4.爪の魔法陣
せっかくのネイル、レオポルドからの評判は今ひとつで……。
「ロビンス先生はグレンと親交があったんですか?」
「ああ。私は魔術学園で働く前はいろんな土地を旅していてね、放浪していたグレンと知り合った。旅の連れとしては最悪だったがね……彼は何でも錬金釜に放りこんだから」
丸眼鏡をかけたロビンス先生は少し遠い目をして、カップを手に窓から色づく木立を眺めた。
「突然錬金釜が爆発したり、とてつもない悪臭がして追われるように宿から逃げだしたこともあったよ」
「うわ、グレンもやらかしたんですね。ロビンス先生はデーダス荒野にも行かれたことが?」
わたしの質問に先生は首を横にふる。
「いや、デーダスに彼が家を建てたのはつい最近だ。それにあそこは彼にとっては大切な場所だ……」
ロビンス先生は窓の外からわたしに目を向けて目を細めた。
「その席はレイメリア・アルバーンのお気にいりの場所だった。彼女も親友のアイシャやリメラとよくここきてね……何ともはや、あれから三十年近くたったのか」
ニーナとミーナが顔を見合わせる。
「えっ、それでいくと私たちが王妃様や魔道具ギルド長ってこと?」
「偶然よ。でも同じ椅子に座ったってことよね」
ミーナがちょっとうれしそうにイスの座面をなでた。
わたしたちは七番街の工房にもどり、ビーズ細工で使用するルーペ台を使ってピンセットで豆本を押さえながらめくる。
借りた〝極小魔法陣図鑑〟の豆本を読むにはルーペが必要だ。
「なになに……左ページに魔法陣が描いてあって、右ページがその説明ですね」
「小さいだけに効果も限定的ね。『瓶のフタを開けやすくする』とか、一瞬で消える強化魔法ってことでしょ?」
「あ、この形可愛い。『ブックマーク。本を開く時に発動させれば、必ずお目当てのページが見られる』だって。爪に描いてあればめっちゃ便利そう!」
「へぇ。いいじゃない」
お茶会で爪を飾るなら話題にもなりそうな効果がいい。全部ではなく大きくて描きやすい親指と中指の爪に、それぞれちがう魔法陣を載せることにした。
王太后のお茶会だし、緊張しないよう〝リラックスの魔法陣〟を親指に、冷え性対策で〝保温の魔法陣〟を中指に描いてもらうことにする。
あとはみんなでワイワイと、その属性に合わせてクリスタルビーズを使うかクズ魔石を使うか、配置をどうするかを決めていく。
うふふ、魔法効果付きのネイルアートなんて、ちょっと凄すぎる。
わたしが次のページをめくると、見慣れた筆跡に手が止まった。
「グレンの字……」
なめらかなロビンス先生とはちがい、力の加減もバラバラで紙にひっかくようにして残された文字は、デーダス荒野でもさんざん目にした。
「あら、グレン・ディアレスが書き残したものがそれ?」
興味を持ったらしいミーナが、豆本をのぞきこんで眉をひそめた。
「え、時間指定の術式に発火の魔法陣なんて、ものものしいわね。しかも極小……気づかれずに設置できるわ」
ページをめくると次は、物を隠すための〝隠ぺいの魔法陣〟だ。魔法陣をほどこされた物は、術者以外の目には見えなくなる。
「隠ぺいの魔法陣は使えませんね。爪が消えちゃう」
「気にするとこ、そこ?」
夜でも物が見つけやすいように、〝夜光の魔法陣〟もあった。グレンらしいというか何というか……。夜光る爪もオシャレだけど、茶会は昼に開かれるから今回は必要ない。
それよりも、踏むとトゲが生える魔法陣やら、ドアノブに設置して知らぬ者が開けようとすればしびれさせる魔法陣など……見れば見るほど、グレンは特殊工作員でもしていたのかと思う。
