テイマーじゃないハルの生活
『拝啓、親愛なる兄へ。
凍える冬が過ぎ去り、春の訪れを告げる小鳥の囀りがよく聞こえるようになりました。
まだまだ朝の肌寒さは続きますが、ハル兄におきましてはいかがお過ごしでしょうか。
僕たちは元気です。
病気らしい病気にもかからず、大きな怪我をすることもありませんでした。元気です。
ついこの間、料理に挑戦したルカが小麦粉の粉塵爆発で教室ひとつを吹っ飛ばしかけましたが、罰は居残りの掃除だけで済みました。
相変わらずルカは異常に元気です。
さて、今年も学校が春休みの期間に入り、僕たちもテミス名物春祭りが開かれる前に帰省するつもりだったのですが、どうにも予定が立て込んでしまい帰れるのは春祭りの後になりそうです。
具体的な日程は追って連絡します。
季節の変わり目、体調を崩しやすい時期です。
寝る時は暖かくしてください。
敬具、親愛なる弟、トーヤより』
『春休み始まったからそろそろ帰省しまーす。
ちょっと遅くなりそうだけど。
あったかくして寝てね!
ルカより』
という2通の手紙を受け取った。
さて、弟妹から愛の籠もった手紙を受け取って嬉しくない兄がいようか、いやいまい。
俺の弟と妹、トーヤとルカは双子で、双子の兄がトーヤ、妹のほうがルカである。
二人とも俺の色素が黒い目髪とは違って金髪碧眼の美形である。
兄弟のくせに髪色がぜんぜん違うのは隔世遺伝ってやつだ、多分。
二人は今、王都にある国立バッコス学園というところで教育を受けている。
バッコス学園はこの国有数の規模を誇る学園、そしてその学費の高さも国内トップクラスである。
トーヤとルカの学費を賄っているのは俺だ。
俺達は孤児であったため、金を出してくれる親がいなかった。
だから俺は何処の学校にも行くことが出来なかった。
せっかく異世界転生したんだからワクワク・ドキドキの学園生活の1つや2つ、歩みたかったものだが、まあ仕方あるまい。
せめてトーヤとルカには教育を受けさせてやりたかった俺は、もう今からもう3年前になるか、2人にいろんな学校の門戸を叩かせて行ける学校を探したものだ。
まさか王都のバッコス学園なんて言うエリート中のエリート校に入学するとは思わなかったが…………それだけトーヤもルカも優秀だったということか。
2人が心置きなく学園生活を楽しむためには勿論、金が必要になる。
だから、俺は2人がまだ幼い頃から色んな方法で金を稼いだ。
お陰でトーヤもルカも今や国が誇る学園の一生徒だ。
そんな2人から久しぶりの手紙なんか来てみろ、飛ぶぞ。
というか跳んだ。
テンションが上っちまって、某土管修理業者の赤い親父の如く「ィイヤッフゥ!!」と鳴き声を上げて跳んだ。
お陰でお隣さんのオッサンから「うるせえぞ!」って怒鳴られた。
ごめんて。
そうして俄然やる気がみなぎり、こうして今日も街の東側に広がる森に籠って金目の採集物を探している、というわけだ。
ワクワク気分で鼻歌なんかも歌っちゃう。
「♪〜 ♫〜」
「ンナ゙ー」
鼻歌に合わせてセションするのは、猫の柴三郎。
どうやらお暇だったようで、森に出かける俺についてきた。
御老体に鞭打って森を走り回るその姿はとても十一の歳を経ているとは思えない俊敏さであった。
普段見ることのない植物や虫をの匂いを嗅いで、あるいは口に含み、とても楽しそうである。
あ、待て、今、何食った?
怪しいもんは食べないの、ペッしなさい、ペッ。
「♬〜 ♫♪〜」
「ナ〜、ンミャッ」
柴三郎が俺の鼻歌に合わせて裏メロディを奏でる。
こいつ、やりおる…………!
前世でボイスパーカッションを多少かじっていた血が騒ぐ…………!
高価な素材が生えていないか、目を走らせながらも柴三郎に負けじとボイパでドラムを刻む。
「♪、♫♬」
「ンナ゙ッ、ナッ、ナッ、ナッ」
う、裏拍だと!?
柴三郎、お前一体何処でそんな高等テクニックを…………!
あれか、いつも酒場でつまみを分けてもらってるからか、酒場で流れる音楽に合わせて裏拍を刻むようになったのか。
これは負けてられん…………!
