Act.25 誇りにかけて
ロラン・ヴァルターシュタイン、12才。
飛び級した。5年生。
このままだと16才で魔術師になるんじゃないかって大騒ぎ。
今までの最短記録が15才で、クレア・ケミカリって女性。
その後名字が変わって、クレア・ケミカリ・ヴァルターシュタイン。
天才は常に努力するってマリスから聞いたことがある。
「飛び級するのはそれなりに大変だよ」
ロランはそう言ってカバンから教科書や参考書を出してる。
「やっぱり勉強は難しい?」
「勉強はやれば追いつくから問題ない」
ほんと、あっさり言うよね。
「何が大変なの?」
「体術。こればかりはね、体格の違いはどうにもならないから」
子どもの上に元々線が細いから。
「どんな授業をするの?」
「基礎体力、回避術、剣術。槍術。弓術は問題ない、相手がいないからね」
「大変?」
「体格よくて腕力がある同級生が相手なんだ。剣術と槍術は大変だよ」
「勝てないよ」
「今まで以上にアザだらけで帰って来るんじゃないかな」
「そんなに厳しいの!?」
ロランは机に向かって、ニコッと笑んだ。
「妬まれてるから。体術の時間は格好の憂さ晴らしなんだ」
「妬まれてるって、嫌われるような感じ?」
「ちょっと違うな……たぶん、羨ましい感情が少しねじれてる」
「うーん……」
「家が有名だとか……飛び級してるとか」
あ、何かわかってきた。
「つまり、100倍に薄めたバレルが何人もいるんだ」
苦笑してる。
「そういう言い方もできるかな」
ロラン、こんなに優しくて紳士的なのに?
僕は何かできないかなあ……。
カゴの中で丸まって考えてても、解決策は出てこない。
クレアがカゴをのぞいて頭をなでてくれた。
「あまり元気がなさそうね。おやつを少しどう?」
クレアが小さな皿に入れてくれたおやつを舐めながら考える。
僕の前にしゃがんだクレアが頬に手を当てた。
「あら、いつもすぐに舐めてしまうのに。どうしたの?」
「にゃぉ〜」
「具合が悪いわけではなさそうね。それならいいけれど」
クレアに心配をかけただけで、いい案は出てこない。
晩ご飯、ロランは何もないようにクレアに学校の話をする。
でも、クレアは勘がよくて、すぐに気づいてしまう。
「何かあったんでしょう? たぶん、虐めだと思うけれど」
「——」
「いいことを教えてあげるわ、ロラン」
「何ですか」
「無視なさい。叩かれても無視なさい。これは戦い、弱みを見せたら負けなのよ」
ロランはちょっと驚いたふうでクレアを見てる。
「弱みとはつまり動揺」
クレアは真剣。温かいけど、隙がない。
「動揺すると思われれば相手は面白がり、虐めは続くわ」
「……できるかどうか……」
「できるわ、私の息子ですもの」
クレアは心配してない。ロランを信じてる。
「状況は何かのはずみに変わるものよ。不動ではないの。討伐と同じなの」
「……あっ、もしかしてお母様も」
「うふふ、私は大量のインクを浴びせられたことがあるわ」
「インクですか!?」
インク? 何だろう。たぶん人が嫌がるものだな。
「落ちないのよ、あれ」
「落ちませんよ! もし傷でもあったら一生ものに」
「でも学校には行きましたよ、病気ではないのですもの、休む理由がないわ」
「インクに染まったまま、ですか……?」
「肌に染み込んだインクが綺麗に落ちるまで2週間以上かかったような」
クレアは楽しい思い出みたいに話すけど。
「髪は残念だったけれど丸坊主。でも楽だったわ。手間がなくて」
ロラン、びっくりしてる。
「そうしたら、みんな呆れたらしくて、虐めはなくなったわ」
「何をやっても無駄だと思われますよね……」
クレア、やっぱり怖い。クレアより強い人見たことないよ。
「ただし、侮辱だけは別です。負けても戦いなさい」
優しかったクレアが毅然とした。
そうだ、マリスが激怒したのは、バレルが僕を侮辱したからだった。
この家は侮辱を認めないんだ。
「あなたは当主、常に冷静に、そして勇敢でありなさい」
息子に喧嘩をけしかけるお母さん。
しかも相手は2歳年上。
ロランは「わかりました」って表情もすっきりしてた。
そして2日後、見事に喧嘩して帰って来た。
歩けなくて学校の馬車に乗せられて。
一応、先生が応急処置してくれたみたいだけど、無処置と同然。
ベッドに横になったロランを診たら、肋骨3本にヒビが入ってた。
拳で殴ったって折れない。
相手が武器を持ってたか、倒れてるところを蹴られたんだ。
打ち身と内出血がたくさん。
もちろん顔も。左のまぶたが腫れ上がって、目の周りが青紫。
眼球を傷めててもおかしくない、失明したらどうするの。
僕が神聖魔法持ってるからって、そういう問題じゃない。
治療が得意な先生いなかったの? 魔術学校でしょ?
