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トンネル  作者: 乃土雨
2/3

コツコツトンネル(1962年)

 帰りたいなら帰ればいい。

 真凛との関係がこれで終わるのなら。ここまでの縁だったということだ。


 それより。


 あのトンネルのことが気になる。


 実は、あのトンネルの出口で僕も人影らしきものを見たのだ。


 車で通ってわかったが、途中路肩に車を停められそうなところはない。

 ならば、この公園に車を停めて、歩いて向かってみるか。クラクションは鳴らせないが、写真を撮ってみれば何かしら写り込むのではないかと少し期待しながら、僕は車を後にして真凛とは逆の道に歩いて行った。

 

 もちろんその様子をチラチラと窺っていた真凛から

 彼女そっちのけでどこ行ってんだ。

 信じられない。

 普通迎えに来るでしょ。

 そんな男とは思わなかった。

 見損なった。

 なんで返事しないの?

 無視ですか。

 そのつもりならもうこれで終わりだね。

 さよなら。

 ねえ本当に別れるよ?

 

 などと1分も経たないうちにどんどんメッセージが届く。僕は一旦スマホの電源を落とし、トンネルへの道を進んだ。

 20分ほど歩いたところで、ようやくあの交差点を曲がれた。車だとあっという間なのにと普段の運動不足を後悔した。

 ようやくトンネルの入り口(さっきとは反対方向から入るので出口か?)に辿り着いた。こちら側は比較的周囲の木々も手入れされていて明るい雰囲気だ。



 そこには、やはり人がいた。

 高齢の男性が、トンネルからの道を箒で掃いて、ゴミを拾って歩いているところだった。

 僕はその男性に小走りで近づき

 「あの、すみません」

 と声を掛けた。


 「すみません。このトンネルのことについてお聞きしたいことがあって」

 と声をかけると、高齢の男性は作業の手を止めて

 「また面白がりに来たのか」

 と悲しげな表情で僕を見た。

 高齢の男性は悲しげな表情のまま

 「帰ってください」

 と静かに僕に告げた。


 地元の人なのだろう。ネットの情報だと、このトンネルは1962年竣工とある。いつから心霊スポットとして有名になったのかはわからないが、ここ十数年の話ではなさそうだ。ずっと冷やかし目的で誰かがここを訪れ、ひとしきり騒ぎ、昨今では面白おかしくネットに動画をあげ、仕舞いにはお化け屋敷にまでなった。


 この近くに住んでいる人であれば、気持ちの良いものではないはずだ。僕は無神経に男性に質問してしまったことを後悔した。


 「すみませんでした・・・その。帰ります」

 そう言って男性に背中を向けた時

 「君はあれ持ってないんだな」

 と話しかけてきた。


 え?と言って振り返ると

 「あれだ。なんて言うのか。えっと。す・・・す・・・」

 と言いながら男性は軍手をしている右手の人差し指を上下にしている。

 「ああ、スマホですか?」

 その仕草はスワイプしている動作なのだろうと推察した。

 「そうそう。それだ。私に話を聞きに来る奴らはみんな持ってるから、君は持ってないんだと気になって」

 「いや、一応持ってますよ」

 ズボン左のポケットからスマホを取り出して男性に見せた。そして、今電源を切っている経緯を話した。

 「ははは。そうか。モテる男は辛いな」

 男性は汗を拭いながら笑って僕に言った。

 「いえいえ、モテるなんてそんな。なんなんでしょうね。彼女。真凛っていうんですが、構ってないわけじゃないんですが、構い出すとキリがないというか」

 初対面の高齢男性に話す内容ではないことは分かっているが、なんだかこうして誰かに真凛のことを相談したことがなかったから、新鮮に感じた。


 「真凛さんか。同い年なのかい?」

 「はい、同じ専門学校に通っていて、二人とも今年で20歳です」

 「・・・20歳か」

 男性はまた悲しげな表情になった。

 「若いな。女性はな。若さゆえに傲慢になったり周りが見えなくなるもんだ。君から聞く真凛さんの話は、私からすれば可愛くて仕方ない。まあ孫ほど歳が離れているからというのもあるんだろうが」