などと柴三郎と真面目にセッションしていると、歩む獣道の前方から数人の冒険者の人影が。
彼らは俺の姿を、猫とセッションする姿を見て立ち止まり、変なものを見てしまった、という顔をした。
俺はセッションを止めた。
柴三郎も黙った。
前から来た冒険者数名も黙った。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
よく見ればその冒険者たちは冒険者協会の建物の中で何度か顔を合わせたことのある知り合いだった。
幼馴染四人でパーティを組んだとかで、今が青春真っ只中、って感じの年齢の少年少女だ。
先輩冒険者として何度か指導をしてやったこともある。
顔はよく覚えていた。
多分、彼らも俺の顔は覚えているだろう。
ただ、モスクのように酒を飲み交わすほど仲がいいわけではなかった。
本気のボイパを聴かせてやるほど仲がいいわけでもなかった。
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………」
何の因果か、俺はこの膠着状態に入って初めて、右手の数メートル先に良いお値段がする薬草が生えていることに気付いた。
さっきまではボイパに集中していたため、気付かなかったのだろう。
鼻歌どころか本気のボイスパーカッションを見られた羞恥心で火を吹きそうな顔を下に向けて、俺は彼らに道を譲った。
「あ…………どもっす」
「…………」
「…………」
「…………」
彼らは良いお値段がする薬草に気づくことなく、獣道をそそくさと去っていった。
その、俺を若干気遣うような態度が心に刺さった。
恥ずかしくて吐きそう。
彼らのおかげでその存在に気付けた薬草を採取しつつ、俺は誓った。
金剛臨在、俺は森の中で鼻歌なんか歌わないし、ましてボイパなんか絶対にしない。
絶対に。
■ ■ ■
とてもいい天気だ。
昼過ぎで気温は適度に高く、だが暑すぎもせず、森の中にもかかわらず湿度は低く過ごしやすい。
きっと雲ひとつない青空が広がっているのだろう。
が、見上げても青空は見えない。
森の奥の方に進んだ今、視界にあるのはただ鬱蒼とした森と、鬱蒼とした茂みを形成する草と草、そしてあちらこちらに虫と小動物。
ほんの時々、大型の動物か魔物の足跡が見つかる。
ひざまづいて足跡を検分する。
森の中を流れる小川の川辺、土のぬかるんだ場所に、5本指の大きな足跡。
30センチに及ぼうかというほど巨大なその跡は、それを残した存在の巨大さをも表している。
熊だ。
それもかなりデカい熊。
柴三郎が足跡の匂いを嗅ぎ、不安そうにこちらを見上げる。
これの持ち主が熊であることを、巨体を持つ危険なヤツであることを察しているのだろうか。
「大丈夫だよ、柴三郎。熊の方だって俺たちと会いたがってるわけじゃないから、探しでもしない限りは出くわさないよ」
そう、熊だって人間と会いたがっている訳ではない。
熊といえば、山を降りて人里を襲うイメージが強いだろう。
日本じゃ毎年のようにニュースになってたしな。
だが、人里に降りてくる熊というのは少数派で、大抵の熊はおとなしく山にこもっているものだ。
人里に降りてくるのは、人間の開発によって森で食料が得られなくなったり、すみかを失ったりした熊だけ。
だからこそ、解せない。
「どうしてこんな、街の近くに熊が…………しかもこんなに大きい個体が…………」
街の近くは冒険者がよくうろついているから、いつもなら、熊なんかはもっと森の奥の方に住んでいるはずだ。
こんなに街に近い場所で足跡が見つかるなんてあり得ない。
森の奥で何か、食料がごっそりと減るような事件でもあったのか。
しかも、異変はそれだけではない。
川辺に生える植物のその葉に、何やら赤黒い液体が付着している。
鼻を近づけ匂いを嗅ぐと、鉄臭さが鼻を突く。
もう明らかに血液。
それが人の物か、熊の物かは、俺の嗅覚では判別がつかなかった。
「という訳で、柴三郎、出番だ。嗅げ!」
俺の嗅覚では判別がつかん。
しかし猫の嗅覚ならどうかな!
俺の固有魔術は、俺の眷属と俺の五感を共有させる。
よって眷属である柴三郎が嗅いだ匂いは俺の鼻にも届く!
固有魔術を通して柴三郎の嗅覚に集中する。
「クンクン」
「んー…………分からん!」
柴三郎の嗅覚を持ってしても、その血液が人の物か熊の物かは分からなかった。
そりゃそうか。
俺、熊の血なんかじっくり見たことも嗅いだこともなかったわ。
多少目にしたことはあったかもしれないけど、流石に匂いは覚えてないなぁ。
そもそも人と熊とで血の匂いって変わるんだろうか。
どっちもそう変わらないと思う。
因みに。
俺の言う「熊」は二種類ある。
まずは普通の熊。
日本にもいたようなタイプの熊。
もう一つは普通じゃない熊。
いわゆる「魔物」と呼ばれるタイプの魔物。
魔物と動物には決定的な差がある。
まず1つ、魔物の肉は食えない。
どんなに上手く血抜きをして美味しく調理しても、絶対に。
普通の熊の肉もあまり美味しくはないが、魔物の肉の味は食用のそれとかけ離れすぎている。
口に含んだ途端広がるのは猛烈な苦味・えぐ味・腐臭のトリオ、お残し厳禁の精神を持ってしても吐き出すこと必至のゲテモノ。
なんでこんなに詳しいかって?
