追放した者
「ハルさんを…………追放…………?」
群衆のざわめきが満ちる表通りに、魔法使いのヴィネの呟きがポツリと落ちる。
テミスの街では近々、冬に別れを告げ春を迎える「春祭り」が盛大に開かれる。
春祭りはテミスの街の観光名物であり、これを見るために多くの旅行客がテミスの街を訪れる。
春祭りへの期待に街の人々は期待を膨らませ、早い者たちは既に表通りに屋台を開いている。
串肉の焼ける匂いは民衆の目を否応なしに惹きつけ、赤、青、黄などの色のついた菓子を売る屋台は目に鮮やかだ。
そんな期待と興奮と入り混じった空気の中、勇者、アリゲスの告げた言葉に、虹色の綿菓子を買い上機嫌だったヴィネは信じられないという顔をした。
しかしアリゲスからすれば、彼女がこんなに驚いていることの方が信じられない。
「えっ、なっ、どう、どういうことですか? な、何でハルさんを追放なんかしたんですか!?」
「以前から話していただろう。彼女はテイマーとしてこのパーティに所属していたが、テイマーとして仕事をすることはなかった。その能力がなかったからだ。役立たずはこの勇者パーティに要らない。だから追放した」
「そうなのさ。昨日あんたは酒場に居なかったから知らなかっただろうけど、あの場であいつに追放を宣言したんだ。ハルは案外あっさりと追放を受け入れたぜ」
「まあ、その後に一悶着ありましたが…………」
続くアリゲス、サンドラ、クレアの言葉に、ヴィネの信じられないという表情が更に驚愕の色に染まる。
「あの人を追放なんかしちゃって、『一悶着』で済んだんですか…………?」
「?」
「なんにせよ、これで依頼がやりやすくなるだろう。これまでハルは戦闘時にも後ろで立ってるだけだったし、依頼人との交渉のときも滅多に口を開かなかったし」
「え…………あの人が…………? 役に立たないって、本気でそう思ってます…………?」
ヴィネの言葉に、今度は3人が首を傾げる番だった。
ハルは本当になんの役にも立っていなかった。
王都からこの街にやってきた時、アリゲスたち勇者パーティには後衛が足りていなかった。
だから、「優秀なテイマー」 と聞いたハルを引き入れたのだ。
口数は少なく人と話すのが大層苦手そうで、アリゲスたちとのコミュニケーションもあまり上手くいかなかったがしかし、パーティメンバーとして仕事をしてくれるなら文句は無かった。
仕事をしてくれるなら。
でもハルは、本当に役に立っていなかった。
一般的なテイマーの仕事は、複数体の動物をテイムしての偵察、ある程度戦闘能力を持つ魔物を使っての戦闘補助など。
だのに、ハルにテイムできたのは小鳥2匹が限界、大型の魔物のテイムなんて一回もできたことがない。
それだけじゃまともに索敵も戦闘もさせられない。
テイマーとしての役割を全く持って果たしていなかった。
やっていたことと言えば、パーティの経理と、依頼の受注くらいか。
でもそんな雑務は誰にだってできる。
事実、アリゲスとクレアとサンドラの3人が王都に居た頃は、3人で手分けしてやっていたことだ。
このテミスの街に来てハルをメンバーに引き入れてからはもっぱらハルが金銭の管理を行っていたが、それは別にハルじゃなくてもできる仕事だ。
「今日は新しくパーティに引き入れようと思ってるテイマーと会う。みんなで勧誘するぞ」
絶句したヴィネの腕を引いて、冒険者協会に向かう。
そこに行けばきっと、件のテイマーも居ることだろう。
「アリゲス、あんたがパーティを思って新しいテイマーを勧誘しようとしているのは分かっているが、また女をパーティに入れるのか?」
「そうですわよ。魅力的な女性なら、既にここにいるじゃありませんか」
「おい、クレア、抜け駆けは無しだろ」
アリゲスが、サンドラ、クレアと仲睦まじく歩く中、ヴィネは、完全にその足を止めていた。
アリゲス達は見ていなかったが____ヴィネの顔は蒼白になり、恐怖に目を見開いていた。