 「あの、失礼ですが・・・」

 と僕は男性に年齢を聞いてみた。

 「80歳だ。今年で80歳になる。申し遅れたが、私は中武昭なかたけあきらというものだ。このトンネルの清掃をボランティアでやってる」

 「あ、こちらこそ。宮田亮です」

 宮田君か。と男性は空を見上げて言った。俯く体制になると同時に鼻からふうと息を吐いた。

 「それで宮田君。君はトンネルの何が知りたい」

 と穏やかな笑顔で僕に聞いた。



 17時30分。

 僕は帰宅した。


 キッチンで夕飯の支度をしている母に

 「あれ?早かったわね。今日は真凛ちゃんと食べてくるんじゃなかったの?」

 と聞かれた。


 「ああ、ちょっと喧嘩しちゃって。今日は家で食べるよ。食材大丈夫?」

 「なんとでもなるから大丈夫よ。あんたは大丈夫なの?その、喧嘩の方は」

 それなら大丈夫だよと言って自室に戻った。


 部屋に入ってベッドに横になって、入れたくはないがスマホの電源を入れてみた。


 メッセージ通知48件、着信12回。全て真凛からのものだ。


 どうせ怒り狂っているに違いない。見たくもないが、一応メッセージを確認する。


 別れるという内容から、次第に僕の安否を気遣う内容に変わった。騙されてはいけない。その後、クラスメイトの男友達に迎えに来てもらったという内容があり、今どうやらその男友達と数人のクラスメイトと一緒にいるようだ。やはり。騙されなくて良かった。結局僕に嫉妬心を植え付ける作戦なのだろう。真凛のお姫様気質は天性のものなのだろう。そして、僕は彼女にとって王子様でも運命の相手でもない。


 迎えに行ったクラスメイトの男子からメッセージが届いた。

 酷い男だ。


 真凛は泣いている。


 どうするつもりだという内容だった。

 

 一方的に真凛の話を聞けば僕は悪者だろう。

 

 一方的に別れを切り出されたのは僕だ。

 そして、別れの申し出を受け入れた、ただそれだけのことなのだ。

 中武さんは真凛のことが可愛いと言った。

 中武さん。やっぱり今の僕にはその感覚、ちょっと理解できません。


 「知っていることを全部教えて頂けませんか?」

 僕はトンネルの前で中武さんにそう質問した。中武さんはしばらく黙っていたが、今週の土曜日は時間があるか聞かれた。もちろんあると答えると、自宅の住所を教えてくれた。そこで、知っていることを話すということだった。


 土曜日。


 午前10時に中武さん宅を訪れる約束をしている。


 住所を聞いた時点では気が付かなかったが、中武さんのお宅はあのトンネルから近くはなく、少し離れた住宅地の中にあった。庭木の剪定がきちんとされている、素朴で素敵な平屋だった。

 「あの、中武さん。宮田です」

 と玄関で声をかけると

 「ああ、宮田くん。どうぞ中へ」

 と奥のキッチンの方から声が聞こえた。


 お邪魔しますと言ってキッチンの方に向かって歩いていると、左手の座敷の方から声が聞こえ、そちらを覗くと麦茶の入ったグラスを両手に持った中武さんが笑顔で立っていた。座敷とキッチンは繋がっているようだ。

 「すみません、お忙しいところ僕のわがままに付き合っていただいて」

 と座敷に敷かれた座布団に座りながら中武さんに挨拶とお詫びを言った。


 「いやいや、なんだろうな。80にもなると特に毎日やることってのもなくて、時間は意外とあるんだよ。それから、宮田くんはなんとなく他の連中と違う気がしてね」

 

 中武さんも座布団に座って、テーブルを挟んで向かい合った。

 「ああ、そういえば真凛さんとは仲直りできたかい?」

 「いえ、あれから会っていません」

 

 そう。

 真凛とはあの日から連絡も取っていない。付き合い始めてこんなに会わずに連絡を取らないのは初めてだ。

 「こっちが根負けして、謝ってくるのを待ってるんだと思います」

 少し笑って、僕はそう中武さんに答えた。

 「ははは。喧嘩ができる相手がいるのはいいことだよ」

 と中武さんも笑った。

 「あの、中武さん。ご家族は?」

 少しずつ、話題を中武さんの人生に移していく。

 「家族はな。もういない。私は独り身だ。結婚はしなかった。ここで長く母と暮らしていたが15年前に母は亡くなった。父も親戚の類もほとんど戦争で亡くなったから、私は独りだ」

 中武さんは少しだけ寂しそうな表情になった。

 「それじゃあ、約束だ。あのトンネルのことについて君に教えることにするよ」


 

