21 悪徳夫人メイリーの悔悛
月光を浴びて白く輝くその可憐な姿は、さながら聖女のようだった。純白の花嫁衣装は、控えめながらも楚々としていて美しい。ドレスやブーケの装飾は、ほとんどメイリーが自分で繍った。
今日はメイリーとレザークの結婚式。メイリーが正式に、ティノア侯爵の令嬢メイリー・ルテクスからリオス男爵夫人メイリー・ベルネになる日だ。その門出を見届けるのは、神父と満月、そして新郎と魔女だけだった。
結婚式にメイリーは誰も招待しないことを選び、レザークもそれに倣った。
レザークには王太子や同僚から、メイリーのほうにも家族と、それから以前夜会で助けてから何かとかかわりを持とうとしてくる男爵令嬢タチアナから祝いのカードが届いたが、それだけだ。列席者のいない静かで小規模な結婚式を、メイリー自身がよしとした。
聞けば、侯爵夫妻はトゥーフェの結婚式にも招待されていないようだ。
きっとそのことで、両親は大いに恥をかいただろう。溺愛していた次女の結婚式にまで招待されなかった事実も、二人を傷つけるに違いない。でも、メイリーにはどうでもよかった。
レザークはもともとベルネ家の面々と折り合いが悪かったし、お互いの家族を呼ばないという選択は彼にとっても都合がよかったのかもしれない。メイリーとしても、会うたびアピールしてくるエルマーと顔を合わせずに済んで清々した。
エルマーの話をレザークにすると、彼の訪問は断っていいと言われたから、義兄だからといって優しくしてやる必要はない。
メイリーの部屋は、改めて夫婦の主寝室として整えた。結婚式が終わり次第、メイリーとレザークは本当の夫婦になる。
「立派になったわね、メイリー」
花嫁の控室では、メイリーの花嫁姿を見た魔女が涙ぐんでいる。
「あら? おまえ、身体が透けていない?」
「ああ……そうね、時間切れ……いいえ、わたくしの望みが叶ったということでしょう」
メイリーが驚いて指摘すると、魔女は軽やかに笑った。まるで長年の苦痛から解放されたような、晴れ晴れとした笑みだった。
「喜びなさい、これでおまえは口うるさい魔女の叱責から解放される。だからといって、また調子に乗ってはだめよ」
監視役だったとはいえ少し寂しい。「清々するわ」と口では強がってみたものの、この半年間、四六時中一緒にいた魔女がいなくなるという事実に、メイリーは言いようのない切なさを覚えた。
「まあ、おまえの結婚式を見届けるぐらいの根性は見せてあげるわ」
そんなメイリーの心中を見透かしたように、魔女はメイリーを愛おしげに抱き寄せた。
「おまえに最後の予言をあげましょう。遠からずしておまえは子を授かる。それを知ったレザークは、ある晩“俺が父親でいいんだろうか”と独り言を言うわ。おまえはたまたまその場に居合わせるでしょう」
魔女の予言は、まるで彼女が直接見てきたかのように生々しい質感がある。
「だから、そのときは。力いっぱいレザークを叱り飛ばしなさい。おまえは彼を笑わせることができた。彼が血の通った人間であると証明できた。欠陥品の自分が人の親になれるか悩むレザークを、今度はお前が導くの」
「……わかったわ」
鼻をすすり、メイリーは頷いた。
「やがて、銀の髪に赤い瞳の男の子が生まれるでしょう。おまえの美貌とレザークの聡明さを受け継いだ、とびきり可愛い子よ。たくさんたくさん愛してあげなさい」
「当然よ! わたくしみたいに、世界一の王子様にはさせないけれど」
愛し方を間違えて、まだ見ぬ我が子が心根を腐らせてしまうことのないように。消えゆく魔女に向けて、メイリーはきっぱりと宣言する。魔女は安心したように頷いた。
