13 破滅の予言
帰宅して夕食を摂ったメイリーが寝室に戻ると、魔女はおもむろに口を開いた。
「自力で己を顧みて過ちに気づかなければ意味がないから、あまり未来については明かしたくなかったのだけれど、オーディスのことだけは警告させてもらうわ」
いつになく真剣な声音だ。
「あの男は、トゥーフェの異母妹であるおまえに目をつける。愚かなおまえにならたやすく付け込めると考えておまえに近づくの。そしてあの男の思惑通り、おまえはあの男にのめりこみ、何もかもをあの男に捧げてしまうのよ。金も恋心も、情報も」
「どういうこと?」
「あの男にすっかり魅了されたおまえは、あの男を喜ばせたいあまりにあの男の望むものを貢ぐ。どんな手段を使っても。その結果、おまえはトゥーフェの名を騙って詐欺や恐喝を働き、挙げ句この国をツァーガに売ろうとする。浅はかな恋の代償に、おまえは売国奴として裁きを受けるのよ!」
急にそんな話をされても、いまいち実感が湧かなかった。
「いいこと? オーディスの偽りの笑みに騙されないで。いいえ、オーディスだけではないわ。おまえに取り入って甘い蜜を吸おうとする男は他にもいるの。けれど、おまえを真に愛してくれていた男は一人だけ。目先の欲に溺れて、本当の心を見誤ってはいけなかった……」
魔女はメイリーの肩を掴んで揺さぶる。その声音には深い後悔がにじんでいた。
「なによ、もう。離しなさいよ、この愚か者!」
知ったことではないと突き飛ばそうとするが、枯れ枝のような細腕からは考えられないほど魔女の力は強かった。まるで彼女の執念そのもののようだ。
「メイリー、愚かなおまえが理解できるまで、わたくしは何度だって忠告するわ」
淀んだ紫の眼がメイリーを捉える。
「浮ついた考えも、甘ったれた思い込みも捨てなさい。恐れずに、恥じらわずに、おまえの罪と向き合うの。これ以上大きな罪を犯す前に。取り返しのつかないことをしてしまう前に。今のおまえなら、まだ間に合うのだから」
「このわたくしに指図するだなんて、おまえは一体何様のつもりなのかしら」
うんざりしたメイリーはふくれっ面で身をよじった。
「仕方ないわね。おまえのしつこさに免じて、約束してあげる。そこまで言うならオーディス様とはかかわらないわ」
本当は、ちょっぴり……いいや、かなり残念ではあるけれど。
メイリーが根負けするぐらいには、魔女があまりにも悲しそうな顔をしていたから。
ぎゅっと掴まれた腕の力から伝わる彼女の切実さを、どうしてかメイリーには無視することができなかった。
「一度誓ったのなら、もう覆すことは許さないわよ」
やっと魔女は安心したようだ。メイリーから手を放し、ほっと安堵の息を吐いた。
(自分のことのように真剣ね。宮廷魔術師だから、国を揺るがすような危険な未来は阻止したいということかしら。……この魔女が極秘でわたくしの監視をしているのは、わたくしが国にとって危険な人物になるとでも予言されたからなの?)
まあ、トゥーフェが未来の王妃になる以上、全部台無しにしてやりたいと思う気持ちはないわけではないけれど。
さすがに大それた悪事を働くほどの度胸はない。魔女の予言に現実味はなかったが、十六歳の少女を脅すには十分だった。
「おまえに必要なのは、おまえを楽なほうへと導く甘い言葉ではないわ。心からおまえを思っている者は、叱責の言葉を口にする。多少厳しくても、それが本当の愛なのよ」
「でもわたくし、叱られたことなんて一度もなかったわ」
幼いころまで記憶をさかのぼっても、叱られたことなんてちっとも思い当たらなかった。叱られた経験なんて、それこそ王太子アラベールがトゥーフェとの婚約を発表し、王家の怒りを伝えられた時ぐらいだ。
「おまえの不幸の本当の原因は両親ね。おまえを世界一のお姫様として育てたのは、あの二人だもの」
魔女はうつむいて唇を噛んだ。しばらく視線をさまよわせ、ゆっくり言葉を絞り出す。
「あの二人はきっと、おまえを愛していたわ。でも、あの二人のような愛し方はおまえを堕落させてしまう。だからこれからは、甘やかすだけの愛を断ち切らないと」
「何がいけないの?」
「おまえの何もかもを甘く受け入れてくれる者は、たとえおまえが間違っていることをしても教えてくれないからよ。だからおまえは平気で人をいじめてきた。それはいけないことだと、誰も止めようとしなかったから」
魔女の言う通りだった。トゥーフェにひどいことを言っても、他の令嬢に意地悪しても、メイリーの行いを悪だと断じる声はなかった。周囲の大人はメイリーを許容し、増長させた。
「この前のお茶会で、知らない令嬢達に取り囲まれて嫌がらせを受けたとき、おまえはどう思った?」
「……いやな子達だと思ったわよ。どうしてこのようなひどいことをするのかしら、って。全員の顔と名前を覚えて、仕返ししてやりたいわ」
「おまえがいじめてきた子達も、きっとおまえに対して同じことを考えていたわよ」
「……」
