どこですか廻瑠先輩! 廻瑠先輩! 廻瑠先輩! 廻瑠センパァァァアアアーーーーーイッッッ!!!!」


 バシャバシャと力の赴くがままに手足を動かし、無駄に回斗は体力を消費していた。無理もなかった。なぜなら落下して間もないであろう先輩の姿が、髪の毛一本発見できないからだ。はたから見れば、自分一人だけがおぼれているかのような絵面。

 一応潜ってみたが、当然夜の川は月明かりをほとんど通さず、グニャグニャとした歪な闇が襲いかかってくるようだった。身体にまとわりつく冷たさ、プカプカと浮いているペットボトルやスナック菓子などのゴミが鬱陶しくてしょうがない。


「っ!?」


 ズキンと頭に電撃が走ったかのような痛みを受ける。

 直感で分かった。これは予兆だ。本当の記憶を取り戻す前振りだと。

 そんなものはいらない――と回斗は心のなかで叫びつつも、脳みそは信じられない速度で過去へと逆行していく。まるでブレーキを失った暴走機関車のごとく、止める術なんてなかった。


「あ、ああ……あああ…………」

 

 そうかそうか、そうだったんだ。ようやく分かった。

 ループの最初のとき、先輩の身体が一瞬濡れているように見える理由。

 先輩を最初と最後に見かけた時に感じる、水の中のような苦しみの正体。

 いくつものデジャヴに、ホタルが来なかった事実を、あんなにあっさりと受け止められた自分。

 先輩はここにいない。それがはっきりわかった。もっと言ってしまえば、()()()()()()()()()()()()

 回斗の頬に、ゆっくりと涙が伝っていく。どんなに嫌なことでも、いざ目の前に迎えてみれば不思議と心は穏やかだった。月明かりは素知らぬ顔をしながら、川面を宝石のように照らしていた――

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