「それ以外のことは、すべておまえが決めていい。おまえの行動次第で、未来はいかようにも輝くでしょう。……幸せにおなりなさい、メイリー」
* * *
(わたくしの時も、結婚式は二人だけで執り行った)
満月の夜、メイリーとレザークの結婚式は厳かに始まった。
唯一の参列者である魔女は、礼拝堂の長椅子に人知れず腰かけている。
(二人きりだった理由は、わたくしが結婚に納得できなくて、誰も呼びたくなかったからだけれど)
視線の先では、今日の主役の花嫁と花婿が、神父の問いかけに応じて永遠の愛を誓っている。きっとその誓いは、今度こそ果たされるだろう。
(ごめんなさい、レザーク。わたくしは、おまえに許されないことをした。この奇跡のようなひとときを与えられて、やっとわたくしはおまえの愛に気づけた。本当に愚かだったわ)
魔女──かたくなに名乗らなかった彼女の真の名は、リオス男爵の未亡人メイリー・ベルネ。
悪徳夫人、傾国の魔女とそしられた、罪深き女の名だった。
(心から望んだことが叶う、“祝福”の魔法。おまえのあれは、ただの気休めではなかったわ。死を待つだけだったわたくしが、十六歳のわたくしと会うだなんて、想像もしていなかった)
魔女はそっと涙をぬぐい、想いを巡らせる。
この数奇な時間の巻き戻しが起こる前のことを。
メイリー・ルテクスは、望まぬ婚約者を拒絶した。彼と肌を重ねたのは、初夜のたった一度きり。
レザークのたびたびの諫言も無視し、一切の反省をしてこなかったメイリーは、結婚してからも悲劇のヒロインぶってわがまま三昧の暮らしを続けた。
メイリーからしてみれば、レザークはとことんつまらない男だった。彼の嫉妬を煽るため、義兄のエルマーと火遊びに興じたこともある。多くの男と浮名を流す中で、メイリーが一番夢中になったのはオーディス・レメントだった。
本格的に彼にのめりこむようになったのは、レザークが死んでから。
「俺が父親でいいんだろうか」──メイリーの浮気性を知る彼が、お腹の子の父親を疑っている。そう思い込んだメイリーは、恐怖と怒りに囚われた。
「もとはといえば、おまえがわたくしを放っておいて寂しい思いをさせたからなのに!」
……レザークが自分の心の欠陥について思いを馳せていたなんて、メイリーは思いもしなかった。お腹の子の父親が一体誰なのか、一番不安に思っていたのはメイリーだったからだ。
メイリーは、愛する女の夫である義弟に嫉妬心を燃やすエルマーをそそのかした。
エルマーは簡単にその誘いに乗り、レザークを殺した。
理外の魔力を持つ魔法使いとはいえ、よもや義理の家族に殺されるとは思いもしていなかったのだろう。疑いもせずにあっさり死んだと、エルマーは嬉しそうにメイリーに報告してきた。
けれどメイリーの心は晴れない。生まれた子が、間男の誰とも違う赤い瞳を持っていたことが決定打になった。
夜ごとにレザークの悪夢を見て、昼はエルマーに付きまとわれる彼女を救ったのが、オーディスだ。
オーディスに振り向いてほしい。その一心で、メイリーは彼のために遺産も年金も食い潰した。オーディスに言われた通り、魅力的な肢体と美貌を使って高級官僚から様々な秘密も聞きだした。
生まれた赤子は孤児院に捨てた。あの赤い目を通して、レザークの恨み言が聞こえてくるようだったから。
まるで罪から逃れるように、メイリーはオーディスに溺れていった。
望まれるまま、あらゆるすべてをオーディスに貢ぎ、両親に借金も作った。それでも金は底をつく。
困ったメイリーは、トゥーフェの名を勝手に持ち出して犯罪に手を染めた。
そうすればオーディスは褒めてくれて、一緒にいてくれる。彼に愛されて、彼に笑みを向けられることだけが、メイリーの唯一の幸せだった。
