Act.5 降臨
マリスとキースは討伐って仕事に行ってる。
大きな魔物と戦って、人の役に立つんだって。
「それがヴァルターシュタイン家の誇りなんだよ、ルイ」
よくわからないけど、すごく大変なことなんだなっていうのはわかる。
僕は訓練場で運動。
とにかくどんなに走り回っても楽しいんだ。
平屋の建物は魔法の訓練ができるところだって。
僕は1度も入ってない。
ステラが「お前のステータスは真っ白だし、ご加護があるようだから」って。
「ステータスっていうのが見えないとダメなの?」
「何が出てくるかわからないじゃないか、結界を持ってる子なんて」
だから走り回って遊ぶんだ。
ときどき休んで、毛繕いしたりして、また遊ぶ。
「そんなに楽しいかい、運動は」
「楽しいよ、ものすごく!」
「そのわりには、ちっとも大きくならないんだよねえ」
そうなんだ、僕は全然育ってない。
ステラが毎日僕を秤に乗せるんだけど、全然変わらない。
「子猫だと思ったけど、まさかこれで成獣なのかねえ」
「一緒に会議してた仲間はちゃんと大きくなってたよ」
「お前たち、猫同士で会議なんてしてたのかい」
「うん。情報交換とか雑談」
「へえ、楽しそうな世界だね」
「でもみんなのおかげで、この世界も楽しいよ。みんな優しいし」
「——バレル以外、ね」
「僕あいつ嫌い」
「あたしだって嫌だよ、ヴァルターシュタイン家の子が魔獣を蹴飛ばそうとするなんてさ。聞いた時はめまいがしたよ。あの子にはいつか神罰が下る」
「バチが当たるの?」
「フレイヤ様のご加護があるだろう。それを蹴飛ばしたらお怒りになるさ」
ステラがよいしょって立ち上がって、家に帰る時間。
「もっと遊びたいよ、ステラ」
「また明日だ。お前は休んで、ちゃんとご飯をおあがり」
「ステラはご飯食べないの?」
「あたしはこれからひと仕事だ。病人を診なくちゃならない」
ステラはリザを連れて出かけていって、僕はクレアからミルクをもらってひと休み。
バレルが学校から帰ってきた。
もちろん無視。
「バレル、ちょっとこちらへいらっしゃい」
クレアに呼ばれてバレルは行った。
「あなた、お勉強しないで魔法ごっこしているって、先生からお手紙が来たの」
「……ごっこじゃなくて、まほうのべんきょうだよ」
「ちゃんとお勉強して頂戴」
「まほうのべんきょうしないと……ぼくはちょうな——」
「バレル」
クレアに遮られて、バレルは無言でうつむいた。
「魔法のお勉強は魔術学校に入らないとできないの」
「でも……」
「ちゃんとお勉強しないと魔術学校には進めないの」
勉強サボって遊んでるんだ。
本人は真剣なのかもしれないけど。
ステラに聞いたよ、魔術学校って11才から入学できるって。
魔法を勉強する学校で、試験に受かると普通学校から編入もできるんだ。
自由に行けるわけじゃなくて、試験があるのにね。
順番ってあるよね、やっぱり。
前の世界でも子どもが勉強しないとお父さんに叱られてたよ。
「バレル、世界には決まりがあるの。守らないとあなたが辛い目に遭うのよ」
「……はい、おかあさま」
「着替えて手を洗っていらっしゃい」
絶対納得してない。
それはもちろんクレアもわかってる。
猫の僕でもね。
それからずいぶん経ってからロランが帰って来た。
「遅かったわね、何かあったの?」
「わからないところがあったから、せんせいにおしえていただいていました」
片方は遊び、片方は学び。
でもロランは無理とかしてないんだよね。
勉強が好きなんだ。楽しそうに本を読んでる。
何をしてたのかわからないけど、今ごろバレルが来た。
目元見たら、ひと泣きしてたみたい。
リビングにある大きなアーチ型のソファの左から2番目の場所に座った。
そこはいつもロランが……。
「立ちなさい、バレル!」
ビックリした。
だって、いつも優しいクレアが急に怒ったんだもん。
「そこは次期当主の席です。あなたの席ではありません」
「ぼくのばしょだよ、いつもロランがぬすんでるんだ」
「……もう一度だけ言うわ。自分の席に座りなさい」
口調は柔らかいけど……クレアかなり怒ってる。
バレルは泣きそうな顔で、アーチ型のソファの真ん中に座り直した。
ああ、なるほど……。
真ん中って、けっこう不自由なんだよね。
席から出づらいし。
マリスが端にいたら、お客さんと話すのにあちこち見なくて済む。
みんなが見えるから。
ロランはお父さんの隣の席で社交術の訓練……だね。
前いた世界も社交術って大事だったんだ。
「ロラン、着替えて手を洗っていらっしゃい」
はい、って返事して、ロランは部屋に向かって行った。
学校から帰るとお茶の時間。
おやつを食べて、お茶を飲むんだけど。
ロランはお茶を飲んでるけどバレルはいつもジュース。
お茶は苦くて嫌だって。
ロランは美味しそうに飲んでるけど、味覚はそれぞれなのかな。
クレアもロランの向かい、右端の一番端に座って、美味しそうにお茶を飲んでるけど。
おやつの時間が済んだら、ロランは部屋から〝あれ〟を持って来た。
僕が大好きな、あれ。
「ルイ、ねこじゃらししよう」
望むところ!
ロランは勉強ばっかりしてるけど、毎日必ず、猫じゃらしで僕と遊んでくれるんだ。
時間は短いけど、すごく楽しい。
子どもなのにすごく上手なんだ。意外と強敵。
猫じゃらしの天才だ。
「きょうも、ぼくがかつからね」
絶対勝つ。3連敗してるんだ。
猫のプライドにかけて、今日は負けられない!