「ハルさんを追放…………ハルさんが…………いや、いやいやいや、そんなまさか、そんな馬鹿なことを…………じゃあ私も、『追放した側』…………?」
アリゲスが歩を止めたヴィネに気付き、振り向く。
「どうしたの、ヴィネ」
「…………どうしたもこうしたも…………え、冗談ですか? 悪質なドッキリですか? まさか本気でハルさんを追放なんか、してないでしょ? するわけないですよね?」
「? ハルを追放したのは事実だよ。ドッキリって…………なんでそんなことをする必要があるのさ」
ヴィネは、小さく、「嘘でしょ…………」と口に出した。
残念ながら、嘘ではない。
ハルは昨日、アリゲスから追放宣言を受けた後、冒険者協会に行って脱退の手続きを済ませていた。
もうすでに、正式に、ハルはこの勇者パーティのメンバーではないのだ。
そして、ハルがパーティを理不尽にクビにされたと言うことはつまり____
____ヴィネは聡い魔法使いだった。
少なくとも、愚かな人間にはなるまいと、努力してきた。
幼い頃から魔術書を読み込んで、魔術を自らのものとした。
将来何に成るにしても、魔術の知識は無駄にはならない。
冒険者協会の保持する書庫に入り浸り、様々な魔術を使いこなし、実践し、若干十五歳にしてその髪色から紫炎の魔術師という異名を手にした。
自己研鑽のため、自分の将来のため、自分のできることを冷静に見つめ、最も利益を得られるのはどの道なのかを冷静に見極めた。
一年前に勇者パーティがこのテミスの街に来た、と聞いた時は浮き足だった。
自分の将来の為に、「勇者パーティに在籍した」という実績は欲しい。
しかも何やら、勇者パーティは後衛を欲しているというではないか。
おあつらえ向きに、ピタリと、勇者パーティの魔法使いに収まった。
自分を成長させる為にはなんでもする。
ヴィネは精力的に働いた。
全ては自分の利益のために、自分の将来の為に。
何より、食いっぱぐれないために。
ヴィネは聡い魔法使いだった。
故に、損切りの判断も早かった。
「私は…………私も、パーティを脱退します。もうこのパーティにはいられません」
「え」
「え!?」
寝耳に水。
予想だにしないヴィネの言葉に、アリゲス達は自分の耳を疑った。
「な、どうして!?」
「どうしてって…………ああ、そうか。貴方達は王都から来た、言わば余所者でしたね。知らないのも無理はありません。まあ、1年もこの街に居たのにハルさんのことを知らないなんて、信じられませんが…………余程情報収集に興味がなかったのでしょうか。いや、依頼前の情報収集もハルさんに任せっきりでしたね」
「それは…………確かに任せてたけど…………」
「どうしてですの? 理由もなしに辞めることはできませんわよ」
「死にたくないからです」
死。
どうしてこの場で死ぬなどという言葉が出てくるのか、アリゲス達には分からない。
だが、このテミスの街に生を受け、この街で育ち、この街で冒険者として年単位で仕事をしてきたヴィネは、知っている。
ハルを無下にすることが、一体何を意味するのか。
「アリゲスさん、あなたは勇者で、クレアさんもサンドラさんも王都から来たんですよね。でも私はこの街で生まれた人間です。帰る場所はこのテミスの街にしかないんです」
せめて、ハルさんを追放する前に自分に一言でも相談してくれれば。
そうしていたら、追放するだなんて馬鹿なことは止めさせていたのに。
「この街でハルさんを敵に回す冒険者に、居場所はありません。話すべきことは以上です。半年という短い期間でしたが、ありがとうございました。では、さようなら」
「ちょっちょ、待って! 待ってくれ、ヴィネ!」
アリゲスは慌てて、一礼し立ち去ろうとしたヴィネを引き止める。
ヴィネはこの街で随一の実力を持つ魔法使いだ。
まだ15歳の若さでベテラン級のB級冒険者の座に収まっており、その魔法の腕前から紫炎の魔術師の名を付けられている。
