2.ライアスの結論
そんな話をしたことなどすっかり忘れた翌朝、目覚めていつものように身支度の魔法エルサの秘術を使い、シャンとしたわたしが中庭に続く扉をあければレオポルドがいた。
「あらレオポルド、おはよう」
「……どうだ?」
「どうって?」
何だかわたし以上にシャンとしたレオポルドがそこに仁王立ちしている。髪は朝日を浴びてキラキラと輝き、光で縁どられたようになっている姿は王城の貴婦人たちがみたら歓喜の悲鳴をあげるだろう。
「あ、どこかにおでかけ?いいんじゃない?」
「…………」
ふいっ。ほめたのにレオポルドはなぜかそっぽをむいてずんずんと向こうにいってしまった。なんなのもぅ……。
師団長室での朝食にレオポルドは参加しなかった。王城には食堂もあるし、マリス女史に頼めば食事も手配してくれる。
だからとくに気にすることもなく、出勤してきた錬金術師たちと打ちあわせながら朝食を終えたのだけど。
「ネリア……ララロア医師との打ちあわせに同席をお願いできますか?」
「うんいいよ。帰りに王城の売店に寄って防虫剤の売れ行きを確認しようか。春にあわせて香りつきの新商品なんかどうかなって思ってるんだ」
「いいですね。花をヴェリガンに育ててもらって私が精油を蒸留しましょうか」
「そうだね、なら売店の人にもどんな香りが人気なのか、意見を聞いてみよう」
マウナカイアからは帰ってきたけど、人魚のドレスで泳いだ後に筋肉痛で苦しんだわたしは、王城でも急ぐとき以外はなるべく転移を使わず歩くようにしている。
ヌーメリアと話をしながら研究棟前の広場から通路を通り、中庭へとやってくればレオポルドがいた。
水路にすっくと立つ彼に自然と視線が吸い寄せられる。術式の精緻な刺繍をほどこした黒いローブに、魔石をあしらった護符をいくつも身につけた彼は王城にあるどんな彫像よりも神々しい。
彫像とちがうのは長い銀髪が風になびき、日差しを反射してキラキラと輝き、長いまつ毛に縁どられた黄昏色の瞳が光のかげんで微妙に色を変えるところだろうか。
いつもより中庭に人が大勢いるのは気のせいじゃないと思う。
「あ、レオポルド……偶然だね!」
わたしが彼に手をふってそのまま歩きだせば、無言でわたしを見送った彼は首をふり肩を落としたようにみえた。
そしてその日はなぜか王城のあちこちで、レオポルドとバッタリでくわした。そのたびにわたしは手をふるのだけど、彼は難しい顔で眉間にシワをよせるだけだ。
それになんだか顔をあわせるたびに、彼の機嫌が悪くなっている気がする。心配になったわたしは夕方居住区に戻ってきた彼に、恐る恐るたずねた。
「レオポルド……何だかきょうはあちこちで見かけたけど、ヒマだったの?」
「べつにヒマではない」
「そうお?」
むすっと答えた彼は椅子にどっかりと腰をおろすと、そっぽをむいて長い脚を組んだ。眉間の縦ジワはべつに深くはないけれど、眉を寄せた彼はどことなく悩ましげに見える。
どうしたんだろう、あちこちで見かけたってことは彼も忙しかったのかな。
ただ師団長である彼に魔術師団のことを、根掘り葉掘りたずねるわけにもいかない。
彼が自分からしないかぎりは仕事の話を聞かないことにしているわたしは、ひろげていた〝魔道具ブック〟にふたたび視線を落とした。
魔道具ギルド四階にある図書室から借りたものだから、読み終わったら明日返しにいくつもりでいる。
「すぐお食事になさいますか?」
ミモミのハーブティーを運んできたソラに聞かれ、顔をあげるとレオポルドがこっちを見ていた。魔導ランプの明かりでみる彼の瞳は昼間よりも紫が濃くて、映りこんだランプの光が夜空に輝く星のようだ。
そのふしぎな色彩にみいっていると、レオポルドがおもむろに口をひらいた。
「きみの理想のタイプとは……いや、いい」
