8話 スキ
梨乃の家であれほど最高なセッションをしても、耕助の心は未だ晴れぬままだった。
夕焼けの中をとぼとぼと歩きながら、帰路につく。
耕助自身こんなにも気分が落ち込むのは初めてーーだからこそ、こういう時にどうしたら良いのか、分からなかった。
「まいどありー、いつもありがとねー」
帰り道、耕助は駄菓子屋で10円の胸キュンアイス(ソーダ味)を買い、近くの公園のブランコに座る。
それは夏祭りの最後に小雪ちゃんと花火を見た公園ーー
しかし今はもう、隣に小雪ちゃんはいない。
そう思えば思うほどまた、耕助のテンションは溶けゆくアイスのようにどろりと落ちていった。
「あ、アイス…」
耕助はふとアイスを食べ切った後のバーを見て、そう呟く。
見るとそこには『スキ♡』の文字ーー。
それはこの胸キュンアイスの「当たり」のしるしだった。
「当たった…」
耕助はそれに気付くと、少しだけ気持ちが軽くなる。
それはほんのささやかな幸せーー
しかし傷心の耕助にとっては、そんな少しの幸せがいつもよりありがたく…
まるで誰かが耕助を慰めてくれているように感じた。
「よし、交換しに行くか…」
耕助はおもむろにそう言って立ち上がる。
そして当たりバーを交換するため、再び駄菓子屋に赴こうとしたーー
「コーちゃん」
その時だった。
後ろからソーダのように涼やかな声がして、耕助は振り返る。
そこには少し髪の伸びたーー
見慣れた顔の少女が立っていた。
「ふふ」
その少女は大きな眼を嬉しそうに歪ませーー
ふわりと笑った。
「また来ちゃった」
そしてその太陽のような満面の笑顔に照らされ、
耕助の胸に蔓延っていた暗いものは一瞬にして晴れーー
「小雪ちゃん」
耕助もまた、笑顔を浮かべた。
そして耕助は初めて会った時のように小雪ちゃんの手を取りーー
「アイス当たったしあげる、行こ」
小雪ちゃんの手を引いて駄菓子屋へと向かった。
耕助は手元をあまり見ていなかったので気付かなかったのだが…
その時の小雪ちゃんの白く細い手首にはーー
「うんっ」
『スキ♡』という切り傷が痛々しく刻まれていた。
〜〜〜〜〜〜
その後、耕助はまた小雪ちゃんと一緒に楽しい夏休みを過ごした。
色んな所で遊んで、家族で旅行にも行って、洞窟探検でダイヤもとって…それはもう、充実した夏休みであった。
しかしそんな耕助の夏休みも終盤に差し掛かり…小雪ちゃんと共に過ごす日々も、再び終わりを迎えようとしていたーー
「小雪ちゃん、もうそろそろ帰っちゃうの」
「帰らないよ」
ある日の夜、耕助が聞くと、小雪ちゃんは食い気味に返した。
「でも、東京で学校とかあるんじゃ…」
「転校する」
その時の小雪ちゃんは冗談を言っている感じでもなくーー至って真剣な目つきをしていた。
「手首切ろうとしたらお母さんとお父さんも良いって言ってくれたし、このままここに住ませてもらって、コーちゃんと一緒の学校に転校する」
「そなんだ」
叔母さんと叔父さんからオッケー出てるならいっかーーと、耕助は何となく納得しかけたのだが…
「…てくびきろー?」
「あ、あ、えーと…そうだ、ねずみ色。東京の空はねずみ色だから嫌だって言ったの」
小雪ちゃんはかなり苦しい言い訳をしたがーー
耕助はどちらにしろ意味が分からなかったため、特にそれ以上触れる事は無かった。
「そっか、じゃあもっと一緒にいれるんだ」
「…嬉しい?」
小雪ちゃんは大きな眼をニコニコと歪ませながら耕助に擦り寄る。そしてぴったりと身体をくっつける。
「うん。小雪ちゃんといると楽しいもん」
「…小雪も」
小雪ちゃんはもじもじしながらぽっと顔を赤らめ、また耕助に頬を近付けて擦り寄る。
耕助はそんな小雪ちゃんの姿がーー
「弟みたいで可愛いし」
「…弟?」
耕助がその言葉を口にした瞬間、小雪ちゃんの瞳から急にハイライトが消える。
そしてその小雪ちゃんの表情の変化を見てーー耕助は自分の失言に気づいた。
「ごめん、弟じゃなくて妹だ」
「…妹」
先程の言葉を訂正すると、小雪ちゃんの目の色は少しマシになったが…しかし小雪ちゃんはまだどこか納得がいっていない様子で俯く。
そして一言ーー
耕助に聞こえない程度で低く呟いた。
「もっと、頑張らなきゃ…」
小雪ちゃんの瞳は覚悟を決めたように鋭く光る。
『スキ♡』の切り傷がまた、毒毒と疼いていた。
《第二部 『変・貌』 終》