そんな刹那的な幸福の日々もとうとう破綻する。もともと、ほころびだらけの危い生活だったのだ。
罪と欲にまみれたメイリーの栄光を終わらせたのは、捨てられたことに怒りを燃やすエルマーの告発だった。
義弟殺しのエルマーは終身刑、オーディスも祖国に強制送還。メイリーには市中引き回しの上で死刑が言い渡された。
夫殺しの売国奴。王都を引きずられるメイリーに民衆は石をぶつけた。
毒の入った小瓶を投げたのは、かつて自分が虐げてきた、名も覚えていない者達の中の誰かだ。その毒薬のせいでメイリーの自慢だった美貌は大きく損なわれた。焼けただれた醜い顔を見て誰もが嘲笑う。「毒婦め、当然の報いだ」と。
花の盛りはみじめに終わりを迎える。貴婦人としての身分も剥奪されたメイリーは、処刑の日が来るまで暗く狭い牢獄に閉じ込められた。
「こんなはずではなかったのに……! 一体どうして、こんなことになってしまったの……?」
鬱々とした独房暮らしは精神を蝕み、最後に残された若ささえも奪っていった。
枯れ朽ちたメイリーのもとに、ある日トゥーフェから一通の書簡が届く。メイリーの罪を並びたて、反省を促すその手紙を見て、メイリーはやっと己の過ちに気づいた。
「死にたくない……死にたくない……」
犯した罪を認めて神に懺悔し、命乞いを呟きながら謝罪を繰り返す日々。けれどその声は誰にも届かない。
とうとう最期の日がやってきた。醜い老婆のように成り果てたメイリーを、魔女だと揶揄する声があちこちから聞こえる。
(こんなことになる前に、もう一度人生をやり直せたら……)
罵声と投石の雨の中、執行人がメイリーの首に剣をあてがい──
気づくと、何故か生家に戻っていた。
目の前には在りし日の自分。自分の姿は、彼女にしか見えていない。
(これが、死の間際に見た都合のいい幻覚だったとしても構わないわ)
まだ決定的に道を踏み外す前の、あどけなさの残る少女。
(今度は、ちゃんと……幸せになりたい……)
そんな、自分らしく傲慢な理由で、メイリーは“彼女”を導くと決めたのだ。
「レザーク、おまえは稀代の大魔法使いね。わたくしをこうして過去の世界に飛ばしてみせたのだから」
レザークがメイリーに贈った、最初のプレゼント。“彼女”の時と同様に、メイリーもあの祝福を授かっていた。信じてなんて、いなかったけど。
「メイリー、わたくしの分まで幸せになるのよ」
“彼女”は絶対に、自分と同じ道は辿らない。メイリーにはその確信があった。
透き通った指先からはらはらと光の粉が散り、メイリーの身体がどんどん崩れていく。けれど、恐怖などはない。
だって、自分が消えるということは、望みが叶って──“こうなる未来の可能性”がなくなったということに違いないのだから。
「愚かなわたくしの代わりに、あの坊やに素敵な名前をつけてあげて、たくさん抱きしめてあげてちょうだいね」
犯した罪は、決してなかったことにはならない。
それでも、“彼女”の未来は守られた。
刹那、メイリーと“彼女”の視線が交わる。何か言いたそうな“彼女”に対し、メイリーは微笑みだけを残して消えていった。
* * *
腕の中でぐずる可愛い息子をあやしながら夜の庭を散歩するメイリーは、なんとなしに“魔女”のことをレザークに話して聞かせた。
「わたくしが目を覚ますことができたのは、おまえとあの女のおかげなの。あの女にもお礼を言いたいわ」
「おかしいな。そんな宮廷魔術師はいないし、君への監視命令なんて下ってなかったはずだけど」
メイリーの隣を歩いていたレザークは不思議そうに答える。
「じゃあ、あれは一体誰だったのかしら?」
メイリーはこてんと首を傾げた。答えは返ってこなかったけれど、頭上では星が優しくきらめいていた。




