10 うわべだけ
「君に物を贈ろうと思う。何か欲しいものはあるか?」
「どういう風の吹き回し?」
夕食の席でそう言われ、思わずメイリーは眉根を寄せた。まさかこの朴念仁が、自分から女性にプレゼントをするとは考えてもみなかったからだ。
「夫婦になるなら、愛があったほうがいいらしい」
「……一体、誰の受け売りなのかしら」
「王太子殿下と同僚に聞いた」
平坦な声音でそう言われ、何故かわからないが苛立ってくる。
「それで、何が欲しいんだ」
「わたくしを飾るのにふさわしい、一流の職人が作った一点物の宝飾品に決まっているでしょう。おまえの安い給金で手が出るような安物ならいらないわ」
「メイリー! この愚か者! せっかくレザークが歩み寄ってくれているのに、どうしてそこでもっとかわいげのあることが言えないの!」
「冗談じゃないわ! わたくし、馬鹿にされているのよ!? こんな、うわべだけの真似事のどこが歩み寄りなの!?」
魔女と言い合いを始めたメイリーを、レザークが不思議そうに見ている。
「だとしても、本来ならおまえのほうからレザークに歩み寄るのが筋というものでしょう!」
「このわたくしに媚びを売れとでも!? この愚か者!」
「……君は何もかもお見通しなんだな。確かに俺は、誰かを真似ることでしか人らしく振舞えないし……わざと喜んでみせるという行為は、媚びを売ることに該当して……君は、それを望まないのか」
魔女に向けて放った言葉も、レザークからしてみれば自分への言葉にしか聞こえない。
「違うのよレザーク、この愚か者が勝手なことを言っているだけで……!」
魔女が慌ててとりなそうとするが、魔女の存在を認知できるのはメイリーだけだ。彼女の声は、レザークには聞こえない。
「俺が浅はかだったようだ。悪かった。夫になる努力というのは難しいな」
レザークはそれきり口をつぐみ、食事に集中し始めた。魔女の責めるような視線がメイリーに刺さる。
(なによ! まるでわたくしが悪いみたいだわ!)
メイリーもへそを曲げ、ぶすくれながら乱暴にカトラリーを放り投げる。食事の途中だったが、もう食べたくなかった。
「おまえは何が気にくわないの?」
不機嫌さを隠しもしないで寝室に戻ったメイリーを、魔女は冷たく睨みつける。
「全部よ! このわたくしを物で釣ろうだなんて、生意気もいいところだわ!」
「おまえの美貌に目をくらませた愚か者どもが、おまえに花だの宝石だのを貢いでいたときは気をよくして受け取ったのに?」
「ど、どうしてそれを知っているのよ……」
「当ててあげましょう。おまえはレザーク自身の意志で、レザークに跪いてほしいのよ。おまえがこれまで見てきた有象無象の男どもと同じように、レザークからもちやほやされたいの。だって、おまえはそんな関わり方しか知らないのだから」
「……っ」
メイリーの美貌は、ありとあらゆるわがままを叶える魔法の武器だった。メイリーがちょっと泣き真似をしたり、可愛く微笑みかけてみたりすれば、言うことを聞かない男なんていなかったのだ。
しかしレザークにそれは通用しない。いや、もしかしたらもう、誰にも通じなくなっているのかもしれない。メイリーの化けの皮は剥がれたも同然なのだから。
「自分より格下だと思っている男に、形式だけのプレゼントをもらうのが気にくわないのでしょう。彼はおまえの歓心を買いたくて必死なわけではなくて、あくまでも義務を果たしたいだけのようなものなのだから」
魔女の言葉に、メイリーは何も言い返せなかった。聞きたくないと耳をふさいで寝台に倒れこむ。
「メイリー・ルテクス。起きてるか?」
しばらくしてノックの音がした。レザークだ。
「君は俺に、夫になれるよう努力するように言った。だったら君も、妻になれるよう努力するべきなんじゃないか」
「うるさいわね! ここは優しい言葉をかけてわたくしを甘やかすべきでしょう!」
手近にあった枕をドアに向かって思いっきり投げつける。ひょろひょろと軌道を描いた枕は大して飛ぶこともなく、ぼすんと床に落ちた。