 「私は1943年1月生まれの80歳。終戦は2歳半の時で、さっきも話したが母と私2人だけが生き残った。

 

 団塊世代の少しお兄さんといった世代で、あまり学校には行かず13歳くらいから近所の手伝いやら工場やらあちこちで働いていた。

 母と2人の生活でもちろんひどい貧乏だったが、なんだかあの頃は楽しかった。

 毎日毎日必死で働いてたよ。

 すると近所に大きな工場ができてね。運良くそこで働けることになった。16歳の時だったと思う。

 給料が良くてね。生活も随分楽になった。

 東京でオリンピックが開かれるということが決まって、国中がワクワクしている感じだったよ。

 どんどん道路も整備されて、車も珍しいものではなくなった。

 私も、20歳になる歳にようやくマイカーを買ったんだ。

 スバルサンバートラック。

 ああ、たしか写真があったな」


 中武さんは奥の座敷に向かった。すぐに古くて分厚いアルバムを持って戻ってきた。数枚ページを捲ると

 「ああ、これこれ」

 といって僕にアルバムを見せてくれた。


 そこには若い中武さんと、隣には若い女性。二人の後ろには丸目のヘッドライトが可愛らしい小さなトラックが写っていた。


 「中武さん、ハンサムですね!」

 思わず僕がそういうと

 「ははは。そうか?まあ、自慢じゃないがモテたな」

 と恥ずかしそうに言った。


 「この隣の女性は誰ですか?」

 「勝子と書いてしょうこと読む。当時お付き合いをしていた人だよ」

 勝子さんは顔立ちが整っていて、スレンダーないわゆる

 「美人だろ」

 中武さんは僕の心を読んだようにそう言った。

 「ええ、とてもお綺麗な方ですね」

 中武さんも長身でモデル体型。美男美女のカップルだ。


 「勝子の写真はこれ一枚だけ。勝子はお見合い相手との結婚が決まっていたから。あまり堂々と会えなかった」

 「そうだったんですね」

 と言いながら僕はアルバムを中武さんに返した。中武さんは返されたアルバムの勝子さんをみながら話し始めた。

 「勝子は1つ年下だった。彼女の家の引っ越しを手伝ったことが出会ったきっかけ。私は軽トラックを持っていたから、近所の荷物運搬をちょっとした副業にしていた時期があった。それで、簡単な引っ越しなら請け負ってやってたんだが。ある日、そんな彼女が道端に立っているのが見えた」



 スバルサンバートラックが私の愛車だった。

 21歳の男性はだいたい日産ブルーバードやセドリック、トヨペットクラウンに乗りたいと思う。

 まあ私もそうだった。

 だが、母と二人の生活で趣味や娯楽に費やすだけの金はまだなく、実益を兼ねた乗り物を買おうと決め、私は小さな軽トラックを購入した。

 

 工場が休みの日には近所の農家の出荷や簡単な荷物運びを手伝っていた。少しでも生活の足しになればと、あまり遊ぶことはしなかった。

 そんな時、いつも手伝っている農家からの依頼で、ある家庭の引越しの加勢を引き受けた。

 家に到着すると、黙々と荷造りをしている勝子がいた。

 可愛らしい子だと思った。真剣な表情で家財道具を外に運び出している姿に見惚れてしまった。

 

 「あの」

 

 華奢な体なのにあんなに重そうな荷物を運んでい

 

 「あの!」

 

 え?私に話しかけているのか?

 「あ、はい」

 

 「ぼーっと突っ立ってないで、荷物運ぶの手伝ってもらえませんか?」

 

 私は勝子に見惚れるあまり、加勢をしにきたことを忘れてその場に立ち尽くしてしまっていた。

 気の強そうな人だな

 と可憐な第一印象は瞬く間に崩れ去った。

 

 引越しが終わり、帰ろうと車に乗り込むと勝子が話しかけてきた。

 「あの、昭さん。今日はありがとうございました」

 私は急いでトラックを降りてお辞儀しながら

 「いえいえ、早いうちに荷解きまで終わって良かったです。まだ色々大変でしょうが、勝子さんがえらく力持ちで良かったです」

 言ってしまってしまったと思った。勝子は不機嫌な顔になり

 「はい。力強くてよく男勝りだと言われます。女らしくなくてごめんなさい」

 と私を睨みながら言った。

 「あ・・・えっと・・・ごめんなさい・・・」

 慌てて謝罪すると

 「あははは。冗談です」

 勝子は笑って言って

 「今日は昭さん、松本さんの紹介で来られたでしょ?私、松本さんのところの農業手伝いをさせてもらっていて。重い物持つ作業もけっこうあるので、松本さん夫妻にもありがたがられてるんですよ」