彼女が勇者パーティを抜けることはつまり、大幅な戦力ダウンを意味する。
ただでさえ後衛は足りていないのに、彼女を失うわけにはいかない。
アリゲスは必死に考える。
何故、ハルを追放することがヴィネの脱退の理由になるのかは分からない。
ただ、ヴィネがハルを敵に回すことをひどく恐れている様子であるのは理解できた。
混乱したアリゲスは、ヴィネを脱退させないために、自分から離れていかないようにするために、言ってはいけないことを言った。
「そんな、恐れることはないよ! たとえハルが僕たちを憎んでいても、別にどうってことはない! あんな、テイマーとして役立たずな、黒髪なんて」
空気が、止まった。
人々が行き交う賑やかな表通りで、明らかにそこだけが、アリゲスとヴィネの間の空間が、異様な雰囲気を放っている。
それは、オーラ。
ヴィネから発される、怒りの感情を帯びた、おびただしい量の魔力。
思わず圧倒される。
ヴィネは大人しい女の子だった。
アリゲスの目にはそう映っていた。
ハルほどではないものの、口数はあまり多くなく、穏やかな性格で。
自己主張が地味で、いつもアリゲスの後ろに付き従うような、そんな人間。
それが、こんなに怒りを露わにするなんて、アリゲスは見たことがなかった。
近くを歩く人々も、その異様な空気を感じ取り、避けるように去っていく。
「良いですか、アリゲス。私はこの半年あなた達と一緒に働いてきて、あなた達にも一定の親しみを覚えています」
低い声。
ドス黒い感情の体現のような、威圧感を持つ声。
「そしてそれ以上に、私はハルさんに尊敬の念を抱いています。冒険者としての能力はあなた達が手を伸ばしても届かないほど高く、その証拠に彼女はこの街で有数のA級冒険者です」
しかもそれはパーティのランクではなく、ソロで活動して得た階級である。
アリゲス達の勇者パーティですら____王都では新進気鋭の新星と称された自分たちですら____まだB級のパーティだ。
そして、アリゲスはそのことを知らなかった。
ハルがA級冒険者であるなど、自分よりも格上であるなど。
驚愕の表情を隠せず、アリゲスは目を見開く。
「ハルさんがどうして貴方達のような低レベルなパーティに所属しているのか謎でした。もしかしたらハルさんに冒険者としての教えを請うているのかとも思っていました。でも違いましたね、貴方達はハルさんを自分たちよりも下に見ていたんですね。ハルさんの本当の実力を見ようともせず、その圧倒的な実力差に気付きもせず」
ヴィネの手の中の綿菓子が、溶ける。
怒りのあまり漏れ出た魔力が魔術となり、熱を帯びる。
紫炎の魔術師。
その異名の由来、炎の魔術。
先程まで鮮やかな虹の色を見せた綿菓子は、溶けて液体になり、混じり、地に落ち、泥のような茶色に成った。
熱は揺らめき、広がり、ヴィネの姿を陽炎に覆う。
それに留まらず、熱はアリゲスの顔を焼くほどに放射される。
____自身の魔力が外部に影響を与えていることに気付き、ヴィネは軽く首を振って魔力を霧散させた。
そして先程より幾分か落ち着いた様子で、言う。
「アリゲス、貴方、ハルさんのことを黒髪だと蔑みましたね」
アリゲスは否定することはできず、しかし肯定するのも気が憚られ、言葉に詰まる。
黒髪、というのは単なる姿の形容に留まらず、差別用語の意味を持つ。
いくら慌てていたとは言え、民衆の前であのような発言はよろしくなかったか。
「確かに魔族は黒髪を持つ悪魔です。そう言われています。テミスの街はこの国の中で魔族領に最も近い場所です。だから、魔族を嫌う気持ちは、黒髪を厭う風潮は、どの地域よりも強かった。そんな街でハルさんが、黒髪を持って生まれた人間がA級湯冒険者になることが、どれだけの努力を要することなのか、知っていますか? 信頼を積み上げ金を稼ぐ冒険稼業を成立させるためにどれだけの時間を費やしてきたのか、分かりますか? 貴方が逆立ちしたって叶わない偉業ですよ」
