11 美しい救世主
「レザーク、昨日の話だけれど」
「?」
珍しく玄関でレザークの帰宅を待っていたメイリーは、帰宅したレザークの顔を見ないまま口を開く。
「おまえの給金で買える程度の安物でも、受け取ってあげてもいいわよ。よく考えたら、あまり華美なものをもらっても、口うるさい人に怒られるだけだもの」
「そうか」
レザークは短く返事をして、メイリーの横をすり抜けて食堂に向かう。
「俺は何を選べばいいかわからないから、次の休みに買い物に行くか? それともこの家に商人を呼べばいい?」
「……どうせ商人を呼んだところで、予算がどうので出し渋られるだけだわ。せっかくだし、庶民のように街を歩いてあげてもよくってよ」
「わかった」
ほんの気まぐれの提案を、レザークはあっさり受け入れた。
(平民崩れの男爵の妻になるんですもの。少しずつ慣れていかないといけないわ)
貧乏くさい暮らしはまっぴらだが、そうも言ってはいられない。自分の居場所はここしかないのかもしれないという焦燥が、メイリー自身も気づかないうちに心の奥底でくすぶっていた。
*
「わたくし宛てにお茶会の招待状だなんて、一体何のつもりかしら」
珍しくベルネ邸のポストに新聞以外のものが入っていた。その招待状の差出人は、これまでは派閥が違うからということで交流のなかった侯爵令嬢だ。
お茶会は明後日。急な誘いは、人数合わせのようにも思えた。
「行く必要などないわよ。どうせおまえを吊るし上げて笑いものにしたいだけでしょうから」
「けれど、断ったら逃げたように見えるでしょう」
メイリーはすぐに返事をしたためた。
「見て、本当に来たわ」
「どういう神経をなさっているのかしら……」
お茶会が催されるタウンハウスに着いて五分も経たずに後悔する羽目になったが。
「平民上がりの男爵と婚約したという噂は本当みたいね。あの地味なドレスをごらんになって」
「姉君は王太子殿下とご婚約なさったのに。いくら見た目が可憐でも、中身があれでは……ねぇ?」
少女達がクスクスと言葉を交わす。
少し前までは、メイリーが嗤う側だった。けれど今は嗤われる側だ。令嬢達の中心に立つ強者として君臨していたあの日が遠い昔のことのように思えてきた。
「ねえ、メイリー様。彼女に見覚えがあって?」
挨拶もそこそこに、主催者の令嬢がきつい目つきでメイリーを睨む。彼女の傍らには、おびえて震える少女がいた。
「どなたかしら」
「去年貴方が彼女の手を扇子でぶって、紅茶をこぼさせたこと、もう忘れたのかしら」
「ごめんあそばせ。事故でしたのよ」
「嘘おっしゃい!」
そんなことを言われても、メイリーには心当たりなどないのだから仕方ない。いじめた相手の顔なんて、いちいち覚えていなかった。
「きゃっ!?」
その時、背後から何か熱いものがふりかけられる。
「ごめんあそばせ? 事故ですのよ」
慌てて振り向くと、意地悪く笑う令嬢が空のティーカップをこれ見よがしにつまんでいた。
「大変! 素敵なドレスが汚れてしまったわ。今拭いてあげましょう」
「おやめなさい、この愚か者!」
強引に腕を引っ張られて地に膝をつかせられる。とっさに周囲を見渡すが、誰も手など差し伸べない。それどころか、いじめられるメイリーを、娯楽として消費しているのは明らかだった。
「きゃははっ! 髪にも少しかかってしまったみたいね!」
複数の少女達から取り押さえられ、布巾で乱暴にもみくちゃにされる。
「このっ……! 離しなさい!」
すっかり髪の毛までぐちゃぐちゃだ。メイリーが抵抗すればするほど、少女達はこの残酷な遊戯に夢中になっていくようだった。
「貴方達、何をしているんですか!」
救いの手は、思わぬ方向から現れた。
「大丈夫ですか、レディ」
少女達が気まずげにメイリーから手を放す。
メイリーに近づき、自分の服が土で汚れるのも構わず跪いて手を差し伸べてきたのは、凛々しい顔立ちの美青年だった。彼の姿を認めた瞬間、魔女が泡を吹いて倒れたのだが、誰もそれには気づかない。
「あ、ありがとうございます……」
青年は呆れたように少女達を一瞥すると、メイリーをお姫様抱っこで抱え上げる。
「きゃっ!?」
「お茶会の途中だとお見受けしますが、これ以上参加する必要はないでしょう」
青年はそのままメイリーを連れ出す。少女達の恨みがましい視線がメイリーに注がれていた。
「急に割って入って申し訳ありません。貴方が助けを求めているように見えたので、つい」
「い、いえ。こちらこそ助かりました。あの、あなたは……」
青年の馬車に乗せられたメイリーは、頬を染めて尋ねる。
「怪しい者ではありません。ツァーガ王国から来た、オーディス・レメントと申します。私は祖国では外交官をしておりまして、先日大使に任命されてこの国に来ました」
ツァーガは隣の国の名だ。関係は特別良好なわけではないが、これといって悪いというわけでもない。そういえば先ほどまでいた屋敷の家主である侯爵は、外交関係の職に就いていたはずだから、その関係の用があって訪問していたのだろう。
「そうだったのですね。わたくしはメイリー・ルテクスと申します」
「ルテクスというと、もしや王太子殿下の婚約者殿のご家族でしょうか」
「え、ええ。トゥーフェはわたくしの姉ですわ」
せっかく美男子に助けてもらっていい気分だったのに、異母姉の名前が出てメイリーは顔をしかめる。
その表情を、いじめられていた恐怖がぶりかえしたものだと思ったのか、オーディスは安心させるように微笑んだ。
「王家の縁戚も大変ですね。あのように嫉妬を浴びることになってしまって。貴方のように可憐な人であれば、なおのこと強く妬まれてしまうでしょう」
(この方……わたくしを知らないのね)
メイリーは純然たる被害者ではない。加害者の立場だったのが、転落して被害者に落ちただけだ。だが、それを自業自得とばっさり切り捨てられないことが、甘ったれのメイリーには心地よかった。
「家までお送りしましょう」
そう言われ、メイリーは今の自分の格好を思い出す。髪はぐちゃぐちゃでドレスも汚れてしまった。とても外を歩けるような恰好ではない。
かぁっと頬が熱くなるのを感じながら、メイリーは小声でベルネ邸の住所を伝えた。
「今日は本当にありがとうございました。このお礼は、いつか必ずいたします」
「気になさらないでください。困っている女性を助けるのは、紳士の義務ですから」
オーディスは甘く微笑む。真面目そうな印象とのギャップに、すっかりメイリーの心は撃ち抜かれていた。
(本当ならわたくしは、こういった殿方と結婚できるはずだったのに……)
凛としていてスマートなオーディスに比べれば、レザークなんてカカシもいいところだ。ベルネ邸の門扉の前で馬車から降りたメイリーは、オーディスの馬車が見えなくなるまでぽうっとしながら見送っていた。




