雷様会議とハッピー破楼飲
雲海を突き抜けたとき、高度は6000メートルに達していた。
気温も気圧もかなり下がっているが、むろん、密閉されたカプセル内にいるコスナーとケートは平気だ。
「いたぞ」
地竜が見る先──平たい雲の一画に、三頭の竜がいた。そこへ向かって降下していった。
「あれは、雷竜、黒鉄竜、赤金竜だ」
白と朱色と黒錆色の竜。
三頭の竜が、やってきた地竜に注目して振り向くなか、ふわりと着地した。地面とは違う雲の上にしっかりと足をつけて。
コスナーは氷カプセルのハッチを開ける。気圧差に、ぷしゅ、という音がした。
ケートとともにカプセルの外に出た。気温はカプセル内とさほど違わないが、気圧はかなり低い。気圧低下によって高山病にかかるところ、竜の力がほぼ自動的に体を適応させてくれた。
地竜の背中から飛び降り、コスナーは足元を確認する。
雲海。けれども足が沈みこむことはない。かといって硬いわけではない。スポンジの上に立っているのに近いかもしれなかった。
一面の雲海は広大で、山も谷もなかった。
そこに、ぽつんと、三頭の竜だけが、なぜか卓袱台を囲んでいた。どことなくシュールな光景であった。卓袱台の上にあるのは飲み物らしく、竜たちがくつろいでいたのがわかる。
地竜はそこへ歩み寄る。
「昨日は助かった。礼を言いに来た」
雷竜に向かって頭を下げた。
「なんのなんの。気にすることはない。大事なくてよかった――」
白い竜が言った。雷竜である。
「――しかし、あの勇者は異常だぞ。本来勇者となった者は光の巫女の加護を受けた際、人間にある壱百八の煩悩は浄化され、真に人々に献身する無欲の存在となるはずなのだが……」
人間との付き合いがほとんどない竜であっても、あまねく知れ渡っている人間の常識は知っていた。
「左様――」
朱色の竜、赤金竜が首肯する。
「――ところがあれは違う。強欲な暴君だ。故にそれに仕える側近も同じように下衆の極みといって差し支えない」
「なぜ光の巫女はあのような下衆を勇者に選んだのだろうな?」
鈍色の竜、黒鉄竜が首を傾げた。
「それは直接対した我にもわからん。光の巫女がなんらかの意図をもって、そのようになさった可能性もあるが、そのお考えは我には理解できぬ」
一同、うなずきあう。
「とはいえこのままにはしておけぬじゃろうて……」
赤金竜が渋面をつくった。
そうじゃな、と黒鉄竜も同意する。
「そうなんです……」
そこへ、コスナーが訴えかけるように発言した。
「――やつらは己のレベルアップとレアスキル習得のためだけに、幼い命すらも無碍に奪い続けているんです」
ボリトールらの残虐性は、コスナーが身をもって体験した。あの拷問は忘れられようはずがない。笑顔を見せながら、あるいは眉一つ動かすことなくあれほどの暴力がふるえるなら、それが竜の力を持たない普通の人間に向けられたときには、どんな阿鼻叫喚が展開されるか。
「光の巫女は関知しておらんのかのぉ?」
赤金竜が疑問を口にした。光の巫女がこの事実を知ったならどうなさるだろうか。知っていてなお放置しているというのなら、どんな理由があるのか。
「ご存知であったなら、なにか対策されるだろうに……まさか光の巫女がご乱心であるとは……?」
黒鉄竜の憶測に、雷竜が顔色を変える。
「滅多なことを言うものではない。もしそうなら、すでにこの世はカオスじゃ。そもそも光の巫女様は絶対不可侵。わしらが上訴などとんでもない」
モンスターの頂点に君臨するドラゴンといえど、そこまでの発言権はないのだった。
「打つ手はなしか……」
黒鉄竜が絶望的につぶやく。
「腐っても勇者は勇者じゃ。光の巫女の加護を受けている以上絶対無敵かつ不死身。世界中の竜の力を結集したとて、勇者の一撃で軽く一蹴される」
雷竜にもボリトールに立ち向かえる力はなかった。圧倒的な力が、光の巫女の加護を受けた勇者にはあった。それはまるで神の如くである。
「さながら、巨象に抗う蟷螂じゃのぉ」
赤金竜がそう例えた。
一同、もはやため息をつくしかない。
「ま、そういう憂い話は後にしてくれ。目の前の現実を考えよう――」
地竜は、結論の出ない議論を打ち切った。
「――一時的にせよ我らは勇者から逃げおおせられた。しかしこんなものは一時しのぎに過ぎん。今のままではとても逃げ切れん。そこで、おまえたち他の竜の力を、我らに貸してはくれまいか?」
「我らの力を貸すとな?」
雷竜は戸惑いの表情を見せた。竜が竜に力は貸せない。地竜の意図を吟味する。そして、コスナーとケートに目を向けた。鑑定スキル、発動。
「おお…っ! この人間とハーフエルフ、空きスキルスロットの容量が凄いな……」
目を丸くした。それほど人間との接触はない雷竜であったが、それでもこれが異常に高い数値であることはわかった。
「こやつはすでに三つの竜の力を持っておる。それ故にここまで勇者の執拗な追撃を受けても生きてこれた。だがこれからはもっと力が無ければ到底切り抜けられん! おまえたちが声をかければ世界中の竜が協力してくれるかもしれん。一つ一つのスキルでは勇者に歯が立たなくとも、いくつかのスキルが融合し変質するなら思わぬ強力なスキルに変貌するやもしれぬ」
