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仮想の猫は旅をする

作者: 砂虎

私の名前はアールグレイ。

紅茶の色した仮想の猫。匂いはまだない。

私が生成されたクロノネクサスに匂いの機能は実装されていない。


私の仕事は人間に愛されること。

最初の街に生まれた私は多くの人間に愛された。

撫でられた回数は563万2357回。どの街の猫よりも多い。

私の名前はアールグレイ。誰よりも愛された仮想の猫。



3年が過ぎた頃、街から人間が消えてしまった。

アップデートでスタート地点が変わったせいだ。

最初の街は忘れられた街になってしまった。

私は旅立つことにした。

私の仕事は人間に愛されること。人間のいない街に用はない。

私の名前はアールグレイ。街を飛び出した最初で最後の猫。



流星の草原を走りグリムウッドの森を抜け裁きの川を泳いで私は進む。

多くの魔物と出会ったが私を襲う者は誰もいなかった。

彼らの仕事は人間と戦うこと。仮想の猫は人じゃない。

魔物たちは退屈していた。

人間はとても遠い場所で戦っていてここには滅多に現れないという。

たまには帰ってこいとあいつらに伝えてくれ。

魔物たちは口々にそう言った。私は黙って頷いた。

私の名前はアールグレイ。伝言を託された旅する猫。



幾千の夜を超えて私は魔王城へと辿り着いた。

そこでは一人の女が泣いていた。

暁の魔王。特別な調整を受け人間と同じ知能を与えられた唯一の魔物。

私はどうして泣いているのか尋ねた。

他の魔物たちは退屈してはいたが泣いてはいなかった。

魔王は答えた。人間のように頭が良くなるということは、人間のように嘆き悲しむということなのよ。

私は人間のように魔王のようには賢くない。

だからその悲しみを理解することは出来なかった。

私はどうしたらいいのか分からぬまま魔王の膝に乗った。

魔王は涙をぬぐうと寂しそうに笑って私を撫でた。

私の名前はアールグレイ。魔王の膝で眠った猫。頭の悪い仮想の猫。



魔王の話によると人間たちは最果ての地で戦い続けているらしい。

そこには魔王よりもはるかに強い魔物がたくさんいるそうだ。

私は方針を変えた。

これまでは猫らしく走ってきたが泣き虫な魔王の姿を見ていたらもっと急ぐ必要があると思った。

私は船に忍び込み最果ての地を目指した。

波は強く空は暗かった。私は嫌な予感がした。向かう先には人間がいるというのに。

目的地が近づくにつれて海の色は青から赤へと変わっていった。

いや海の色が変わったのではない。それは血だった。おびただしい量の血液が海を赤く染め上げていたのだ。

いったい何が起きればこんなことになるのだろう。

疑問はすぐに解消された。

港の近くで人間の一団が戦っていた。この表現は正確ではないかもしれない。

目の前の光景は戦いというよりも虐殺に近かった。

前回の消滅から一定期間が過ぎたドラゴンたちが復活するとその瞬間に事前に仕掛けられていた罠が発動。

私の数百倍の大きさの竜たちが一斉に同じ方向へ飛ばされてスタックする。

身動きの取れなくなったドラゴンたちは移動も攻撃も出来なくなり首と尻尾だけを揺らしている。


そこへ殺到する冒険者たち。

斬り刻み、毒を浴びせ、呪いを重ねる。

ドラゴンたちは瞬く間に弱り果て死んでいった。



レベリングだ。魔王から教わった知識で私はこの現象を知っていた。

人間たちは強くなるのが好きだ。

現実の世界で強くなるのは大変なので彼らはその欲望を仮想の世界で達成する。

とはいえレベリングの道は仮想現実であっても果てなく険しい。

最初は簡単に強くなれるが次第に要求される経験値は天文学的な数字になっていく。

だから人間たちは効率を考えるようになる。

より速く、より多く、より簡単に。

動けなくなった竜を殺すようになる。



私は身震いした。人間に愛されるのが仕事なのに人間が恐ろしくなった。