 と続けた。

 

 仕事の時も、引越しの時のような真剣な表情なのだろうか。

 そして仕事終わりにはあんなに素敵な笑顔を見せるのだろうかと思うと。既に私は勝子の事が好きになっていた。

 「松本さんのところで働いていらっしゃるなら、また会うかもしれませんね」

 私はなんとか勝子ともう一度会えないかと頭の中であれやこれやと考えた。

 「そうですね!楽しみです」

 勝子の笑顔が私の目に焼きついて、忘れる事ができなくなった。

 


 それから、私は休みの度に松本さんの圃場を訪れては、半ば無理やり出荷作業を請け負う事で少しずつ勝子と話す機会を作っていった。

 勝子に出会って、私は仕事が楽しくて仕方がなかった。そんなある日、私は工場の日勤が終わり家路を急いでいると、突然の夕立に見舞われた。真夏の17時頃だから普段ならまだ明るい時間帯だが激しい雨で辺りも急に暗くなった。早く帰らなければと思い普段は通らない道を通ることにした。短いトンネルを通る道で、国道にも早く抜けられると思った。するとトンネルに差し掛かる前で勝子が立っているのが見えた。車を路肩に停めて勝子に話しかけた。

 「勝子さん、どうしました?」

 傘はさしているが、酷い雨でかなり濡れていた。

 「あ、昭さん!その・・・」

 勝子は口籠もってしまった。

 雨も降り続いていたので、とにかく車に乗るように促した。

 車に乗り込み、車に積みっぱなしで未使用の手拭いを差し出した。

 手拭い程度ではどうにもならないほど勝子はびしょ濡れだった。

 「どうしたの?あんなところで」

 「すみません・・・傘は松本さんのところで借りれたんですが、辺りが暗くなってしまって・・・その・・・」

 勝子は恥ずかしそうに俯いて

 「ト・・・トンネルが・・・怖くて通れなくて・・・」

 と小さい声で言った。

 車内には雨が車体を叩きつける音が鳴っていて、危うく聞き逃すところだった。

 「あははは」

 と私は笑ってしまった。

 「そ・・・そんな笑うことないじゃないですか。だから言いたくなかったんですよ」

 勝子は唇を尖らせてそう言った。

 「ごめんなさい。いや、勝子さんにも怖いものがあるんだってわかってなんだか」

 勝子は私の言葉を聞いて、右の手のひらを振り上げて叩くそぶりを見せた。

 「ごめんごめん。変な意味じゃなくて。その、すごく可愛いなって思って」

 振り上げた手のひらを急いで引っ込めて、勝子は正面を向いて少し赤面しているようだった。

 「そ・・・そんなこと。言わないでください」

 私も勝子の態度を見て自分がいかに恥ずかしいことを言ったのかを知り

 「そ・・・そうですよね・・・変なこと言いました」

 と言ってしばらく二人とも黙ってしまった。

 「あ、じゃあ車。出しますね」

 私はそう言って車を発進させた。

 

 トンネルは思ったよりも暗く、勝子が怖がるのもわかる気がした。

 「本当に暗いですね。トンネルの中は灯りがないから」

 私が勝子に話しかけると

 「ね!言ったとおりでしょ!怖いですよね!」

 と急に笑顔で話し始めた。

 「私、どうしてもここが苦手で。特に松本さんのところから帰りが遅くなる時なんて、ほんともう無理って感じで。今日は雨も激しくていっそう不気味だろうなって思うともう足が前に出なくて。だからあそこで立ち止まって覚悟を決めようとしていたところだったんです。そしたら、昭さんが通りかかってくれて。すごく嬉しかったんです。ああ助かったって。私を迎えにきてくれる白馬の王子様は昭さんだって思いました」

 

