1.王都へ
4巻が発売して1周年ということで、後日談。
最近マウナカイアにある海洋生物研究所の下にある岩場には、よく人魚があらわれるようになった。
カイが灯台から続く階段を海へと降りていくと、波間から人魚がひょこっと顔をだす。
「あらカイじゃない、ねぇウブルグはどうしてる?」
コーラルという名前の鮮やかな髪色をした人魚は、カナイニラウへ調査にやってきたウブルグを気にいったらしく、ときどき岩場にやってくるようになった。
カイみたいに人魚の姿を解くこともなく陸にあがることはないが、よく岩場に腰かけてウブルグにむけて恋唄を歌う。
「お前まだあきらめてないのかよ、あのオッサンを」
「ちょっと、ウブルグはカイよりも年下でしょ。オッサン呼ばわりはやめてよね」
「ウブルグだったら部屋で巻貝の推進力について計算してる。岩場には降りてこないと思うぜ?」
もともとアウトドアよりもインドアなタイプだ。そして何よりも岩場には彼の研究テーマであるカタツムリがいない。
けれどコーラルは気にしなかった。
「いいの。彼のそんなストイックなところも気にいってるから、ふふっ。じゃあ彼にこれを渡しといて。それよりカイはどうなのよ」
「俺?」
自分が作った差しいれの包みをカイに押しつけたコーラルは、岩に頬杖をついていたずらっぽく笑う。
「ウミウシの世話ばっかりして……将来はそのままウミウシと結婚しちゃうつもり?」
「まぁ、あいつらはかわいいからな。見てて飽きねぇし」
受けとった包みを持って立ちあがると、コーラルはカイをみあげて首をかしげた。
「意外ねぇ。陸にいったまま帰ってこないから、てっきり遊び暮らしてるんだと思ってたわ」
「それは否定しねぇが今は冬だぜ、マウナカイアに観光客はこない」
カイはそういってヒラヒラと手をふるコーラルに片手をあげ、灯台へと続く階段を昇りはじめた。
今年の夏は錬金術師団のやつらがやってきたおかげで、カイは退屈することがなかった。
半分は人間の血がはいっているカイは、焦って人の伴侶を探す必要もないし、気心の知れた人魚が相手でもかまわない。
(おもしれぇ女、と思ったヤツはさっさと王都に帰っちまったしなぁ。あいつらもどうしてんのかなぁ……)
自分が知る最高に美しい景色をみせた……それを宝石のようなキラキラと輝く瞳で眺めた娘は、その輝きのまま揺るぎなく「王都へ帰ろうと思えた」と、まるで大発見でもしたみたいにうれしそうな顔で語った。
(王都ってそんなイイとこなのかよ)
王都からやってくる観光客はみな大喜びでマウナカイアのビーチで遊び、魚やフルーツたっぷりの食事を食べて、サンゴ礁の海に潜って過ごす。
それなのにみな王都へと帰っていくのだ。そのへんがどうもカイにはしっくりこない。ときどき王都からネリアが送ってくる酒の肴はたしかにうまいが。
「ふわぁ……冬ともなると退屈だな」
ビーチのはずれにあるレイクラの店は閉まっている。
冬はそれでもビーチで貝殻を集めて髪飾りなどのアクセサリーを作ったり、人魚のドレスの生地を染めたりとやることはあるのだが、どれにも身がはいらなかった。
海洋生物研究所のほうはやることはあまり変わらない。
ウミウシの世話と灯台守の仕事、海を回遊する生物の調査……今日はウブルグが灯台守の当番だから、カイはコーラルからの差しいれを彼に持っていってやった。
「おいウブルグ、コーラルからの差しいれだぞ」
「おおそうか、いつもすまんな。これはありがたい」
灯台を動かす魔石の点検を終えたウブルグは、うれしそうに礼をいって受けとった包みをほどく。
中身は蒸した米に野菜といっしょに煮こんだ魚の切り身がはいっていた。コーラルなりに陸の食事にあわせて工夫したらしい。
ウブルグが食べはじめると、波が打ち寄せる下の岩場からコーラルの美しい歌声が風にのって届いた。これはあれだ、人魚にとってはガチな求愛行動だ。
