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18 熱に浮かされて

 メイリーが目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。どうやら、倒れたメイリーをレザークがベッドまで運んでくれたらしい。 


「風邪だな」


 ベッドに伏せるメイリーと体温計を見比べて、レザークは淡々と告げる。 


「雨と疲れのせいだろ。よくなるまで寝てるといい」

「……」


 メイリーはこくんと小さく頷いた。風邪をひいたことを自覚すると、一気に悪寒が押し寄せてくる。頭がやけにぼーっとした。


 レザークは部屋を出て行ったが、十分もしないうちに戻ってきた。その手には水の張られた桶とタオルがある。彼はタオルを水に浸して固く絞り、メイリーの額に乗せた。


「……ひんやりして、気持ちいいわ」

「そうか」


 きゅっと布団を持ち上げて顔を隠したメイリーは、おずおずとレザークを見上げた。 


「おまえ、さっきまでわたくしと喧嘩していたでしょう?」

「あの程度、喧嘩のうちに入らないだろ。ちょっと話をしただけじゃないか」


 病人を相手に議論を続けるつもりはない、とレザークは続けた。 


「君の風邪が治るまで仕事は休む。何かしてほしいことは?」

「……いいの? じゃあ……傍にいてくれる?」

「それだけでいいのか?」


 メイリーがもう一度頷くと、レザークは椅子をベッドのそばに持ってきて腰かけた。


「おやすみ」

「……おやすみなさい」


 明かりが消される。闇の中にぼんやり浮かぶレザークの影をじっと見つめながら、メイリーはまどろみに身をゆだねた。


*


 翌朝、レザークはメイリーのために薬草を混ぜたパン粥を持ってきた。

 だいぶ微妙な味のそれを、もぐ……もぐ……と神妙な面持ちで口に運ぶ。


「まずいわ」

「悪かった」


 二口食べた時点でスプーンを放り投げたかったが、レザークがじっと見つめているので諦めた。 


「ねぇ、甘くて冷たいものが食べたいのだけど」

「わかった。シラさんが来たら相談しておく」


 なんとかパン粥を食べ終えたメイリーは猫撫で声で囁く。その甘えた仕草が効いている素振りはなかったが、それでもレザークはワガママを了承した。


 もっと相好を崩すなり、心配そうにするなりしてくれればいいのに……。


 むくれるメイリーの心中を知ってか知らずか、レザークはかいがいしく世話を焼いてくる。

 タオルを取り換え、水差しの中を満たし、温かい薬草茶も持ってきた。


 やがてシラがやってくる。昼食はシラが作った鶏肉と野菜のスープだった。食後のデザートには甘くて冷たいカスタードプディング。メイリーはすっかりご満悦だ。 


「食べ終わったら少し寝たらどうだ?」

「……いいえ。今はまだ、眠くないわ」


 かたん、とメイリーはスプーンを置く。 


(とっても気分がいい今なら、ちゃんとレザークの目を見て……素直に話ができるかしら)


 ちらり、レザークを見た。彼はやっぱり無機質な目でメイリーを見ている。


「ねえ、レザーク」

「なんだ」

「わたくし、おまえのその目が怖かったの。だって、何を考えているのかちっともわからないんですもの」


 メイリーはレザークの顔に手を伸ばす。レザークは特に避けることはしなかった。

 メイリーの白魚のような指がレザークの頬に触れた。ちゃんと温かくて、柔らかい。 


「……わたくし、寂しかったのかもしれないわ。誰もわたくしのことを見てくれていない気がして」


 風邪で弱ったせいか、いつもより簡単に心中を吐露できる。ずっと目をそらしていた、自分の中の本当の弱さと気持ちを。 


「もちろん、見世物として見られたいわけではないのよ? その……なんていうか、そうね……大切に、されたかっただけなの」


 熱で潤んだ紫水晶の瞳がレザークを映す。レザークは静かに聞いていた。 


「わたくしは、自分が本当に大切にされているか……愛されているのか、試したかっただけだったのかもしれないわ。そのせいで、色々な人に怖がられて、嫌われてしまったけれど……でも、注目されて、ちやほやされていればいいって、思ってた」


