20 パーティー会場で
王室主催の華々しい夜会。着飾った貴人達が集まるその場所で、ひときわ目立つ一輪の美しい薔薇が咲いていた。メイリーだ。
白くすらりとした肢体を包む情熱的な赤いドレスは鮮烈でありながら下品さを感じさせない。
あまりの美しさはただ人を圧倒して惹きつける。優美なドレスはメイリーの美貌をより引き立たせ、ある種の芸術品のような神々しさを与えていた。
赤は国王の好きな色として有名だ。「せっかくのお祝いの場に、自分の都合で辛気臭い格好をして行くわけにはいかないわ」ともっともらしい理由をつけて久しぶりに着飾れたことで、メイリーもすっかり有頂天だった。
メイリーに見惚れていた貴公子達が傍らのレザークに気づいて気まずげに目をそらしたり、令嬢達が悔しそうに唇を噛んだりする姿の、なんと心地いいことか!
メイリーはレザークを伴って国王と王妃に挨拶に向かった。
王妃の眼差しは厳しかったが、「これからも驕らずに励むように」と言葉をもらい、下がるよう言われる。メイリーは完璧な淑女の礼を執ることでそれに応えた。
傍を通る給仕を呼び止めてジュースをもらう。レザークはワインだ。
「あら、向こうにユニフェがいるわ」
人気のないところにじりじりと移動する、ユニフェとその友人の姿が見えた。
かつての親友と会ったところで、話すことなんて何もない──けれど。
メイリーは、迷いのない足取りでユニフェ達のほうへ向かっていった。
*
タチアナ・ラビキは辺境にこじんまりとした領地を持つ男爵家の令嬢だ。国王の誕生日を祝う夜会の招待状は、ラビキ家のような弱小下級貴族のもとにも届いていた。
十四歳の彼女の正式な社交界デビューは来年なのだが、パーティーの招待状を見て、どうしても王都に行ってみたいと訴えた。
めったにワガママを言わない愛娘の頼みだからと、両親はそれを快諾。一家は観光気分で王都を訪れることになった。タチアナのエスコートは二つ年上の兄だ。
ただ、いかんせん田舎者なので、きらびやかな宮廷の作法が誰もわかっていない。
飲み物欲しさに給仕を探しにいったり、テーブルの上の豪華な食事に夢中になったり、あるいは人ごみに慣れておらずテラスへ逃げ出したりと、ラビキ家は早々に分断行動に出た。ちなみに食事に目がくらんだのはタチアナだ。
誰も手をつける様子のないパスタやチキンなどを喜び勇んで大盛りに取っていく、溌溂とした美少女の姿は悪目立ちしていた。そう、つんと澄ました令嬢達の集団に取り囲まれてしまうぐらいには。
「あなた、一体どこから来たの?」
「マーメ領です……」
「なぁに、それ。どこなの?」
「知らないわ」
クスクスと嗤う年上の少女達に囲まれて、タチアナはすっかり委縮してしまった。
(お父さん、お母さん、お兄ちゃん……)
助けを求めて視線をさまよわせるが、タチアナは大広間の階段の影という人目につかないところに追い詰められていたし、バラバラになった家族の姿も見えない。
飲み物を探しに行った両親は、久しぶりに会った旧友とうっかり話を盛り上がらせてしまっていたし、気分を悪くした兄は婚約者を求める別の肉食令嬢の集団に目をつけられていて、タチアナのところに駆けつけられる状況ではなかったのだ。
「あなたみたいな山猿が、わたくしと同じ色のドレスを着るなんて生意気なのよ」
リーダー格らしい、一番気の強そうな少女に言われ、タチアナははっとして自分のドレスを見た。
淡いピンクのドレスは、両親がタチアナのために仕立ててくれたものだ。快活で男勝りなタチアナからすればやや気恥ずかしく、それでも憧れの象徴であった可愛らしいその色へのタチアナの想いを、両親はちゃんと見抜いていた。
「流行遅れでやぼったいドレスだこと。わたくしが着替える口実を作ってあげましょうか」
「ば……馬鹿にしないでください! このドレスは、お父さんとお母さんがわたしのために──きゃっ!」
少女がタチアナの持っていた空のプレートをひったくる。
けれどその直後、「跪きなさい!」何かがタチアナに覆いかぶさり、とっさにタチアナはしゃがんでしまった。
残っていたソースや肉汁がぼとぼとと垂れる。けれどそれは、タチアナのドレスを汚さなかった。
