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暗殺者キリヤのパンツ集め  作者: まさかミケ猫
一章 新たなる依頼
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名付けの対価

 その日キリヤが忍び込んだのは、ある追加報酬(ボーナス)ターゲットの屋敷であった。


 目の前のベッドで眠るのは、伯爵令嬢メルメル・アフロディーテ、12歳。小麦色のショートカットがよく似合う活発な少女である。

 その整った容姿と皆に愛される性格で、メルメルはこれまで貴族令嬢としては例外的なほどのびのびと育ってきた。また、皇太子と歳が近いこともあり、婚約者候補としても有力視されている。


 そんなメルメルの追加報酬(ボーナス)は高額だ。

 大切な彼女を守るためアフロディーテ家には厳しい警備が敷かれているが、そのリスクを加味した上でも、キリヤは盗みに入る価値が十分にあると判断した。


(キリヤ流・奪パン術。弐ノ型(にのかた)――〈牛歩(ぎゅうほ)〉ッ!)


 ゆっくりとした動作で、メルメルの足から少しずつパンツを引き抜いていく。


 彼が奪パン術の型を使い分けるための判断基準は数多い。ターゲットが違和感に敏感な者かどうか。また、安眠姿勢や睡眠の深さ、体温の高さ、寝返りの多さ、尿意の有無。時間帯や屋敷の状況なども含め、様々な要因を統合的に判断する必要があるのだ。


 それを瞬時に行えるのは、これまで培ってきた暗殺仕事の経験値に依るものだろう。一つ一つの依頼へ真摯に取り組んできたことが、全て今のキリヤへと繋がっていた。


(――奪取完了。撤退する)


 パンツを奪われたメルメルは、何も気づかずに眠りこけている。キリヤは保存用の真空パックを背中に仕舞い込むと、その場でゆっくりと立ち上がった。


 まさにその時であった。


「んんっ……んー……?」


 彼女は薄っすら目を開け、半分寝ぼけたような声を出した始めたのだ。


 キリヤの心臓が跳ねる。

 とっさに床へ伏せ、気配を消す。


(考えろ……まずは心音を殺せ……)

「んー……むにゃむ……ぴー……」


 何やら言葉にならないことを話すターゲットのそばで、キリヤは思考を巡らせる。


 この暑い中、薄いとはいえ布団をかけて寝ていたメルメルのことだ。もしかすると、パンツを失ったことによる下半身の温度変化を察知してしまったのかもしれない。

 肌感覚では、今の彼女を放置すると目が覚めてしまう可能性が高いように思われた。そうなれば、パンツが無くなったことに気づくのも時間の問題であり、大騒ぎされて警備の騎士も飛んでくることだろう。


「むにゃ……わたしはメルメル……めぇ……」


 呑気に夢でも見ているのか、彼女は小さく身じろぎしてポリポリと尻を掻く。キリヤとしては気が気ではない。

 戦闘の準備もしてきているとはいえ、可能な限り騎士との接触は避けたかった。というのも、仮に一滴でも血を流せば、そこから追跡魔術で居場所を特定される危険があったのだ。


(この状況とターゲットなら……行けるか……)


 キリヤは一つの案を思いつく。


 それは、まだ実践投入していない奪パン術の型を利用することだった。失敗すればターゲットは今すぐにでも騒ぎ始めるだろうが……それはこのまま待っていても同じことだ。


 迷う思考を打ち切り、腹を括る。


(キリヤ流・奪パン術。捌ノ型(はちのかた)――〈黒羊(こくよう)〉ッ!)


 彼は首に巻いた黒布にマナを込める。

 するとそれは、煙のようにフワフワと空中へ舞いる上がり、寝ぼけている彼女の目の前でグネグネと形を変えていった。


「黒い……雲……これは……羊……?」


 メルメルがぼんやりと呟く。

 キリヤの首からは、目立たない黒糸が一本だけ伸び、羊を形どった黒い塊を自在に操っていた。


(黒羊よ……増えろ……!)


 念じるのに合わせて、黒い塊は二つに分裂する。

 そしてそのそれぞれが、再び羊の形へと変化していった。


「羊が……2匹……4匹……8匹……」


 薄暗い寝室を、黒い羊が舞う。

 彼は額に脂汗を浮かべながら、黒羊の精密な操作を続けていった。


「256匹……512匹……1024匹……」


 メルメルは羊の数を数えながら、少しずつ瞼を落としていく。こうなれば、キリヤは賭けに勝ったも同然だ。

 次に目覚めたときには、黒羊のことなど忘れているか、おかしな夢でも見たと思ってくれることだろう。もっとも、大切なパンツを盗まれたとあっては、羊の夢どころではないだろうが。


 本来であればこの黒羊は、眠りの浅いターゲットの気をそらしながらパンツを奪うという技である。使う相手を選ぶものの、ハマりさえすれば有用な技術だ。


(……よし。今度こそ撤退する)


 キリヤは黒羊を布に戻し、顔を隠す。

 この屋敷では、メルメルの母や姉二人のパンツを入手することにも成功した。集中力はかなり削られたが、それだけの成果はあったと思っていいだろう。




 それは、キリヤが撤退のためアフロディーテ家の屋上に出た時であった。


 吹き抜ける生ぬるい風は、湿気を帯びて肌にまとわりつく。そんな中、一つの人影が洒落たテーブルセットに腰を下ろし、紅茶を啜りながらキリヤの方を向いた。


「……遅かったじゃないか。待ちくたびれたぞ」


 炎のような赤い髪が風に揺れる。

 その人影、探偵皇女ランネイ・ビアンケリアは、紅茶のカップを置いてゆっくりと立ち上がった。穏やかな口調とは裏腹に、彼女の視線はキリヤを射殺さんばかりに鋭い。


 キリヤは驚いてはいなかった。

 パンツ集めを続けていれば、いつかこういう場面に出くわすだろうと覚悟していたのだ。


「黒布で顔を隠しているのか。気持ちの悪い、ド変態の、パンツ泥棒風情が」

「怪盗パンコレ、だ。お前が名付けたと認識してるんだが。分かりやすくて良い名だ。気に入っている」

「ククク、それは結構なことだ」


 そう言うと、ランネイは両拳を握り、左足を半歩前に出して構える。


 その頭脳の陰に隠れがちだが、彼女は徒手格闘術において達人級(マスタークラス)の認定を受けているのだ。真正面から戦えば、キリヤの勝ち目は薄いと言わざるを得ない。


「――では、その素晴らしい名付けの対価を払ってもらおうか。怪盗パンコレ、お前の命でな」


 次の瞬間。ランネイの体からは膨大な量のマナが吹き出す。踏み出した彼女の足下の床が、ミシリミシリと不気味な音を立てた。


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