6話 BGM
「ただいまー」
仕事を終えて帰ってきた母の声が家にこだまする。
リビングの電気は点いているが、耕助の返事は無い。母は不審に思いつつ、リビングのドアを開けるとーー
「うわ!」
その瞬間、猛烈な熱気が顔面を襲い、母は思わず仰反る。
リビングでは何故か…耕助が真夏にも関わらず炬燵やらストーブやらを出して、布団の中で屍のように寝転がっていた。
「ちょいちょいちょい、何してんのアンタ!大丈夫!?」
母が急いで炬燵やらストーブやらの電源を切ってクーラーを点け、耕助を布団の中から引っ張り出す。
すると耕助は脳天から蒸気を噴出させながら、その意図を説明した。
「なんか、温まりたい気分だった」
「はぁ?今日気温何度だと思ってんの」
「うん、身体は暑いんだけど…心が寒いんだ」
「何馬鹿な事言ってんの。詩人にでもなるつもり?ほら、クーラー効くまでリビングから出ときなさい」
母は耕助の発言を軽く受け流し、リビングから耕助を連れ出す。
そして耕助が廊下で扇風機に当たりながら呆けているとーーまた胸の痛みがちくりと耕助を刺す。
「うーん」
耕助はそう唸り廊下に寝転がる。
先程、境地を目の当たりにした後からーー耕助はどこかおかしかった。
深い闇というかーー何か底知れず暗いものが、少しずつ耕助の心を蝕んでいるような気がした。
もしかすると、これに打ち勝つことが住職の言っていた「悟りを開く」という事なのだろうかーー。
そう思うと耕助はその前途の見えなさに少し焦燥の汗を垂らした。
「僧ってすごいなぁ…」
「あ、そうだ。耕助、これ」
耕助がそう考え込んでいると、母が思い出したように言って、何か細長いものを耕助に手渡す。
それは封筒ーーそれも耕助宛のものだった。
そして差出人住所は、東京都〇〇区〇〇…
差出人、仲邑小雪。
「小雪ちゃんからだ」
耕助は声を上げる。
夏祭りの際、東京に帰ったら手紙を書くと言ってくれた小雪ちゃんーー
その手紙が遂に来たのだ。
耕助は封筒の中の便箋を開いて、その中の手紙に書かれている文章を黙読する。
コーちゃんへ
お元気ですか。小雪です。お手紙出すのおそくなってごめんなさい。小雪は今まで東京で色々とじゅんびをしてたけど、変わらず元気です。コーちゃんとすごした時間はすごく楽しくて、とても最高で、かけがえのない時間で…
耕助は小雪ちゃんの、あまり綺麗とは言えない、象形文字のような字を食い入るように眺める。
手紙の端々に付く消しゴムで消した跡、丁寧な文脈、常に述べられる耕助への感謝。
その全てに、小雪ちゃんの耕助に対する想いが詰め込まれているような気がしてーー
耕助の中の何かが、張り裂ける音がした。
「耕助ごめん、マヨネーズとってくれな…」
ふとそう言って母が耕助に目を向けるとーー
耕助は手紙を読みながら、涙を流していた。
「泣いてる!?え、大丈夫?」
母はその異常事態に、一旦ポテトサラダを作る手を止めて耕助に駆け寄る。
というのもーー耕助は生まれてからこれまで一度も泣いた事がなかったのだ。
産まれた瞬間も全く産声をあげずに医者には気味悪がられたし、赤ん坊の頃にハイハイで机に頭を強打した時も心配する自分達をよそにケロッとした顔をしていたし…その後も何があろうと、一度も泣くことはなかった。
成長する度にエスカレートしていく奇行も相まって、ウチの子は何か脳の病気なのではないかと思う事もあったーー
そんな耕助が今、泣いている。
「あんたちゃんと泣けたんだ、良かった。何、どしたの」
母は耕助を心配しつつも、初めて見るその人間味のある泣き顔に思わず少し安心しながら、耕助の坊主頭を撫でて言う。
「分かんない…」
耕助は両手で目をこすりながらぐすぐすとべそをかき、そう切なげに言葉を漏らした。
そしてその今までとは違う、普通の子供っぽい姿に…母は思わずきゅんとする。
やべぇ、我が子クッソ可愛いい……
そして悶えながら耕助を抱き締めるとーー母はその幸福に天を仰ぎ、片手でラオウの如くガッツポーズを天に掲げた。
ああ。
我が生涯に、一片の悔いなしーー。
「何でこんなに涙が出るのか、分かんないぃ…」
「そうなの、耕ちゃん。可哀想にぃ。ほら、ママの胸でいっぱい泣きなぁ」
胸に顔を埋めて泣く耕助に対し、過去にないくらい優しい声音でそう声をかけるとーー
耕助は上目遣いでこちらをうるうると見つめて言った。
「ママぁ…」
うっひょー。
そしてその瞬間、母の脳天は過度な興奮によって火山のように噴火しーーそしてその噴火によって飛び出た高温の火山岩が、ポテトサラダ用に置いていたジャガイモの上にみるみる敷き詰められていく。
そして瞬く間にジャガイモはこんがりと焼け、家中に香ばしい匂いとーー
石焼ーきいもー。おいもー。
石焼ーきいもー。おいもー。
石焼ーきいもー。おいもー。
季節外れのBGM。




