皇女の思い込み
それは、皇女宮の中でも大人数を集めるような広いホールだった。
今は使われていないその部屋の隅に、ガラスの棺が一つ置かれている。そしてその中に、安らかな表情で目を閉じた女性が静かに横たわっていた。
第一皇女ランネイは冷たい床に直接腰を下ろしたまま、壁に背中を預け、憂鬱そうなため息を漏らした。
「……歌姫シローネ。貴女は立派な人だった」
フェニックス騎士団の手に落ちるくらいならと、彼女に毒薬を渡したのはランネイだった。
ただ、よほど人生に絶望している者でない限り、人が自ら命を絶つのは難しい。ランネイとしては、彼女が薬を使用する前に自白に持ち込める算段だったのだ。
だが実際は、冷たくなったシローネが目の前で呼吸を止めている。
「やはり、私には人の心というものが理解しきれぬようだ……かつての婚約者。皇太子である弟。歌姫シローネ。そして――」
ランネイは小さく顔を上げる。
「怪盗パンコレ。待っていたぞ……だが今となっては、私が想定しているお前の人物像が正しいのかさえ、怪しくなってきたがな……」
ガランとしたホールの中。
隠れることなくまっすぐに入ってきたキリヤは、気負った様子も見せずに彼女へ近づいていく。対するランネイは、ドレスの埃を軽く払いながら立ち上がった。
キリヤが立ち止まると、しばし沈黙が続く。
先に口を開いたのはランネイだった。
「……すまないが、シローネ嬢は死んだ」
「そうか」
「だが彼女は重要な役割を果たした。狙い通り、お前をこの場に誘き寄せるというな」
そう言って、彼女は床から大きな斧槍を手に取ると、ドレスの裾を摘んで持ち上げた。着用しているのは真新しいガーターベルトと、真珠色の紐パンツであった。
「ファイブ・パンツ武闘術、斧槍戦士の真珠」
そう宣言する彼女を見ながら、キリヤもまた背中から二本の短剣を取り出した。右の短剣を前に突き出し、左の短剣は逆手に持って体に隠す。キリヤにとっては慣れ親しんだ構えだ。
「怪盗パンコレ。何か言い残したことは?」
「そうだな……貴女が相手だと手加減はできない。殺すのは不本意だから、その前に降参しろ」
「ほぅ……言ったな」
次の瞬間、ランネイの体からマナが吹き出す。
近接格闘の際と同じく、生命魔術で筋力を強化し、装甲魔術で体表面を硬化させているらしい。物理的な戦闘において、彼女のマナ量は卑怯とも言えるほど圧倒的なものであった。
「今の私は機嫌が悪い。すまないが……」
「――御託は要らない。いくぞ」
キリヤは体を低くして地を蹴ると、ホール内を素早く駆け出すのだった。
一合、二合、三合。
短剣で斧槍を弾き逸しながら、キリヤは思い出していた。パンツ集めが始まってから長らく拠点にしていた宿で、シローネと話し合ったことがあったのだ。
『探偵皇女の強さの秘密は何だと思う……?』
『ん? どういうこと?』
『いやな。こう言ってはなんだが、あの皇女は万能過ぎる。思考力だけじゃない。近接格闘、魔術、武器武術……長く研鑽を積んだのならともかく、彼女はまだ17歳だろう』
『皇帝の血筋だからかしら』
『才能だけで勝ち続けられるほど甘くはない』
それは、暗殺者として研鑽を積んできたキリヤだからこそ感じた違和感だったのかもしれない。
通常、ある程度の修行を積み重ねると、皆自分に合った戦闘方法を見つけてそれに特化するようになる。それは単純に全てを極めるには人生が短すぎるからだ。
そんな中で皇女は、あれほど多彩な戦闘方法を全て高い練度で成り立たせている。そんなことが本当に可能なのか、キリヤは疑問に思った。
『そうね……。秘密はやっぱりパンツかしら』
『だろうな。だが、盗んだパンツ自体に特殊な魔術が掛けられている形跡はなかった』
『うーん。あと、考えられるとしたら……』
そんな風に、キリヤとシローネは探偵皇女ランネイの戦闘力の謎について度々話し合って来たのだった。
「――どうしたパンコレッ!」
ランネイの鋭い切り上げによって、キリヤの短剣が弾かれ宙を舞う。
ランネイが一瞬ニヤリと笑った隙に、キリヤは背中に隠していた氷弾魔導銃を黒腕で構えて放つ。
「ガッ!」
ランネイの腹に氷弾が刺さり、吹き飛ぶ。
キリヤは宙を舞っていた短剣を片手で受け止めると、魔導銃を背中に隠して再度短剣を構えた。
「その首の黒布……マナで制御しているのか」
「見ての通りだ」
「ははは……。私のパンツを度々奪ってくれたのも、その三本目の腕という訳だな」
数メートル離れた床で立ち上がったランネイは、少し息を切らしながらも無傷であった。そしてその顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