「アリゲス、貴方は何を為しましたか。召喚された勇者として崇められて、良い気になってただけじゃないですか。何もしてない、何も知らない貴方は、ハルさんを軽蔑する資格を持ち得ません」
ヴィネの髪は二つ名からも分かる通り、紫色だ。
だがその色味は煤けており、遠目で見れば紫というよりも黒に近く見える。
故に、ヴィネは幼い頃から魔族になぞらえてとやかく言われることが多くあった。
悪魔の子だとか、魔族の尖兵だとか。
生みの親ですら味方ではなかった。
ヴィネを産んで数年経たぬうちにヴィネを孤児院の前に捨て、その後はヴィネの前に顔を見せることすらしなかった。
孤児院の中でも、その黒に近い髪色はちょっかいを掛けられる原因になった。
とは言え、孤児院の全員がヴィネを厭わしく思っていた訳では無い。
例えば孤児院の院長などはどんな子供にも優しく愛を持って接してくれた。
親に捨てられた悲しみを知る孤児は同じ孤児のヴィネを自分に重ね、親愛を持って受け入れた。
孤児院はヴィネに食事と寝る場所を用意し、必要最低限、生き残るために生活を営ませてくれた。
が、しかし、ヴィネにとって孤児院は生きづらい場所だった。
髪色を口実に虐めてくる輩には吐き気がする。
しかし同情の目線で見られるのも好きではない。
居心地が悪かった。
自分の帰るべき場所はここではないと常に感じていた。
次第にヴィネは孤児院の外に居場所を求めるようになり、冒険者として活動するようになった。
幸い魔法使いとしての資質は十分にあり、才能を育むための教材は冒険者教会に併設されている図書館の中に山ほどあった。
ある程度収入が安定し、一人でも問題なく暮らせる程度の金が貯まると、ヴィネは孤児院を出ていった。
これまで蔑まれてきた髪色のヴィネを、冒険者たちは思いの外暖かく受け入れてくれた。
もちろん諍いが無かった訳では無いが、冒険者たちはヴィネのことを黒に近い髪色だからといって蔑むことはなく、可哀そうな存在と見るわけでもなく、ただ一人の人間として、他と人間と変わらない冒険者として見てくれた。
それが嬉しかった。
ただ、同時に疑問でもあった。
黒髪差別は、元々は魔族と人族との戦争が原因で生まれた概念だ。
人族に黒い髪を持つものは少なく、逆に魔族は皆一様に黒い髪を持つ。
二十年前の戦争の時、騎士団は冒険者教会に協力を求め、冒険者は先陣きって魔族と戦った。
故に他の町民よりも黒髪差別が激しくてもおかしくはないのに。
ある時、先輩冒険者に聞いてみたことがある。
「どうして皆、私のような髪色の者を躊躇なく受け入れられるのか」と。
冒険者のヴィネに対する態度は、孤児院に居た頃の町民のそれよりも遥かに良いものだったから。
するとその冒険者は笑って答えた。
「確かに、ちょっと前まではお前の言う通り、冒険者間での黒髪差別が激しかった。町民のそれよりもな。でも、3年前になるか、ある子供が冒険者になってな、見る見るうちにランクを上げて行ったんだ。今じゃそいつはA級冒険者。誰もそいつに文句を言えない、軽蔑できない、そんな地位を築き上げた」
そしてそんな子供は、ヴィネよりも尚黒い髪を持っていたそうだ。
たった一人で、逆境に立ち向かって、そこにまで上り詰めた。
黒髪は他の人間に劣らない、軽蔑の理由にはならないと、その身で証明してみせた。
自分が黒髪差別の被害をそこまで受けなかったのは、その前例があったからなのだ。
その子どもとは、言うまでもなくハルのことだ。
だからこそ、「黒髪なんかが」という侮蔑は、ヴィネの逆鱗に触れた。
「私はハルさんのことを尊敬しています。冒険者としても、一人の人間としても。アリゲス、貴方のハルさんへの暴言は耳に心地よくありません。そも、人様のことを見下して暴言を吐くとか何様ですか貴方は。そんなに馬鹿みたいな阿呆みたいな人間なんですか貴方は。今すぐそのくだらない人生を後悔して口を閉ざしなさい。なんならその人生の幕も閉じなさい」