食ったことがあるからだよ。
昔どうしてもお腹が減ってしまって、でも食べるものは魔物肉しかないという状況に陥った。
食ったのは熊ではなく鳥の魔物だったが、どの魔物でも不味いのは一緒、口に含んだことを死ぬほど後悔させる味だった。
日本人のお残し厳禁の精神を持ってしても無理だった。
八百万の神にごめんなさいした。
魔物の特徴二つ目。
普通の動物よりも図体がデカく、運動能力が高い。
そして、魔力を使いこなす種も存在する。
このため普通の動物よりも討伐の難易度が高くなる。
冒険者が「討伐だー!」と言って狩りに行くのは大抵は魔物だ。
町村の人々も普通の動物だったら、倒すこともできる。
村や街の人々が匙を投げた魔物を討伐させるために、人々は冒険者協会に依頼を出す。
必然、冒険者どもが相手をするのは魔物ばかり、というわけだ。
魔物の特徴三つ目。
魔物は死んだ後、この世に呪いを残す。
魔物の死体を放置すると、死体からどろりとした黒色の粘性のある液体が滲み出てくる。
それはまるで生き物のように周囲を腐食し、毒を撒き散らし、死を与える。
この黒い液体は、汚泥と呼ばれている。
もちろん普通の動物は死んでも汚泥を発生しない。
死して汚泥を生み出す生き物を魔物と呼んでいるのだ。
この汚泥が魔物肉の異常な味の原因だとか言われているが、真相は定かではない。
因みに俺が汚泥のことを知ったのは、例の鳥の魔物を試食した後だった。
のちに汚泥のことを学んで、ああ、毒ならあの味にも納得だ、と思ったものだ。
汚泥のことを知っていたら、鳥の魔物なんか口にしなかったと思う。
閑話休題。
森に熊がいようと、出くわす可能性は低い。
なぜなら熊の方も、俺たち人間と出会いたいとは思っていないから。
俺と柴三郎は気にせず進むことにした。
金目の採取物を探し求め、森をさまよい歩き。
まあ多分大丈夫だろ! の精神で。
なんか珍しい物は、高く売れる物はないかと目を走らせながら歩む。
同時に、今日の晩飯になる小動物も探す。
背中に背負うのは短弓と矢筒。
小鳥なんかが居たらいいな。
骨ごとカリカリに焼いて食うのが美味いのだ。
血抜きをしても血管内に残る多少の血液がいい塩味を出すのだ。
それより大きいサイズの鳥だったらちゃんと血抜きをして、解体もして、タレをつけて部位ごとに頂く。
「付き合ってくれたお礼に、なんか獲れたらお前にも分けてやるからな」
「ミャー」
俺がそう言うと柴三郎は気合を入れて周囲の匂いを嗅ぎ始めた。
さて。
多分、きっと、おそらく、メイビー。
こういう曖昧な言葉を、世の人々はフラグと言う。
そしてフラグというのは回収されて然るべき物なのだ。
のっそりと。
そんな形容詞が似合う緩慢な四足歩行で、それは現れた。
緑の体毛、巨大な体躯、額に生える特徴的な角。
よく見ればその肩には折れた矢が刺さっている。
歯軋りをするような視線が俺に刺さる。
こちらを睨むその眼差しは怒りに満ち溢れており、口元には何の血なのか、乾いて赤黒くなった何かが毛にこびりついている。
森林熊。
単体の討伐の難易度がA級に分類される魔物だ。
野生にしては珍しく回復魔法を使いこなし、多少の怪我なら時間を掛ければ治してしまう。
肩に刺さった矢も、すでに再生された皮膚に埋まっているようだ。
ゆらりと、熊が立ち上がる。
先程まで同じ高さにあった目線が、熊の頭部が上方に移動するごとに水平でなくなる。
「おー、おー、デカいなぁ。あの足跡の主はお前か」
立ち上がった熊の大きさは、二メートル半と言ったところか。
熊は腹を空かせているのか、二メートルの高さから一筋、よだれが垂れる。
そしてそのまま____二足歩行で突っ込んできた。
この間およそ五秒。
判断が早い!
「まあ待て落ち着け、ちょっと待てよ!」
柴三郎を適当に後ろに放り投げ、熊の右手から繰り出される引っ掻き攻撃____引っ掻きと可愛く言っても、当たりどころが悪ければ即死級の攻撃____を避けるべく上方に跳び、木の枝に掴まる。
ついさっきまで俺がいた場所に、殺意たっぷりの斬撃が降る。
風切りの音がよく響く。
獣の目は血走り、唾液は飛び散り、恐ろしいほどの気迫が感じられる。
森林熊はA級の魔物。
で、俺はA級の冒険者。
では俺はソロで森林熊を倒せるかというと、そうは限らない。
そもそも冒険者協会が定める魔物・冒険者の階級の目安は、三人以上の冒険者で同階級の魔物を「比較的安全に確実に」討伐できる、というもの。
この「比較的安全に確実に」というのがネックで、ソロの冒険者はどうなのかとか、三人のパーティの編成はどうなのかとかは定められていない。
B級冒険者を三人集めてもB級の魔物に負けることはあるし、逆にC級の冒険者が一人でB級を倒しちゃうこともある。
そして冒険者協会は、基本的に俺のようなソロの冒険者のことを考慮していない。
よって…………俺はこの森林熊を倒せない可能性が高い!
そもそも森林熊はA級の魔物。
A級の魔物は厄災と呼ばれるほどの階級であり、そも一人で討伐を志すような相手ではない。
街中に侵入を許せば即ち街の壊滅を意味し、ほぼ全ての冒険者がそれに出くわすことは死を意味する。
そしてそれは俺も例外ではない。
「待って待ってちょちょ待て待てやこのタコ! いやクマ!」
メリメリミキミキと不穏な音を立て、巨木が割れる。
縦に、横に、その師管道管の向きを無視して砕け、折れ、軋み、倒れる。
俺を追って木々の隙間を縫うように超速で移動する熊。
同じく超速で、でも熊と違って死ぬ気で逃げ回る俺。
逃げる方向は森の奥。
テミスの街から離れるように走って走って、走りまくる。
街を破壊させるわけにはいかない。
ほんとなら今すぐにでも街に逃げ帰って家の中で引き篭もりたい。
家の中で柴三郎と一緒にゆっくり酒でも嗜みたい。
でも熊を引き離せないから無理!
戯れに短弓で矢を放つ。
当たり前のように前脚の毛皮で弾かれる。
硬い。
この弓だって、普通の弓よりも堅い特注の短弓なんだけどなぁ!
