氷原と竜と解氷掘削
シックロ氷原。
氷点下の風が吹きすさぶ、一面雪と氷の世界。白く凍てつくそこには生き物の姿とてない。巨大な湖に分厚く張った氷とその上に積もる雪は来る者を拒んでいるかのようだった。
が、そんな死の氷原にひとりの男がいた。
コスナーは、雪を盛ってカマクラを作り、そこで身を潜めて勇者ボリトールらが来るのを待っていた。火竜の能力を得たことで、この寒さに凍えたりはしない。
(来たか……)
気配を感じた。
これも火竜の能力なのだろうか、以前よりも敏感に周囲の変化を感知できるようになっている。
コスナーはカマクラを出ると、目を凝らした。
視界の悪い吹雪のなかを、フラフラと足元も頼りなく歩いている人影が見えた。
(あれは……!)
吹きつける冷たい雪をものともせずに駆け寄った。
人影は、その場で力尽きたように倒れ込んだ。
たちまち上に雪が積もっていくその体を、コスナーは抱え起こした。
尖った耳に柔らかな金髪。あのときボリトールらと茶店にいたハーフエルフに間違いなかった。
(おれのときと同じだ)
極限の地にひとりで斥候で行かせて、弱ったところでとどめを刺す算段なのだろう。ボリトールならきっと同じことをすると予想したが、ビンゴだ。
(ということは、やつらはもうすぐ近くまで来ているのか……?)
コスナーは火竜の目のスキルで遠くを見渡した。
と、人間の目では見えない遥か後方に勇者ボリトールらが万全の防寒仕様で待機しているのが見て取れた。女魔導師のヒタクル一人が先行してこちらに向かってきている。
かなり距離があるせいか、まだコスナーがここにいるとは気づかれていないようである。
今のうちにと、寒さで弱りきったハーフエルフを抱きかかえると、さっきのカマクラまで帰り着く。
(このままでは死んでしまう……。そうだ、おれの火竜の能力で……)
コスナーはそう思いつく。
カマクラを熱で溶けないよう空気の幕で保護する術を施すと、すっかり冷えた体を火の熱で徐々に温めた。ここは加減をしないと火傷を負わせてしまうから慎重に。
ほどなくして顔に血色が戻る。息を吹き返した。
「あれ? ここは……?」
目をしばたたいて周囲を見回し、そこにいたコスナーに尋ねる。
「氷原で倒れたんだ。少し休むといい」
「あっ! ダメなのです!」
ハーフエルフは飛び起きた。
「わわわ私には、たたた大切なお仕事がああっあっあるのででですっ!」
「いや、その仕事なんだけど……」
コスナーが事情を説明しようとするが、ハーフエルフは聞きやしない。
「どどどうもお世話になななりました! しし失礼ししますすのですっ!」
そう言うと、吹雪のなかに飛び出していった。待て、という間もなかった。
コスナーが追いかけてカマクラを出ると、それを待っていたかのように猛吹雪が吹きすさび、前を行くハーフエルフは一瞬で体が雪まみれになり、氷砂糖のように固まって動けなくなる。
「ほら、言わんこっちゃない……」
コスナーは急いで駆け寄ると、ハーフエルフを抱き起こした。
「エルフってホント寒さに弱いんだな」
再びカマクラに連れて戻り、火竜の火で温めなおすとハーフエルフ――ケートは再び目を覚ました。
コスナーは、使い込んだ二寸ほどのポケットナイフで干し肉を切り取ると、焚き火で炙り焼き、ケートに与えた。
ひどくお腹がすいていたのか、それを遠慮なく食うケート。焚火の前でハーフエルフが指先を汚しながら肉をむさぼり食っているさまは、なかなかにワイルドであった。
火竜の力は食料調達にも役立った。このシックロ氷原までの道中、うさぎや山鳥を見つけると、その炎で狩ることができた。しかも火力を調整して干し肉を作れたのである。これでカネがなくても飢えることはなくなったといえるだろう。獲物さえ見つかれば食料に困らなくなったのはありがたかった。なにせボリトールらについていた一週間ほどの間、やつらは多額の路銀を持っていながらコスナーにはびた一文わたさなかった。見習いの身であるからとコスナーは気にしなかったが、そもそも殺そうというやつにカネをわたすわけはないのである。