暴言暴挙といえばヴィネの言いようもなかなか非道である。
しかしアリゲスは言い返せない。
ヴィネのオーラは依然発せられており、アリゲスでは____アリゲス程度では、その威圧に抗することは出来なかった。
クレアもサンドラも同様に、威圧に当てられ、喋ることもままならない。
「貴方達を心の底から軽蔑します。私の言いたいことはそれだけです。では、今度こそさようなら。願わくば二度と貴方達の顔を見ませんように」
ヴィネは言いたいだけ言って、その場を去った。
身じろぎもせず聞き入っていた聴衆は、それを機にアリゲスたちへの興味を失い、各々歩き出す。
「…………何だったんだ…………?」
混乱したアリゲス、クレア、サンドラだけが、その場に取り残されていた。
■ ■ ■
「くそっ、クソッタレが! 何でだ、何なんだ一体!」
長く使っている宿屋の一部屋、アリゲスは荒れていた。
クレアが諌める声が聞こえるがしかし、乱雑に肩を押して退ける。
すべてが思い通りに行かない。
苛立ちに側頭部を掻く。
金に染めた髪が抜け落ち、手の中に残る。
こんなくだらない癇癪で毛根を幾つか失ったと考えると、それもまた苛立たしい。
ただでさえ染め続けている髪は傷み、抜け毛が激しいというのに。
「出ていけ! この部屋から!」
クレアとサンドラの抗議も聞かず、部屋から追い出す。
忌々しい、あの辞めさせたテイマー、ハル!
ヴィネがパーティ脱退を宣言した後、とりあえず予定していたテイマーとの交渉に向かった。
最初は上々だった。
声をかけたそのテイマーは態度よく交渉に応じ、冒険者協会と併設される酒場での話し合いに快く付き合ってくれた。
元々、僕のパーティは勇者パーティとしてそれなりの知名度を持っている。
その名前を出せばこの街でいろんな融通が効いた。
酒場の主人にビール一杯をサービスしてもらえたり、冒険者協会の受付嬢の態度も他の冒険者に対するそれより遥かに良かったり。
それほど有名なパーティに成ったのだ、彼女だって僕たちから勧誘されれば喜んで加入すると思った。
だが勧誘の話を進めるうちに、彼女は、ハルのことを気にしだした。
「このパーティにはハルさんが所属してるって聞いたんだが…………ほら、黒髪の。今日は居ないのか?」
「あ、ああ、居ない。というか、つい昨日、パーティから抜けた」
「は?」
途端、見るからに不機嫌になるテイマー。
ヴィネの言動を思い出し、慌てて言い訳を口にする。
どういう訳だか、この街の冒険者はハルのことを慕っているようだ。
ハルを追い出したと言うよりも、ハルが自ら進んで抜けていったと、そういう風に言えば、このテイマーの顰蹙を買うことはないだろう。
「彼女は____自分で辞めたんだ。なんでも、自分じゃこのパーティの中で役に立てないからって。僕たちとしても彼女がパーティを抜けるのは心苦しかったけど…………」
「そうか、もう勇者パーティから…………だったら私がこのパーティに入る意味はない。申し出はありがたいけど、辞退させてもらうよ」
「なっ、なんで!?」
「なんでって…………私は元々、仲間とパーティを組んでるからね。ハルさんの居ない勇者パーティに、今のパーティを抜けてまで入る魅力を感じられなかったのさ。それに、ハルさんですら『役立たず』なら、私程度じゃ圧倒的な役不足だからな」
話はお終い、とばかりにテイマーは去ってしまった。
____なんでだ!
全くわけが分からない。
どいつもこいつも、ハル、ハル、と、口を揃えて言いやがる。
何がそんなに話題にさせるんだ。
どうしてそんなにハルは特別視されているんだ。
僕たちが知らないだけで、街を治める貴族の娘____昨日のカミングアウトで男だと分かったから息子か____だったりするのか?
