囚われの姫君
第一皇女ランネイ・ビアンケリアが膝を付き、頭を垂れる相手は意外と少なくない。
例えば元老院の議員をしている高位貴族は、皇族とはいえ敬意を払うべき相手だ。また、帝国城で皆の健康を管理している医療魔術師や、精霊神殿の教えを説いて回る神官、世界各地の料理に精通している宮廷料理長なども、丁重に扱うべき者たちだろうか。
だが、最も礼を失してはならない相手は――
「ランネイ。面を上げよ」
「はっ」
「この場は非公式だ。直答を許す」
その言葉に、ランネイはゆっくりと顔を上げる。
目の前の玉座に腰掛けているのは、この帝国の頂点にして彼女にとっては父親でもある、ビアンケリア皇帝ウォーコル八世だ。
彼はゆっくりと葉巻を燻らせながら、鷹のような鋭い目でランネイを見下ろす。
「秘密裏に歌姫を捕らえたそうだな。鳴いたか?」
「いえ。現在は自白を待ちつつ、彼女の背景や周辺を洗っているところです」
「そうか。あまり時間をかけるなよ。手緩いようなら、フェニックス騎士団の者に引き継がせる」
その言葉に、ランネイは思わず顔を顰めた。
フェニックス騎士団は、ランネイのユニコーン騎士団と同じように皇帝直属の騎士団である。ただ、その構成員には女性がいない上、権力者意識も強い。そんな中に美しいシローネを放り込めばどうなるかは火を見るより明らかだ。
皇帝は葉巻を皿に押し付け、宙を見て何やら考える仕草をした。
「歌姫にはどの国の息がかかっている」
「ランジュ王国。彼女の両親が生まれた地です」
「やはりそうか。他国は?」
「神官ニャウシカの様子からして、トゥニカ神国は無関係かと。また、オッカー商会の動きにも目立って怪しいところはないため、エソルハ諸島連合は少なくとも静観している状態かと思われます」
「うむ。こちらで集めた情報とも一致している。今後もランジュ王国方面を最優先に情報を探れ」
「御意」
実際のところ帝国美女集会の平民枠は、他国の間者を特定するために間口を広げていると言っても過言ではない。周辺諸国の首脳部も、ある程度それを承知で美女を送り込んで来ている節があった。
皇帝は肘置きを指でトントンと叩きながら言葉を紡ぐ。
「お前には以前から伝えてあるが、冬になる前にはランジュ王国へ攻め入るつもりで騎士団に準備をさせている。分かっているな」
「はっ」
「このタイミングで、帝都の治安を乱すような犯行を仕掛けるとは……どこからか情報が漏れている可能性が高い。心当たりはあるか」
「いえ。私からは誰にも話していませんので」
「ふむ……」
皇帝は再び葉巻を咥える。
このビアンケリア帝国は、周辺諸国から領土を切り取ることで発展してきた国である。基本的に隣接する国家は敵同士であり、力が弱ければ搾取対象、同等以上と見れば同盟を組むのが定石だ。
そんな帝国にとって、ランジュ王国は長らく微妙な立ち位置にいた。歴史は古いが武力はそこそこ。掛かる戦費と搾取量を天秤に載せても、攻め落として損はしないが得も少ない。
状況が変わったのは、昨年王国で新たに魔銀鉱山が見つかってからだった。それさえ手に入れば採算は十分に取れる。仮に攻め入れば、落とすのは容易だというのが帝国首脳部の総意だったが……。
「黴の生えた老国が、やってくれる」
「手強いですか……?」
「いや。奇抜な手だが、それだけだな。なぜ女性用下着を集めているのかは想像の域を出んが」
これが暗殺ともなれば、帝国は総力を上げて王国への報復を始めるだろう。しかし、相手が行っているのはパンツ泥棒だ。放ってはおけないが、真面目に相手にするには馬鹿馬鹿しすぎる。
「これを名目に戦争を開始するのは、な」
「難しいですか?」
「絶対に無理というわけではない。しかし、後世に残る歴史書の記述を考えるとどうもな……」
仮にこの状態で戦争を始めれば、おそらく歴史書には「時の皇帝ウォーコル八世はパンツ戦争を開始した」などと記述されることになるだろう。
些細なことに思われるが、こういったイメージ低下は意外と侮れない。
長い目で見たときに、自らの国を誇れないことは屋台骨を脆くする。皇帝は国の象徴として、常に気高くなければならないのだ。
皇帝との面会を終えたランネイは、皇女宮の片隅にある一室へとやってきた。そこにいるのは、ベッドの上で寝転がっている歌姫シローネだ。
ランネイはベッド脇の椅子に腰を下ろす。
「……シローネ嬢。そろそろ話してはくれんか」
「何のことでしょうか」
今のシローネは、決して囚人のような扱いをされているわけではない。ランネイの計らいで、表向きは友人として皇女宮に招かれ、その一室に幽閉されているのだ。
シローネがパンツ集めに関与していたのは残念であったが、ランネイ個人としては彼女に恨みはない。むしろ、帝国美女集会では居並ぶ貴族たちの中で上手く立ち回り、重要なポイントで建設的な発言をする彼女を好ましくも思っていた。
「シローネ嬢。貴女には3つの選択肢がある」
3本の指を立て、彼女に見せる。
「1つ。知っていることを素直に白状すること。悪いようにはしない。歌劇場に戻るのが危険なのであれば、高位貴族の妻や妾に収まっても良い」
そう言って1つ目の指を折り曲げる。
本来であれば帝国城や貴族屋敷に忍び込むことだけでも重罪である。
ただ、彼女自身が実行犯ではないことと、事件解決を優先するため、自白さえしてくれれば罪には問わないよう司法院とも取引をしていた。
「2つ。何も話さず黙ったまま、その身柄をフェニックス騎士団に明け渡されること。皇帝の威を借る傲慢な騎士たちの中に放り込まれればどうなるかは……まぁ、想像に難くないな」
2つ目の指を折る。
このまま黙秘を続ければ、かの騎士団は必ずや介入してくるだろう。可能なら、ランネイとしてもシローネを悲惨な目には合わせたくない。
ランネイは腰のポーチから一本の薬瓶を取り出すと、ベッド脇の机の上にコトリと置いた。
「3つ。この薬を飲み、永遠の眠りにつくこと。フェニックス騎士団に介入され、女の尊厳を散らさせるくらいなら、こちらを選んでほしい。私からの……友人としての、最後の情けだ」
そして、最後の指を折り曲げる。
ランネイの経験上、この状態まで追い詰められれば自白も目前だろうと思われた。過去には薬を飲もうとした令嬢もいたが、結局はそうできずに真実を話してくれている。
(それにな……怪盗パンコレ。私の考えが正しければ、お前は彼女を助けに来るだろう。その時が、お前の最後だ)
ランネイは椅子からスッと立ち上がる。
ベッドの上のシローネに目を向けると、彼女は肩を小さく震わせながら、仄暗い瞳で薬瓶を見つめていた。