コスナーは自己紹介し、ボリトールらとの間で起きたことをケートに話して聞かせた。ミッカタ村で起きた出来事、コスナーが選ばれたが、ミノーオ火山の火口に放り込まれたこと。偶然にも火竜によって救けられたこと。そして、ナテン村の茶店でケートを見かけたこと。
「そそそそんなの嘘です! ゆゆゆゆ勇者様がそんなことをするわわわわけがない」
うさぎの干し肉を骨までしゃぶって食べ終わったケートは、コスナーの話を最後まで聞いたものの信じてはくれなかった。
勇者の称号は、それ自体が聖者の証であった。清い心を持つ者でなければ勇者にはなれないし、聖光エポルプ教会が認めるわけがないのだ。
「おれだってそう思いたいよ。でも……」
受けた仕打ちは紛れもない事実だ。自分らのスキルを上げるために人の命を奪う――そんな悪魔のような所業を見逃していいはずがない。しかし聖光エポルプ教会がなぜボリトールを自由にさせているのかわからないから、その点をつかれると答えに窮するし、説得力がなくなってしまう。
コスナーはなんとかケートにもわかってほしいと願ったが、一度信頼するとそれを覆すのはなかなか難しいようだった。
いま思えばコスナーのときもそうだった。火山の火口で毒の水で倒れるまで、ボリトールは紳士的に見えた。まさかあんなに腹黒いとは思ってもみなかった。すっかり騙されていたのだ。思い返すと腹立たしい。
「だだだだって勇者様ですよ。ろくなししし仕事がなくて、ままま毎日食うや食わずのせせせせ生活をしているわわわ私を拾ってくださったんですよ……」
「だからそれは――」
「とととっとにかく、私はたたたた頼まれた氷原の様子をみみみ見に行くという仕事をしししぃしなければならないんです。たたたた助けてもらってかかか感謝してますが、だ、だだだからといって、ははは話を信じるのは違うとおおお思うんですっ」
ハーフエルフは純粋な性質で疑うことを知らない。だから人間にいいようにこき使われているのだ。
「ふふふぅ吹雪もやんだようです。わわわ私は出ていいい行きます。ゆゆゆ勇者様たちがやってくくく来るのですっ」
ケートはカマクラの外をのぞき見て天候を確かめた。吹きつけていた風がやみ、視界が戻ってきていた。今なら行き倒れてしまうことはなさそうだった。
外へ出て行くケートの背中を見つつ、
(痛い目見ないとわかんないか……。まあ十分痛い目にあってんだけど……)
コスナーはこめかみを指先で押さえた。
(どうしたものか……)
ケートが吹雪の弱まった氷原をしばらく行くと、彼方に魔導士ヒタクルの影が見えた。紫色の髪が、白だけの世界に浮き上がって見えた。
「あ、ゆゆゆ勇者パーチーの人っ! ささ寒い所、よよようこそなのですっ!」
鼻水を垂らして、ケートは声を張り上げて手を大きく振った。
ヒタクルは走り出すことなく、ゆっくりと歩んでいる。
「寒かったでしょ? こっちにいらっしゃい」
立ち止まり、呼びかけてきた。
「ははは、ハイなのですぅ!」
ケートはうれしそうに駆け寄った。
するとその途中で、足元が、まるでスイッチでも入ったかのように突然青色に光りだした。光は円形に拡大し、魔方陣を形成。魔方陣を踏んでいるケートがなにが起きたのかと理解する前に、足元の氷原が魔方陣の光る範囲だけ一瞬でバラバラに砕け散った。
あっと思ったときには、ケートの体は、落とし穴にはまったかのように、砕けた氷とともに落下していた――氷の下にある冷たい湖の中に。
それを確認して、やれやれと腰に手をあて、一仕事終えた感のヒタクル。
(行き倒れていたと思っていたのに、この吹雪の中、まだあんなに元気とは予想外だったわ。ま、さすがにこれで死ぬでしょ。あ~肌が雪焼けしちゃうじゃない!)
