12 初めてのデート
「おまえにオーディス様の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ」
「その話、あと何回繰り返せば気が済むんだ?」
レザークと買い物に出かけたメイリーだったが、馬車の中でも往来でも、話題にするのは昨日の素敵な貴公子オーディス・レメントのことだけだった。
「メイリー、頼むからあの男のことは忘れてちょうだい。あの男とかかわってもろくなことにならないわ」
魔女の哀願も、浮かれるメイリーには届かない。
「今度、オーディス様を招いて晩餐会を開きましょう! 助けていただいたお礼ということにすれば、お父様達もとやかく言わないでしょうし」
「君がいいなら別にいいが」
「絶対に駄目よこの愚か者!」
キーンと響く魔女の声がレザークの返事をかき消してメイリーの耳をつんざく。
「オーディス・レメント! ああ、口にするのもおぞましい、あの悪魔! あいつは確かにツァーガの大使だけれど、その目的はこの国と友誼を結ぶことではないわ!」
「おまえ、彼を知っているの?」
周囲の目があることを鑑みて、メイリーは小声で魔女に尋ねる。
「知っているも何も……おまえが道を踏み外した時、手を差し伸べるふりをしてそのまま奈落に導く男、それがオーディス・レメントなのよ!」
「そのようなひどい人には見えなかったけれど。おまえに人を見る目がないだけではなくって?」
「おまえのような愚かな小娘に、あの真に邪悪な人間の本性が見抜けるわけがないでしょう」
メイリーはむっとして唇を尖らせる。奇しくも魔女も似たような顔をしていた。
「帰ったら、あの男が未来でおまえに働く悪行をすべて教えてあげるから、今はレザークとの外出に集中なさい。余計なことは考えず、レザークとしっかり絆を 育むのよ」
「なによ、それ」
魔女の無茶振りを受け、メイリーはレザークを横目で見やる。
(このわたくしの隣を歩かせてあげているのに、ちっとも嬉しそうにしないなんて、本当に生意気な男ね!)
「レザーク、少しかがみなさい」
「?」
おとなしくかがんだレザークの顔に両手を添えたメイリーは、彼の頬を上に軽く引っ張る。
「おまえ、多少の快不快は判断できるのでしょう? このわたくしと一緒に歩けることは、当然楽しいことよねぇ?」
「ふぇつに……」
「た・の・し・い・わ・よ・ね?」
「ひょおらな」
「よろしい」
手を離してやる。レザークは頬をさすった。
「楽しいなら笑いなさい。その陰気な顔でわたくしの傍に立たないで」
「……」
命じると、レザークは言われた通り口で弧を描いた。ぷるぷると口角が震えている。引きつったその顔を見て、笑い出したのはメイリーのほうだ。
「なぁに、その顔。それで笑っているつもり?」
「そうだけど」
「この愚か者! レザークで遊ばないの!」
「いいわ、もう結構よ。楽になさい。ああ、おかしい!」
魔女に叱られるが、笑うメイリーには届かない。そんなメイリーの横ではレザークが自分の頬をこねくり回して表情筋をやわらげている。
(笑顔一つもまともに浮かべられないなんて、本当につまらない男! 先が思いやられるわね! わたくしがしっかりしてあげないとだめだわ!)
ふと、オーディスの美しい微笑が脳裏をよぎった。きっと彼なら、街角のお忍びデートも完璧にエスコートしてくれるだろう。
「評判のいい店は調べてきた。こっちだ」
こんな風に、メイリーを置いてさっさと歩き出すこともしないに違いない。
ぶつくさ文句を言いながらレザークの後を追う。目的地の宝飾品店は、朴念仁が目をつけたにしてはましな店構えだった。
「あら、いいじゃない」
高級感溢れる店内にレザークは気後れしたようだが、メイリーは気にせず入店する。店員の丁寧な歓待を受け、メイリーは早速商品の吟味を始めた。
「このイヤリング、素敵だわ」
まず目に止まったのは、小ぶりで上品な、薔薇を象ったアメジストのイヤリングだった。値札は興味がないので見ていない。他にも指輪やネックレスなどを見せてもらうが、最初に見たイヤリングほど心を惹かれるものはなかった。
(本当は全部買いたいところなのだけれど……)
イヤリングを指差しながらレザークを見る。レザークは興味なさげに「いいんじゃないか」と答えた。
(もっと何か反応があるでしょう! 似合うの一言も言えないのかしら!)
