チョコレートをきみに
「こんどこそ、レオポルドにチョコを贈ろうと思うの!」
わたしは気合十分で髪をまとめ、エプロンの紐をシュッと結ぶ。ユーリが興味深そうに、テーブルに盛られた大きな実を取りあげた。
「それで何か、見たことのない植物の実が、ゴロゴロしてるんですね」
そう、チョコレートの材料となるカカオは、赤道近くに生育する熱帯植物なのだ。高温多湿の環境はエクグラシアには存在しない。
マウナカイア土産のチョコレートすらも、原料は周辺諸島からの輸入品だという。
「でもそのぶん製菓技術は、まだ確立されていないんだけどね。この実から取りだした豆を発酵させて、乾燥したら皮を取り除いて焙煎するんだ!」
「ミネルバ書店の二階で頼める、ホットチョコレートも人気ですよね」
あっちの世界でも、カカオは王様やお金持ちだけの、貴重な食べものだったけど、こっちでもそう変わらない感じだ。すくなくとも、六番街の市場では見かけない。
「港のあるタクラでは手に入りやすいし、コーヒーもあるからカフェモカも飲めちゃうけどね」
ユーリがカカオを手に、わたしの顔をじっと見てくる。
「もしかして、ネリアが船や港をほしがったのって……このためですか?」
「えっ、そんなことないもん……でもチョコレートはもっと広まっていいと思うよ?」
少し考えてから、ユーリはテルジオを呼んで指示を伝えた。
「そうですか……テルジオ、タクラの港湾事務所に連絡して、カカオ豆の取引きについて調査させろ」
テルジオはきょとんとして首をかしげる。
「はいっ?私、今日はのんびり見守ってるだけで、楽だなーと思ってましたが……ネリアさんはただ、お菓子を作るだけでしょう?」
「そうだよ。テルジオさんはのんびりしてて!」
わたしはちょっと気分をだして、バレンタインのチョコレートを作ろうとしただけなのだ。なぜかギャラリーが多いのは、研究棟だからしかたない。
ライアスやオーランドまで揃っているのは、みんなの意見を聞きたかったから。なのにユーリは大げさにため息をつく。
「甘いな、テルジオ。ネリアの『ちょっと』は『ちょっと』じゃない」
「もー、ユーリってば大げさ!あ、でもわたしがいたところでも『ココア協定』ってのはあったよ」
「ココア協定?」
テルジオの顔がぐりんとこっちを向いた。
「カカオから採れるココアが、チョコレートの材料になるんだけど。チョコってやみつきになるから。生産地は限られているし、貿易のバランスを取ったり、生産地の経済支援なんかを話し合って、国際間で協定を結ぶんだよ」
「国際間で協定を結ばないといけない、食べものなんですか⁉」
「うん。だってみんなが食べたがったら、チョコレートの値段はどんどん上がっちゃうもの」
「えっ、じゃあ殿下の言うことってマジで⁉」
テルジオは青ざめて口をパクパクしはじめた。
「あたりまえだろ。カカオ交易にタクラのアンガス公爵が乗りだすまえに、王家が主導権を握っておかなければ。ネリアはチョコレートが必要なんですよね?」
「必要っていうか、毎日食べたいってほどじゃないけど……やっぱりごほうびスイーツだよね!」
バレンタインじゃなくても、チョコのお菓子は特別感がある。
「かしこまりました。ネリアさん、私これで失礼します!」
バタバタとあわてて彼は、補佐官の仕事をしに行った。
「流行らせるときは、需要と共有を考えないといけませんから」
「そういうところは、さすがユーリだね!」
わたしは流行らせることまでは考えてないから、そこはユーリたちにお任せだ。
ベタにハート型のチョコもいいけど、生チョコやトリュフ、ブラウニーやマフィンみたいな焼き菓子でも食感の違いが楽しめる。
「レオポルドだったら、紅茶に合わせてひと息つけるようなものがいいかなぁ。あまりずっしり食べ応えがあっても、つまみにくいよねぇ」
「あいつは意外と何でも食べるぞ」
「そうなんだけど、無反応でもつまらないし……紅茶じゃなくてお酒に合わせるとしたら、スパイスやドライフルーツを使ってもいいかも……」
細かく刻んだピュラルの皮に、甘くないチョコを重ねがけすれば香りと食感も楽しめる。
でもでも!大人っぽいチョコじゃなくて、シンプルにハート形を渡したい気もする。
考えれば考えるほど、何を作るか決まらない。首をかしげるライアスを、オーランドが注意する。
「贈りものというのは、悩む時間さえも相手へのギフトなのだ。だからネリス師団長も我々に相談されるのだろう」
「それもそうか」
「あ、みんなまでつき合わせちゃってごめんね……」
「いいですよ、べつに。ネリアって仕事だと決断が速いのに。ヴェリガンを見てるのとは、別の歯がゆさがありますよねぇ」
「まぁ、こっちが素なんだろうな」
「ううう……」
そう、研究棟にメンズが揃ってしまったのには訳がある。
わたしにはこういうのに、つき合ってくれる女友達がいなかった!