今度こそスキルアップすると期待するヒタクルだった。
ボリトールらはケートをどうやって殺害しようとするだろうか……。しかも直接手を下さずに。
どうやら殺してしまってはスキルアップはできないらしい。殺さずに、「死なせて」しまわなければ、スキルアップは望めないようだ。ボリトールがそう言っていた。
吹雪はやんでいる……。再び吹雪が吹き荒れれば凍死するだろうが、それまで悠長に待っているようなやつらではないだろうとも思った。となると……。
シックロ氷原はもともと湖で、固まった分厚い氷の上に雪が降り積もっていた。氷点下よりもまだ冷たい水は、氷原よりもずっと過酷だ。
そこへケートを沈めて溺れさせてしまおうとするかもしれない。氷を割って落としたとしても、死因が溺死ではケートに直接攻撃して命を失わせたわけではないから、その手を使えば「殺した」ことにはならないのではないか。
氷の厚さは人の身長よりもある。そんな氷など簡単には割れないが、最高スキルを持つボリトールの仲間なら可能だと想像できた。
もし、そうするのなら……。
コスナーはケートを救けたかったが、それを阻止することができるだろうかと思案した。
(ボリトールらは、おれが死んだとは思っていないようだが……かといって、のこのこ姿を現すのはまずいだろう。今度はどんな手でおれを殺しにくるかわからない。スキルアップを度外視して直接、殺しにかかってくるかもしれない。なにせボリトールらの企みを知ってしまっているのだから、なんとしてでも生かしてはおかないだろう。ボリトールらの実力がまだよくわかっていないが、光の巫女の加護を受けたというからには、とてもではないが攻撃を防ぎきれるとは考えられない。逆にこちらから攻撃をかけたとしても、おそらく防御能力も高いだろうし、奇襲をかけてでもなおこちらのリスクが高すぎる……)
姿を見せずに、どうやってケートを救ける……?
となると、湖に沈めてしまうのを阻止することは難しい。ならばどうする……?
(湖の中を潜っていって、ケートが溺れ死んでしまう前に救出するしか方法はないが……そんなことが……)
コスナーは、そこでひらめく。
(待てよ! おれは火竜の力を持っているじゃないか! それで全身を包めば……)
やってみたことはなかったが、これまでに火竜の能力をいろいろと試してきていた。制御に注意すれば可能ではないか、と思いつく。しかし悠長に恐る恐る試している時間はない。ぶっつけ本番になるが、コスナーは不安を払いのけ、意を決した。
足元に向けて、高温の炎を細く放射した。盛大に湯気を上げながら氷が溶けていくしりから蒸発していく。
直径一メートルほどの垂直の穴があいた。穴の下に、見るからに冷たそうな水が青くあるのがわかる。飛び込めば、わずか数秒で心臓が止まってしまうかもしれない。
コスナーは体を熱で覆い、息を止めて湖に飛び込んでいった。
どうなるかと思ったが、ぜんぜん冷たくなかったし、水に濡れることもなかった。予想以上に快適だった。もちろん溺れてしまうこともない。体の周囲に空間ができていて、息も吸える。
やや暗いが、コスナーは、ケートの向かったほうへと泳いでいった。
手足で水をかいで泳ぐというより、火竜の能力を使い、後方の水を熱することによって水圧を高めて推進した。前方を火で照らして視界を確保。
そこへ衝撃が伝わってきた。
湖を覆う分厚い氷が音を立てて激しく破壊される音だとわかった。
その直後、前方になにかが落ちてきた。泡を巻きながら水中に沈んでいくそれは、まぎれもなくケートであった。
コスナーの予想したとおりの展開だった。あわててそちらに向かいケートをキャッチ。しかしケートは急冷されて気を失っていた。
上を見ると、割れた氷がたちまち元へと戻っていく。
(これは魔法によるものだな……)
そう推察された。
この上にはボリトールの仲間の魔導士ヒタクルがいるのだろう。
氷を破って湖から脱出することもできないではないが、ヒタクルだけでも厄介な相手であるのに、もし他の仲間がいたら袋叩きにあうし、この上に出て行くことはまずい。
(よし、元の場所に戻ろう。あけた穴から脱出だ)
そう思ったときだった。周囲の水が凍りだした。しかも凍るスピードは驚くほど早く、たちまち閉じ込められてしまう。
(ちっ、ヒタクルめ……)
氷漬けにして凍死させようという腹なのだ。コスナーのときの失敗を繰り返さないよう、念を入れた執拗なやり口は、おそらくボリトールの指示によるものなのだと思えた。
(そこまでして、スキルアップをしたいのか!)