 一気に話してしまって、勝子はまた赤面して黙ってしまった。

 白馬じゃなくて、軽トラですけどね

 と冗談っぽく言って、場を和ませた。


 それから、私は時間がある時は必ず松本さんのところへ行って勝子を家まで送り届けるようになった。

 二人なら怖くないと勝子が言うので、あのトンネルもよく通って帰った。

 時には二人で寄り道したり、路肩に車を停めて、長々とたわいもない話をしたこともあった。あの時間が、私はとても満ち足りていて幸せだった。

 そんなある日。

 勝子が軽トラックの助手席に座ってこう言った。

 

 「私、今度お見合いすることになったんです」

 「え?」

 「お見合いと言っても、結婚前提の話らしくて。家同士の話で。その。私、結婚が決まったんです」

 勝子は泣きそうにそう話した。その頃にはもう勝子と私はお付き合いを始めていて、勝子と同じような表情を私もしていたと思う。

 「お・・・お相手は・・・?」

 「岩田・・・慶一郎さん」

 

 岩田慶一郎は私の同級生で、家が比較的裕福だった。

 岩田家に嫁入りできるのなら、勝子の家も随分と暮らしが楽になるだろうと思った。

 「岩田か・・・その。おめでとう」

 「・・・・ありがとうございます」


 私は、嘘をついた。おめでたいなんてちっとも思わなかった。それを見透かしたように

 

 「本当に、私がお嫁に行っておめでたいですか」


 と勝子が聞いた。私は黙ってしまった。


 「私は。これからも昭さんに会いたいです」


 勝子はそう言ってくれた。私も同じ気持ちだった。


 それで、勝子の提案で。

 あのトンネルで。

 夜中に会うことにした。


 今までのように気軽に会いに行ける環境ではなくなった。

 結婚が決まった女性が別の男性と会っているとわかると岩田の家も良い気がしないだろうし、私と勝子は夜中にあのトンネルの前で待ち合わせをすることにして、毎夜密かに会っていた。

 勝子はトンネルの前で待っていて、私がトンネルの反対側に到着したらクラクションを3回鳴らす。

 すると勝子がトンネルを抜けて私の車に乗り込む。そういう流れだった。


 男女が会うには不気味すぎるしなんの雰囲気もない。

 岩田の家がある方とは反対側に当たるトンネルの出口で会うことで、少しでも人目につかないよう配慮した。

 作戦は上手くいき、周囲に知られることなく私と勝子は愛を育んだ。


 周囲にバレていない。

 そう思っていた。


 その日は工場で納期が早まった案件があり、私は残業をしていた。

 普段勝子と会っている時間が迫っており焦っていたが、仕事が終わらなかった。


 結局、私は1時間以上遅れてあのトンネルに到着した。時間に遅れていたこともあり、私は普段勝子が待っている側からトンネルに向かった。トンネルの手前で待っていたらすぐに勝子が乗り込めると思ったからだ。だが勝子の姿はなかった。


 いつものようにクラクションを3回鳴らしたが、勝子は現れなかった。その後も数回鳴らしてみたが、やはり勝子は現れなかった。


 怒っていつも私が車を停める場所まで歩いて行っているのではと思い、トンネルを通ってみることにした。

 トンネルの中に入って、私は勝子を見つけた。

 

 勝子はトンネルの中で倒れていた。

 あと少しでトンネルを出ようかというところで。

 その様子から、酷い乱暴をされたことは明らかだった。

 私は急いで軽トラックの助手席に勝子を乗せて病院に急いだ。

 だが、勝子はその時息をしていなかった。


 病院で、勝子の死亡が確認された。


 後に警察や捜査関係者から聞いた話で、私はことの全貌を知ることになる。


 あの日、私が待ち合わせに遅れた日。

 私より先にあのトンネルに現れたのは


 岩田慶一郎だった。


 岩田は勝子と私が夜な夜な密会していることを知り、結婚が決まった身でありながら不貞を働いていると私や勝子を叱りつけ、私を少し痛めつけようと考えていたのだそうだ。


 だが、トンネルに到着すると私はおらず、車から降りてきた岩田に驚いた勝子はトンネルの中に逃げ込んだ。

 走って逃げる勝子を岩田は車で追いかけた。

 少し引っ掛けて転ばしてやろうと車で接近。


 だが思った以上に接触の衝撃が激しく、勝子は車に弾き飛ばされトンネルの壁面に激突。

 岩田はすぐに車を停めて勝子に歩み寄る。


 当時トンネルは手堀りで舗装されていなかったから、勝子は泥と血液と涙で汚れていた。

 勝子は朦朧とする意識の中で、乱暴されまいと路面の小石を必死に投げて抵抗していたそうだ。

 弱々しく、だが必死に。

 その汚れても尚必死に気高くあろうとする健気な勝子の姿に。

 岩田は。


 激しい怒りを感じたのだそうだ。


 その場で勝子に馬乗りになり、何度も殴りつけ、逃走した。

 勝子は頭を強打していた上に両足とも骨折の重症でその場から動くことができなかった。

 苦手だと話していた暗くて不気味なあのトンネルの中で。

 勝子は息絶えた。

 