被害者になったときは、加害者の顔と名前をしっかり胸に刻みつけていた。
でも、加害者だったころはどうだろう。足を引っかけて転ばせた相手も、ドレスを汚した相手も、ただそういう有象無象がいたというだけで、個人につながる何かはちっとも思い出せない。
見下していい相手、という記号でしか区別をつけていなかった。
「おまえは今、犯した罪に気づいたのではないかしら。これは大きな進歩よ。罪を理解したなら、次は償いを考えましょう」
これまではただの踏み台だと気にも留めていなかった影達の、ぼやけた輪郭が闇の中から浮かび上がってくる。
それは、メイリーへの怒りと憎しみを抱いた、かつて被害者だった復讐者達だ。
考えてみれば、あの侯爵令嬢のお茶会も、メイリーへの復讐の一端だった。
「いいこと、メイリー。過去は変えられなくても、未来は変えていけるわ」
「そうかしら……」
不安げにうつむくメイリーを、魔女は優しく抱きしめた。
*
それから二週間、メイリーはベルネ邸から一歩も出ずに刺繍やレース編みに熱中した。魔女の忠告通り、オーディスにはお礼のカードだけ出して、それきりだ。
カーテンやコースターなど、ベルネ邸はメイリーの作品で可愛らしく彩られていく。
徐々に増えていく小物に対してレザークの感想は「よくできてるな」の一言だけだったが、その一言で十分だった。
だってメイリーが引きこもって作品を作り上げている間、レザークも休日を利用して細々した木製の家具を作ってくれていたからだ。空っぽだったベルネ邸は、二人の手作りのもので少しずつ満たされていった。
ついに機は熟した。夕食の後、メイリーは渾身の勇気をもってレザークに声をかける。
「ねえ、レザーク、これ……おまえにあげるわ。この前のプレゼントのお礼を、まだしていなかったから」
「くれるのか? ありがとう」
白いハンカチに、鮮烈な赤い薔薇が咲いている。おずおずと差し出したそれを、レザークはあっさりと受け取った。
「この薔薇の刺繍は、君が?」
「……そうよ。わたくし、薔薇が好きだから」
「そうなのか。上手だな」
「本当?」
「嘘をついてどうする」
レザークはそう言うものの、彼の口角はピクリとも動いていないし、目元だって険しいままだ。
だから、彼が本当に喜んでいるのか自信が湧かなかった。
「人にあげても、迷惑ではないかしら」
「急に物をもらったら困る人間もいると思う」
ばっさり切り捨てられる。うっと顔を引きつらせるメイリーに、レザークは言葉を続けた。
「だから、他人のことは断言できない。俺が言えるのは、俺は君から物を贈られても迷惑じゃないってことだけだ」
「それは、おまえの心からの言葉? 誰かの真似をして、その場に合った言葉を適当に口にしているだけではなくて?」
「今日の君は疑り深いな」
レザークはじっとメイリーを見た。不愉快そうにしているわけでも、面倒がっているわけでもなく、ただの何気ない疑問を口にしただけのようだった。
「俺の言葉を信じるのも信じないのも君次第だ。他人の考えなんて完璧にはわからない以上、俺がどれだけ言葉を尽くそうと、俺の意図と違う受け取り方をされても仕方ない。どう受け取るのかは君が決めていいことなんだから」
突き放したような言い方をされて、メイリーの心が不安に揺らぐ。レザークはハンカチをテーブルの上に置いた。
「それでも弁明しておくと、俺の意図はこうだ」
空いた両手で彼は自分の頬をつまみ、上に向かって引きあげている。自分の意志で笑えなくても、まるで笑顔を浮かべているようだった。
「なによ。変な顔」
「やっと笑ったな」
レザークの変顔にメイリーは思わず吹き出す。レザークはハンカチをポケットにしまった。
「最近の君は暗い顔をしていた。反省でもしたのか?」
「……そうね。手作業をしながら、色々考えてみたの」
本当にこれでいいのだろうか。メイリーは迷いながら口を開く。
「謝ってみよう、と……思って……。その、わたくしが……これまで、ひどいことをした人達に……。謝罪のしるしに、刺繍したハンカチを、配るのはどうかしら……?」
「いいんじゃないか」
レザークの返事は、ひどくあっさりしたものだった。
「で、でも、わたくし、誰に何をしたのか、覚えてなくて……」
「すごいな。いや、これは褒めてるわけじゃないけど」
レザークは顔色一つ変えていないが、その眼差しはまるでメイリーを責めているようで、メイリーは思わず縮こまった。
「じゃあ、君の悪評をさかのぼって調べてみよう」
トゥーフェをきっかけに王家が動いたことで、メイリーの評価は完全に反転していた。メイリーへの不満が噴出した今なら、過去の悪行を辿るのもたやすいということだろう。
「一人で謝りに行くのが不安なら、俺もついていってあげるけど?」
「……いいの?」
しおらしく目を伏せていたメイリーは、おずおずと顔を上げた。
「それぐらい構わない。俺は君の夫になるんだから。でも、主体的に謝るのは君だからな?」
念を押され、メイリーはこくんと頷いた。