すでに無敵ともいっていい最高スキルを獲得しているのに強欲がすぎるとコスナーは呆れる。
ともかく、このまま氷に閉じ込められるわけにはいかない。
コスナーは火竜のスキルを発動する。
「溶岩掘削」
ピンポイントで熱を発生させ、氷を溶かして穴をうがつ。穴のあいた方向へと移動。それを繰り返して氷の塊から脱出した。
(よし、このままさっきおれがあけた穴から出よう)
そう思って水中を進む。
が、穴に向かって急いでいると、前方に大きな影がぬぅっと現れた。
すわ、新手か!
コスナーの体毛が逆立つ。ボリトールがここまで予測して手を打っているとは考えにくかったが、用心深いやつのことだからまったくあり得ないとも言い切れない。
ケートを腕に抱えた態勢で、コスナーは身構えた。もし闘うことになれば相当に不利な状況であるが、ここは腹をくくるしかない。
ところが──、
「面白い人間がいるな。我の能力をモノともしないとは……」
水中に声が響いた。
(なんだ……? ボリトール一味の誰かではないのか……?)
「誰だ!」
詰問した。
すると、
「我は氷竜だ。氷原の主である」
(氷竜!?)
コスナーはその正体に瞠目する。
確かに、炎の光に照らされてやっと見えてきたその巨大な影は竜族のそれであった。
火竜といい、氷竜といい、竜族は畏れる存在であり、個体数の少なさから近づくことさえなかったから、このように人間とコミュニケーションが可能であると世間に広まれば、どれほど人々の認識が変わることだろうか。
太い胴体に羽毛のない巨大な翼の代わりに水中を進むのに適したヒレと水かきを有した足を生やしていた。長い首の先には牙を持つ口と、眼は竜族に共通する金色をしていた。
「いかにも」
と、氷竜はうなずいた。
「おまえのその力、火竜のそれと見たが?」
ズバリ指摘された。竜族なら異なる竜の性質がわかるらしい。
コスナーは正直に答えた。
「そうだ……。ミノーオ火山で火竜にもらった。だからこんな冷たい水の中でも平気でいられるんだ」
「なるほど、そうか……」
氷竜はコスナーを値踏みするように見つめ、
「では少し頼みがある」
などと、意外なことを言った。
藪から棒であったが、竜からなにかを頼まれるというのもなかなかに稀有な経験だった。
「ここのところ猛吹雪がひどく、水路まで凍結してしまって巣に帰れなくなっているのだ……。火竜の能力で氷を溶かしてもらえぬか……?」
「えっ?」
耳を疑った。
「あんた、氷竜なんだろ。なんでそんなことになるんだ?」
シックロ氷原を作ったのは氷竜の力だ。氷の厚さも思いのままではないのか――。
「意外に思うのも無理はない。竜族であるなら、その能力をもってすればなんでもできそうだと勘違いされるが、そうでもないのだ。我にしても、凍らせることはできるが溶かすことは苦手なのだ。突然の大寒波が来るとは予想していなかった。我の想像以上に氷が分厚くなってしまったのだ。自然相手では所詮竜族とてそんなものだ。おまえに能力を与えた火竜にしても、高熱の耐性はある程度はあれど無限ではない、焼け死んでしまうこともあるのだ」
「そんなものなのか……」
人間に比べれば強大な能力を持つと思われていた竜族の知らない一面を垣間見た瞬間であった。
「頼まれてくれるか?」
氷竜は今一度、コスナーに問いかける。
「いや、しかし……」
そんなことをしている余裕があるか? もともと水中での使用を前提としていない火竜の力を無理矢理使っているのだ、注意力が散漫になると溺れてしまいかねない。親切にしてやる義理もない。といって、大きな竜を前にきっぱり断る勇気もなかった。
(ここは恩を売る良い機会だろう)
そう自身を納得させた。