 

 「私が知っているのは。これで全部だ」

 中武さんはそういうと、アルバムを閉じた。

 「それで、岩田はどうなったんですか?」

 「ああ。捕まったよ。すぐに。車は珍しくないと言っても、当時あの辺でブルーバードに乗っていたのは岩田だけだったから。タイヤ痕ですぐに岩田の仕業だとわかった」

 「そうだったんですか。そんな悲しい話があったんですね。じゃあ、コツコツトンネルで噂になっている女の人は・・・」

 「おそらく、勝子のことなのだろう。それ以降あの辺で大きな事故があったこともないし」


 「でも音は?」


 「小石だよ」


 中武さんが庭の方に目をやってそう言った。


 「ハイヒールの音だと言われているようだが、勝子はハイヒールを持っていなかった。

 これも後日岩田の証言ということで警察に聞いた話だが、勝子は岩田が近寄ってきた時からずっと。

 

 昭さん助けて、昭さん助けてと言いながら小石を投げ続けていたそうだ。


 勝子が横たわっていたところからトンネルの出口、私が普段軽トラックを停めてクラクションを鳴らしていた位置の方にたくさんの小石があったそうだよ。だから、岩田が去って以降、勝子が息絶えるまで、しばらくあのトンネルの中にはコツコツという小石が地面に当たる音が響いていただろうと」


 中武さんの目にはうっすらと涙が見えた。


 「そうだったんですね。

 中武さん、この話。僕の他には誰かにしました?」


 中武さんはゆっくりとこちらを見て、テーブルに置いたアルバムの皮表紙に目をやって

 「いや。結局私のところに話を聞きにくる奴らはオカルトや怪談目的。そうじゃない話など聞こうともしない」

 「じゃあ、やっぱり勝子さんが亡くなった夜のことが尾ひれをつけて全国に広まったってことですか?」

 「いや、そうじゃない」

 中武さんは僕の目を見た。

 

 「噂の発端は岩田だ。

 あいつは警察には捕まったがすぐに釈放された。多分裕福な家柄が関係しているんだろう。

 だが、あいつはその後少し・・・その・・・おかしくなったんだよ。

 いつも何かに怯えているようで、二言目にはコツコツという音が聞こえると言っていたそうだ。

 それに車には勝子に接触した時についた手形がついていたそうだが、何度洗車してもその手形が落ちないと言っていたと人伝いに聞いた。


 結局岩田はその後自宅で亡くなっているのが発見された。

 遺書があったことから警察は自殺と断定。

 その後、岩田と接触していた人から人へ。あのトンネルの噂が広まっていった」

 

 驚いた。

 

 それじゃほとんど。

 

 尾ひれがついていない。

 

 コツ


 ・・・?


 コツ


 「なあ。宮田くん」

 中武さんは僕の目を見たまま

 「君にも聞こえているんだろう」

 と聞いた。

 

 コツ


 「え?き・・・聞こえるって・・・何がです?」


 コツ


 「この音だよ」


 コツ


 「え?音・・・?な・・・なんのことですか?」


 コツ


 「私にはね。聞こえているんだよ」


 コツ


 「勝子が亡くなったあの夜から。今でも

 ずっと」


 コツ


 「変なことがあってね。

 岩田の遺書には”さようなら”と書かれていた」


 コツ


 「一応私も勝子の第一発見者だし岩田とも顔見知り。

 警察からその遺書を見せられて岩田の筆跡で間違いないか確認の依頼があった。

 警察には岩田の筆跡で間違いないと言ったが、私には一目で分かった。あれは


 勝子の筆跡だったんだよ」


 コツ


 「え・・・そ・・・そんな・・・じゃあ岩田は・・・」


 コツ


 「勝子が殺したんだろうなぁ」

 

 コツ


 「だって岩田の死因は窒息


 小石が喉に詰まってたんだから」


 コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ・・・・・・・・



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