「……ランジュ王国の手の者。証拠を残さない侵入・撤退方法。ストイックな性格で、手先が器用なプロ。そして、首から伸びる三本目の腕……」
彼女は深く息を吐き、まっすぐにキリヤを見つめた。
「暗殺者、三本腕のキリヤ。お前がパンコレか」
「さぁ、知らぬ名だな」
キリヤが床を蹴ると、ランネイもまた斧槍を構えて駆け出した。
戦いは拮抗し続ける。
キリヤの放つ氷弾は、既に種が割れている。ランネイはそれから一度も弾を食らうことなく巧みに戦って見せた。
体勢を崩したキリヤへ、彼女の斧槍が叩きつけられる。
「皇女ランネイ……」
「どうした、降参する気になったか?」
「いや。お前……さっきより弱くないか?」
突然キリヤが放った一言に、ランネイは怪訝な顔をする。
「……弱くなった?」
「あぁ、先日よりも弱い。今日も戦い始めが一番強かった。今はどんどん戦闘力が落ちてきている……何か体調に問題でもあるのか?」
キリヤは立ち上がり、短剣を構え直す。
そして、素早く走り回りながらこっそりと魔導銃のダイヤルを操作し、先程よりも速度を重視した氷弾を放った。
「弱くなど……なっていないッ!」
「いや。確実におかしい」
「なにがだ!?」
「氷弾への反応が鈍くなっている」
そう言って、キリヤは短剣を横薙ぎに払う。
斧槍と切り結びながら、怪訝そうな表情を作って彼女の顔を覗き込んだ。
「本当にどうした、ランネイ。遊びのつもりか? それとも、時間稼ぎでもするつもりなのか?」
「いや、私は……」
「もしくは……最近なにか、戦闘方法を変えたりはしなかったか?」
その言葉に、ランネイはハッとしたような表情でガーターベルトに触れた。キリヤは顔に出さないよう心の内で笑う。
キリヤとシローネの推測はこうだった。
『皇女の戦闘力の根源は、強い思い込みの力と、それを現実のモノにする膨大な体内マナである』
それは、セブン・パンツ思考法、ファイブ・パンツ武闘術いずれにも共通していることである。
本来ならば、思考法や戦闘術を切り替える際、わざわざパンツを履き替えるのは不要な手間だ。当人が本来持っている能力の指向性を変えるだけなら、ほんの少し気持ちを切り替えるだけで良い。
だが実際は、ランネイは頑ななまでにパンツによる戦闘方法を守っていた。近接格闘の際に強力な攻撃魔術を用いることもなかった上、金のパンツを奪った後は得意の近接格闘も封印している。
『彼女は自分が強いと思い込んでいるだけ……』
『あぁ。だが、皇族として受け継いだ膨大な体内マナは、その思い込んだイメージを実現するために自動的に彼女を強化している……彼女自身が自覚しているかどうかは分からないがな』
それはマイナーな学説で魔導心理実現と呼ばれている現象だ。それこそが彼女の強さの秘密なのだとしたら、それは強みにもなり、弱みにもなりえる。
「私が、弱くなっている……?」
「あぁ、どんどん弱くなってきている。自覚できているか? このままだと、全ての力を失ってしまうかもしれないぞ」
キリヤがそう話しながら短剣を振るうと、実際に彼女の動きは徐々に精細を欠いていき、氷弾も当たるようになってきた。
どうやらキリヤたちの魔導心理実現という推測は正しかったようだ。
「……ランネイ。お前の身につけているガーターベルトだが……なにやら怪しい気配がする。少し待っていてやるから、脱いだほうが良い」
「しかし――」
「殺してしまうのは不本意だと言っただろう」
キリヤが真剣な表情でそう言うと、ランネイはおずおずとそのガーターベルトを脱ぎ始めた。
これは想像になるが、皇女にこのガーターベルトを渡した者もまた彼女の魔導心理実現に気づいていたのだろう。思い込みだけで強くなる特異体質なのだから、活用しない手はない。
「……さぁ、脱いだぞ。これで強さは戻ったな」
「いや、力の流出は緩やかになったと思うが、やはり弱いままだな。残念だ……。出来ることなら、強いお前と戦いたかった」
そう言って、キリヤは両手の短剣と黒腕の魔導銃を彼女に向けると、体勢を低くして構える。
一方のランネイは、未だ困惑した表情のままどうにか斧槍を持って身構えた。
(キリヤ流・奪パン術。拾弐ノ型――〈猪突〉ッ!)
キリヤ最速の突進。
空中に跳ね上げられたランネイは、そのまま顔からグチャリと床に落ちる。めくれ上がったドレスの裾からは、何も着用していない白い尻が天を突くように丸出しになっていた。
キリヤはパンツを背中に仕舞いながら、荒縄を取り出して素早くランネイを縛り上げる。
「……今お前を縛っている縄は、魔術の効かない特殊な縄だ。体に力も入らないし、大きな声も出せない。誰かの助けが来るまで、ここから動くことは叶わない」
思い込みの強いランネイには、こう言っておくだけで良い。何の変哲もない荒縄が、厄介な拘束具になってくれるだろう。