「できるかどうかわからないがやってみよう。――水路はどこにあるんだ?」
「案内しよう」
氷竜は身を翻した。
コスナーはケートを背負い、氷竜を追う。
しばらく進むと湖岸が迫る。
「ここだ……」
水面に近い場所を指し示した。
見ると、湖に張る分厚い氷が、垂直な崖のような場所にぽっかりとあいた穴にまで達していた。水中洞窟の入り口であるそこの大部分が氷で塞がれて通れなくなっている。
「ここが水路なのか?」
「そうだ。見ての通り、氷に閉ざされてしまっている。ここまで氷が分厚く張ることはなかったのだが……。油断して湖から海に通じる水路を通りぬけて餌を漁っている間にこのようなことになってしまっていたのだ。不覚であった」
穴の直径は氷竜が通るぐらいなのだから、かなり大きい。
(おれにできるか……?)
不安がちらりと脳裏をかすめたが、とにかくやらないわけにはいかない。
コスナーは火竜の力をイメージする。
「溶岩掘削!」
熱の塊が体から飛び出して、水路を塞ぐ氷に至る。パワーを上げていく。
すると、徐々に氷が溶けだし水中洞窟の入り口が露わになってきた。
コスナーはさらに掘り進んでいく。掘り進むコスナーの後ろで氷竜が作業を見守っている。
火竜の能力の制御にだいぶ慣れてきたせいもあって見る見るうちに水路が復旧していった……。
人間に較べて大きな氷竜の体を通すほどの水路を開通させるにはやや時間を要したが、やがて水路は通れるように回復した。
水路の奥が上方向へと曲がっていて、その先に空間があった。ちょうどビーバーの作ったダム湖の巣のように、水中を通らなければたどり着けない空間である。
「ここが氷竜の巣なのか……?」
眼の前の巨大地下空間にコスナーは圧倒される。天頂にはわずかに裂け目があり、外光が差し込んで、まったくの暗闇ではなかった。自然にこんな地下空間ができあがったのか、それとも氷竜が掘ったのか……。
「おお、そうだ……。助かったぞ、礼を言う。おまえと、おまえの連れ合いのハーフエルフにはスキルスロットにはまだ空きがあるようだから、我の力を分け与えよう。存分に使いこなすがよい」
言うや、氷竜の爪の先から光がほとばしった。その光にコスナーとケートが包まれる。
火竜のときと同様に、体の中に、今度は冷たいエネルギーが注がれていくのがわかる。冷たいが不快ではなかった。力が湧き上がってくる感覚だ。それでいて冷たいという奇妙な体験であった。
「うっ……うっん……」
気を失っていたケートも反応する。指先がぴくんと動いた。
目が開いた。
「あ、……ここは……、コスナー……」
「ヒタクルに湖に落とされて氷漬けにされるところだったが、もうだいじょうぶだ」
が、ケートの目がコスナーの背後にそびえる氷竜を捉える。大きく見開き、瞳孔が開く。
「きゃああああ!」
大きな悲鳴をあげ、またも気を失ってしまった。
氷原付近には森があり、かつては森の木を切って暮らしていたきこりが使っていた丸太小屋があった。氷原の拡大によって寒さが厳しくなりきこりがいなくなってしまって今は放置されているそこに勇者ボリトールら五人がいた。暖炉には火が入り、丸太小屋の中は温かい。
寒さをしのげているにもかかわらず、しかし五人は不服そうな顔でいた。
「てめぇしくじったな! 全然パラメータに変化ねぇぞ!」
格闘士ガメルであった。眉のない目をむいて憤る様は、それだけで近寄りがたい。
「エルフは氷水に沈めれば死ぬって言ったのはアンタでしょ! あたしは言うとおりにやっただけよ! 見てよこの雪焼け! カッコ悪いったらありゃしない!」
魔導士ヒタクルは反論し、顔を指差して愚痴をたれた。
二人のやりとりを冷静に見ていたボリトールが、
