皇女とメイド
専属メイドであるエトカには、皇女宮に専用の個室が割り当てられている。第一皇女の呼び出しにすぐ応え、彼女の世話を迅速に行うためだ。
まだ日の昇りきっていない早朝。
布団の中からニョキッと手を伸ばしたエトカは、慣れた手付きで魔導ランプに火を灯す。ぼんやりと明るくなった部屋の中、彼女はベッドに寝転がったまま鬱陶しそうにネグリジェを脱ぎ捨てた。
「ランネイちゃん、昨日も可愛いすぎたな……」
そう呟いて、エトカは大きな抱き枕へギュッと絡みつき、グネグネと身を捩った。
緑掛かった髪は下ろされたまま。いつもの丸眼鏡も外している彼女の姿は、美少女と呼んで差し支えないだろう。
もとは貴族令嬢であった彼女も、現在はただのメイド。今の立場では容姿で目立っても良いことがなく、髪型と伊達眼鏡でなるべく地味な女を演じることにしていたのだ。
「うーん……眠さ爆発……ツラみ……」
実は彼女には、秘密の趣味がある。
それは、主である第一皇女ランネイ・ビアンケリアの脱いだパンツを穿くことだった。
ランネイが昨日着用していたのは、『創造の赤』と呼んでいる赤い紐パンツ。洗濯を命じられたエトカはいつものように部屋に持ち帰り、それを穿いて寝たのだ。
「はぁ……そろそろパンツ洗わなきゃ……」
ランネイは紐パンツに並々ならぬ拘りがあり、手入れの方法にも厳しかった。必ずぬるま湯で手洗いし、日陰に干して自然乾燥させる必要がある。
エトカがこんな早朝に起きなければならない理由がまさにそれだ。今から洗って干さないと、ランネイが使う時までに乾かないのである。もっとも、彼女が皇女パンツで寝る趣味をやめれば、早起きの必要もないのだが……。
「一瞬でパンツを洗濯できる魔術があればいいのに……。あ、今度魔導研究所に相談してみよっかな」
そんなことをボヤきながら、エトカは自らの下半身に手を伸ばす。
だが、そこにあったのは自分の地肌だけだった。両手でペタペタと尻を触るが、存在するはずの布の感触が見つからない。少し遅れて、今の自分はスッポンポンなのだと気がついた。
「え? あれ? は?」
彼女の顔から一気に血の気が失せる。
あれほどパンツに執着――もとい、愛着を持っている皇女のことだ。長年の付き合いで気安く軽口を叩きあう間柄とはいえ、さすがに彼女のパンツを紛失するのはマズい。冗談では済まされない。
「うわ、えっ……。私、パンツ無くしたの……? 冗談キツいって……」
慌てて飛び起きたエトカは捜索を始める。
昨晩パンツを穿いて寝た記憶はあるのだ。それなのに、布団の中にもベッドの下にも皇女パンツはない。終いには枕カバーまで全て引っぺがしてみたが、『創造の赤』は幻のように消え失せてしまっていた。
「え、泥棒? いやいや、まさかね。金品は無事みたいだし、鍵も閉まってるし、襲われた痕跡もないし……やっぱり私が無くしたんだよね……うっわ……」
半分泣きそうになりながら、その後もエトカは全裸のまま部屋をひっくり返し続けた。だが、皇女のパンツが見つかることは決してなかった。
彼女の大切なパンツを無くしてしまった件を、どうにかして伝える必要がある。エトカは溶けかけたゾンビのような歩き方でランネイの居室へとやってきた。
コンコン。
部屋をノックして、扉を開ける。
「ない……ない……ない……緑……癒やしの緑……私のパンツ……どこ行った……そんなはず……」
そこには、半泣きになりながら全裸で部屋をひっくり返す皇女ランネイの姿があった。なんと間抜けな姿なのだろうと、先程までの自分を完全に棚上げしてエトカは微笑む。
「良い朝ですね、おはようございます。第一皇女ランネイ・パンツマニア様」
「エトカ。良いところに来た。あのな、朝起きたら私のパンツか消えていたんだ。大切なパンツが。癒やしの緑が……」
あぁもう、可愛いなぁ。
エトカは自分のパンツ紛失の件も忘れ、鉄面皮のまま心の中で悶え狂う。外でのキリッとした姿もいいが、時折見せる情けないランネイの姿も大好物なのだ。