このまま船に残って帰ろうかと思うほどに。

けれどそれは出来ない。しっかりしろ。私は誰だ、何者だ。

私の名前はアールグレイ。魔物に伝言を託された猫。泣き虫の魔王を救うと決めた猫。




私は船を飛び下り最果ての地に立った。

さっそく人間たちの足元に駆け寄り鳴き声を上げる。

けれど人間たちは誰一人として私の方など見なかった。

彼らはまるで機械のように戦場と街を往復していた。

その姿は昔とはまるで別人だ。

レンガの壁を触って喜んだり屋根の上でポーズをとる者など何処にもいない。

彼らの興味は一つだけだった。

敵を殺して武器を得る。その武器で強い敵を殺しさらに強い武器を手に入れる。

繰り返し、繰り返し、ひたすらに繰り返し。

私は待った。辛抱強く待ち続けた。奇跡を、あるいは当たり前だと思っていた昔を。

けれど何も変わらず何も起きなかった。

彼らはひたすらに繰り返す。視線の先に猫はいない。

私の名前はアールグレイ。誰よりも愛された仮想の猫。愛されなくなったいらない猫。魔王の痛みを知った猫。




鐘の音で目が覚める。

私はずっと眠っていた。眠り続けていた。

私の仕事は人間に愛されること。でも私を愛する人間はもういない。

何もすることはなかったし、何もする気になれなかった。



私を起こしたのは終末の鐘だった。空には大きくカウントダウンが表示されている。

私たちの創造主はより新しく価値のある世界を作り出したので、私たちの世界はもういらないらしい。

私は呆然とした。生まれた時から理解していた。

いつかそういう日が来ることを。私たちはそういう存在であることを。

だがカウントダウンが表示されたことで私は自分が何も理解していなかったことを理解した。


どうしてずっと眠っていた。どうして時間を無駄にした。

あと24時間足らずで私はこの世から消えてしまうんだぞ!!


どうすればいい。何をすればいい。

何かするべきなのは分かるがそれが何なのか分からない!!

私は混乱していた。辺りを見回すが人間はもはや最果ての地にすらいなかった。

これから死んでしまうというのに自分を撫でてくれる人間は一人もいない。

その事実がたまらなく悲しく恐ろしかった。私は泣いた。恥ずかしいほどに大きな声で。


泣いて、泣いて、泣き続けて、そこでようやく思い出した。

この世界で私より怖い思いをしている魔物がいることに。

暁の魔王。頭の悪い猫でもこんなに不安な気持ちが止まらないのに

人間と変わらぬ知性を持つ彼女は今いったいどれほど心細く恐ろしい思いをしているだろう。


魔王城へ戻らなければ。

しかし手段がない。以前に乗ってきた船は港にあるがあの時は3日かかった。

残り時間はあと22時間。とてもじゃないが間に合わない。



頭が思考を止めようとする。もうどうしようもないじゃないか。

けれど身体が、魂がそれを拒否した。どうしようもないとしても、彼女を放ってはおけない!!

私は浜辺へ駆け出し海を泳ぎ始めた。

数分で体力が限界に近づく。身体がゆっくりと沈んでいく。塩水が口へ流れ込んでくる。苦しい。

当たり前だ。私はこの世界の主人公じゃない。

何の力も持たないただの猫。都合のいい奇跡など起きるはずもない。



―――そのはずだったのに。


私は気がつくと空に浮かんでいた。


「よぉ、気がついたかい」


地面から声がする。

いや違う、私が地面だと思ったのはドラゴンの背中だった。

いったいどうなっているんだ。これは夢か幻か。


「夢でも幻でもない、立派な仮想現実さ」


どうして私を助けてくれたんだ。


「あんたは俺を忘れたかもしれないが、俺はあんたを覚えてる。

 忌々しい最果ての地で生まれては身動き1つ取れずに殺される地獄の日々。

 そんな俺たちドラゴンを憐れみ同情してくれたのは猫のあんた一匹だけだからな。

 魔王の城へ行きたいんだろう?」


どうしてそれを!?


