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16 劇場の王子

 メイリーがその日劇場に足を運んだのは、ただの気まぐれだった。


 演目は以前と同じ、海賊に身を落とした王子が没落貴族令嬢のヒロインを翻弄する物語だ。二度目の観劇になるので、前よりは内容が頭に入った。


(わたくしにも、あのヒロインのように、孤独と絶望から掬い上げてくれる人がいたら……)


 波乱万丈の恋物語に自分の境遇を重ね合わせて空想に浸る。脳内の絵空事に正論は飛んでこない。今この瞬間、メイリーは間違いなく世界一不憫な悲劇のヒロインだった。


 劇場を出て辻馬車に乗り込もうとしたメイリーに、背後から声がかかった。


「そこの綺麗なお嬢さん。忘れ物だよ」

「あら……ありがとう」

「席に置きっぱなしだったんだ。気をつけろよな」


 ワイルドな美男子が差し出す扇子を、メイリーは頬を染めて受け取る。


「おまえ、どこかで会ったことがあったかしら?」

「会ったことはないと思うけど、見たことはあるんじゃないか? だってさっきまで、俺の舞台を見てたんだから」


 青年は茶目っ気たっぷりにウインクした。メイリーははっとして、ヒーローを演じた海賊王子の名を呟く。


「そう。綺麗な人が忘れ物をしたって雑用係が言ってたからね。慌てて俺が追いかけてきたんだ」

「まあ。ご苦労様」


 くすりと微笑むと、青年もニカッと笑った。白い歯がまぶしい。


「俺、サガン・ぺルラ。君は?」

「……メイリー。メイリー・ルテクスよ」

「へえ。可憐な人は名前まで可愛いんだな」

「もう。お上手ね」


 ツンと澄ましたメイリーは、辻馬車のステップに足をかける。


「おまえの舞台、なかなかよかったわ。また来てあげてもよくってよ」

「本当か!? やった! じゃ、また今度。待ってるからな、メイリー。絶対来てくれよ!」


 差し出されたのは明日の昼公演のチケットだ。裏表のない無邪気な笑顔に見送られ、メイリーは胸を弾ませながら帰路についた。 


 次の日も、またその次の日も、メイリーは劇場に足しげく通う。目当てはもちろんサガンだ。舞台の上で注目を集める彼を目で追うことは、メイリーのひそかな楽しみになっていた。魔女はいい顔をしないが、「息抜きぐらいさせてちょうだい」と押し通し、今日もメイリーは劇場に足を運んだ。  


「メイリーは奥ゆかしいんだな。たまには楽屋に顔を出してくれてもいいのに」


 終演後、席で待っているように劇場のスタッフに声をかけられたメイリーがおとなしく待っていると、そこにサガンが現れた。


「あら。このわたくしに支援してほしいの?」


 貴族が気に入った役者の後援に収まることはよくある。単純に演技の才能を買って、あるいはその美貌の持ち主を侍らせたくて。しかしメイリーには、サガンの後援者になれるほど自由にできる金はなかった。


「違うって。俺、もっとあんたと話してみたいんだよ」


 サガンは断りも入れずにメイリーの横に座る。普段なら「無礼者!」と一蹴しているところだが、貴族社会に疲弊した今のメイリーにはその無遠慮な強引さが心地よく映った。社交辞令でごまかして飾り立てる必要がないからだろうか。


「楽屋に行くときに人目が気になるっていうなら、あんただけに裏口を教えてやる。そこからなら誰にも気づかれずに俺の楽屋に行けるぜ」


 サガンは劇場の裏口への道をメイリーに教えた。スタッフや役者が出入りするときに使うらしい。


「せっかく教えてくれたのに悪いけれど、わたくしに会いたいならおまえがここに来るべきではなくって?」


 多少顔がいいからと言って、簡単に口説き落とされるメイリーではない。求められることで少し自信を取り戻したメイリーは、サガンに試すような眼差しを投げた。もちろん駆け引きの一種だ。


「ははっ、そりゃ確かに。じゃあ終演後、席を立たないでいい子にして待ってられるか、お嬢さん?」

「退屈させた分、おまえが面白い話をしてくれるならね」


 メイリーは席を立った。


「じゃあ、また今度。次の公演も楽しみにしているわ」


 それは、言ってみればただの遊びだった。

 少し危険な匂いのするワイルドな美青年との秘密のひと時。

 社交界の華としてちやほやされていたころを思い出させてくれる内緒の逢瀬。

 それ以上でもそれ以下でもない。第一、彼は平民なのだ。役者なので華はあるが、それだけ。本気になるなど馬鹿げている。


 だが、いくら自分にそう言い聞かせていても、ほんの少しの気の緩みからのぼせ上がってしまう程度には、メイリーはチョロい小娘だった。 


「メイリー、おまえ、あの役者風情に入れ込みすぎなのではなくって?」


 魔女の警告もなんのその。メイリーは今日も劇場にやってくる。カーテンコールが終わっても席を立たず、しばらく待てばサガンが来た。

 雑用係達が座席の掃除を終わらせるまでのわずかな時間が、二人が言葉を交わせる猶予だ。ボックス席のカーテンは、すべての秘密を隠してくれる。 


「あんたもうちの一座の役者にならないか? あんたみたいな美人なら、すぐに主演の舞台が打てるぜ」

「いやよ。わたくし、お芝居なんてしたことないもの」

「貴族のお嬢様なら、腹芸の一つや二つお手の物、だろ?」

「……そうね。でも、わたくし、もうそういうのはこりごりなの」


 メイリーの取り巻き達を思い出す。彼女達はルテクス家の権力のおこぼれ目当てだった。メイリーが失脚した今、誰もメイリーに近づいてこないのがその証拠だ。

 親友だと思っていたユニフェすらそれは変わらない。そもそも、過去にいじめていた下級貴族の令嬢達や元使用人達に謝罪して回るメイリーへ、「すっかり落ちぶれたみじめな子」と嘲笑を扇動しているのはユニフェだった。 


「あんな嘘つき達なんてもううんざり。顔も見たくないわ」

「ふーん。窮屈そうだな、貴族社会ってのは」


 ぐい、とサガンは顔を近づける。自信に満ちた輝く笑みに、メイリーの胸は不覚にも高鳴った。


「じゃあ、こういうのはどうだ? 俺がそこからあんたを連れ出して、自由にしてやるよ」

「……ッ」


 魔女の金切り声が聞こえ、慌ててサガンを押しのける。 


『メイリー、美しい人』


 エルマーの声が脳裏によみがえった。 


『貴方はもっと幸せになるべきだ』


 幸せ。それは、この針のむしろの貴族社会から連れ出してもらうこと? 


『きちんと貴方を愛してくれる人こそ貴方にふさわしい』


 サガンは平民だ。メイリーの悪評も、きっと知らないに違いない。


 何も知らない彼なら、色眼鏡で見ることなく、自分を大切にしてくれる? 


「か……考えておくわ!」


 赤くなった顔を必死で背けて、メイリーは慌ただしく立ち上がる。火照った頬を冷ますように、劇場の外へと駆け出した。

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