ランネイの目は混乱したようにグルグルとあたりを見渡す。
「向かいのホーム……路地裏の窓……」
「そんな所にあるはずがありません」
「うっ……そうだな……少し落ち着こう」
エトカと話しながら少しずつ冷静になってきた様子のランネイは、裸のまま椅子にちょこんと腰掛けた。
「それで何があったのですか? ランネイ様」
「あぁ、さっき言った通りだ。朝起きたら、穿いていたはずのパンツが無くなっていてな……物取りかとも思ったが、貴重品には手がつけられていない。私の純潔も無事らしい。パンツだけが忽然と姿を消していたのだ」
「それは……」
自分と同じ状況だ。
そう言いかけて、エトカは口を噤む。赤パンツを無くした事情をどう説明したものか、彼女はまだ考えあぐねていたのだ。
ランネイはそんな彼女の様子を気にするでもなく、考えを巡らせている。
「……そうだ、推理してみよう。うーむ、ここは創造的な思考に頼ってみようか。エトカ、『創造の赤』を持ってきてくれ」
その言葉に、エトカは顔を曇らせる。
「申し訳ありません。ランネイ様……」
「ん? どうした。まだ乾いていないのか」
「そうではなく……あの……」
小首を傾げるランネイ。
エトカは今こそ説明する時だと、意を決した。
「ランネイ様の『創造の赤』は……昨晩私が着用しておりまして……! あの、怒らないで聞いてください。昨日あの後、部屋に持ち帰って、頭から被――」
不要な情報まで事細かに説明し始めるメイドを前に、探偵皇女ランネイ・ビアンケリア(全裸)はなんとも言えない微妙な表情でその動きを止めていた。
シュンとして落ち込んでいるエトカを前に、ランネイは顎に手を当ててなにやら考えを巡らせていた。
「ランネイ様……」
「この状況……。人為的なモノである可能性があるな」
「人為的……?」
「あぁ。私一人じゃない。エトカまで同時に似たような無くし方をするなど、偶然として片付けるには怪しすぎるからな。にわかには信じがたいが、何者かがパンツを盗んだという前提で捜査をしてみるべきだろう」
ただ、そこには一つ問題があった。
夜中にパンツを盗まれた、などという醜聞を結婚前の女が大っぴらに宣言することはできないだろう。純潔を疑われれば、将来の結婚にも差し支える。
つまり現状、ランネイの捜査は極秘裏に進める必要があるのだ。
「面倒な捜査になる。キビキビ働けよ、エトカ」
「私は……許していただけるのですか……?」
「寂しいことを言うな。許すも許さないもない」
ランネイはエトカの頭をポンポンと撫でる。
「陰で何をしていようと、エトカはエトカだ。私の退屈な生活にとって、お前の毒舌はスパイスのようなモノだからな。いいから黙って捜査を手伝え」
「ら……ランネイちゃん……!」
「ちゃん?」
「コホン。失礼いたしました、ランネイ様」
エトカは深く頭を下げ、しばらく動きを止めたあとで顔を上げる。赤くなった目をゴシゴシと擦りながら、小さく鼻を啜った。
「ふ、ふふ……。私は許していただけた。それはつまり、これまで通りランネイ様のパンツを着用しても良いと」
「ちょっと待て」
「皇女に二言はないと以前おっしゃっておりましたし、これで私も安心して毎晩励めます」
「励むな馬鹿」
ランネイが軽くチョップを振り下ろし、エトカはそれを甘んじて受ける。二人はクスクスと笑いながら、互いの目を見てコクリと頷いた。
冗談はここまで。
ここからは真剣な捜査になる。
「私のパンツを……『分析の青』を持ってこい。それから、帝国城内で他にパンツを盗まれた者がいないか、情報を集めろ。警備の騎士の日誌も持って来てくれ」
「かしこまりました」
エトカは恭しく頭を下げ、メイド服の乱れをサッと整えた。
「さてと、私は手紙でも書くかな」
「手紙、でございますか……?」
「あぁ。仮にパンツ泥棒が実在するとしたらだが……このまま良いようにのさばらせるのも癪だろう。まぁ、楽しみにしておけ」
そう言うと、ランネイは悪巧みをする子どものような無邪気な笑みを浮かべた。