だから皆、ハルを恐れて無下にできないのか?
いや、ヴィネのあの態度は、ハルに対する恐怖も確かに感じられたが、しかしそれ以上にハルへの尊敬の念が見て取れた。
「私はハルさんを尊敬している」と、実際にそう言っていたくらいだ。
ますます持って分からない。
あれは、ただの雑用しか出来ない凡庸な人間でしかないのに。
それなのにどうして。
分からない、理解できない。
ああもう、本当にストレスが溜まる。
王都で召喚されてテミスの街に来るまで、ずっと順風満帆に暮らしてきた。
いや、すべてが上手く行ったわけじゃない。
日本から召喚されて最初にぶつかったのは、言葉の壁。
当然のように王直属の召喚士達はこちらの世界の言語で話しかけてきたが、僕は当然生粋の日本人、日本語しか話せない。
希望を持って僕に何事か話しかける召喚士は、しかし言葉が通じないと分かると失望した。
それから流されるまま流されて、数カ月かけてこちらの言葉を習得した。
王城での生活は快適だった。
日本人の舌に合わないものもあったが提供される料理はどれも豪勢で、寝室も私室も絢爛豪華なものが用意され王族のような気分を味わえた。
使用人は好きに使える、言えば夜伽の相手だってしてくれた。
髪を金に染めていたのは幸運だった。
言語を学んで書物を読むようになり、この世界では人族間で黒髪が差別されることを学んだ。
たまたま召喚される数日前に髪染めをしていたおかげで、僕は最初から「金髪の勇者・アリゲス」として認識されていた。
自分でカラー剤を髪に塗りたくる安物の染め方でも、異世界の住民を騙すには十分だった。
カラー剤は一緒に異世界にやってきたバックの中に入っていたし、髪の生え際が黒くなってきたらまた染めればいいだろうと思った。
不思議なことに、カラー剤は使っても使ってもなくなることは無かった。
女神の加護か異世界人特典か、どちらにせよ黒髪がバレる心配をしなくていいというのは僥倖だった。
勇者として異世界に召喚されて、力をつけて来たるべき日に復活する魔王を倒せよと、そう言われた。
十分な資金と装備、そして二人の仲間を手に入れて、晴れて僕は冒険者に成った。
日本に居た頃、望んでいた状況。
固有魔術のお陰でそんじょそこらの冒険者とは一線を画す実力で、あっという間にB級のパーティに成り上がれた。
すべてが自分の手中にあるかのような全能感。
魔法を使い剣を振るう冒険稼業は、まさしく夢に見たゲームの世界のようだった。
仲間になったクレアとサンドラは自分に惚れていたし、今後も召喚された勇者様という名前に惹きつけられ多くの女が僕のお近づきになろうとするだろう。
そんな、まるで、作り話の主人公のような冒険譚。
それが、この世界でなら実現できる。
苛立ちを隠せず、枕を壁に叩きつける。
首にかけたネックレスや、召喚されてから身につけた多様な魔法魔術で強化された筋力に、その枕は耐えきることは出来ず。
柔らかい衝撃音と絹の裂けるような音を立てて中身の羽毛を散らした。
「クソが…………」
ハル。
テイマーのハズだった、黒髪のハル。
王都を離れ冒険者の聖地とも呼べる地・テミスの街を訪れて、パーティに引き入れた者。
サンドラは生粋の戦士、クレアは僧侶。
勇者たる自分は魔法と剣を使い分けて戦う魔法剣士だ。
クレアも一応攻撃魔法を使えないこともないが、やはり前衛は十分で後衛は不足していた。
遠距離攻撃手段は皆無に等しかった。
だから後衛、魔法使いのヴィネとテイマーのハルを仲間にした。
どちらも優秀な冒険者だということで、しかもどちらも見えが良い。