誰より目を惹く赤いドレスの令嬢が、すべて被ってくれたからだ。
タチアナをかばったその令嬢に、彼女のドレスと同じ色のハンカチーフを身に着けた青年が追いつく。
「メイリー、あなた、どうして」
赤いドレスの令嬢を見て、主犯格の薄ピンクのドレスの令嬢がわなないた。
メイリーと呼ばれた赤いドレスの美しい令嬢は、したたるソースも気にしない。
彼女は毅然と立ち上がり、派手によろめいた。手にしていたジュースのグラスが大きく傾き、少女達のドレスを汚していく。
「大丈夫か、メイリー」
「ごめんあそばせ。立ちくらみしてしまったみたい」
青年に支えられたメイリーは倨傲に笑った。いじめっ子の令嬢達は、悔しげな顔をして去っていく。
「性悪娘のくせに!」
「のうのうと社交界に戻ってこないでよ!」
捨て台詞にもメイリーは動じず、タチアナに声をかける。差し出されたのは、綺麗な刺繍の施されたハンカチだ。メイリーはそのハンカチでタチアナの口をぬぐった。
「口元が汚れていてよ。みっともないわね」
「そ、それより、あなたが!」
まばゆく輝く白銀の髪も、優美な赤いドレスも、ソースや油でどろどろだ。呆然としていたタチアナが顔を青ざめさせるが、メイリーは眉一つ動かさなかった。
「レザーク、魔法で綺麗になさい。できるわよね?」
「できるさ、もちろん」
青年が何か唱えると、メイリーの体が淡い光に包まれて、たちまち元の美しい姿に戻っていった。もうシミ一つ残っていない。
「ユニフェの吠え面が見られて面白かったわ。それじゃあね」
颯爽と立ち去るメイリーに、タチアナは何度も頭を下げてお礼を言った。彼女達を見送る目はキラキラと輝いている。
*
「おまえ、あのような便利な魔法があるなら掃除などすぐ終わらせられるじゃない」
「平時から魔法に頼りすぎるのはよくない。今回は緊急だったから使っただけだ」
レザークはぶっきらぼうに答えるが、わずかに口元を緩ませた。
「見ず知らずの女の子を身を挺してかばうなんて、すごいじゃないか」
「偉いわよ、メイリー」
魔女もうんうん頷いている。
「ふん。ユニフェが大きな顔をしているのが目障りだっただけよ」
メイリーは赤くなった顔を見られないようにそっぽを向いた。
まばゆいシャンデリアの下に戻ってきたメイリーに声をかけてくる青年がいた。隣国の大使、オーディス・レメントだ。
「お久しぶりです、メイリー様」
「まあ、オーディス様」
以前はひどく魅力的に見えていた甘い微笑みも、もうメイリーの心を動かすには届かない。
軽率に振りまかれる愛想よりもっと好きなものを見つけてしまったからだ。今ではオーディスなんてジャガイモにしか見えなくなっていた。
「せっかくこうしてお会いできたのですし、一曲いかがでしょう」
オーディスはにこやかに手を差し伸べる。何気なくメイリーが視線を彼の手にやると、不意に腕を引かれた。
「……これは、その。ごめん。君がいいなら、踊ってくれば?」
無意識にメイリーの手を掴んだことに気づいたレザークは慌てて手を離す。メイリーはくすりと微笑み、レザークの腕に抱きついた。
「ごめんあそばせ、オーディス様。お誘いいただけたのは光栄なのですけれど、エスコートはわたくしの大好きな婚約者にだけ任せることにしているの。どうかその手は、他のご令嬢に伸ばしてあげてくださいな」
きゅるんと可愛らしく突き放されて、オーディスはもう何も言えない。
「行きましょ、レザーク。早くおまえと踊りたいわ」
「俺、自信がないんだけど」
「昨日までさんざん練習したでしょう? いざというときはわたくしがリードしてあげるから、おまえは背筋を伸ばしてわたくしに合わせていればいいのよ」
「わかった」
ぽつんと取り残されて恥をかき、苦々しげに舌打ちするオーディスを見て、魔女が「ざまぁみなさい!」と高笑いする。
もちろん背後のそんなやり取り、メイリーはまったく気づいていない。
やがてダンスを促すように管弦の調べが響く。大広間の中央で、国王夫妻と王太子夫妻が踊っていた。
一曲目が終わって大広間が拍手に包まれ、招待客達も踊り始める。レザークを引っ張り、メイリーもその輪の中に加わった。