イラッとしたが、店員の手前グッと飲み込む。レザークが小切手にサインをしてさっさと会計を済ませてくれたので、メイリーはレザークをつついて店の外に出た。
「せっかくアクセサリーを新調したのだから、次はそれに合うドレスが見たいわ」
「愚か者! いくつプレゼントを買わせるつもり!?」
「なるほど、プレゼントは一つじゃ足りないのか。ドレスの店は調べてこなかったから、どこに行けばいいのか教えてくれ」
「愚か者ー!」
魔女がメイリーとレザークの間で絶叫している。元気な老婆だ。
「メイリー! まずレザークに感謝を述べるのが先でしょう! お礼を伝えて、大切にすると言いなさい! いいこと、この厚意は当たり前のものではないのよ!」
「うるさいわね。わかったわよ」
小声で魔女に文句を言い、メイリーはとびっきりの笑顔をレザークに向けた。きゅるんきゅるんの愛らしさを振りまくそれは、これまで数多の男を魅了してきたメイリーの必殺技だ。
「ありがとうレザーク、大切にするわ」
「そうしてくれ」
必殺技は、レザークに対しては不発だった。
(ほんっとうにこの男は!)
キィー! と叫びながら地団駄を踏みたい衝動に駆られるが、さすがに往来なので自重する。メイリーの苛立ちもなんのその、レザークはメイリーをじっと見ながら小首を傾げた。
「どうかしたの?」
「いや、なんでもない。それより、婦人のドレスはどこで買えばいいんだ?」
「この辺りに、馴染みの仕立て屋の店があったはずよ。ついていらっしゃい」
贔屓にしていた仕立て屋のマダムの店に立ち寄る。いつもはルテクス家のタウンハウスに呼びつけていたので驚かれたが、レザークが告げた予算から生地をいくつか見せてもらった。
「清楚な白いドレスにしましょう。おまえがどれだけ陰鬱でも、その分わたくしが輝けばいいのだから」
「そういう考え方もできるな」
装飾は最低限にした。それまでとは趣味を変えたシンプルかつ貞淑な装いをすることで、心を入れ替えたことを見た目からアピールする作戦だ。決して予算が足りなかったわけではない。
ドレスの完成は来月になるという。レザークとの婚約が決まってからようやく仕立てられたドレスだ。ベルネ邸に新しいドレスが届くのを楽しみにしながら、メイリーは笑顔で仕立て屋のマダムに別れを告げた。
「そろそろ昼食にしよう。向こうの通りに噴水があって、屋台が出ているはずだ」
「屋台?」
メイリーはきょとんと首を傾げる。屋台での食事なんて、生まれてこのかた経験したこともなかった。
噴水広場の側には軽食の屋台が集まっている。串焼き肉や揚げた魚の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
「お嬢様に歩き食べはできないだろう?」
串焼き肉を買ったレザークは、メイリーを連れて噴水の前のベンチに行く。メイリーは立ったままだ。
「座らないのか?」
「この野ざらしの木の板に、直に座れと言うの?」
「……」
メイリーは曇りなき眼差しでレザークを見つめる。レザークは少し考えて、ベンチにハンカチを敷いた。メイリーは満足してハンカチの上に座る。
「これはどうやって食べればいいのかしら」
「こうやって持って、そのままかぶりつけばいい」
「なんて下品な食べ物なの……!?」
メイリーは躊躇するが、レザークがさも当然のようにかぶりつくものだから、覚悟を決めてえいっと口を開く。やや弾力のある肉だ。濃いタレの味が味蕾を刺激する。
「なぁに、このお肉。タレで臭みや古さをごまかしているだけじゃない。庶民はこのようなものを食べているの?」
「君の口には合わなかったか」
メイリーの酷評にも、レザークは動じない。じっとメイリーを見るだけだ。
「どうしたの?」
「同僚の男……前のパーティーに呼んだハイラから聞いたんだが、この噴水、特定の時間になると水が噴き上がるらしい」
なんとなしに周囲を見渡せば、若い男女が集まっている。
「ちょうど時間になったようだ。ほら」
噴水の縁石に沿って何本もの細い水柱が噴き上がる。太陽の日差しを浴びてキラキラと水滴が散り、周囲から歓声が上がった。水柱が噴き上がった影響か、小さな虹のようなものも見える。
「どうだ?」
「なにが? ルテクス家のカントリーハウスには、もっと豪華な噴水があるわよ?」
「……そうか」
たかが街角の噴水の仕掛け程度で驚くメイリーではない。大した感慨も見せないメイリーは噴水などには目もくれず、まずいまずいと言いながら串焼き肉を完食した。
「難しいな」
無表情のレザークも、串焼き肉を咀嚼する。彼が何を考えているのか、相変わらずメイリーにはわからない。
「レザーク……おまえはもっと怒っていいのよ……。メイリー、頼むからもう何も喋らないでおとなしくしていてちょうだい……」
ベンチの陰では、苦い声でそう呟く魔女が顔を覆って悶えていた。