毛皮は厚く肉は硬く、並大抵の攻撃で熊の迎撃に回るのは悪手。
しかし走ることに全力を尽くしたとしても走力は互角、森の中ということを考えれば森に慣れている熊の方に旗が上がるだろう。
正面切って戦うのは論外。
勇敢と無謀は違う、俺はその節目をよく弁えている。
以上を踏まえて俺は適当な投石やら射撃やらを交えて走り回っている訳だ。
狙うは目ん玉、唯一の肌剥き出しの箇所。
しかし俺が目玉を狙うのは熊もよく分かっているのだろう。
目を守るように前脚を掲げ、石も矢も防がれる。
運よく多少のダメージが入っても意味はない。
額の角が青く光り、同時に血の流れ出ていた箇所も青く光り、傷が塞がる。
手詰まり。
生半可な火力では足止めにもならない。
まともにダメージを与えようとなると格闘家の名にかけて全力パンチをぶち込むくらいしかないが、しかし足を止めれば多分すぐに首が飛ぶ。
「ぴょえっ!」
熊の投げた石、いや岩が耳元をかすめる。
魔物の腕力で投げられた人の頭部ほどもあるそれが直撃すれば軽く死ぬる。
この野郎(女郎?)、俺の投石を見て学習してやがる。
Q.この状況、一体どうしましょう
A.どうしようもない
以上完結自己論破、手も足も出ず策も出ず。
万策尽きてただ走り、いやそもそも策なんてなかったんだけど。
このまま走って逃げるしかないのか?
いつか追いつかれて死ぬのが末路じゃないか?
いやいやまだ死にたくない。
まだ前世から通算して年齢=彼女いない歴だしまだトーヤとルカの花嫁衣装花婿衣装も見てないし家の地下には五十年もののワインが手をつけてないまま残ってるし。
仕事ばっかりで娯楽を楽しむ余裕もほとんど無かったし柴三郎の世話は誰がすんのって話だしトーヤとルカの帰る家を無くすわけにはいかないしまだアリゲスの顔面殴って無い!
待ってくれ走馬灯よ流れるな、死亡フラグを立てるな!
ああ懐かしいなあれは幼い頃にパン屋でバイトした時のこと接客してたら客に理不尽に怒鳴られて裏方に回されたっけ!
あれは家の壁に落書きをされたヤツだな油性で中々落ちなかった!
あ、あれは____!
モスクのハゲツルピカピカ頭…………!
モスク(の幻覚)が口を開き_____
『なんだハル、お前、熊にも勝てないのか。弱っちいな』
____って言われてる気がする…………!
なんかムカつく…………!
そうだまだ俺は死ねない死にたくない!
死んでたまるか気合いを入れろ!
走馬灯を振り切り意識を目の前の惨状に向ける。
依然として熊は背後に迫っており、引き離すことは叶わない。
だが、熊は目に見えて息を荒くしており体力はそれなりに消耗していることが分かる。
今の十数分の追いかけっこで疲弊したとは思えないのでおそらく、俺がこの熊に遭遇する前に何者かがこの熊と激しい戦闘あるいは長めの追いかけっこをしていたのだろう。
体力切れを狙って逃げるのもいいがしかし____
『なんだハル、お前、熊にも(略)』
____ムカつく!
やるなら徹底的にボコす!
この熊はこの場で殺す!
熊が人間の味を覚えてしまえば最後、たびたび街の近くに現れるようになるだろう。
熊の口元の乾いた血!
あれが人の物か何の物かは知らないが、この熊の怒り具合からして二足歩行の道具を使う生き物つまり人間に相当な恨みを抱いていることは分かる。
今後のテミスの街の平穏のために、そして俺の名誉のために、死ね!
人間は感情の生き物である。
そして冒険者は栄誉と名誉を追い求め、魔物を狩り階級に執着する獣である。
そしてそれは俺も例外ではない。
「今日は熊鍋だ、喜べ柴三郎!」
■ ■ ■
森林熊は怒っていた。
天敵のいない深い森の中でどんぐりをつまみ鳥獣を食いキノコと戯れる、そんな暮らしを謳歌していた。
ただそんな平和で自然の暮らしを送っていただけなのに、憎たらしい二足歩行の生き物たちが自分たちの縄張りを荒らしにやってきた。
自分がいない間に仔を殺し死体を嬲り、自分の家族を奪った。
許さない。
絶対に、この手で掴み潰し挽肉になるまで噛み砕き、報復を果たす。
幸いなことにその熊にはそれを為すだけの力があり、二足歩行の生き物たちはそれを拒む力を持たなかった。
匂いを消すことも知らないその動物たちの跡は容易に辿れた。
森を駆け痕跡を探し怒りに任せて長い距離を走った。
日が落ち上り、暗くなり明るくなるその巡りを一つ越す頃に、追いついた。
家族を襲った二足歩行の生き物の群れに襲い掛かり、臭い、臭いその生き物たちのボスを殴り飛ばしたところで、そいつらは逃げ姿を消した。
だが____熊の怒りは収まらなかった。
鼻を高く掲げ匂いを探る。
すると、自分たちを襲った生き物と似たような匂いが、漂ってきた。
今度は逃がさない。
気配を消し忍びより、目の前に現れてやった。
その生き物は____今度は一人で____先程まで追っていた動物たちも自分に放った、細長い尖った木の棒を投げた。
やはり敵だった____熊は逃げ出したそれを追いかけた。
■ ■ ■
ぐるりと大きく円を描くように、逃走の経路を変えた。
目的地は先程、熊の足跡を見つけた小川。
その川辺のぬかるんだ場所。
そこまで逃げれば勝機が、多少は出てくる。
今のままでは反撃の契機も掴めぬまま終わる。
木の枝を掴んで飛び移り、猿のように飛び回る。
あの熊の巨体では木登りは難しいのだろう、高さを稼げば少しは距離ができる。
かといって一つの木に留まろうとすれば熊はその木を薙ぎ倒してしまう。
どちらにせよ移動を続けるしかない。
目的地に、地面のぬかるんだ川辺まで来た。
そこで俺は先程までと同じように、木々を伝って川を越える。
熊も俺を追いかけるが____しかし、泥に足を取られ、勢い余って転倒。
多少スピードが緩む程度を期待していたが、転倒までしてくれるとは、運がいい。
少しひらけた場所に降り立ち、弓に矢をつがえる。
右手には弦だけでなく、小型のナイフも握る。
転倒しても、熊はすぐに立ち上がる。
姿勢を戻して、目標を俺に据え直す。
ようやく降りてきたかと、その顔に笑みを浮かべるように唇を歪める。
笑みではなく威嚇かもしれないが。
唾液を振り散らし、こちらに突進を仕掛けてくる。
地を踏みしめる四肢は重く、湿った土はその形に抉れる。
十メートル____俺はまだ矢を放たない。
熊と俺との間に遮蔽物は何もなく、熊は小細工不要とばかりに直線状に突き進む。
七メートル____まだ。
まだ引き寄せる。
あと少しだけ引きつける。
熊は俺の弓を警戒している。
当たり前だ、これまでの逃避行で何度も何度も矢を放った。
この矢が、当たりどころによっては熊にも痛みを与えうる攻撃になると、熊も理解しているのだ。
残り五、四、三、今!