カイの前でモグモグと口を動かしているカタツムリ好きなオッサンは、今ひとつピンときていないようだが。
「ウブルグ、あんま海のそばに近づくなよ。マジでコーラルにひきずりこまれるぞ?」
「ムグ。ほむぅ、だとしてもわしにはヘリックスがあるでな。何とかして脱出してみせようぞ」
いちおう忠告してもしれっと答えるあたり、この男もなかなか食えないオッサンだ。コーラルの気持ちもわかっていてその誘いはスッパリ断り、それでいて差しいれは完食する。
「なぁウブルグ、王都とくらべてこっちはどうだ?」
「わしはマウナカイアなんぞに興味はなかった。だがネリアから『ヘリックスで海も移動できたら素敵かもね?』と提案されてのぅ」
「やっぱネリアかよ」
「こちらにきたら灯台守の仕事は増えたが、黒蜂の研究からは解放されたから、ヘリックスに割ける研究時間は増えた。大きく変わったのは波の音と人魚の唄に包まれるようになったことか。そう悪くない」
「ふぅん」
目を細めて風にのって届く人魚の唄に耳を傾けるさまは、本当にゆったりとくつろいでいるようだ。
「どんなところなんだ?」
「そうさな、道はしっかり魔石タイルで舗装してあるから、サンダルじゃ歩きづらいのぅ。植生は豊かで緑も多く、川沿いにはマールカタツムリが分布しておる」
「へぇ」
「ざっと王都周辺で見られるカタツムリは三十種ほどか。王城の水路付近にはイボイボカタツムリなども見られるし、さらには……」
「あー……ウブルグに聞いた俺がまちがってたわ」
ウブルグはオレンジ色の瞳をぱちくりとした。どうにもユーリといいカイといい、人の話を最後まで聞きたがらない。
「なんじゃ、王都が気になるならいってきたらどうだ。カイならば長距離転移魔法陣ぐらい動かせるじゃろう」
「ん……」
カイはエメラルドグリーンの頭をボリボリとかいた。錬金術師団……あのにぎやかなヤツらはめちゃくちゃで面白かった。
けれど王都にいったら決定的な何かを見てしまう気がする。そんなカイの気持ちを見透かしたのか、ウブルグがニヤリと笑った。
「なんじゃ、景気づけにエルッパ三杯くらいは必要か?」
「そんなんじゃねぇよ。そうだな……いってくる!」
カイはマウナカイアまではやってきても、海から離れる気はない。王都にいったとしても、たぶんそこでは暮らせない。
だけどモヤモヤの正体をほっておくのも気持ち悪かった。
ネリアが構築した長距離転移魔法陣、王都へ荷物を何度か送ったことはあるが、自分が移動するのは初めてだ。
術式を起動すればネリアらしい伸びやかな線のほかに、緻密でしっかりと構築された部分もある。
(この魔法陣、だれかが手を貸したな……)
それがだれかは分からないが、夏にきた錬金術師たちではない気がする。
(そうだ、俺はそいつの顔が見てみたい)
カイ・ストローム・カナイニラウが魔力を注ぐと長距離転移魔法陣はまばゆく光り、彼は王都にある錬金術師団研究棟、師団長室へと転移した。
まばたきをすると重厚な机が目にはいった。十人は座れそうな大きなテーブルも。そして壁は天井まで届くほどの本棚で埋まっている。
ひろびろとした中庭が見える大きなガラス窓がある壁以外の三つには、それぞれ別の部屋に続くと思われる扉があった。
両開きの扉のそばにはドラゴンの形をした花瓶が置かれ、想像したよりもずっと古めかしく重々しい光景だ。
「あいつ……こんなところで暮らしてんのか?」
中庭へと続く扉をあけると冬の冷気が吹きこんできて、カイはその冷たさにぶるりと身を震わせる。
「さぶっ!」
やっぱ俺はこんなところで暮らせない……そう思ったとき人影がみえた。
「何者だ」
凛としたよく通る低い声、銀糸のような髪に刻々と色を変える黄昏色をした瞳、彫像のように均整のとれた姿は精霊のように美しいのに、険しい表情をした男がそこにいた。
ふらりとカイが冬の王都へやってきました。