勇者の隣に控えるのにふさわしい美貌を持っていた。
ハルがA級冒険者だというのは知らなかったが、優秀な冒険者だという噂を聞いてハルを仲間に入れた。
その実ハルはテイマーとしては役立たず、噂されるほどの実力は無いように思えた。
だが…………。
昨日のハルの宣言が気になる。
まずハルの自分は男であるという発言にも目玉が飛び出るほど驚いたが、更に僕のことをクラスメイトとして知っていたという事実は僕を恐怖させるものだった。
おそらくハルは元日本人の元クラスメイト。
そしてあの容姿から推測するに、僕と違って転移ではなく転生したのだろう。
____ここまで来て。
召喚されてからもう2年も経つか、勇者として、新進気鋭の冒険者として築き上げたこの地位を手放すものか。
ああ、でも、苛立ちは収まらない。
「邪魔だ。僕の人生に、あいつは要らないのに、それなのに、どうして!」
思わず叫ぶ。
どうもこの頃、怒りがなかなか顔を引っ込めない。
些細なことが気にかかり、邪魔者は消してしまいたくなる。
「ああ、駄目だ、落ち着かなくちゃ」
僕は勇者だ。
悪を殺して正義を成す、そんな勇者は、こんな風に感情に任せて叫んだりしない。
痒い。
二の腕を掻きむしる。
側頭部も、腕も、胴体も、足も、どこもかしこも痒い。
「痒い、痒い、ああ、気色悪い…………」
机の引き出しを開ける。
____その中には、透明な袋に入った、白い粉があった。
包装を開き、粉を紙の上に置く。
鼻を近づけて、一息に吸引する。
「ああ……………あ……………」
この薬を吸うと、気分が良くなる。
酒を飲み下すよりも、魔物を狩るよりも、どんなことよりも、嫌なことをすべて忘れさせてくれる。
3ヶ月前だったか、この薬を初めて手に入れたのは。
全身黒尽くめの怪しげな長身の男が、顔すらも覆い隠した男が、僕にこの薬を売ってくれたんだ。
まさかこの世にこんなに良い薬があるなんて、思いもしなかった。
粉薬を鼻から吸う、なんていう接種の仕方は受け入れ難かったが、慣れてしまえばどうということはない。
それよりも、もたらされる心の安寧が、高揚が、興奮が、快感が、無上の愉悦が____
____享楽が、安寧が、悦楽が、逸楽が、静謐さが、嘶きが、激情が、僕の心を浸す。
掻き回す。
ついさっき、部屋から追い出したことも忘れアリゲスは、部屋を飛び出してクレアとサンドラの名前を呼ぶ。
「クレア! サンドラぁ! 明日は討伐依頼をやるぞ! A級のだ! 僕たちなら、3人でもできる! できるんだぁ、絶対にできるんだからぁ!」
クレアとサンドラを呼んでいるのに、彼女たちの反応は目に入らない。
絶対に。
A級に成り上がってやる。
あのハルより、僕をコケにしたハルよりもランクが低いなんて耐えられない。
もっと功績を。
早く戦績を。
積み上げて積み重ねて有名になって勇者と呼ばれて有名になって神話となってS級になって、成り上がって成り上がって成り上がって成り上がって成り上がって、いつか見下してやる。
ハルが、「パーティに復帰させてください」、と懇願しても聞き入れてやらない。
土下座したその頭を踏みつけてやるんだ、見返して、見下してやるんだ。
それで、いつかはあの顔を絶望の表情に歪ませて、アレの人生をぐっちゃぐちゃに、ぶち壊して、それで、それで____
____にしても痒い、痒いな。
頬を掻いた爪が肌を引き裂き、血が溢れ出る。
それでもアリゲスは、体を掻きむしり続けた。
醜い野望を胸に秘めて。
叶わぬ夢を求めて。