「何それ、儀式みたいじゃない?」
「チョコだったら自分で食べたいわよねぇ」
メロディとミーナは首をかしげ、ニーナはデザイン帳から顔も上げなかった。
「それどころじゃないのよ!」
ここはユーリに任せて、チョコが普及するのを待つしかないのかも。
「こんなに女性が贈りもので悩むとは知らなかった。俺も今までのことを反省してしまうな」
ライアスって反省してもさわやかだね!
「ライアス、おまえは気づいてないかもしれないが、ウチでも母さんが毎年、特別なメニューを用意しているぞ。食後にでてくる焼き菓子があるだろう」
オーランドの言葉に、ライアスはうなずいて首をひねる。
「あぁ。でもそれのどこが特別なんだ?」
「正確にはその日だけ、ドライフルーツが多めで、粉糖が振りかけられている。レオポルドも好きで、よく食べていたろう」
わたしはゴールディホーン兄弟の会話に飛びついた。
「えっ、レオポルドが好きなお菓子があるの?」
「べつに特別なものじゃない。家庭で作られる定番の焼き菓子だ。子どものオヤツにも、腹を満たす軽食にもなる」
「それ、教えてもらえないかしら」
ライアスとオーランドは顔を見合わせた。
「かまわないが、きみはもっとこう……すごいものを作るつもりなのでは?」
「チョコはチョコで作るけど、レオポルドが好きなお菓子も知りたいの!」
「ならばウチに来るといい。母さんに話しておこう」
「ありがとう!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ライアスの家に行くのは初めてで緊張した。ゴールディホーン夫人のマグダはニコニコして、わたしをキッチンへと案内する。
「ようこそいらっしゃい。錬金術師団長をおもてなしするのが、キッチンだなんておかしいわね」
「突然押しかけて、すみません……」
「そんなに緊張しないで。材料はシンプルだし、順番に混ぜて焼くだけだから、そう失敗もしないと思うわ」
「はいっ!」
「砂糖を加えた小麦粉に塩をひとつまみ、重曹を足してピュラルの果汁をほんの数滴、あとは小さく角切りにしたバターを加えて、混ぜたらミルクで練ってまとめるの。オーブンで焼いたらできあがり」
「わ、簡単ですね」
レシピはシンプルでスコーンに似ていた。最初にプレーンなものを作ったあと、マグダはドライフルーツを生地に混ぜこんだものも作る。
「特別な日にはドライフルーツを入れて、焼き上がりに粉糖をかけるだけ。家にあるものしか使ってないのよ」
オーブンで焼き上がりを待つあいだ、そのままキッチンでマグダとお茶を飲む。
「子どもでもできるから、ライアスたちにもよく手伝わせたわ。レオポルドが好きだと言っても、ウチではこれしか出してなかったの」
「そうなんですか……」
「作っておけば、サッと温めてすぐ出せるし。ジャムやクリームで味に変化を持たせて……シチューを添えればご飯にもなるの。男の子が『お腹すいた!』って言ったら、待ったなしなのよ」
くすくすと笑って、マグダはお茶のカップを口に運ぶ。
「オーランドが文官の試験を受けるときも、夜食として活躍したわね。昔にくらべて作ることは減ったけれど……ネリアさんが来て下さって、ひさしぶりにオーブンを使ったわ」
「本当にありがとうございます!」
わたしは自分で作った焼き立てを紙に包み、だいじに収納鞄へしまって、ライガで王城に戻る。
十番街にあるライアスの家は、鍛錬をするために広い庭があり、そこで手を振るマグダはあっというまに小さくなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ただいま、ソラ!」
「おかえりなさいませ」
「ライアスの家に行ったそうだな」
「レオポルド、帰ってたんだ……」
表情が読めない彼から強張った空気を感じて、べつに後ろめたいことをしたわけじゃないのに、返事がぎこちなくなった。