「おかしいとは思わないか?」
と、僧侶マンビークに同意を求める。
「確かに。今まで10人以上生贄にしてきたが、二回連続失敗なんてなかったことだ」
マンビークは数値の変わっていないスキルレベルのパラメータ表示を消す。
「もう~! じゃあ次の生贄拾いに町に行・こ・う・よぅ!」
召喚士カスメトールはじれてきていた。
「いや、ちょっとそれはマズイんじゃないか? さすがに短期間すぎる。最低半年は寝かさないとさすがに悪評が立つぞ」
マンビークは慎重だった。
最強スキルのパーティメンバーが立て続けに〝事故〟でいなくなったというのでは過失を疑われる。
「なにもパーティメンバーを殺す事だけがスキル習得の条件じゃないさ」
が、ボリトールは不敵な笑みを浮かべる。
マンビークは察した。
「あれを……やるのか? だが、ある程度絆のできた対象者じゃないと俺の「技能吸着」は使えないぞ?」
「下手な弓矢もナントカだ。1000のうち990取り逃がしても10手に入れば万々歳……そうだろ?」
その言葉に、皆、戦慄の表情で勇者の顔を見る。これまでの経過から、冷たい三白眼の奥でなにかとんでもない虐殺でも考えているのではないかと思えて。
「俺たちは……強くならなきゃいけないんだ……!」
ボリトールは力強く、言い聞かせるようにつぶやいた。
完全復活したハーフエルフのケートは、氷竜の能力を得たことを知り、
「すごーい! 全然寒くないです! あと滑舌も流暢になったのです!」
感激していた。氷耐性と滑舌にどんな因果関係があるのかは不明だが、とりあえずコスナーともども、今後は氷原で寒さに震えることもなくなった。
しかし勇者ボリトールのことについてとなると、
『あいつらは人の皮を被った外道の集まりだ』
そういくら言葉で説明しても頑として受け付けなかった。
「あれは事故です! 勇者様は光の巫女の選ばれた方です! そんな歪んだ見方をしてはいけないのです! 落ち着いたら、私、勇者様のもとに帰らねばなのです! お仕事失敗してごめんなさいと謝らなきゃなのです……」
光の巫女の加護を受けた勇者という称号は、聖光エポルプ教会からも正式に認められているから間違いはないのだろう。心の邪悪な者に与えられるわけはなく、その理屈でいえばコスナーの言うことは事実誤認だと思われても仕方ない。だが実際に見聞きした証拠は動かしがたい。正直、信じたくない気持ちはコスナーにもあった。
ここで信じてもらえずに、ボリトールのもとへ戻れば、今度こそ殺されてしまうだろう。
ただ、もう同じ手段ではケートは殺せない。氷竜のスキルがあれば、寒さに弱いハーフエルフとて絶対に凍死なんかしない。かといってケートを本気で仲間に迎えるわけはなく、べつの手段で殺そうとするにきまっている。
(問題は……)
たとえケートを合流させなかったとしても、ボリトールならばすぐに他の手を打ってくるに違いない。ケートの殺害にいつまでも固執しないだろう。
スキルアップのためなら人の命など取るに足らぬという考えのボリトールらが二度も目論見が失敗し、黙っておとなしくしているわけがないのである。
(次はなにをする気だろう……?)
もっと狡猾で残虐な方法でもって、生贄を調達するとしたら――。
それを思うとコスナーは、氷竜のスキルを得たにも関わらず背筋が寒くなる。
(ボリトールの暴走を、おれに食い止められるのか……?)
火竜と氷竜の能力を与えられてもなお、最高スキルの勇者のレベルははるか上で、とてもではないが敵わないだろう。
災厄を予測できながらなにもできない無力さと、どうしようもない圧倒的な能力差を前に、コスナーはこぶしを握りしめ下唇を嚙むしかなかった。
【第3話につづく】