7 居候生活二週間目
レザークの腐心の甲斐あり、やっとベルネ邸に女中が来た。シラという大柄な中年女性だ。
通いなので夜中はいないのが不満だが、これでやっと粗食から解放される。ルテクス家のシェフに比べればシラの料理のレパートリーは素朴でおおざっぱな家庭料理ばかりだったが、それでもレザークの素材まるごと食材の味よりかはましだった。
婚約にあたって数日の休暇をもらっていたというレザークは、シラに家のことを任せて安心したように登城していった。
相変わらず誰からも遊びの誘いが来ないので、メイリーは刺繡針と格闘することにする。魔女に横から口を出されてぎゃあぎゃあ言い合いをしながらだったからか、今日はいつもより長続きした。
昼食は、シラの用意した豆のスープと魚のソテーだ。きちんと火の通ったものを食べられる喜びが沁みる。
(ルテクス家にいたときは、そのようなことは考えたこともなかったわ)
これまで当たり前のものとして享受していたことは、本当は当たり前ではなかったとでもいうのだろうか。
ルテクス家のシェフの料理に比べれば足元にも及ばない、けれど温かい手料理。まずいまずいと口では文句を言いながら完食するメイリーを、シラは手のかかる子供を見るような目で見ていた。
*
「女中が来たし、家もそれなりに綺麗になったから、パーティーを開こうと思うの」
帰宅したレザークに開口一番そう告げる。レザークは感情の宿らない目をメイリーに向けた。
「誰を呼ぶんだ」
「わたくしの家族に決まっているじゃない。それからお友達も。この狭い家に招くのだから、そう多くは呼ばないつもりだけど」
まだベルネ邸に来てからやっと二週間が経っただけなのだが、そろそろ両親や弟が恋しくなってきた。
(きっとお父様もお母様も心配しているでしょうから、ちゃんとこのあばら家でやっていけているところを見せて安心させたいわ。それに、お友達から招待状が届かないのなら、わたくしから送ってあげればいいのよ。もしかしたらみんな、この家の住所がわからないだけかもしれないもの)
レザークと一緒に食堂に行く。シラ手製の夕食は、鶏の香草焼きと野菜のスープだ。定番だった固い黒パンも、メイリーたっての希望で真っ白なふわふわのパンに変えられている。
「君がいいなら俺は構わないけど」
「おまえの家族にも、会ってあげてもいいわ」
「誰も来ないと思うが、一応声はかけてみる」
レザークは少し考えこんでからそう答えた。養父母であるバルキュイ伯爵夫妻との仲は、あまり良好ではないのだろうか。
「そういえば、おまえはどういった経緯で伯爵の養子になったの?」
「魔法の才能を見出されたからだ」
レザークは香草焼きを切り分けながら言った。
「物心ついたころには親はどこにもいなくて、犯罪組織で育ったんだ。しばらく人体実験に使われてたけど、その組織が摘発されて、行き場のない俺を保護してくれたのが伯爵様」
「お待ちなさい! それは、そのようにさらっと言っていい過去ではないのではなくって!?」
驚きのあまりメイリーの手からカトラリーが滑り落ちる。慌ててベルを鳴らしてシラを呼び、新しいカトラリーを持ってこさせた。
「おまえ、さも平然と口にしたけれど、今の話はおまえの知り合いなら誰でも知っていることなのかしら?」
シラを下げさせて、落ち着くためにぐびぐびと水を飲む。
「別に話す必要のないことだから、積極的に開示はしていない。知っているのは伯爵様とそのご家族、それから王太子殿下ぐらいだ」
「だったらどうしてわたくしに話したの? そういう話は、もっと深い仲になってからするものではなくって?」
「夫婦の間に隠し事はないものだ、と王太子殿下がおっしゃっていたからな。俺達は夫婦になるんだろう?」
それ以上語るつもりはないようで、気まずい沈黙が下りる。
(それはそうなのだけど……)
「おまえは立場のふわふわした居候などではないのよ」
メイリーの心の内を見透かしたかのように魔女が睨む。
「レザークはおまえを受け入れてくれた。おまえも、彼の妻になる覚悟を決めなさい」
「……わかったわよ」
魔女にきつく言われてしぶしぶ頷くも、まだその実感はわかなかった。
*
ベルネ邸で初となるパーティーに訪れた客は七人だった。
メイリーの両親であるティノア侯爵夫妻と弟のフェイザー、メイリーの友人である二人の伯爵令嬢、それからレザークの同僚が一人と、バルキュイ伯爵の次男。本当はもっと招くはずだったが、参加の返事が来た客の人数に合わせてパーティーは予定よりもさらに小規模なものになった。不参加を表明したのはメイリーの招待客だ。
メイリーの友人達から次々届く不参加の返事のせいでメイリーの機嫌は荒れに荒れ、魔女からも「それみたことか」と嗤われたせいで一時は開催も危ぶまれたパーティーだったが、レザークに「結局やらないのか」とまっすぐ見つめられて言われた時に、「貴族のお嬢様は口だけだな」という幻聴が聞こえてきたせいで中止することを取りやめた。メイリーは負けず嫌いなのだ。
「メイリーが元気そうでよかった。レザーク卿、娘のことをよろしく頼む」
「はい」
引きつった顔で侯爵夫妻がレザークに挨拶している。レザークの陰気さに面食らっているのだろう。
最初は友人達と応接室でお喋りを楽しんでいたメイリーだったが、だんだん話題がメイリーの知らないことになり、三人で一緒にいるのに一人だけ仲間外れにされたような疎外感を味わう羽目になった。
「この前のエネス子爵の晩餐会で……ごめんなさい、メイリー様はいらしていませんでしたわね」
「お気になさらないで」
微笑みかければ、二人はそのままメイリーの知らない話題で盛り上がる。くすくすと笑う声がまるで自分に向けられているようだ。
「こらえなさい、メイリー」
飲み物を入れたグラスを握る手に力がこもる。制したのは魔女だった。
「今彼女達を相手にかんしゃくを起こしても、おまえの評価がさらに下がるだけだわ」
「……」
「他の客に挨拶するとでも言って、別の場所に行きなさい」
メイリーは大きく深呼吸し、よそいきの笑顔を作る。そして魔女の忠告通りに応接室を出た。
「彼女達がおまえの招待に応じたのは、落ちぶれたおまえを見たかったからでしょうね。きっと、今度のお茶会の話題にするつもりなのでしょう」
「お友達だと思っていたのに……」
「おまえが王家にお叱りを受けたのだから、もうおまえにおもねる必要はないと思われたのよ。おまえなどよりも、トゥーフェにどうすりよるかのほうが大事なんだわ」
今まで友情だと思っていたものが空虚なはりぼてだったとやっと気づいて、目にじわりと涙がにじむ。
「おまえはこれまで、立場の弱い令嬢達をいじめては笑いものにしてきたでしょう? 自分が嗤われる番になって、少しはその子達の痛みがわかったのではないかしら」
「だって……だって、嗤われるほうに原因があるのだと思ったんだもの。見苦しくて、醜くて……。馬鹿にされたくないなら、直せばいいでしょう?」
「なら、何を直せばおまえは嗤われないの?」
魔女の指摘にメイリーは答えられなかった。レザークとの婚約は、自分ではどうすることもできないものだったからだ。
その時、突然目の前にハンカチが差し出される。
「せっかくのパーティーなのに、浮かない顔をしてどうしたのかな?」
メイリーに声をかけてきたのは、レザークの義兄だった。