王都で錬金術師団長になるよりもずっと前、グレンはどんな生活を送っていたのかしら。
ともあれわたしはキラキラした爪で、レオポルドとのマナーレッスンにでかけた。
塔にある会議室を使って行われるレッスンはすでに何回もやっているから、わたしのマナーもだいぶマシになってきた。
「よろしくね!」
すっと左手をあげれば、レオポルドがさっと自分の右腕にわたしの手を誘導する。
彼がわたしの手に目を留めた。ふふふ、見てる見てる。わたしの爪に視線を落としたまま彼は動かない。
(ええっと、背筋を伸ばしてあごをひく。優雅にほほえみを浮かべて会場を見回す……)
だれも座っていない会議室をにっこりと笑みを浮かべて見回し、レオポルドといっしょに進むのだ。
けれど彼は動かなかった。かわりにわたしの手を持ちあげて、しげしげと眺める。
「これは何だ?」
「気になるでしょ、オシャレでしょ。ふっふっふ、爪を魔法陣で飾ってみたの!」
「爪を魔法陣で飾る……オシャレだと?」
ニーナたちも「バッチリよ!」とほめてくれたのに、レオポルドは眉をひそめて首をかしげた。
「そんなものは見たことがない。いいか、流行というのは上流貴族の婦人たちが作りだす。夜会や茶会でいち早く身につけた装いが話題になり、まわりまわってその年の流行となるのだ。奇をてらっただけでは貴婦人たちは動かぬ」
そういって彼はあきれたように息を吐いた。
「彼女たちの耳目を集め、納得させるだけのものがなければ。その点、夜の精霊は見事だった」
「それはレオポルドが手を貸したんじゃん」
夜の精霊が着ていたドレスだってこの爪だって、ニーナたちが手がけたのは同じなのだ。それにわたしはこの爪をとても気にいっている。
「じゃあ爪には目玉とか虫の翅をつけるのがオシャレなの?」
「魔女の中にはそういう爪を好む者もいるが、ひとつひとつに意味がある。何もわからぬのに上辺だけ真似するな」
「でも魔法陣だって、ちゃんとみんなで選んだもん!」
そう叫ぶとわたしは爪の魔法陣に魔素を流した。レオポルドが黄昏色の目を見開いた。
ほんのちょっと光らせてキラキラさせるつもりだった。親指には緊張をとる魔法陣、中指には冷え性改善のありがたいふたつの効果だ。
お茶会の席で聞かれたら、「ホホホ、体が温まりますの。みなさまもいかが?」と優雅にほほえんで答えるのだ。
だがわたしはネイルの仕上がりに満足して、魔法陣をちゃんと発動させたことがなかった。
……どうやらそれがいけなかったらしい。
白い光に魔法陣がまばゆい輝きを放つと、カッと体が熱くなる。
冷え性改善で全身の血行が良くなり、すごく体がポカポカしてきた。
「……暑いねー」
錬金術師のローブが重くて暑い。
「こんなの着てらんないよ」
のぼせたわたしはぼんやりと自分のローブに手をかけた。レオポルドがギョッとした顔をする。
「おい、何をする⁉️」
「え、脱ぐに決まってるじゃん」
「は⁉️待て!」
なんと緊張感もまるでなくなったわたしは、レオポルドの静止も聞かず、気楽にベルトをはずしてポイポイとローブを脱いでしまった。
「あ、スッキリー」
そしてキャミソール一枚になってサッパリしたわたしは、あぜんとしているレオポルドに向かって言い放った。
「レオポルドもいっしょにやろ。それなら絶対流行るよ!」
眉目秀麗な彼のこめかみにみるみる青筋が立つ。
「……やらん!」
塔にはまたしても特大の雷が落ち、そのとき塔にいた不運な魔術師たちは、全員ピリビリとしびれたという……。
我に返ったネリアはレオポルドに平謝りしたものの、ネイル絶対禁止を言い渡されました。