タイミングを見極め、矢を放つ。
狙うはもちろん眼球、唯一毛皮に覆われていない箇所。
そして熊も、守る場所は眼球。
何度も何度も狙ってきた場所。
当然今回もそこを狙うだろうと、理解しているのだ。
右前脚を掲げて、矢を弾く。
そして同時に、俺を見る視線も遮られる。
そこを突く。
俺の体が熊の視界から外れた僅かな時間で、一歩踏み込み、熊の懐に潜り込む。
俺は格闘家、本気でダメージを与えるなら地に足つけての全力パンチ。
左手の弓を放り捨て、左拳を握りしめ、全力で熊のあごを下から殴りつける。
熊の巨体が、インパクトの瞬間止まり、大きくのけぞる。
熊のスピードは相変わらず早く、その分運動エネルギーも大きかった。
そのエネルギーの全てが顎に加わり、熊の脳は揺れ、首の骨は軋み、悶絶するような痛みが走る。
だが、これだけではまだ死なない。
殺しきれない。
大きくのけぞったその体に、肋骨の下、遮る骨のない腹部に、右手のナイフを全力で突き刺す。
手入れを欠かさなかったナイフの刃は多少の抵抗感と共に熊の体内に突き刺さり、柄も、ナイフを掴む俺の腕も、熊の体に入り込む。
肩まで熊の体内に入れて、ナイフを体内でぐるりと回す。
胃腸を肝臓を腎臓を呼吸器を傷つけ、生暖かい血が俺の右腕を濡らし、熊が咳き込み口から血が吐き出される。
熊の驚愕の感情を浮かべた瞳が、懐に飛び込んだ俺を、捉える。
「よっこいしょぉ!」
熊の体内でナイフを逆手に持ち替えて、手を引き抜き、同時に多数の臓腑を腹から引き摺り出す。
太く長い腸か何かが体外にはみ出て、同時に傷口からは大量の血液がこぼれ落ちる。
熊の体を蹴り飛ばして後方に跳び、距離を取る。
「やったか!?」
やったか、は死亡フラグ、という言葉が頭をよぎった。
開いた距離をひとっ飛びに詰め、臓腑を腹からはみ出させた重体のくせに、熊は俺を殺してやろうとその右腕を振るった。
子を守る獣は恐ろしい。
死にかけの獣はもっと恐ろしい。
咄嗟に両手でその打撃を受けたものの、俺の小さな体では受け止め切ることができず、後方に大きく飛ばされる。
「ほぐえぇっ!」
何度か後転をしつつも何とか受け身を取り、急いで体勢を正す。
熊は、俺に追撃を加えることはなく、俺を殴り飛ばしたその場で立ち止まり、こちらを睨んでいた。
内臓は傷口からだらりと垂れ、口からは血を吐き、あごを殴って脳を揺らしたというのに、なんという生命力か。
だが先程の打撃も明らかに動きの精彩を欠いていた。
俺が殴られたのにも関わらず大した怪我もなく生き延びているのがいい証拠。
回復魔法を使われるか、とも思ったが、額の角は光を纏わず、腹の傷口も閉じる気配がない。
荒い息をするその口からは剥き出された歯が覗き、俺を威嚇する姿勢に迷いはない。
が、追撃を加えるほどの力も出せないのだろう。
こちらを睨むばかりで手は出してこない。
俺も、無闇に手を出しはしない。
こちらから近づいて殺されるなんて、そんな馬鹿な目には会いたくない。
不意を突く作戦が上手く行ったのは奇跡に近い。
あんな、作戦とも言えないような粗雑な戦いで、パワーの押し切りで熊を殺せたのは作戦と幸運がうまく噛み合わさったからだ。
熊をしばらく見ていたが、回復魔法を使う様子もない。
腹から口から血を出しながらも地面を踏みしめるその姿はまさに森の王者であり、人間から厄災と呼ばれるに値する気概であった。
しばし睨み合った後、熊は力尽きたように倒れ伏した。
白目をむき、舌をだらりと垂れ下がらせた熊は、息をしていなかった。
■ ■ ■
柴三郎と共に冒険者協会に戻った俺を迎えたのは、泥だらけの服と血だらけの右腕を心配する受付嬢の美声だった。
泥だらけなのは森の中を駆け回ったから。
血だらけなのは熊に右手を引っ掻かれたからだ。
最後、熊に殴られた際に爪が俺の腕を切り、肉を傷つけたことによって出血した。
とはいえ止血もしたしそこまで深い傷でもないから、感染症に気をつければ死に至るようなことはあるまい。
しかし服装が泥に汚れたのはいただけない。
この泥は落ちるだろうか、なんだか妙に臭うのだが、まさか何かの糞でも付いているのだろうか。
「は、ハルさん、大丈夫ですか!? 血、血が滴って、キャー!」
甲高い悲鳴が響く。
言っておくが血は滴っていない。
おそらく泥か何かが水と一緒に落ちただけだろう。
冒険者協会の床を汚すことになるのは申し訳ないが、俺にはまだ新鮮なうちに熊の毛皮を売りさばくという仕事が残っているので容赦してほしい。
森林熊の毛皮を受付のカウンターに投げる。
熊の腸を掻き回したナイフは刃こぼれしていた。