首をふり深いため息をつくと立ちあがり、レオポルドはまたでかけていった。ソラがこてりと首をかしげる。
「お食事はどうしましょう」
「どうしようか、もうすこしだけ待って帰ってこなかったら先に食べちゃおう」
「かしこまりました」
そうしてわたしは〝魔道具ブック〟の続きを読みはじめた。
一日の終わりに日誌を書いていたライアスは、副官のデニスに呼びかけられて顔をあげた。
「団長、魔術師団長がいらっしゃってます」
「またか?」
短く刈った緑の髪を整えた落ちついた雰囲気のデニスは、机の脇にたち気づかわしげに声を落とした。
「最近よくみえますけど、ネリス嬢と何かあったんでしょうか」
「そういうわけでは……むしろ何もないからこうなったというか」
「はぁ」
顔をしかめたライアスは頭を抱えた。
(まさか俺のアドバイスをそのまま実行するとは……)
人づきあいが悪く王城の各部門との交渉はバルマ副団長や団長補佐のマリス女史に任せきりのため、レオポルドが城内をひとりで歩きまわることはほとんどない。
それがきょうは王城のあちこちから魔術師団長の目撃情報があがっている。
彼が出現するとみなが手をとめて彼を見てしまうため、業務が著しく滞りかねない。
しかもまわりがザワついているところに、かならずといっていいほど錬金術師団長があらわれ、彼に手をふって去っていく。
「どうしたらいいんでしょう、あのレオポルド様がいまにも錬金術師団長にお手をふり返すのではないかと私、ライアス様のお気持ちを考えると心配で胸がはりさけそうですわ!」
……と医務室に駆けこんで錬金術師団印の鎮静剤を処方してもらった貴婦人が何人もいたとか。
(べつに俺の気持ちはどうでもいいのだが)
レオポルドは努力家だ。それはライアスも認めている。
だがこと恋愛においては、見当ちがいに斜めな方向に努力している可能性がある。
(いままでが無関心すぎたんだろうが)
ライアスはため息をつくと、レオポルドを団長室に招きいれた。
「お前のアドバイスを実行してみた」
「やっぱりそうか。いや、いい。言わなくても。不首尾に終わったのだろう」
銀の魔術師はこくりとうなずく。
「パッタリ会っても動じるでもなく手をふって去っていった」
アドバイスした手前、ライアスも多少の責任を感じる。
「ネリアの関心が自分にないのが不満なのか?」
「いや……」
目を伏せると銀のまつ毛が瞳に影を落とし、憂いを帯びた神秘的な輝きをはなつ。
「私のことを見ていなくとも、それなら好きなだけ横顔が観察できるのでかまわん」
「は⁉︎」
(いまこの男は何といった?)
ライアスはあぜんとした。
(ネリアの横顔を好きなだけ観察してるだと?)
「むしろこちらに意識が向いてないほうが助かる」
「それはそうだろうな」
キリッと真顔でいうレオポルドに、ライアスも真顔で返事するしかなかった。はたから見ると師団長同士とても真面目な話しあいをしているようにしか見えない。
「それに彼女は恥ずかしがり屋だ。甘い言葉をささやけば真っ赤になってアワアワするか口をパクパクするかだぞ」
目に浮かぶ。ネリアの表情がライアスの目にも浮かんだ。そう、そのしぐさはとても愛らしいが……おかげでちっとも甘い雰囲気にならないのだ!
ライアスは過ぎた夏の日を思いだし、ちょっとだけ遠い目をした。レオポルドは眉をひそめて不満そうに続ける。
「最近は膝に乗せようとしても転移で逃げだすから、対人用〝サーデ〟の呪文をひそかに研究中だ」
「お前らはいったい何をやっているんだ」
ここは突っこんでもいい所だろう。これは何なのだ。惚気か?惚気なのか?
(たぶん惚気なんだろう)
ライアスはそう結論づけた。
【対人用サーデ】
唱えればいつでも腕の中に呼び寄せられるはず。いつ跳んでくるかわからない婚約者を待つよりは、呼び寄せたほうが早い。
真面目に研究してるのでそのうち完成するかもしれない。