お泊まりおでかけ with 副団長⑪
湖の夜。
ふたつの月が中空に昇るころ、わたしはパチリと目を覚ます。それと同時に展開してあった遮音障壁が砕けるように解けて、まわりに湖の波音や風の音が押し寄せてくる。
(静かすぎるのもなんか慣れないな……)
エルサの秘法を使い、シャンとしてからテントをでると、もう魔道具師たちは時計塔を去ったあとで、レオポルドとカーター副団長が簡易テーブルに座り、魔導ランプを囲んで話していた。
副団長はレオポルドに護符を見せてもらっていたようだ。置かれた護符をひとつひとつ手に取り、熱心にあれこれと質問しては、ノートに術式を書きつけている。
レオポルドは遮音障壁が砕けたときに、わたしが起きたのはわかっていたらしい。彼の視線に気づいた副団長が顔をあげた。
「ネリス師団長、起きられましたか」
「ふたりは休んだの?」
「それぞれ二アウルほど。アルバーン魔術師団長も先ほどまで休息を取られていました」
レオポルドの銀髪は月光を浴びて透き通るように輝き、長いまつ毛に縁どられた黄昏色の瞳は魔導ランプの明かりを受けてきらめく。
「彼女も起きたし夕食にしよう」
副団長はホクホクと術式を書いた紙をまとめ、テーブルを片づけた。
「今回は私にとっても得難い機会となりました。あとはネリス師団長から〝しゃんぷ〟とやらについて聞くだけですな」
「…………」
もともとレオポルドは口数が多いほうじゃない。けれど面倒見はいいから、護符についてきちんと説明してくれていたのは、副団長の表情からもわかる。
「カーター副団長は研究熱心だから、メレッタやカディアンもしっかりした錬金術師になりそうだね!」
カーター副団長は渋い顔で首を横に振る。
「どうですかな。私が興味を持つのは効果の付与など役に立つもの、価値を生みだすものです。ですがヴェリガンやウブルグのように、いったい何の役に立つのか……と思うような研究を続ける者のほうが、世間をあっと言わせることがある」
「そんなことない。芽がでない研究だって多いんだもの。カーター副団長のような人がいてくれないと、研究棟はうまく運営できなかったよ」
――コトリ。
レオポルドがお茶の準備を手際よく済ませ、湯気が立つ温かいカップをわたしの前に置いた。
「ありがと。夜はさすがに風が冷たいね」
「ああ」
だいぶ人間らしいしぐさや表情を見せるようになった彼だけど、均整のとれた彫像のような姿は、風になびく髪だけが生きた人間なのだと感じさせる。
月明かりを映した湖面が銀色に輝き、さざなみの音が風に乗って運ばれてくる。
ザザ……ザザ……。
魔素を光に変換する術式は、成り立ち自体は単純で、古くから使われていたらしい。
シャングリラのような魔素が豊富な土地では魔導ランプはまばゆいばかりに輝き、家々の明かりは星のようで、あっちの世界で見た夜景に似ているけれど、コルト湖では〝夜の精霊の祝福〟が起きないかわりに、星や月がくっきりとよく見える。
湖の上で輝く星空はにぎやかにさざめくようで、デーダス荒野で感じたような孤独な寂しさはなかった。
(あのときはグレンがそばにいたけれど、彼も孤独な人だったから……)
夜空にまたたく星々は、どんなに近くで輝いているように見えても、星と星の間は何万光年も離れてる。そんな感じの関係だった。
わたしが静かにお茶をすすっていると、レオポルドが過熱の魔法陣を展開して鍋を温めだした。彼がグリドルの魔石にふれ、肉を焼こうとしたところで、わたしはあわててカップを置く。
「手伝うよ」
「きみは起きたばかりだろう。座っててくれ」
「でも……」
わたしが何か言う前に、副団長が咳払いをした。
「ネリス師団長、婚約したばかりなのですから、ここはアルバーン師団長に甘えておくことです」
「ええと……」
婚約のお作法でもあるんだろうか。わけがわからないでいると、副団長はつけ加えた。
「この場合の魔術師団長は『自分が調理をしたい』というより、『婚約者の料理を他の誰かに食べさせたくない』です。料理には出来合いのものも含みますぞ」
「そういうものなの?」