お陰で熊の毛皮は剥ぎづらくまだ熊の肉の欠片が付いていたり、ところどころ破けていたりしているが、なんてったってA級の魔物の毛皮だ、たいそう高く売れることだろう。
冒険者協会は冒険者が討伐した魔物の素材の買い取りも行っている。
他の業種の人間とコネクションのある冒険者だったら協会を通さずに素材を必要とする職種の人間に売り渡せばいいが、しかし大半の冒険者はコネクションなど持ち合わせていない。
だから冒険者協会が冒険者から素材を買い取り、素材を必要とする業種の人間に売ってやるのだ。
便利な制度だが、仲介するという形式上どうしても仲介手数料が必要になり、冒険者協会を通さずに売り払ったときの値段よりは安くなってしまう傾向がある。
だからこの毛皮も、できることなら縫製業の人間とか防具職人とかに売りつけられれば良かったんだが、プロに売るにしては熊の毛皮は傷つきすぎてしまった。
冒険者協会なら多少値は安くなるがどんな状態のものでも買い取ってくれるし、ここで売ろうと決めたわけだ。
「売却」
端的にそう伝えると、悲鳴を上げていた受付嬢は自身の仕事を思い出してカウンターの奥に戻った。
先程まで俺の顔を心配して覗き込んでいた美形の顔面が離れ、俺はちょっと安心した。
心配してくれるのはありがたいが、あまりに美形の顔が近くにあるとどうにも落ち着かない。
陰キャの俺にとって美女のフェイスは燻煙剤みたいなものだから、近づきすぎると重大な症状を引き起こす可能性があるのだ。
例えば吃音とか。
「ええと、売却ですね、かしこまりました。これは…………何の毛皮でしょうか?」
「森林熊」
「はい分かりました、森林熊の毛皮ですね。は? 森林熊?」
ふとポケットに入れっぱなしにしていた角を思い出し、これも追加で、とカウンターに差し出す。
森林熊が魔法を使うときに光っていたし、多分錬金術師とか魔法使いとかにとって何かしら有用なんじゃないだろうか。
俺は魔法使いでも錬金術師でもないから知らないが。
「フォレスト…………え、あれ、え? おかしいな、私の目が狂って…………いやこの角は…………」
受付嬢がうろたえている。
そうだろうそうだろう。
A級の魔物の素材なんて一生でそう何度もお目にかかれる代物じゃない。
A級の魔物を討伐しようという無謀なやつはこの世にどれほどいるだろうか、ましてその中で本当に討伐できてしまうやつはもっと少ないだろう。
しかし俺はそれを為してしまう稀有な存在!
うろたえる受付嬢の後ろから、別の受付嬢が顔をのぞかせる。
「どうしたの?」
「あ、センパイ、これ…………」
「? どれどれ見せて…………え? これ、は、フォレッ!!??」
先程の受付嬢よりも大きく驚いている。
そうだろうそうだろう。
A級の魔物の(以下略)。
自己満足に酔いしれていると、顔をのぞかせた方の受付嬢が慌ただしく建物の奥の方に引っ込んでしまった。
かと思えば、この協会の支部の支部長____実質、街の冒険者を統括するリーダーみたいなもの____を連れて戻ってきた。
ちなみにこの支部長は併設されている酒場の店主でもある。
俺とモスクに「悪魔憑き」の依頼をした店主、オッサンだ。
「んな、本当に…………本当にフォレストベアじゃねえか! しかも相当デカいな。まさか俺の目が白いうちに見れるとは思わなかった!」
そうだろうそうだろう(以下略)。
支部長の大声を聞きつけ、酒場で呑んでいた冒険者共が野次馬精神を発揮して近寄ってきた。
「あれ、フォレストベア? 確かA級の魔物だろ?」
「A級って、厄災じゃん! 毛皮の状態で見れるなんて、驚きだなぁ」
「あ、あれって勇者パーティのハルじゃねえか。さすが勇者パーティ、A級の魔物を倒しちまうなんて」
「あれ、でも最近勇者パーティって不調なんじゃなかったっけ? 昨日か一昨日かに森の中で怪我して逃げ帰ってきたとか」
「さすがA級冒険者だな…………」
「すげぇ…………本物だ…………」
そうだろうそうd(以下略)。
あ、そうだ。
俺は群衆のざわめきに負けないよう、少し声を張り上げて支部長に問いかける。
「支部長」
「あ? なんだ?」
「俺以外に、このフォレストベアを討伐しようとした冒険者を知らない?」
そもそも俺は森林熊を狙って森に入ったわけではない。
たまたまエンカウントしちゃったから戦闘になったが、元はと言えばこの熊を森の奥から引っ張ってきたバカが居るはずだ。
「あ、それ、俺たちかもっす」
背後から声がかかる。
振り向けばなんと、森の中で俺の全力ラップを盗み聞きした後輩たちではないか。
確か彼らはまだC級冒険者だったはずだ。