*
女心のわからない朴念仁なんてもうどうでもいい。翌日の昼過ぎ、メイリーはシラにドレスの着付けをさせて辻馬車を呼び、街に遊びに行った。向かう先は今話題のオペラが上演されている劇場だ。憂さ晴らしにはちょうどいい。
「ふん。社交界におまえの居場所などないことを、わざわざ確認しに来たのかしら」
魔女の憎まれ口も無視して、メイリーはルテクス家が今期契約しているボックス席につく。
ひそひそささやく声と好奇心交じりの視線を感じたが、ボックス席についてしまえば分厚いカーテンにさえぎられて何も届かなくなった。
(劇の内容は難しくていまいちよくわからないけれど、あの王子役の役者はなかなか美しい顔をしているわね)
ヒロインを翻弄する海賊の正体は、やんごとない事情によって国を追われた王子だ。海賊でありながら王子という二面性のある役を演じるのにふさわしく、ワイルドながら人を惹きつける魅力があった。
「もう気は済んだでしょう。早く家に帰りなさい」
舞台をぼーっと眺めるメイリーを、魔女が不安げな眼差しで見ている。
「どうしておまえに指図されないといけないの。わたくしには、まだ行きたいところがあるのよ」
辻馬車の御者に、次の行き先の住所を告げる。そこはマッキンレー侯爵のタウンハウスで、メイリーが一番の親友だと呼んでいた少女が暮らしている屋敷だった。
「どうかなさったの、メイリー。先ぶれもなしに急にいらっしゃるだなんて」
マッキンレー侯爵令嬢ユニフェは口元に笑みを浮かべていたが、目は笑っていなかった。応接室にどことなく重い空気が流れる。
「久しぶりに会いたくなったの。この前のパーティーに来ていただけなかったから」
「ごめんあそばせ。その日は先約があって。今日もこれから用事があるのよ」
出された紅茶はぬるくて薄い。歓迎されていないことは明白だった。
「お手紙だって何通も送ったのだけれど、ちゃんと届いていたかしら」
「忙しくてあまり目を通せていなかったの」
前は些細なことできゃあきゃあと盛り上がれていたものだが、今はまったく会話が続かなかった。かつての親友との間には、冷たく深い溝がある。
「このようなこと、あなたには言いにくいんだけど」
短いとは言えない沈黙の後、ユニフェはゆっくりと切り出した。
「あなたと親しくしていると、わたくしまで王家の不興を買ってしまうのよ。だから、もうかかわらないでくださるかしら」
「……!」
思わずティーカップに手が伸びる。
「おやめなさいメイリー!」
魔女の声で我に返っていなければ、ユニフェに紅茶をぶちまけていたところだ。
「……そう。それではわたくしは、お暇させていただくわ」
爪が食い込むほど強くこぶしを握り締めて、ユニフェの屋敷を後にする。初めて明確に言われた拒絶の言葉。もう彼女は親友などではない。悔し涙があふれて止まらなかった。
「ルテクス家に行こうというのでしょうけど、おやめなさい」
「どうしてわかるのよ」
御者に次の行き先を告げようとしたメイリーを、魔女がさっと止めた。
「表向きは歓迎されるわ。おまえは両親に、レザークへの不満をぶつけるでしょう。けれど両親は、おまえのことで頭を悩ませている。おまえを王家の人質にするつもりでわざわざ王太子殿下の側近と婚約させたのに、愚かなおまえがちっともそれを理解しないから」
「……」
「家に帰りなさい。ルテクス家ではなく、おまえの新しい家に」
魔女はメイリーの手を取った。しわだらけの骨ばった手が、白魚のようなたおやかな手を包み込む。
「レザークのうわべだけの振る舞いがいやなのであれば、おまえの魅力でレザーク自身の言葉を引き出してみせればいいじゃない。心を持たない王子様を、お姫様の真実の愛で変えるのでしょう? それともおまえは、あの唐変木一人すら虜にできないような冴えない小娘なのかしら」
「馬鹿にしないで!」
メイリーは魔女の手を振り払う。驚いて目を丸くする御者に、メイリーはぶっきらぼうにベルネ邸の住所を告げた。