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3 謎の老婆

 自分がどれだけ不憫で可哀想かをたっぷりメイドに聞かせてやろう。そう思いながら私室のドアを開けたメイリーは、次の瞬間大きな悲鳴を上げた。


「ど、どうされましたか、お嬢様!?」


 背後に付き従っていたメイドが困惑の声を上げる。メイリーは室内のソファを指さし、大声で喚いた。


「侵入者がいるわ! 捕らえなさい!」

「はい?」

「え、ええと……」

「お嬢様、そこには誰もいませんが……」


 三人のメイド達は困ったように顔を見合わせる。しかしメイリーの目にははっきりと、ソファに丸まって身体を横たえる見知らぬ人影を捉えていた。


「……騒々しいこと」


 薄汚れたローブを纏ったその人影はのそりと起き上がる。どうやら老婆のようだった。真っ白な長い髪の毛は薄くてところどころが抜け落ちて、顔は爛れたようにぐちゃぐちゃだ。そのあまりのおぞましさに、メイリーはひっと息を飲んだ。


「わたくしの姿はおまえ以外には見えていないのでしょうね。気が変になったと思われたくなければ黙りなさい」


 カサカサの唇からしわがれた声が紡がれる。背中の曲がった老人とは思えないほどその眼光は鋭く、思わずメイリーでさえもたじろいでしまうほどだった。


「メイリー、おまえと二人で話がしたいわ。使用人達は下がらせて」


 メイリーは震えながら首を横に振る。この不審者と二人きりになんて絶対になりたくなかった。


「いいのかしら? わたくしの話を聞かなければ、きっとおまえは生涯後悔するわよ」


 老婆は厭らしく笑った。その濁った紫の瞳は、この世の悪意と絶望を煮詰めたように暗い。


「わたくしは魔女。これからおまえの身に起こる数々の不幸を知っているわ。まず手始めに、言い当ててあげる。……おまえ、父親に知らない男との結婚を命じられたのではなくって?」

「!」


(その話を知っているということは、王宮が遣わした宮廷魔術師かもしれないわ。追い返せば、わたくしの不利益になるかも……)


 悲劇の姫君ぶっていようと計算高さと狡猾さは失われない。メイリーは振り返ってメイド達に命じた。


「突然のことが続いて、少し疲れたみたい。おまえ達は下がりなさい」


 誰もメイリーの機嫌を損ねたくはない。メイド達は何も言わずに部屋を出ていく。室内にはメイリーと、魔女と名乗った謎の老婆だけが残された。


「おまえは何者なの? 王家からわたくしの監視でも命じられたのかしら」

「ふふっ。そう思いたければそう思うといいわ。監視、というのはあながち間違っていないのだから」


 魔女は不気味に笑う。


「いいこと、メイリー・ルテクス──この愚か者! その醜悪な性根を直さないと、いずれ後悔することになるわよ!」

「だっ、誰が愚かですって!?」


 突然の罵倒に驚愕するメイリー。魔女はくわっと目を見開き、もう一度「愚か者!」と怒鳴った。


「おまえに決まっているでしょう! わたくしには、おまえが道を踏み外さないように見張る義務があるわ!」

「どうしておまえにそんなことをされないといけないの? 宮廷魔術師はそこまで暇なのかしら! わたくしのような何の罪もないいたいけな娘を冤罪で追い詰めて楽しい?」

「それよ、それ!」


 魔女はダンダンと足を踏み鳴らして喚き散らす。


「ああ、なんと愚かなのでしょう! それを罪だとみなせていないだけで、おまえはすでにいくつもの罪を犯しているというのに! おまえは自分が何も悪くないとでも思っているのでしょうけどね、すべてはおまえが招いたことなのよ!」

「一体何を言っているのかさっぱりわからないわ」

「でしょうねぇ。おまえがこれまで踏みにじってきた人間の数なんて、わたくしもちっとも覚えていないもの。つまり、それほど多くの人間を傷つけてきたということなのよ」


 魔女はメイリーににじり寄ってくる。当然メイリーは後退したが、ドアに追い詰められてしまった。歯が何本も抜けた口を大きく開けて、なおも魔女は糾弾を続ける。


「自分が世界の中心にいるだなんて思い込みから早くめてちょうだい! おまえは世界一のお姫様などではないのだから! 何をしても許されるだなんて、そんなわけがなかったのよ!」