身の丈に合わない依頼は受けるなとあれほど教えたのに…………。
話を聞けば、何やら彼らが熊を引っ張ってきた犯人というわけではないらしい。
いつものように「身の丈に合った」魔物を討伐しようと森に入り、しばらく歩いたところで彼らも不意に森林熊にエンカウントしたのだとか。
いつもだったら熊なんかいない場所で熊、しかも森林熊とか言う厄災と運命の出会いを果たし、彼らも相当驚いたらしい。
で、熊が襲いかかってきて何度か迎撃を試みるも上手くいかず、転移魔法の込められた魔導具を使って距離を取り、急いで冒険者協会に戻ってきたんだとか。
熊の肩に刺さっていた矢は、彼らが放ったものらしい。
心底驚いた。
だって、俺が放った矢は毛皮に弾かれて、文字通りかすり傷一つもつけることができなかったから。
アーチャーの少女を見る。
彼女は、自分が矢を放ってフォレストベアに傷をつけたのだと、心なしか誇らしげに話してみせた。
厄災などと言われるA級の魔物に傷をつけたのだ、誇っていいことだろう。
俺も、陰キャのコミュ症なりに言葉少なく「よくやったな」と伝えた。
アーチャーの少女は俺に褒められて、恥ずかしそうに俯いた。
あら可愛い。
しかし、そうなると森の奥の奥で熊にちょっかいを掛け、テミスの街の手前まで熊をおびき出したのは一体誰だ、という話になる。
が、ここで支部長のオッサンが有益情報を提供してくれた。
勇者パーティが____俺を追放したアリゲスたちが____三日ほど前に、まさにこのフォレストベアを討伐しようと森の中に遠征しに行ったんだとか。
支部長のオッサンは当然、厄災たるA級の魔物の危険度を重々理解していたからアリゲスたちを止めようとしたが、勇者パーティは「俺等勇者だから大丈夫! 凱旋を楽しみに待ってろよな!」と言って聞かなかったらしい。
なんて馬鹿なことを…………本当に馬鹿な…………そんなバナナ…………。
で、予想通り一昨日、顔面を引き裂かれたアリゲスとぼろぼろなその仲間たちが帰ってきたんだって。
「ん? ハルさん、あんたも勇者パーティの一員だろ? パーティメンバーの動向ぐらい知ってたんじゃないのか?」
後方の冒険者が口を挟む。
おそらく彼は、俺が勇者パーティを首になったことを知らないのだろう。
しかし敢えて「クビになったヨ!」と教えてやる義理はない。
っていうかそんなこと恥ずかしくて言えない。
「A級冒険者も落ちぶれたな」なんて言われたくないし。
そもそも人と喋るのは俺にとってはハードタスク、まして今話しかけてきた冒険者はまじで見知らぬ赤の他人だし、今こうして長時間、受付嬢、支部長、C級冒険者パーティと続けて会話をしてるのも結構キツイ。
よって後方の冒険者の問いかけは無視させてもらおう。
と、そう決めたのに。
「ああ、こいつならクビになったってよ。勇者パーティの、アリゲス?って言ったか、ハルは要らなーいって放り出したらしい」
「ええ!?」
「ソーナノ!?」
「マジかよ!」
支部長…………あんた、紛いなりにも人の個人情報をペラペラと…………!
後方の冒険者共が驚きの声を上げる。
そうだろう、そうだろう。
アリゲス率いる勇者パーティはB級。
俺は個人でA級。
なぜアリゲスが俺を追い出したのか、傍から見れば全く分からないはずだ。
実際は、アリゲスが俺のことをテイマーだと勘違いし、俺にはそれを訂正するコミュ力がなかったという、俺のディスコミュニケーションが唯一にして無二の原因なのだが…………。
いや、アリゲスの方にも、原因はあるか。
あいつはどうにも、異世界ムフフのハーレムパーティを作りたがっていたようだった。
王都から一緒に連れてきた戦士のサンドラ、僧侶のクレアは相当な美形でしかも(ナニがとは言わんが)大きいし、このテミスの街にやって来てから勧誘した魔法使いのヴィネだって、まだ年相応の大きさのモノしか持っていないが顔はかなりいい部類だろう。
俺も、ほら、無口でクール系の(見た目だけは)美少女と言えるくらいの顔面だけは持ってるし。
きっと新しくパーティメンバーにするって言うテイマーも美人なんだろうな…………。
で、アリゲスもとい津田二郎は異世界に転移してテンション上がっちゃったんだろうな、たくさん美人侍らせて…………おそらくそのハイテンションが転移してから今までずーっと継続しているのだろう。
でなきゃハーレムパーティの作成なんてことしなかっただろうに。
後から沢山の修羅場が発生するぞ、ハーレムなんて。
ハーレム作って平和な日常でいられるのは理想的な物語の中だけよ、目を覚まして津田二郎くん…………!
いつか絶対刺されるんだから…………!