ヘタに治されるより、このまま帰してもらってよかった。
っていうか……僕に丸投げしてきた気がする。
その方が確実だし。
すぐに全部治した。
ひどい喧嘩だったんだな。
相手の子は加減がわからないか、わざとやった。
授業の体術と実戦は違うからね。
それは僕にはわかるよ、実戦やってたから。
わざとなら卑劣。ここまでやる必要はなかったと思う。
必要以上に興奮したなら未熟。
……子どもにそんなの求めても無駄だな。
ロランを基準にしちゃいけない。
相手はせいしんねんれいが低いんだ。
治ったロランはすぐに起き上がって、頭をなでてくれた。
「ルイ先生には治療費をいくら払えばいいのかな」
「そんなのいらないよ。いったいどうしたの」
「お母様が、侮辱されたら負けても戦えって、仰っただろ?」
「それはそうだけど、本当に喧嘩しなくても……」
「ううん……許しちゃいけないことは、あるんだよ」
クレアが部屋に入ってきて、ベッドの横に膝をついた。
「当主様はどういった理由で喧嘩を?」
「ルイを化け物と言われました。魔獣に化けた魔物だと」
「まあ……」
それ……マリスが本気で怒ったやつだ。
僕を魔物って言った、バレルも。
「ヴァルターシュタイン家は化け物を魔獣と嘘をついて飼っていると」
「まあ……」
「魔獣がマックスグリズリーなんか1匹で倒せるわけがないから……」
「普通はそうね、この子でなければ」
「妬みかひがみで口が滑ったんだろうことはわかります……でも」
ひと息ついて、ロランは言った。
「だからといって何を言っても許されるわけじゃない」
「立派ね、ロラン。マリスが生きていたら、髪をくしゃくしゃになでて褒めたわ」
結局、原因は僕。
ダメだね、ヴァルターシュタイン家って。
魔獣と絆が強すぎて。
「私はちょっと出かけるけど、安静にしているのよ、ロラン」
そう言ってクレアは出て行っちゃった。
「何でそんな理由で喧嘩したのさ!」
「そんな理由? ものすごく大事なことだよ」
「だって、あんなにケガをして」
「ルイ、戦闘系がバディになるって、どういうこと?」
「それは、お互いが命を預け合って、預かり合うこと」
「それを化け物なんて侮辱されるのはね、絶対に許してはいけないんだ」
「……」
「これは、僕の命と尊厳が侮辱されたことでもある……わかる?」
「……うん」
この家の人にとって、魔獣は自分ち等価値なんだ、
「だから戦ったんだ……勝ったんだ、すごいだろう?」
「確かにすごいけど……うん、相手は体が大きい年上だしね……」
そうか、相手の子は年上だから、2才も下の子どもに負けられない。
退くに退けなくなっちゃったんだ。
まさか小柄なロランが喧嘩を仕掛けるなんて思わなかった。
軽い気持ちで、ちょっとバカにしたかったんだろうな。
ヴァルターシュタイン家の誇りと家訓は有名なのにね。
「でも停学1週間だけど」
あー、そうだろうね……。
もちろん、傷が癒えたロランが安静になんてするはずなくて。
絵を描いたりハープシコードを弾いたり。
3日後、お客が来た。
顔色が真っ青なおじさんだ。
クレアはお客さんにお茶とクッキーを出して、僕を膝に乗せた。
「こ、このたびは、愚息がとんでもないことを……あの、ロラ……ご当主様のお加減はいかがでしょうか」
クレア、ニッコリ。
「ご心配には及びませんわ、わたくしどものところには、神聖魔法を使う化け物がおりますから。骨折はもちろん半殺しにされてもすぐに治せますの」
おじさん、さらに血の気が引いて、汗がダラダラ流れてる。
もしかして、おじさんはお詫びする気がなかった?
ロランが重傷だったのを知らなかった?
「いえ、あの……子ども同士のことでもありますし、何と申しますか……」
あ。ほんとに謝る気なかったんだ。
状況も知らなかったのかな?
仕掛けたのはロランだから、そっちが謝れとか思ってたのかな?
たぶん、論点はそこじゃないと僕は思うよ。
クレアの声がちょっと硬くなった。
「あら、訴状をよくご覧になっていらっしゃらないのでは?」
そじょうって何だろ?
おじさんが困ること? だから急いで来たの?
