帝国の名探偵
パーティーの最中、公爵夫人が猛毒入りのワインを飲んで亡くなった。
帝国史に残るだろう大事件に、集まった人々は不安げな表情で「あいつが怪しい」「いやいや」などと話しながら、落ち着かない様子で佇んでいる。
そんな中、舞台上に立った一人の美少女は何かを考え込むように顎に手を当て、パーティーホールをぐるりと見渡していた。
「ふむ……なるほどな……」
炎のように揺らめく長い赤髪と、気の強そうな目つき。小柄な体躯たが、皇帝の知性と皇后の美貌をしっかりと受け継いだ彼女こそ、探偵皇女と呼ばれるこの国の第一皇女ランネイ・ビアンケリアである。
彼女がコクリと頷くと、後ろに控えていた人影がスクッと立ち上がった。
「ランネイ様、お手洗いは左手前方にございます」
「違う」
「なんならお付き合いしましょうか」
「黙れ、エトカ。思考が乱れる」
エトカと呼ばれたのは、探偵皇女の専属メイドであった。歳はまだ15歳ほどだろうか。緑がかった髪を後頭部でお団子に結い、ビシッとしたメイド服と大きな丸眼鏡を掛けた長身の少女である。
ランネイは呆れかえったようなジト目を彼女へ向ける。
「まったく、お前はいつもいつも……話の腰を折ることだけは達人級だな」
「お褒めに預かり光栄でございます」
「本当か? お前、本当に嬉しいのか?」
そう言って深いため息を吐くランネイに、エトカはクスリと笑いながら小首を傾げる。
「ところでランネイ様。事件の犯人はまだお分かりにならないのですか? あれだけ大口を叩いていらしたのに……大見栄を切った挙げ句に恥をかくなんて、お可哀相に。オヨヨ……」
煽るようなエトカの言葉を受け、ランネイのこめかみに青筋が立った。
「お前……そろそろぶん殴るぞ」
「おや。貴女の可愛い助手に対してご無体な。ですが、そうですね。あまり有能すぎる助手を持ってもランネイ様としては面白くないでしょう。心中お察しいたします」
「……魔拳で潰されるのと、魔炎で焼かれるのと、どちらが好みだ?」
エトカがペロリと舌を出すと、ランネイは再度大きなため息をついた。
周囲の人々は、噂に聞く探偵皇女の推理に期待していたのであろう。明らかに落胆した表情で二人の様子を眺めている。
しかし、ランネイの話はそこで終わりではない。
「……まぁ、犯人自体はもう分かっている。何度も言うがな、エトカ。説明には段取りというものがあるのだ。変に先走るんじゃない」
「それは失礼いたしました。さすがは探偵皇女と名高いランネイ様でこざいます。わぁすごい」
「まったく嬉しくないお褒めの言葉をどうも。お前といると頭痛が止まらんよ……まったく」
そう言うと、彼女は胸を張って人々へと向き直る。静寂の中にゴクリと息を呑む音が響き、張り詰めた空気があたりを包んだ。
「さて、お集まりの皆。既に分かっていることとは思うが……公爵夫人を殺害した犯人は、現在この会場の中にいる。私には全てお見通しだッ!」
パーティーホールに力強い声が響く。
高位貴族たちの困惑する表情に囲まれながら、探偵皇女ランネイ・ビアンケリアの推理が始まった。
自室に帰ってきたランネイは、疲労困憊とばかりにベッドへと倒れ込んだ。
「あー……今日はもうこのまま寝たい」
「湯浴みもせず下着すらそのままとは、淑女としていかがなものかと愚考いたしますが」
「分かっている。言ってみただけだ」
そう言って幼子のように口を尖らせる。
人前で見せる豪胆で美しい皇女姿も仮初とは言わないが、今のような無防備さもまた彼女の一面である。もっとも、それを見せるのは専属メイドのエトカの前だけであるが。
「……公爵夫人、か。良き家臣だったのにな」
「残念でございましたね」
「本当に。しかし、殺された理由が昔の男絡みの怨恨とは……私には分からんな。恋愛ごときに命まで掛けるものなのか?」
そう話しながら、ランネイはするするとワンピースを脱ぎ、赤い紐パンツの結び目を解く。均整の取れた裸体を惜しげもなく晒しながら、脱いだ赤布をヒラヒラと差し出した。
「皇女ともあろう方が、お子様でございますね。心の底からお慕いすればこそ、運命を呪いたくなる時もございましょう」
「そう言いながら、エトカこそ男の気配など微塵もないではないか。我々の年頃の女子は、『恋バナ』とやらをするのが普通らしいぞ?」
「そっくりそのままお返しいたします」
エトカは受け取った赤布を丁寧に畳むと、エプロンのポケットへと仕舞う。
「次はどのパンツにいたしますか?」
「分かっているだろう。『癒やしの緑』だ」
「かしこまりました。少々お待ちを」
恭しく一礼すると、彼女はクローゼットの方向へと去っていった。
ランネイが探偵皇女と呼ばれるほどの思考力を発揮しているのには秘密がある。
彼女は愛用している紐パンツのどの色を身につけるかによって、思考の方向をコントロールするようにしているのだ。
暖色系のパンツを例に取ると、赤は創造的、橙は希望的、黃は俯瞰的な視点での思考を行い、それらを履き替えながら推理をすることで論理の穴をなくしていく、といった具合だ。
この全七色のパンツを用いた「セブン・パンツ思考法」こそが、ランネイを名探偵たらしめている奥義であった。
「……それにしても、恋心か。果たして私も、そんなものを持つ日が来るのかな」
ランネイは一糸纏わぬ姿のまま、日課である徒手格闘の型を繰り返し始める。これは趣味というより、幼い頃より叩き込まれた習慣のようなものだ。
真に趣味と呼べるのは、やはり紐パンツだろう。
彼女のパンツは一つずつ職人が手作りしており、それぞれ独特の着心地がある。立場上、自由の少ない彼女にとっては、部屋の中でも心置きなく楽しめる数少ない趣味であった。
しばらく動いて汗ばんできたところへ、エトカが帰ってくる。
「お待たせいたしました。湯浴みの準備が整いましたので、参りましょう」
「あぁ、すまんな。『創造の赤』は……」
「分かっております。いつもの通りぬるま湯で洗って日陰に干しておきますので、お任せください」
そう言って頭を下げたエトカは、ランネイを専用の浴場へと案内する。彼女が持つ籠には、緑色のパンツや薄手のネグリジェなどが綺麗に畳まれて入っていた。
夏場の帝国は気温が非常に高い。そのため、寝るときの衣装は皆ネグリジェのような薄着になるのだ。それこそが「パンツ集め」の難易度を下げることに、この時はまだ誰も気づいていなかった。
皇女専用の広い浴場で、エトカの細い指がランネイの肌を這う。全身に石鹸の泡が広がると、柑橘系の爽やかな匂いが、湯気に乗ってその場に充満し始めた。
「この香り……スライムライムの果実か?」
「はい。今夜はランネイ様が快眠できますよう、早々に手配しておきました」
「……さすが気が利くな」
ランネイは心地良さそうに目を閉じる。
そのスライムのように柔らかい果実は、マッサージにもよく用いられるものである。なかなかに値は張るが、全身の血の巡りを良くし、精神を落ち着ける効果があるモノだった。
凄惨な事件を少しでも忘れられるように、という専属メイドとしての配慮である。
――だが今夜だけは、彼女らは熟睡しない方が良かったかもしれない。