わたしが眉を寄せてたずねると、副団長は片目をつぶる。
「人魚の求愛はご存知ですな。魔力持ちはより精霊に近い存在です。ネリス師団長が自分以外に食事の世話を焼いては、アルバーン師団長とていい気はせんでしょう」
「食事を用意することも求愛になるってこと?」
「もちろん例外はあります。レストランや食堂で供される食事は関係ないですし、中庭で食事をしていたときは、全員が準備を手伝いました。ネリス師団長も婚約前でしたからな。まぁ、向こうは何の気もなくても、ビスケット一枚でも渡されたら意識しますぞ」
「意識って……あ!」
わたしは〝魔女のお茶会〟で差し入れた、ボッチャクッキーを思いだした。クッキーだけでなく、プリンやグラタンまで作って、それを食べるレオポルドをゴキゲンで眺めていたっけ。
でもあれって……そういう意味で考えたら、けっこう大胆なことをしたかもしれない。
「どうされましたか」
月明りのせいで、赤くなったことはバレていないはず。チラリとレオポルドをうかがえば、彼はスープをかき回すのに集中していて、こちらの話は聞いていないようだ。
「な、なんでもない。その……副団長もそんなことがあったの?」
意外にも副団長はスラスラと答えてくれた。
「まぁ、そうですな。工房に残っていた私に、アナが六番街まで買いに行った食事を、差し入れてくれたことがありましてな。ただそれだけのことですが、転移門を作ってくれたグレン老のおかげですな」
「いい話だね!」
「そのころの私は毎日、魔道具を修理するだけの魔道具師でした。こんなものを開発した錬金術師という存在に、興味が湧きました。私もいつか彼女が認めるような魔道具を作って贈りたいと……いや、せんないことですな」
「カーター夫人ならば、花飾りを贈るほうが喜ぶのではないか?」
レオポルドが皿に盛った料理をテーブルに置き、わたしたちの会話に割って入る。
「花飾り?」
きょとんとする副団長に、レオポルドは説明した。
「私は夫人のことはよく知らぬが、ご令嬢の髪飾りは夫人が作られていると聞く。ならば画期的な魔道具よりも、シンプルに花飾りを贈るほうがいいのではないか?」
「考えたこともありませんでした……」
「え、考えたこともないの?」
そっちのほうがびっくりだ。エクグラシアではあたりまえの習慣だと思っていた。レオポルドはチラッとわたしを見て続ける。
「私は彼女に花飾りを贈りたいと、ずっと思っていた」
「はい⁉」
いきなり話の矛先がこちらに向いたよ!
副団長はわたしを哀れむように見てから、深くため息をついてレオポルドをねぎらう。
「アルバーン師団長もご苦労が多いですな」
ちょっとー!
なんでふたりとも仲良くなっちゃってるの⁉
「ともあれ自分で納得できる魔道具を作るまえに、花飾りを渡してみたらどうだろうか」
「そ、そうですな」
副団長はモゴモゴつぶやき首をひねっていたが、やがて納得したようにうなずく。
「私の開発したものではありませんが、アナは私がグリドルで食事を作ると喜びます。魔道具にこだわる必要はなかったかもしれません」
「では食べようか」
肉とパンを載せた皿は、加熱の魔法陣でほどよく温めてあり、ホカホカと湯気を立てている。刻んだ根菜を入れたスープは、よく煮こまれた具材が舌で潰すと溶けてゆく。
「おいしい!」
「用意したのは領主館の料理人で、私は肉を焼いて給仕をしただけだ」
レオポルドは淡々と返事をしながら料理を口に運ぶ。ガツガツしてはいないのに、彼はしっかりと量も食べていて、わたしも見ていて気持ちがいい。
「それはそうだけど、みんなで食べるご飯はそれだけでおいしいもん。でもなんだか……幸せすぎてお腹いっぱいになりそう」
そういうと、ふたりとも驚いたような顔をする。だってこのふたりと穏やかに食事ができるようになるなんて、王都にきたばかりのころは思ってもみなかった。
「ふむ。やはりネリス師団長は何か食べさせるのがいちばんですな」
「私もそう思う」
ちょっとー!
人を食いしん坊みたいに言わないでほしい。そしてやっぱり、なんでふたりとも仲良くなっちゃってるの⁉