優雅に、ひと口お茶を飲んで話を続けた。
「訴状にあります通り、訴訟理由は侮辱です。子どもの喧嘩ではありません」
「侮辱……?」
「ヴァルターシュタイン家は化け物を魔獣と偽って飼っている、ご令息が多数のご学友の面前でそう言ったと承っております」
あっ、っていう顔をした。
今さら気がついたんだな、論点違うことに。
「この子、ルイはわたくしの仮契約魔獣でしてよ」
おじさん、本当に真っ青になった。
「この子への侮辱は契約者であるわたくしに対する侮辱とみなします」
ロランの同級生、ロランをからかったつもりだったんだろうけど。
クレアに真っ向、喧嘩売ったんだ。
「みなさんロランのバディだとお思いのようですが、契約者はわたくしです」
空気が固まった。まるで凍ったみたい。
僕の氷魔法より全然早い。一瞬だ。
「侮辱に対しての対応は、訴訟、あるいは——決闘です。……もちろん、この時代に決闘なんて恐ろしいこと、あってはならないと思いますの」
クレアと決闘したい人なんか世界中探しても絶対いないよ。
〝微笑みのクレア〟は本当に強い。
そして、怖い……凄まじい魔法を柔らかい笑みで放つんだ。
戦いたくない人のトップだ、クレアは。
「あ……え……ご存じの通り、わたくしは市長という立場にありまして……」
え? シティの一番偉い人? ほんとに?
サボってたんじゃないの? 全然立派じゃない。
「侮辱罪で訴訟などされては信用を失い、職を辞さねばなりません……」
「困りましたわ……わたくしは決闘など恐ろしくてお受けいたしかねます」
すごいプレッシャー。
冗談でよく言われるけど、この家は本当に人間より魔獣が大事なのかな?
ううん、戦闘魔獣のバディはきっと誰もがそうだ。
お互い命がけの存在なんだから。
「どう、したら、その……訴訟と決闘以外で……」
もう顔を上げていられなくて、おじさんはうつむいてしまった。
「何とか……その、慰謝料といったような……」
「そのようなものは不要です。謝罪文を頂ければ訴訟は取り下げます」
おじさんは最初、意味がわからなかったみたいだった。
それから気がついて、信じられないって顔になった。
「謝罪文? たったそれだけで?」
「はい。謝罪文を2枚。でも条件がございます」
「どういった……」
「お父様ではなく、侮辱した本人のものを」
その後すぐにおじさんは家を出て、それほど時間も経たないうちに戻って来た。
学生だろう子が一緒。
侮辱した本人、だね。
けっこう体格のいい子だ。よく勝てたなあロラン。
こんな子と喧嘩したら骨くらい折れるよ。勇敢っていうより無謀。
クレアが出してきた紙は、厚みがあって模様が入った立派なものだった。
一番上にあるのは、ヴァルターシュタインの家紋。
緊張と困惑をあらわに、息子はクレアが出したお手本通りに謝罪文を2枚書いた。
コンパクトに、事実だけ。
そして文末に署名した。
「ありがとうございました。これは当家で保管させて頂きますわね」
クレアは柔らかな笑みを浮かべてそう言ったけど、その笑みがほんの少し、冷ややかに変わった。
「もう1枚は当家の門に1週間ほど掲示させて頂きます」
親子が青ざめるのに時間はかからなかった。
本当に必死で謝り始めた。
これは本物の大ピンチ。
学生同士の喧嘩、なら漠然としたもの。
でも何故喧嘩になったのかが公になったらまずい。
シティには魔術師や討伐戦闘で生計を立てている人がたくさんいる。
10人並べたら3人くらいは関係者。
間接的な関係者も含めたら、もっと。
魔獣を口汚く侮辱したなんて知れたら、将来に関わりかねない。
心証悪すぎる。
お父さんにもダメージが出るよ。
クレアはなにも対応しなくて、謝罪を聞き流してる。
そして、小さく息をついて口を開いた。
「あなたを許すかどうか決めるのはわたくしではないのよ、坊や。この子なの」
しん……と静かになった。
「ルイはとても賢い子。口先だけの謝罪なんてすぐ見抜くわよ」
今度は僕に謝り始めたけど……彼が口にしてるのは反省じゃない。
あんなこと言わなきゃよかった、周りのみんなも思ってたはずだから——って。
反省なんか無縁の、後悔と責任転嫁。
そっぽ向くべきかなあ。
いっぱい怖い思いしただろうから、もういいかな。
本当に懲りてね? 君自身のために。
クレアの手に頬ずりして、小さく鳴いた。
彼女は微笑んで、門に貼るって言った謝罪文をロランと喧嘩した子に勧めた。
「これはあなたが持っているのよ。この後悔を忘れないで」
そしてクレアはロランを呼んで、ちゃんと仲直りさせた。
反省は知らないけど後悔は覚えた年長者を、ロランはあっさり許した。
「やり過ぎてしまってごめん。傷は大丈夫かい? ルイに治してもらう?」
たぶん君の方がずっと重傷だったはずだけど?
12才とは思えない人格者。
もう成人でいいんじゃないかな、君。