地竜は一気に言った。
「なるほどのぉ。わしら竜単体では不可能だが、複数のスキルをスロットに入れて化学変化が起きれば面白いことになりそうじゃ」
それがどんな結果をもたらすのかは想像もつかなかったが、赤金竜は愉快そうに微笑した。
「しかし、世界中の竜を集めるとなると……」
黒鉄竜は戸惑っている。どうすればそんなことができるのかと、早くも思考がそちらに向いた。
「では、少し時期的に早いですが、開催しますかの」
雷竜はなにかアイデアが浮かんだらしい。
「開催?」
コスナーは雷竜の案に反応する。八方塞がりのなかで、少しでも可能性のあることならどんなことでも試みたいところであった。
雷竜は説明する。
「毎年10月31日に開催される、竜の祭典「破楼飲」だ。世界中の竜が、ここからさらに3000メートル高い、ポテンザ山脈上空の高度9000メートルの雲海、通称「マルキュー」で夜通し飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをする祭りだ」
(そんな祭があるのか……)
確かに、そのイベントであれば多くの竜が集まってくるように思えたコスナーである。
「だが、急な呼び出しなので、普通に呼んだのでは集まりが悪いかもしれん」
しかし黒鉄竜が危惧を口にする。
「うむ、それはそうだの……。いい考えだと思ったんだが」
竜とて暇を持て余しているものばかりではない。都合をつけてまでして馳せ参じてくるだろうか。
「ならば、コスプレOKにしましょう」
なにを思ったか、赤金竜がそう提案した。
「おお、それはいい。この数年疫病が流行して皆自粛しておったから、今年は制限無しじゃ!」
雷竜は乗った。
コスナーは会話についていけない。
(そんなので、集まりがよくなるのか?)
竜のコスプレというのがイメージできない。
「これはマルキューが大混雑するほど、世界中の竜が集いますな!」
が、黒鉄竜が嬉々として同意しているところを見ると、コスプレ解禁はすごく効果のあるイベントなのだろう。にわかには信じられないが。
「おまえはすでに火竜・氷竜・地竜の力を託されている。竜の信を得る人間などそうそういるものではない」
雷竜は、勇気づけるように首を向けて、まっすぐに見つめてきた。金色の目にコスナーの姿が映った。
「ましてやおまえはあの勇者から逃げ延びた実力と運も持つ」
赤金竜もそう言ってくれた。
「おまえは何かを持っている。期待しておるぞ」
黒鉄竜が話を締めた。
「ありがとう、みなさん!」
コスナーは感謝を示した。ここまで協力してくれるのはありがたかった。どれだけの竜が集まるのか、コスナーがどれだけ多くの竜の信託を得ることができるのか、それは蓋を開けてみるまではなんともいえない。
だが、ここまで竜たちは好意的に接してくれていたし、ボリトールの行動を問題視してくれていることを考え合わせれば、力強い援護射撃を期待できそうだった。
(あとはおれにどれだけのキャパシティがあるか、だな……)
いくら空きスキルスロットがあったとしても、竜の能力を吸収できるほどの適応力がなければ、体が耐えきれなくてダウンしてしまうかもしれない。これまではひとつずつ竜の力をさずけられてきたが、いっぺんにそれをされると体への負担が大きいに違いない。
(とはいえ、ここまできたのだから、あとはやってみるまでだ。ケートもいるし、……あれ? ケート?)
すぐ横にいたと思っていたケートの姿がいつの間にか見えない。
「プハーッ!」
と、盛大に息を吐く声が、竜の卓袱台からした。
「え?」
見ると、その上にケートが登っていた。竜用のサイズの卓袱台は、人間のものより数倍は大きく、天板もじゅうぶん乗れるほど広い。
「あーもう! 飲まなきゃやってらんねーですよッたく!」
ケートが竜の徳利(竜のサイズなので一升瓶ぐらいの大きさがある)を拝借して飲んでいた。ぐびっと大皿であおる──この大きさでも竜にとっては盃なのだろう。
「おまっ! 勝手に竜の酒をかすめ盗っちゃダメでしょう!」
コスナーはあわてた。
話が退屈だったのだろうか。それとも酒の匂いにつられて? ハーフエルフが好む匂いを感じたのか?
「おいおい、これは酒ではないぞ。般若湯という由緒正しい……」
雷竜が大皿をケートから取り上げようとする。
「だーっ! っせーなぁ! 勇者のクソ野郎ぉ~! 今度来てみやがれ! ケツの穴に指突っ込んで奥歯ガータガタ言わせてやんですよ!」
どこで覚えてきたのか、ガラの悪いチンピラのような台詞をわめいた。すっかりできあがっていて、酒癖が悪い。ハーフエルフがそうなのか、ケートがそうなのかはわからなかったが。
竜の饗宴が始まれば、またケートは酔っぱらって、なにかをやらかすような気がして、コスナーは一抹の不安を覚えるのだった。
【第7話につづく】