Rainy Day
ネリアはビニール傘を作りたくなりました。
「雨だ……」
わたしはホテル・タクラから、街に降りしきる雨を眺めた。ここタクラは海のそばだからか、シャングリラにくらべて雨が多い。
「錬金術師のローブって透明マントにならないかしら」
ネリア・ネリスとしてホテル滞在……ハッキリ言ってつまんないのである。つまりとっても抜けだしたい気分になっていた。
「なぜ透明になりたいのだ」
「いやぁ、まぁSF的には『光学迷彩』とも言うんだけど。見つからずに抜けだせないかと」
「抜けだす……?」
背後から聞こえる声が冷気を帯びて、わたしがあわてて振り返ると、レオポルドが無表情に突っ立っている。え、なんか怖い。
「またひとりで勝手に、どこかへ行こうというのか?」
わたしは慌てて手を左右にパタパタと振った。
「やだ、ちょっとお散歩したいと思っただけだよ。魔導車を使って出かけるってめんどうだし」
「たいていの人間は歩くのをめんどうがる」
眉をひそめたレオポルドに、しかたなくわたしは説明する。
「わたし雨ってわりと好きなんだよね」
「雨が好き……」
緑の色が濃くなり、色鮮やかになった世界は、チリをすべて洗い流してサッパリして見える。
窓を流れる水滴を眺めるのも好きだし、雨音に耳を澄ますと落ち着く。
ひろがる水紋がおもしろくて、長靴で水たまりを歩かなくなったのはいつからだろう。
そんなことを考えていると、ヌーメリアがおずおずと声をあげた。
「あの……見つからずにというか、目立たなくすることはできますよ」
「目立たなく?」
「ええ、私もヴェリガンも使っている術式なんですけど……」
そういって見せてもらったローブには、印象操作の術式が目立たない糸で、しっかりと刺繍してある。
「わ、いつのまにこんなの……ぜんぜん気づかなかった」
「研究棟にいるときは使いません」
でかける時は誰かにうっかり話しかけられないように、術式を作動させて移動しているらしい。
「何それ、超便利じゃん。ライアスやレオポルドも使ったらいいのに」
レオポルドは眉をひそめた。
「師団長が目立たず、存在感をなくしてどうする」
「あ、いいや。ふたりはそのままで」
「?」
よく考えたら、ふたりがキラッキラでまぶし過ぎるから、わたしは目立たずに済んでいるのだ。それならずっとこのまま、キラキラしててほしい。
「そうだ、雨の日のおでかけが楽しくなるような、アイテムを作っちゃおうかな!」
どうせ雨で予定が潰れて今日はヒマなのだ。おとなしく本を読んだり、ローラとお茶を飲むのもいいけれど、ちょっと手を動かしたくなった。
この世界にも傘はあるけれど、日除けのために使う日傘だ。人々は雨が降っても傘はささず、帽子やフードを頭にかぶって雨の中を歩いている。
「布に撥水性を持たせれば、雨傘の需要もあるはずだよね。いっそのことビニール傘を作るとか」
王都シャングリラと違い、雨の多いタクラなら需要があるかもしれない。
けれどレオポルドがけげんそうに、「べにるが?」と聞き返してきて気がついた。
この世界にビニールないじゃん!
「えぇ……どうしよう、プラスチックから作る?」
電気を通さずサビにくい、着色や加工がかんたんにできるなど、プラスチックは超便利な素材だ。
金属の精錬よりずっと安く作れて、工業製品としても需要は大きい。
「だとしたら石油を、油田を探さなきゃいけないけど。でも……」
この世界に石油あったっけ?
「魔石を動力源としているぐらいだものね」
それに石油とかプラスチックには、環境汚染の問題だってある。もし油田が見つかれば利用法を考えるとして、いまは考えなくてもいいだろう。
ひとり納得していると、レオポルドがわたしの顔をのぞきこんできた。
「さっきからブツブツと何を言っている」
「あ、たいしたことじゃないんだけど。透明な雨傘があったらいいなって」
「透明な雨傘?」
「そう。オーロラ色の光沢があって、雨の中を歩ける傘。でもちょっとそう思っただけで、どうしても必要な物じゃないから」
「そんなに雨が好きなのか……」
「うん。やっぱお散歩行ってくるね!」
「私も行こう」
ふたりそろってフードを被り、ホテル・タクラをでて駅前の通りを歩く。
しとしとと降る雨を浴びても、魔術のあるこの世界ではアルバの呪文を使って、体を空気の膜で覆い、濡らさないようにすることもできる。
水たまりの水はねも、浄化の魔法とエルサの秘法があればきれいになる。雨の日のおでかけもへっちゃらなのだ。
「雨の日はね、世界の色が変わるから好きなの」
「そうか」
「もちろん晴れている日だって好きだよ。あと激しい雷雨もね、家の中にいて外を眺めるのはわりと好きなんだ」
「ほう」
空全体が稲妻でピカッと白く光り、お腹の底に響くようなドオンと大きな音がする。怖いけれどダイナミックな自然の営みはすごいと思う。
そんなとりとめのない話をしながら、文房具店でレターセットを見つけた。
「これでみんなに手紙を書こうと思って。レオポルドにも送るからね!」
「それを買うつもりだったのか」
それだけ言うと、彼はふいっとそっぽを向いた。
そうしてわたしはビニール傘のことはすっかり忘れ、まずは王都にいるメロディやカーター副団長、魔道具ギルドのアイシャにも手紙を書き終えた。
書いた手紙をテルジオに預け、ローラやヌーメリアとのんびりお茶を飲んでいると、手に傘を持ったレオポルドがやってきた。
「きみにこれを」
「何これ」
「雨の中を歩ける傘だ。術式の調整に時間がかかった。気にいるといいが……」
オーロラ色に光る傘はどうやら、ヌノツクリグモの糸を折った布で作られているらしい。レオポルドが描いた魔法陣の模様がとてもキレイだ。
「うわぁ、きれいな傘!ちょっと差してみるね」
わたしはウキウキと傘を広げ……そして全身が濡れた。傘を差したのは部屋の中なのに、わたしの周囲だけザアザアと傘から雨が降ってくる。
「これなら歩きたい時にいつでも、傘を差せば雨の中を歩ける。サルジアにも持って行くといい」
「そ、そうだね……」
わたしはどんどん濡れていく。彼はじーっとそんなわたしのようすを見ている。
「まさかそこまで雨が好きだとは知らなかったが、きみの『好き』を知っていくのも婚約者の務めだからな」
「あ、ありがとう……」
分かってる。彼がわたしのために作ってくれた、世界にひとつだけの傘だ。
「好みの雨があれば、術式を調整する」
「ううん、これでじゅうぶ……ヒクシュッ!」
返事をしようとしてくしゃみが出てしまい、わたしは言葉にならなかった。
ビニール傘は浅草の傘メーカーが1958年に発明、1964年の東京オリンピックで世界中に広がりました。