「……ッ」

「このままだとおまえは、考えられもしないような恐ろしい目に遭うわ。ありとあらゆる不幸に襲われて、みじめな淪落りんらくの道を辿ることでしょう。けれどそれはすべて身から出た錆。当然の報いなのよ。そうなりたくなければ、おとなしくわたくしの忠告に従うことね」


 魔女に詰め寄られて、メイリーの目にじわりと涙が浮かぶ。


「第一に、行いを改めなさい。第二に、夫を愛しなさい。この二つさえ守れば、最悪の未来だけは回避できるでしょう」

「行いを改めろ、だなんて……そもそもわたくしは、自分の何がいけないのかがわからないのよ!? それなのにお父様も国王陛下も王妃殿下も、おまえだって! わたくしに一体何を求めるというの!?」


 幼い子供のようにわんわん泣きじゃくるメイリーを見て、魔女はぽかんと動きを止めた。短いとは言えない沈黙の後、「たしかに」と魔女は小さく呟く。


「誰もおまえに教えてくれなかったものね。おまえは確かに、世界一のお姫様として育てられたのだったわ。問題は、それが間違っていたということなのだけど」


 骨と皮だけの枯れ枝のような手が、メイリーの頭をこわごわと撫でた。


「わたくしも、何が正解なのか……どうするべきなのかを正しく理解しているわけではないわ。ただ、間違っていたということを認識しただけで。だから、一緒に学んでいきましょう。おまえの犯した罪を。そして、それを償う方法を」


 魔女はそのままメイリーを抱きしめる。薄汚い風貌からすえた匂いでも漂ってきそうなものだったが、不思議とそういった不快感はなかった。それどころか、生の気配がない。体温も感じられず、まるでそこに実在していないかのように空気感が希薄なのだ。


「おまえ、何者なの……?」

「おまえを監視する密命を負った宮廷魔術師でいいわ。わたくしは魔女、それ以上でもそれ以下でもないのだから」


 そのまま魔女はメイリーの背中をさする。普段なら「愚か者!」と叫んで突き飛ばしているところだが、何故だかこの無礼を責める気にならない。メイリーはおとなしく鼻をすすった。


「わたくしはこれから、影のようにおまえについて回るでしょう。もう二度と悪事を働けると思わないことね」

「だから、わたくしは悪いことなど一つもしていないわ」

「愚か者」


 口をとがらせるメイリーに、魔女は呆れたように言葉を返す。


「ほら、もう泣くのはおやめなさい。せっかくの美しい顔が台無しだわ」

「……ふん。そうよ、わたくしは世界一美しいの。おまえのその醜い顔をこれ以上近づけないで。それこそ罪だわ」


 絹のハンカチを取り出して涙をぬぐう。傲慢な物言いに、魔女はやれやれとため息をついた。


「いいこと? おまえは明日にでも、レザークの家に行かされるでしょう。そこは使用人の一人もいない、郊外の小さな屋敷よ」

「なんてこと! 使用人がいないのに、どうやって暮らしていけばいいの?」

「使用人は、一人か二人なら頼めば雇ってもらえるでしょう。けれど贅沢をしすぎてはいけないわ。おまえはティノア侯爵令嬢メイリー・ルテクスではなく、リオス男爵夫人メイリー・ベルネになるのだから。何もかもが今までとは異なる暮らしになるでしょうね」

「お父様にお願いして、自由に使えるお金を仕送りしてもらえばいいじゃない」

「それだと何も変わらないわ。おまえは人々に、心を入れ替えたところを示さないといけないの。これはそのための結婚なのよ」


 聞き分けのないメイリーに、魔女は淡々と説明する。


「いっときしおらしくして王家の目をごまかせばいいだなんて、甘いことは考えないことね。わたくしはいつでもおまえを監視しているのだから」

「息が詰まりそうだわ……」

「そうでもしなければ、おまえは学べないでしょう?」


 ため息をつきたいのは自分のほうだ、とメイリーは天井を仰ぐ。望まない夫に口うるさい監視人。新生活はことごとく憂鬱なものになりそうだった。

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