____そのハーレムパーティには、アリゲスに惚れない女はいらないのだろう。
アリゲスが俺に色目を使ったこともしばしばあったが、当然俺は可愛い女の子が好きなのでアリゲスに靡くということは無かった。
俺に男色の気はない。
よってアリゲスから見た俺は、散々惚れさせようと努力しても全く靡かない謎の堅物無口怪人と化していたことだろう。
ハーレム要員にならない女(実は男)に興味は無いのか、俺は無事追放された。
それだけが追放の原因というわけでは無いだろうが、それも大きな原因の一つだろう。
しかし津田二郎くんがハーレムなんて言うものを目指してしまったのも詮無きこと。
だって勇者としてこの世界にお呼ばれして自分にはとってもお強い固有魔術が女神から授けられてしかも望めば美人が仲間になる(手に入る)環境があったら、日本で夢に見たハーレムを作りたくもなるものだろう。
俺だったら陰キャすぎてハーレム作ろうなんて思いもしない、っていうか出来ないと思うけど。
っと、そうだ。
「支部長、支部長」
「何だ、ハル?」
「人払いして」
支部長は、一瞬疑問に思った様子だったが、すぐに、「おらお前ら、野次馬してないで散れ、散れ!」と冒険者たちを追い払ってくれた。
受付嬢にも一旦席を外してもらい、支部長と二人きりになる。
「支部長、この前の依頼の話だけど」
「ああ。シリルのことか。どうだった、クラリスは元気だったか」
「うん」
ざっくりとこの前の突撃で分かったことを説明する。
シリルくんは麻薬に手を出していること、それが性格が豹変した原因であること、そしてクラリスさんにはまだそれを秘密にしていること。
支部長は眉を潜めて話を聞いていた。
自分の甥が犯罪者だった、というのはやはり衝撃的だったようで深刻な表情を浮かべている。
支部長の妹、クラリスさんが嫁入りしたのはかなりの名家、ケアード家だ。
その跡取り息子が麻薬中毒者ということを公表して良いものか悩んだ末、俺はこうして依頼を頼み込んできた本人である支部長に話を通してみることにしたのだ。
「そうか…………シリルが…………」
「騎士団に報告なんてしたら、ケアード家が大変なことになるから…………どうする?」
支部長はかなり悩んでいる様子だ。
騎士団、日本で言う警察にシリルくんを突き出してしまえば、麻薬を接種することは止めさせられるだろうが、ケアード家が被害を被る。
公にならないように秘密裏にシリルくんを説得して乱用を止めさせようにも、おそらくシリルくんは麻薬を辞めることはないだろう。
麻薬というのは、一度その快感を味わってしまえば二度と抜け出せなくなる沼なのだから。
これは日本も異世界も変わらない。
ここでテミスの街に蔓延っている麻薬販売組織について説明しよう。
つい一年前まで、この街で麻薬が販売されることはなかった。
なぜなら、裏社会を統括する暗黒街のボスが、怪しいクスリを是としない立場を取っているからだ。
アル・カポネもその権力にはびっくりしちゃう暗黒街のボス、その名は白薔薇。
白薔薇は見た目は細身で程よく蓄えられたヒゲが似合う老紳士で、常に丁寧な言葉づかい、所作は礼儀を心得ており少し見ただけでは彼がその名を裏社会に轟かせた極悪人だとは思えない。
しかしその中身は生粋のギャングスタ、数十名のならず者たちで構成されたギャング団を率いる、人身販売違法な商売殺人強盗なんでもござれ、どんなチンピラもその名を聞けば3日は眠れない夜の続く悪名の持ち主だ。
彼が何故麻薬の販売を禁止しているのかは分からない。
分からないがしかし、白薔薇が駄目と言ったら駄目なのだ。
裏社会に生きるものは白薔薇率いるギャング団に逆らったら生きる場所を失うのだから、当然白薔薇の意向には従うのが当たり前だった。
よってテミスの街で麻薬が取引されることはなかった。
つい、一年前までは。
ある日突然、テミスの街で麻薬が使われるようになった。
それは白薔薇の下につかない新しい組織による犯行。
彼らは一般市民及び裏社会に浸かりきっていないチンピラをターゲットにし、麻薬を販売。
善良な市民たちは騙され、麻薬中毒者になってしまう者達が続出した。
自体を重く見た騎士団はこれの排斥を目標に捜査を続けるが、麻薬販売組織は依然尻尾を見せず。
取引現場を抑えたこともあったが結局、取引をしていたのは下請けの犯罪組織であり売り子も麻薬の提供源については何も知らず、麻薬販売組織の手がかりは得られなかったそうな。
商家のシリルくんが買っていたのもこの組織から流通した麻薬だろう。
支部長はかなり悩んでいる様子だ。
だが、俺達が受けた依頼は原因を突き止めること。
無銭飲食分の仕事はこなしただろう。
これからどうするかは支部長が決めさせる。
騎士団に突き出すも、秘密にしておくも、彼の自由だ。
「クラリスさんに伝えるかどうかは、支部長が決めて。俺達の受けた依頼は、これで終わり」
「あ、ああ…………」
これで無銭飲食を咎められない____そう思うと胸が晴れやかになった気がする。
受付嬢が、フォレストベアの毛皮の代金を持ってやってきた。
革袋の中身を見てみると、嬉しいことに結構な金額だ。
トーヤとルカの学費の足しになりそうだ。
ではこれで、と、冒険者協会を出ようとする。
が、そこで支部長にまた呼び止められた。
「ハル。ちょっと待ってくれ。依頼がある」
「また? 今度は何?」
「今回は、”猫様”に依頼だ」
俺は振り返る。
彼がその単語を口にしたことにも驚きつつ、一人の商売相手としてしっかり確認を取る。
「なるほど、分かった。それなら、今回はちゃんと依頼料は払ってもらうからね。無銭飲食のときとはまた別会計で」
「ああ、勿論」
「高いよぉ」
「分かってる」
毛皮の代金として学費の足しになる金を受け取ったところで、支部長から更に金を搾り取れそうだと、俺はほくそ笑んだ。