絨毯の上に座ったロランと、いざ勝負!
今日も熱い戦いだ。
走り回って飛んで跳ねて、でもやっぱり捕まらない。
あんまり捕まらないと、ちょっとつまんなくなる。
「なあにルイ、もうこうさん?」
って言いながら、僕の視界のギリギリのところで、猫じゃらしの先がチラチラ揺れてる。
どうしてもウズウズして、やっぱり飛びついてしまうんだけど……。
やってしまった。
勝ちたすぎて、勢い余ってロランの手の甲を引っかいちゃった!
赤い筋が2本できて、血がジワジワ出てきた。
どうしよう、猫の爪の傷はずっと痕が残るって、向こうのお父さんが言ってた。
どうしよう、ロランの手に痕が残っちゃう。
ロランは傷をもう片方の手で覆って、ニコッと笑った。
「こうさん。めいよのふしょうだ」
そんな場合じゃないよ! 血が出てたじゃないか!
思わず、ロランが重ねた手に前足を片方乗せた。
心配だったから。
そうしたら僕の前足がふわっと柔らかく光って、ロランの手を覆った。
ロランが不思議そうな顔をして、重ねてた手を放した。
手のひらには血がついてた。
手の甲には——傷がなかった。
何で? 確かに僕が引っかいた傷があったのに!
「お……おかあさま……」
うろたえたようなロランの声がクレアに届いて、こっちに来た。
「どうしたの? ルイに引っかかれてしまった?」
「ひっかかれたんですけど……」
「すぐに手当をしなくちゃ」
「きずが……きえてしまいました……」
えっ? って小さく言って、クレアはロランの前に膝をついた。
「血が出てるわ」
「ひっかかれたのは、みぎてです」
ちょっとの間、クレアは呆然として、急に僕の方に体を向けた。
叱られる!
でもクレアは僕を叱らなくて、視線は目に向いてるんだけど、目は見てない。
ステラがときどきやる、ステータス確認っていうのだ。
「……ロックがかかっていたんだわ」
ロックって何?
「火魔法、氷魔法、風魔法、雷魔法、重力魔法、転移魔法、補助魔法……神聖魔法」
魔法?
ステラが何があるかわからないって言ってたけど、数が多いんじゃない?
「スキルは万能結界、契約強制解除……魔力移動って何かしら……」
クレアとロランの様子を見に、バレルがそーっと近づいて来た。
そうしたら、僕の近くが柔らかく光ったんだ。
「わたくしの眷族、わたくしの愛しい子」
この声……フレイヤ様だ!
しばらく周りがしんとして、絨毯に座ってたロランが急にお尻を上げて片膝をついて頭を下げた。
クレアは視線を下げて両手の指を組んで胸元に置いてる。
その手が震えてる。
ロランもだ。震えてる。
どうして? フレイヤ様はお優しいのに。
「あなたはもう大事にしたい人を見つけたのね」
「はい! この家の前に僕を送ってくださったんですね」
「そうよ、今はここがもっとも、あなたが幸せになれる場所と思ったの」
「幸せです、みんな優しくて大好きです」
一応そう言ったけど……ひとり嫌な奴がいるけどさ。
そこで、ボーッと突っ立ってるけど。
フレイヤ様の視線が僕から少し離れた。
「ヴァルターシュタインの者たち」
クレアとロランがもっと頭を下げた。
「わたくしはフレイヤ。豊穣を司り、猫を守護する女神」
ロランがちょっとだけクレアを見たけど、違うって感じで小さく頭を振った。
「フレイヤさま、おそれおおくも、ごこうりんいただいて、かんしゃいたします」
すごい……こんな子どもなのに、ちゃんとご挨拶できてる。
フレイヤ様は微笑まれてる。優しいお顔。
「正しい子、名は?」
「は、はい、ロラン・ヴァルターシュタインともうします、フレイヤさま」
「ヴァルターシュタインは、わたくしの眷族を受け入れますか? 受け入れなくてもかまいません。強制はしません」
ロランがビクってなって、顔を上げた。
「うけいれます、このいえで、おあずかりさせてください! たいせつにします、ぼくのいのちにかけて、おちかいいたします。うそだとおおもいになられたら、いつでも、ぼくのいのちを、おめしあげください」
フレイヤ様、とっても満足そうな笑顔。
「わたくしは、あなたと、この家の者たちを祝福します」
「も……もったいないおことば、ありがとうございます」
「ただし、我が眷族を足蹴にした者には罰を与えます」
ロランは一瞬迷った素振りだったけど、すぐに答えた。
「みこころのままに」
フレイヤ様はほんの少しうなずいて、僕を見てくださった。
「わたくしの眷族、愛しい子、困った時はわたくしを呼んで頂戴ね」
「はい!」
「世界一幸せな猫になってね」
そう仰ると、優しい微笑みを残して、お姿は消えてしまった。
もっと一緒にいたかったのに。
お姿が消えてちょっと経ったら、クレアは絨毯に両手をついて、ロランはそのまま横にぱたんって倒れてしまった。
「立派だったわ、ロラン……よくできたわ」
「おとうさまが……みおしえのごほんを、いつもよんでくださっていたから……」
「大人でも咄嗟にできることではないわ」
そしてクレアは少しだけ後ろを見た。
ぼんやり立ったままだったバレル。
「あなたは、お父様が御教えを説いてくださる時間、何をしていたの……?」
声、硬い。
——クレア、本当に怒ってる。
バレルが何もしなかったから。
女神様のご降臨に、手を組むことさえしなかったから。