お泊まりおでかけ with 副団長②
身を切るような風の中でも、アルバの呪文があればへっちゃらだった。
わたしはレオポルドの背中にひっつくような格好で、アガテリスの背に乗っているから、ちょっとホッとしている。
や、ライアスに抱えられるようにして、はじめてミストレイの背に乗せられたときは、わりと照れくさかったんだよね。なんかこう……抱きかかえられるみたいでさ!
ちょっと彼が身をかがめただけでも、息が耳をかすめるし……うん、あれは緊張したなぁ。
「……何をしている」
「ん?」
レオポルドが不機嫌そうにふりむいた。まだ出発したばかりなのに、なんでもう眉間にシワ寄ってんのかしら。
「手」
ひとことどころか、彼が発したのはたった一音で、わたしは自分の手を見おろす。
レオポルドが着ているローブの、ケープになっている部分を、わたしは両手で握りしめていた。
「手綱じゃない」
「あっ、そうか。そうだよね……ごめん」
パッとケープから手を離し、そうすると手をどうしようかと考えて、固定具の金具をつかむと、またため息が聞こえる。
「不安定なら私の体に腕を回せ」
「えっ……」
そのままアガテリスのはばたきが、風を切る音だけがして沈黙が続く。何と返そうかと迷っていると、カーター副団長の重々しい咳払いが聞こえた。
「しっかり、しがみつけばよろしい。私のことは気になさらず」
「え、いやあの、気にしているわけじゃ……」
「…………」
レオポルドは何も言わないけれど、その背中が待っているような気がする。
「じゃあ失礼します……」
おずおずと手を伸ばすと、ふれた瞬間に彼の体がピクリとした。
「あ、やっぱごめ……」
パッと手を離せば、焦れたような声で彼が一喝する。
「いいからしがみつけっ!」
「ひゃいっ!」
アガテリスの背で跳びあがって、ギュッとしがみつけば、レオポルドはあきれたように息を吐いた。
「まったく……」
「世話が焼けますな」
うんうん、とカーター副団長まであいづちを打っている。わたし、世話が焼ける子みたいになってるよ!
もぞりと動くと、レオポルドの銀髪がほほをかすめる。デーダスで乱雑に切った毛先はもう整えてあるけれど、それでも少しシャギーがかかっていてチクチクした。そして鼻をくすぐる甘い香りがして……。
「ん?」
わたしが思わずレオポルドの髪をつかみ、鼻を近づけてクンクンすると、彼の肩がビクリと跳ねる。
「な……」
「ねぇ、ちょっと。レオポルド、わたしのシャンプー使った?」
彼の髪からは、わたしが使っているシャンプーの香りがしたのだ。
「しゃんぷ?」
浄化の魔法があるこの世界では、そもそも入浴なんて必要がない。けれど快適なお風呂ライフを実現するために、わたしはヌーメリアと協力してシャンプーやリンス、ボディソープに入浴剤まで作りあげていた。
贅沢にも香りがいい花の精油も抽出して、あっちの世界で販売されているものより高級志向なのだ。なんたって手作りだからね!
自分たちで使うぶんだけだから、大量生産するものでもないし!
毎日の入浴で使うそれらは、わたしのひそかな楽しみだったのだけど……。
居住区で暮らすようになって、レオポルドもじゃくじぃに興味を持ったらしく、ときどき入浴するようになったのだ。
けれどまさか置きっぱなしのボトルからシャンプーまで使って、彼が洗髪しているとは思わなかった。
「きみが楽しそうに使っては自慢するから、どんなものかと……」
「あ、使っちゃダメとかじゃないからね。ぜんぜんいいんだけど、その……」
なんか妙にあせる。だってシャンプーを共有するとか……やばいよ、いっしょに暮らしてる感がハンパない!
「くさい男よりはいいのではないかと」
「くさい?」
ぼそりと言葉を返す彼が、どんな表情をしているかなんて、わたしからは見えない。カーター副団長が会話に割りこんだ。
「師団長はしゃんぷとやらを勝手に使われたことに、文句があるわけではないのですな」
「それはだいじょうぶ。ただレオポルドが使うなら、違う香りがいいかなって。たとえば柑橘系とか、もっとさわやかな香りにしたらどうかな」
あまりにもフローラルでも、可愛くなりすぎな気がする。レオポルドはぶっきらぼうに返事をした。
「きみが気にいるなら、何でもいい」
「じゃあヌーメリアやヴェリガンとも相談してみるね。ヴェリガンは植物の香りにもくわしいし、香料の抽出はヌーメリアが得意だから」
使う香りを変えるだけだし、このさいレオポルド用のシャンプーだって作っちゃおう!
「それならがぜん張り切っちゃう。レオポルドにもジャグジーを楽しんでほしいもん!」
「もとはといえば……」
「うん」
「海洋生物研究所からやってきた、カイという男が、私を見るなり『グレンと同じにおいがする』と」
「カイが?」
肩越しにふり向いた彼は真剣な目をして、わたしにたずねてくる。
「私のにおいはグレンと同じか?」
「えっ、そんなこと聞かれても……わかんないよ」
そういわれても。グレンのにおいがどんなだったかなんて、覚えてもいない。そしてレオポルドのにおいも、そんなにクンクンかいだことはない。
「そうか」
「んーそうだね、でも体温は同じくらいかな」
「体温⁉️」
ビキリと固まったレオポルドのようすより、わたしはひとりで想像の世界に入っていた。
(でもいっしょに暮らすとなると、シャンプーがふたりの話題になるなんて。あっちの世界だったら、ドラッグストアで連れだって、買いものしたりしたのかなぁ)
陳列棚のあいだを、レジかごを持って歩くレオポルドを想像してしまい、わたしは彼にしがみついたままでプルプルと悶えた。
「うくくく……」
「何だ?」
「何でもない……くく……」
彼が不審そうに声を低めた。
「震えているぞ」
「いや、何かちょっとツボにはまって……えへへ」
レオポルドはため息をついて、アガテリスをあやつった。何か知らないがネリアは楽しそうではある。
彼にしてみれば居住区でネリアにふれようとすると、いつも『お風呂入ってから!』とダッシュで逃げていく。
そしてでてきた後は『えへへ、髪がふわっふわ。それにいい香りでしょ!』と自分の髪にさわらせたりする。
だから彼女にとっては、お互いにふれる前に済ませたい、何かの儀式かと思ったのだ。
正直、じゃくじぃの楽しさとやらは、未だによくわからない。
今も。
「うふふ。やっぱしゃんぷ使うとサラサラー。レオポルドの髪、キューティクルキラッキラだねぇ!」
……そう言って背中で喜んでいるが。声にだして言いたい。
――さわってほしいのは、そこじゃない。あとしっかりしがみつけ。
だがカーター副団長もいる手前、声にもだせず黙っていると、咳払いとともに渋い声が聞こえてきた。
「わかる。わかりますぞ、魔術師団長。私も口下手でどれだけ損したことか」
「…………」
返事をしない魔術師団長のことは気にせず、カーター副団長は前を向いたまま、ニタリとほくそ笑んだ。
師団長ふたりがハマっている、しゃんぷやらじゃくじぃとやらも探りたいし、父親なみに気難しいと言われる魔術師団長に、ここで恩を売っておくのも悪くない。
「うちの師団長はいつも斜め上を走っていきますからな。何、ここはひとつ年の功で私がひと肌脱ぎましょう」
それを聞いたレオポルドの眉間に、グッとシワが寄った。
――何をするつもりだ?
まったく違う、三人それぞれの思惑を乗せて、白竜のアガテリスが優美に飛んでいた。









