コツコツトンネル(2023年)
長かった夏休みもあと1週間となった。
僕はあの日。
中武さんから聞いたあのトンネルの話を何度も思い返していた。
中武さんは悔やんでいるのだと話した。
あの日、残業は別に断ってもよかったそうだ。だが断らなかった。
結婚が決まったあの日、勝子さんと二人でどこかへ逃げることもできた。だがしなかった。
岩田家、勝子さん宅両家に話に行き、結婚を止めることもできた。だがそうしなかった。
全てを悔やんでいるのだと話してくれた。
あのコツコツという音も、あの家から出てからは一度も聞いてない。
僕は幽霊が見えるような体質ではない。
だが、中武さんと話している時、僕はずっと中武さんではない視線を感じていた。
あれは勝子さんなのだろう。
もしかしたら中武さんは、勝子さんと一緒に暮らしているかもしれない。あの家で。
だとしたら。
中武さんにとってあのコツコツという音は、勝子さんを近くに感じる温もりのある音なのかもしれない。
この一夏の経験は僕に大きな変化をもたらした、というほどのことでもないが、少しだけビビりを克服できた気がする。
やたらと怖がるのももちろん大事なことなのだろうが、きちんと背景を理解して、きちんと怖がるというのもなんだか大事なことのように思えてきた。
ああ、それから。中武さん宅から出る時、僕はあのトンネルのとても重要なことをきいたのだ。
スマホが着信を知らせる。
真凛からだ。
真凛とはあれからきちんと話をして。
別れる事にした。
もちろん、真凜は泣いて喚いて暴れた。だが最後には分かってくれた。
1週間に一万円手渡す事で合意をした。
僕との結婚を考えていたそうで、突然別れを切り出されて精神的苦痛を与えた僕の責任なのだそうだ。
真凛らしい、なんとも可愛い言い分だ。
これから、真凛のアパートに行ってドアポストに現金入りの封筒を投函する。
そのはずだったが、どうも予定が変わったらしい。
"いまショッピングモールにいるから、駐車場に停めている車に封筒を入れてほしい"そうだ。
車の車種とナンバー、駐車場の位置が送られてきた。運転席のウィンドウを少し開けておくからその隙間から封筒を入れるそうだ。
さあ。ショッピングモールに向かって、そのあとはバイトだ。
「きゃははははは。亮チョロ」
私は真凛。
悪い女?
自分に正直なだけ。
欲に忠実。
ノンストレスな生活を心がけてる。
亮はちょっと顔が良かったし、女性と付き合った事ないっていうウブポイントもあったからしばらく付き合ったけど。
正直初めの3ヶ月で飽きた。
それからは今隣で運転してる和馬と二股して、スリルを感じようと思ったのに、あいつ全く気づかないし。
「なあ真凛。お前ほんとすげえ女だわ」
「は?何が?」
「いやだって普通しねえって。
二股かけるわ、別れるのはごねるわ、その上別れる手切れ金も払わせるなんて、どこまでクズだよ」
「きゃはははははは。気づかねえ亮が悪いんだって。
気づくでしょ普通。うちらおんなじクラスなんだよ?和馬と修羅場にでもなれば面白かったのに、最後まで気づかないってアホすぎ。ちょっとくらい貢がせても誰も何も言わないって。むしろ手ぬるい感じだわ」
「マジ、お前だけは敵にしたくねえわ」
はは。和馬。お前もアホだな。
この真凛様の美貌が二股くらいで収まると思ってるんだから。
「あー、それよりさ。せっかく亮のアホから金貰ったんだしまだ遊ぼうよ」
私が和馬に提案する。
「あー。そうだなー。でももう夜遅えし、ファミレスで仲間呼んでだべるしかねえしな」
和馬が考え込む。
どうせ私のアパートに仲間と転がり込んでずっとゲームをするのがオチだ。つまらない男だよお前は。
「あ!そうだ!」
名案を思いついたのか?ウチでゲームだったら許さんぞ。
「コツコツトンネル行ってみようぜ」
ほう。まあ。こいつにしては、なかなか。
「いいね。行こう」
「え?じゃあ亮とも一回来てんの?」
トンネルに向かう道を案内しながら、どうして道を知っているのかという和馬からの質問に答えた。
「言ってなかったっけ?ほら、久峰公園に迎えに来てもらったじゃん。あん時だよ」
「ああ、だから久峰公園にいたのか。なんだ、亮とも来てるとかちょっとジェラシーだわ」
こいつは妬くと追求がねちっこくなる。めんどくさい。
「もう亮とは終わってんだからいいじゃん」
私は進行方向を向いたまま、できるだけ淡々と答えた。
「あ、ここ左折ね」
車がいよいよトンネルまでの一本道に入った。
「うわー。この道なんか不気味だわ。真凛、マジ脅かすのだけはなナシだからな」
「なんだ、和馬もビビり?情けな」
このカーブを抜けるとトンネル・・・
あれ?
トンネルがない。
もうちょっと先だっけ?
「なあマジ道細えよ。ここで合ってんのか真凛?」
「トンネルまでは一本道だから間違いようがないんだよ。もうちょっと行ったらあるから」
おかしい。
亮と来た時はこんなにトンネルは遠くなかった。
あの時は昼間だったから、近く感じたのか?
コツ
車に何か当たった?
コツ
「なんだ?この道舗装されてねえぞ。小石が跳ねるんだ。ボディに傷が付く…」
あ、トンネルが見えてきた。
コツ
「お、真凛!このトンネルか?入るぞ」
コツ
「くそ、トンネルの中も舗装されてねえのかよ。マジ勘弁…」
「違う」
「え?」
「違う和馬!車停めて!」
私は和馬に言って車を停めさせた。
「お前、急にどうしたんだよ!こんなとこで車停めたら後続車から追突されるだろ」
「違うの!ここ、亮と来たトンネルじゃない。亮と来たトンネルは道もトンネルもちゃんと舗装されてた。ここ・・・このトンネル土壁じゃん。っていうか手掘り?めちゃくちゃ古いじゃんこのトンネル」
コツ
「お・・・お前なあ。脅かすのはナシっつってただろ」
「脅かしてない!本当なんだって!ここ、亮と来たコツコツトンネルじゃない」
コツ
「いやいやいや。と・・・とりあえず車出すぞ!トンネルなんだからこの先には出口があるだろ」
コツ
「嫌・・・嫌だ・・・」
コツコツという音がさっきより近くから聞こえる。
近づいてきている。
「ね・・・ねえ和馬」
「何だよ」
「聞こえてるよねこの音」
「し・・・知らねえよ」
私は泣き出した。
「ねえ・・・和馬」
「だから何だよ!」
「この先行ったら出口なの?」
「当たり前だろトンネルなんだから」
「トンネルってどっちが出口なの?」
「・・・え」
コツコツ
コツコツコツ
真凛と和馬が二人して学校を休んだ。
先生が朝のホームルームの際に、真凛と和馬は病院に搬送されたと言っていた。
和馬が交通事故を起こしたのだそうだ。
あのトンネルのずいぶん手前で電柱に正面から衝突したらしい。
命に別状はないのだそうだが、二人とも錯乱状態にあるとのとこで、しばらく学校は休むそうだ。
おかしな事に、車内から救出された真凛と和馬は、いっぱいの小石を口に含んでいたということだった。
中武さんはあの日。こう言っていた。
勝子さんが亡くなったトンネルはずいぶん昔に封鎖された。
閉鎖されて、今は通れない旧道にあったのだと。
つまり。
久峰隧道は。
本物のコツコツトンネルではないのだ。
完