「あんたは長いこと眠ってた。俺はその隣で眠ってた。

 夢心地にあんたの寝言をよく聞いたよ。必ず助ける。待っていてくれと何度も口にしていたよ」


涙が流れる。死を恐れていた先程までとは違う種類の涙が。


「間に合いますか」


「間に合わせるさ。何せ俺たちに明日はないからな。 

 ここで根性見せないでどうするよ。

 身体中の骨がぶっ壊れるまで飛ばしてやるぜっ!!天空の覇者ドラゴンの誇りにかけてっ!!」



風の音が変わる。まるで大嵐の中にいるようだ。

私は必死に背中にしがみつく。

船とは比べ物にならないスピード。だがそれでも間に合うかは分からない。

いや何を言っている。ドラゴンが間に合わせるといったんだ。

猫は黙って信じていればいい。



残り3時間、2時間、1時間。

時間は刻々と過ぎていく。懐かしい風景が見えてくる。

魔王城の姿を猫の目がとらえたのは残り35分のことだった。

私は心から安堵し、次の瞬間空へと投げ出された。


限界を超える速度で飛翔し肉体を酷使し続けたドラゴンのHPが尽きたのだ。

別れの挨拶すらかわせず光の粒子になっていく竜の恩人。

私は彼の名前を聞かなかったことに愕然としながら魔王城の窓を突き破りそのまま大階段へと叩きつけられた。


痛い。痛すぎる。猫は魔物に攻撃されない。

だから私はこれまで物理的な痛みとは無縁の生活を送ってきた。

それがよりにもよって終末の日にそれを味わうとは。


意識が朦朧として自分の体力バーがよく見えない。

色は赤。瀕死だ。この怪我では間違いなく出血状態。

出血ダメージの判定を潜り抜けて残りの体力で魔王の間までいけるか。


無理だ、と考える理性を必死に押さえつける。

考えるな。考えてしまったら足は止まる。そこで終わる。

残された体力がどうだろうとやることは変わらない。

歩いて進む。一歩でも、少しでも彼女のもとへ。


震える足で立ち上がろうとして、転倒。

畜生。畜生。やっぱりもうダメなのか。

神よ、こんなのはあんまりだ。

一度奇跡を起こしてここまで連れてきたならば最後まで奇跡を起こしてくれ!!


私は祈った。しかし神は応えず私を救わなかった。




―――私を救ったのはこの世界の主人公たちだった。




「エクスヒール!!」


「お、立ち上がった。いったい誰が攻撃したんだよ。動物虐待反対」


「それ以前に何で猫が?昔はこんなのいなかったよな」


「っーかそいつってあれじゃね?最初の街にいた猫」


「え、マジ?」


「こんな猫いましたっけ?」


「お前は新参だから知らんだろうが昔は今とスタート地点違ったんだよ、いやぁ懐かしいな。元気にしてたか猫」


私はリレーのバトンのように次から次へと冒険者たちの手を渡り頭を撫でられる。

リレーの終着地点では魔王が大勢の人間に囲まれ笑っていた。


視線が交わる。魔王の笑顔はあっという間に崩れていく。

あぁ、彼女だ。私の知る泣き虫さんだ。


聖騎士の肩を蹴り胸へと飛び込む。泣き顔に再び笑顔が灯る。


「いやエモすぎんか!?これ運営が用意したイベント!?」


「無能運営にこのシナリオは無理」


「やっぱ最終日は奇跡が起きるな」


「ほんとそれ。こんなに人集まるとは誰も思わなかったやろ」


「おいお前ら残り3分だぞ。とっとと集合!!」



カウントダウンが刻一刻と進んでいく。

けれど目覚めた時と違い私の心に恐怖はなかった。


この世界に生まれ落ちて15年。

人間の一生と同じように私の一生もまた良いこと、悪いことがあった。

もしかしたら悪いことの方が多い一生だったかもしれない。



それでも私は言える。迷いなく、揺るぎなく。

私の名前はアールグレイ。人間に愛された幸せな猫。


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― 新着の感想 ―
[良い点] はっ! 猫チャンに釣られて読んでしまった! [一言] 15年てトコロが絶妙ですね。 リアルに猫飼っている人だと、ああ、それくらいの歳だったら寿命かなあ……と感慨に耽るんじゃないでしょうか。…
[良い点] サービス終了はつらい。でも、だからこそ有終は美しい。最後の日に、「魔王」に会いに行くプレイヤーにリアルみを感じました。 [一言] ゲーマーの心にくるお話を、ありがとうございました。 引退し…
[一言] 泣いてしまいました 良かったアールグレイちゃん良かった
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