 声は震えて涙もこぼれる。レザークは黙したままメイリーの涙をそっとぬぐった。 


「それでも、みんなわたくしから離れていってしまった。わたくしが大事にされていたのは、お金持ちの上級貴族の娘で、可愛いから。それだけでしかなかったの」


 メイリーは空っぽだった。自分自身を見てもらえる理由が何もなかったことに、彼女はやっと気づいたのだ。


 それでも、虚飾の栄華が忘れられなかった。それが愚かでむなしいことだと、頭ではわかっていても。


 その結果、サガンに付け込まれる隙を作ってしまったのだろう。 


「わたくしがどれだけ嫌なことを言って振り回しても、おまえは顔色一つ変えなかったわね。それが嫌で……でも、おまえはわたくしから離れていかなかった」


 一緒に家事をやって、食卓を囲み、デートにも行った。

 レザークの言動は、メイリーの知る誰より独特で、けれどずっとメイリーに付き合ってくれていた。 


「おまえは最初から、わたくしのことを見ていてくれたのね。わたくしが気づいていないだけで、おまえはずっとわたくしを大切にしてくれた……」


 たとえそれが義務によるものだったとしても。人の心を持たない道具が、主君である王太子の命令に従っているだけだったとしても。

 夫婦になる努力をしようという彼の言葉を信じてみたくなってしまうのは、サガンの時と同じように、自分に都合のいいことばかり受け入れる悪癖のせいだろうか? 


「メイリー・ルテクス。君は、何もかも失ったつもりかもしれないけど」


 レザークはやっと口を開く。 


「失ったことで得たものもあるんじゃないのか? 理由が何であれ、君は被害者への贖い方を考えて実行した。俺は君のことを、悪評の伝聞でしか知らなかったけど……きっと、大きな変化なんだと思う」


 レザークはメイリーの頭をそっと撫でた。 


「それに……君の美貌は健在だ」

「……え?」


 まさかレザークの口から出てくるとは思わなかった言葉に、メイリーは目をぱちくりさせる。 


「だからこそ危なっかしくて放っておけない。君がまた調子に乗って痛い目を見ることがないように……あるいは、誰かに利用されて傷つくことがないように、君を見張る人間が必要だ。それには、夫になる俺が適任だと思う」


 レザークはいつも通りの無表情で、青白い頬には赤みの一つも差していない。


 それでもこれが彼なりの誠意なのだと、まっすぐメイリーを見つめるガーネットの瞳が訴えていた。 


「また顔が赤くなってるぞ。熱が上がったのか?」

「うっ、うるさいわね! おまえが近づきすぎなの! 感染うつすわよ!」


 メイリーは慌ててレザークを押しのけて、額のタオルで顔を覆った。 


「そんなことしたら、息ができなくなるだろ」

「んんーっ!」


 もがもがとわめくメイリーをみかねて、レザークはタオルを取り除く。彼はタオルを畳みなおしてメイリーの額の上にぽすんと置いた。 


「大丈夫か?」

「うぅ~……」


 メイリーは布団の中に隠れてそっぽを向く。 


(おかしい! おかしいわ! このように青白くてひょろひょろで無愛想な男、わたくしの好みと正反対のはずなのに! どっ、どうしてこの男の目が今さら輝いて見えているの!?)


 心臓がバクバク言うのは、きっと熱のせいだ。 


「なによ! 色白で背が高くて華奢で理知的でクールなくせに! その軟弱さでわたくしを見張まもるだなんて生意気ね!」

「???」


 まあ確かに、よくよく見れば顔はちょっとぐらい整っているのかもしれないけど? まつ毛長いし鼻筋も通ってるし、切れ長の目が綺麗だし? と、布団にこもりながら誰も聞いていないことをぺらぺら早口で呟くメイリー。

 別にレザークは絶世の美男子というわけではない。よくて上の下だ。それでも何故か今この瞬間からメイリーの目には、至上の美を誇る光の神にすら匹敵するまばゆいイケメンに見えてしまっていた。 


「風邪は人に感染うつすと早く治るらしい。俺に感染うつして君が元気になるなら、それでもいいけど?」

「ばか!」


 ちょっとだけ顔を出して、手近にあったクッションを投げる。今度は近くにいたし、さえぎるドアもないから、ちゃんと当たった。といっても、普通に受け止められただけだが。 


「……治るまで、そこにいなさい。いいわね?」

「わかった」


 レザークはおとなしく椅子に座る。清拭の手伝いのためにシラがやってくるといったんレザークは追い出されたが、清拭が終わると呼び戻された。 


「メイリー」

「なによ」


 不意にレザークに名前を呼ばれ、油断していたメイリーはそのまま顔を上げてしまう。


 すぐ目の前にレザークの顔があり、そして。 


「風邪を感染うつしてもらうにはこれが一番だと、シラさんが言っていた」

「馬鹿! ばかばかばかばか!」


 メイリーは枕でレザークをボコボコと殴る。ふわふわの枕に顔を押しつけてごまかしてみても、ふにっと柔らかい彼の唇の感触は全然消えなかった。

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