十一歳、出会いと悲しみの冬 1
十一歳の冬。
魔石殿ではグレース以外に三人の聖女候補が、聖女になるため日々魔力の鍛錬に勤しんでいた。
「聖女たるもの、癒し、守り、時には攻めることも必要です」
ドロテアが聖女候補たちに説く教えはどれも実際に行うには厳しいものばかりだ。
鍛錬では様々な魔法の扱い方を学び、血のにじむ日もある。
おかげで、グレースたちの年では取得困難な回復魔法はもちろんのこと魔法、物理の両方を通さない結界魔法に有事の際は魔石と己の身を守れるよう攻撃魔法だって扱えるようになった。
そんな生活を送るグレースの唯一の楽しみは夕飯だ。
魔石殿で出される食事は王城と同じメニューで作られている。
基本的に前菜からデザートまできちんと提供され、どれもコックが腕を振るった料理なので美味しくないわけがない。
特に王城で晩餐会などが開催された日は豪勢な肉料理に甘く蕩けるようなデザートが複数楽しめるので、そんな日は夜を待ち遠しく感じているものだ。
本日も食堂のテーブルに着いた所で給仕が始まる。
今日のメニューは色とりどりの野菜をゼリーで固めたものにキノコのポタージュ、鶏肉の香草焼き、そして最後に高原イチゴのムースだ。
焼きたてのパンはテーブルの真ん中のバスケットに置かれ、好きなだけ食べることができる。
「今日も我らにお恵みをお与えになった神に感謝いたします」
「「感謝いたします」」
胸の前で合掌し、祈りを捧げる聖女候補の一人、マルチナに皆が続く。
修道院から来たマルチナは十二歳で他の三人よりも少しお姉さんだ。
銀縁の眼鏡に藍色の髪を後ろできっちりと束ねる彼女は、とても几帳面で規律に厳しく聖女に憧れている。
「神のお恵みなくして我らは生き長らえないでしょう。そして―――」
「いただきます!」
祈りを捧げるマルチナの横からにゅっと手が伸びパンを鷲掴む。
マルチナは驚いて祈りを中断し、自分の隣に座る少女に目を吊り上げた。
「アイラ! お行儀が悪いですよ。まだ祈りが終わっていないのにパンを食べてはいけません」
アイラと呼ばれた少女は癖のあるオレンジ色の短い髪を揺らし、お月さまのようにまん丸な目をパチクリさせる。
アイラは商人の娘でグレースよりも年が一つ幼く、少々お転婆でとても甘えん坊な娘だ。
「やだ。あたし、お腹すいたんだもん。もう待ってられないわぁ」
「駄目よ。パンを元の場所に置きなさい」
「いやよ!」
制止も聞かず、パンに噛り付くアイラにマルチナが甲高い声をあげた。
「アイラっ!!」
「っ!……だって、マルチナのお祈りってば長いんだもん」
「言い訳はやめなさい。あなたは聖女候補としての自覚をもっと―――」
パンを持ったままウルウルと瞳に涙を溜めるアイラと淡々とお説教を始めるマルチナ。
これが食事時の恒例で、マルチナのお説教は1時間以上続いたこともある。
あの時のことを思い出すとうんざりする。
それに、これ以上マルチナのお説教が続いて食事の時間が削れるのはたまったものではないし、怒られて悲しい顔をするアイラを見ているのも可哀想だ。
そう思ったグレースは助け舟をだすことにした。
「マルチナ、食べてしまったのだから仕方ないわ。アイラも次は気をつけましょうね?」
「はぁい。あたし、グレース大好き」
「グレースはアイラに甘すぎます。アイラも同じ聖女候補なのですから、もう少し神への感謝を意識してください」
「はぁい……マルチナってば、ドロテア様のマネばかりするんだから…」
「何か言いましたか」
「いいぇ、なにも」
アイラは同年代の年の子と比べたら体が小さいため、まるで小動物を相手にしているかのような気分になりグレースもついこうして甘やかしてしまう。
「お祈りとお話は済んだのかしら? 早くお食事を始めたいのだけど」
少し、いや、かなり冷めた態度で発言したのは、グレースの隣に座る人形にように愛らしい少女だった。
同い年で大臣の娘のミルフィーユは子猫のように柔らかいピンクブロンドの髪に白い肌、おまけにお人形のような顔立ちをしているので、聖女候補の中で一番美しいともっぱらの噂だ。
性格は高飛車で我儘だが、異性や大人の前ではお行儀がいいので彼女の本性を知る者は少ない。
「お待たせして悪かったわね、ミルフィーユ。いただきましょうか」
マルチナが何事もなかったかなのよに澄ましてみせたので、ミルフィーユは面白くなさそうにパンを取った。
グレースは自分が喋ってもいないのに緊張する。
正直、ミルフィーユのことは苦手だ。
冷たいだけなら相手にしなければよいが、彼女は自分をよく見せるためならば他人さえ利用する。
現にグレースもミルフィーユに何度か煮え湯を飲まされたことがる。
ここへ来たばかりの頃、グレースに与えられた新品の衣装をミルフィーユに彼女のお古と取り換えられたのが始まりだったか。
最近は誤って花瓶を割ったのはミルフィーユなのに、いつの間にかに近くにいたグレースのせいになっていたということもあった。
頭にきて、幾度となく本人に苦情を申し立たてたことだってある。
しかしミルフィーユはその度に嘘泣きをして大人を呼び寄せた。
当然、叱られるのはグレースでミルフィーユはそれを見て笑っていることすらあるというに、大人はまるで気が付かない。
いや、気が付かないのではなく、決めつけていると言った方がいい。
その理由はグレースの黒い髪と瞳にある。
黒は悪魔の色。
座学で何回も聞かされた内容、誰もが知っている事実、グレースが差別される理由。
髪と目の色だけで聖女候補に相応しくないと思っている者も少なくなく、常にグレースは好奇の目に晒されていた。
それ故に、一度疑いの目をグレースに向けた大人たちは自分たちの考えをすぐさま確信へと変えてしまう。
真実でなくても、すべてグレースのせいになるのだ。
ミルフィーユもそれをわかって利用しているのだろう。
だからグレースも途中で諦めた。
なるべくミルフィーユとの関わりを絶ち、どうしてもの時は耐え忍んだ。
「グレース? どうしたのぉ、お腹痛い?」
向かいに座るアイラが心配そうな瞳を向けてくる。
食事が始まったというのに、一向に食べようとしないグレースを心配している様子だ。
すぐさまパンを取ってニッコリと笑いアイラを安心させ、食事を始める。
グレースは緊張していたが、料理を口に運び始めるとその美味しさに夢中になりミルフィーユのことなど気にならなくなった。
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