キッチンで鞄から焼き菓子をだすと、仕上げに粉糖を振りかけてソラに渡す。
「ソラ、これは食後に持ってきてね」
「はい」
リビングに戻って、レオポルドとふたりだけの夕食をとる。温かいスープを飲み、肉料理を口に運び、パンをもくもくと食べる。
無口な彼はいつもと変わらないのに、なぜか緊張で背中にじわりと汗がにじむ。
食後のお茶を彼が準備しはじめると、ようやくわたしはホッと息を吐く。ソラが焼き菓子を、温めた皿に載せて運んできた。
「ありがと、ソラ」
「…………」
レオポルドは無言でその皿を眺めている。わたしはあわてて彼に説明した。
「あの、レオポルドが好きなお菓子があるって聞いて、ライアスの家に作り方を教わりに行ったの。マグダさんにオーブンも借りて……同じようにはできなかったかもしれないけど……」
「……私が好きだと聞いたのか?」
「違った?」
何かを決定的に間違えてしまった気がして、わたしは彼を見つめた。だって彼の反応は、好物を目の前に置かれた人だとは思えなかったから。
レオポルドは小さく息をつくと、皿の焼き菓子を食べはじめた。しっかりとよくかんでいるらしい、上下に動く彼のアゴを見ながら、わたしはもうひとつの包みを取りだした。もう彼の目を見る勇気はなくて、グイッと押しつけるように渡した。
「ホントは手作りチョコを贈るつもりで用意してたの。でも自信がなくて……レオポルドが好きなお菓子にも、チャレンジしたかったの」
「マグダの菓子は、誰が作っても同じような味だろう」
「そうだけど……」
レオポルドは長い指を伸ばし、焼き菓子をつまむ。
「ライアスの家は家族仲がよく、私はこれをなるべくゆっくり食べた。食事が終わったら帰らないといけない。自分には縁がなかった家族の団らんを、できるだけ味わいたかった。それを覚えられていたとは……」
「あっ、教えてくれたのはライアスじゃなくて、オーランドさんだよ」
「そうか、ならいい」
「いいの?」
わたしが心配そうに問えば、レオポルドはふっと笑って紅茶のカップを取りあげた。
「私とて親友にも知られたくない胸の内はある。オーランドに観察されていたのはしかたないが……憧れが顔にでていたのだろうな」
「憧れ……」
「待つ者がいて、『おかえり』と言ってくれる。交わすたわいない会話も何もかも……家族というものへの憧れだ。きみもそんな気持ちになったかと不安を覚えた」
そう言って彼は、わたしが渡したもうひとつの包みを取り上げた。
「ライアスには言わないでくれ。それでこれもきみが用意したのか?」
「うん……」
レオポルドにとっては、この居住区が家庭と言えるもので。ここにきてからの彼は前よりもさまざまな表情を見せるようになった。
ライアスの家にまで行ったから時間がなくなり、用意したのは湯煎にしたチョコを、ハート型に冷やして固めたものだ。ラッピングまで凝りたかったけど、リボンを用意するヒマはなかった。
「…………」
これまた彼は無言で眺めているから、わたしは緊張でモゴモしてしまう。
「あのね、ただのチョコなんだけど、型はグリドルの工房に注文して作ってもらったの。だ、だから……これからハート型のパンケーキとか、ハート型のゼリーとか、いろいろ作れるから!」
「つまりこれは……菓子なのか?」
「へっ?」
まばたきをした彼に聞かれて、わたしは変な声がでる。
「私が知るチョコレート菓子とはだいぶ違う。てっきり陶板か粘土板のたぐいかと……」
あぁ、そうだよね。貴婦人たちがつまむ茶菓子に、ハート型の茶色い板なんてないよね……って、違うぅ!
この世界にないハート型をきれいに作りたくて、グリドルの工房と何度も試作を重ねたことが裏目に!
「お、お菓子だもん。食べられるもん!」
首をかしげる彼にむかって、わたしは必死に言い募りながら固く心に誓う。
早くチョコレートを、この世界でも普及させなくては!










