一角獣の女騎士
オッカー商会の令嬢ソルティは憤怒していた。
だがその理由は、怪盗パンコレにパンツを盗まれたからではない。
確かに、朝起きてパンツが無かった時には口汚く怒鳴り散らしもしたが、現在の怒りの矛先はそれとは別で……。
「寝ないでください! 貴女、職務中でしょう!?」
目の前では、一人の女騎士が居眠りをしていた。
彼女の名はウォルター・グリーン。男爵家の妻ながら騎士としても働いている24歳の女性で、帝国美女十選のメンバーでもある。
すらっとした長身の美女だが、翡翠色のキラキラとした髪は短く刈り込まれ、騎士鎧を着れば細身の男性のようにも見えた。
「ウォルター様! 起きろッ!」
「んごッ――ふぁ、すまない。寝てしまったか」
「もう! しっかりしてくださいよ!」
ウォルターは、女性ばかりで編成された皇女直下のユニコーン騎士団にて団長を務める真面目な人物だ。職務に忠実で責任感も強い。そんな彼女が事情聴取中に居眠りをするのは、どうにもおかしいような気がする。
一体彼女に何があったのか。
ソルティは自分の怒りを一旦脇に置いて、彼女の話を聞いてみることにした。
「ずいぶんとお疲れの様子ですが……」
「あぁ。実は昨晩……神官ニャウシカ殿と歌姫シローネ殿の所に、立て続けにパンコレが現れてな」
「へっ? お二人も!?」
「ソルティ殿を含めると、帝国美女十選の平民3名が一晩の内に狙われたことになる。十選メンバーに何かあった時は、我が直接動くと決めていたからな。睡眠不足というやつだ……不甲斐ない」
そう言うと、唐突に立ち上がって両手を後頭部に置き、スクワットを始める。フンスフンスと鼻息を荒くしながら、眠気を追い出そうとしているようだ。
帝都の平民街は貴族街よりも広大だ。
夜通し走り回ればヘトヘトにもなるだろう。
納得し、同情しているソルティを前に、ウォルターはハァハァと息を吐きながら話を続けた。
「神官ニャウシカ殿のところでは、冷たい床に正座させられたよ。小一時間もな」
「えっ? なんでですか?」
「わからん。怪盗パンコレを呼び捨てにしていたら、突然鬼の形相で『現人神に不敬デス』と怒り出してな。意味が分からん。神殿はいつの間に奴を神格化したのだ……」
「は? いや、えっ?」
「神官の話はいつも難しすぎる。苦手だ」
そう言うと、ウォルターは床に手をついて腕立て伏せを始める。コォォォ、コォォォという独特の呼吸音が部屋の中に響き渡る。
困惑したソルティは、とりあえず考えることをやめ、しばらく彼女の話に付き合うことにした。
「ニャウシカ殿のパンツ自体は無事だったらしいのだが……なにせ、ちゃんと話を聞くこともできなくてな。正座のままずっと説教だった」
「うわー。大変でしたね」
「それで足が痺れている所に、今度は歌劇場からの連絡だ。歌姫シローネ殿のパンツが盗まれたとな。我は走ったよ。ジンジンする足を我慢しながら」
「うわー。大変でしたね」
「路行く人を押しのけ、跳はねとばし、我は黒い風のように走った。酒場の酔っ払いたちのまっただ中を駆け抜け、客引きの娼婦たちを仰天させ、スライムを蹴りとばし、小川を飛び越え、ワイバーンの十倍も早く走った」
「あのー、そのくだり要ります?」
ソルティはお茶を啜りながら、腕立て伏せを続けるウォルターを眺めた。
よく見ると、彼女が床についた手は既に五本指だけになっていた。知らぬ間に腕立て伏せの負荷が上がっているのだと分かる。めちゃくちゃどうでもいい。
「まぁそんなこんなで、歌姫殿のところに来た」
「シローネさん、大丈夫そうでした?」
「少し落ち込んでいるようだったが、気丈に振る舞っていたよ。ただやはり、パンコレ侵入の形跡は見つからなかったな。奴は相当の手練とみて間違いない」
ソルティは同じ平民出の十選メンバーとして、歌姫シローネを敬愛している。大人の魅力溢れる彼女を思いながら、落ち着いた頃に何か差し入れでも持っていこうと心に決めた。
一方のウォルターはゆっくりと足を上げ、両手の指だけで倒立をした。逆さまになったままパンツを丸出しにして、再び腕の曲げ伸ばしを始める。顔を難しそうに顰めているが、おそらく何も考えていないのだろう。
「その後、シローネ嬢の親衛隊の者たちから激しい抗議を受けてな。我々騎士がしっかり守らないからこうなるのだと、鋭い目を向けられたよ」
「えー、なにそれ。酷い話!」
「あぁ。ゾクゾクしたよ」
「ん?」
ソルティが小首を傾げると、ウォルターは「しまった」という顔をして首を横に振った。
「間違えた。悲しい気持ち?という奴になったよ、うん。外ではそう言えと夫に言われている」
「ぅゎぁ……」
「まぁそんなこんなで、親衛隊の者たちが唐突に怪盗パンコレ対策会議を始めたものだからな……私もその場を抜けるに抜けられないまま朝を迎え、そしてソルティ殿のもとに呼び出されたというわけだ」
話しながら、ウォルターが床についている指は一本ずつ減っていき、今は両手の人差し指だけで倒立腕立て伏せを行っている。眠気覚ましという当初の目的はおそらくすっかり忘れ去られているだろう。
ソルティは小さくため息を吐きながら、ベッド脇の引き出しを開けて小さな黒布を取り出す。
「……実は皇女様から、怪盗パンコレ対策のための商品開発を頼まれていたんですが……。完成が間に合いませんでした。残念です」
そう言って、ソルティはよく伸びる素材のソレを丁寧に広げる。
ウォルターは一本指で床を跳ねながら、彼女の手の中を見て怪訝そうな顔を浮かべた。
「それがパンコレ対策?」
「はい。まだ試作品ですが――」
彼女は再びそれをクシャクシャに丸め、ベッドへと放る。
「熱帯夜でも着用可能な、涼しい素材のタイツを作ろうとしてるんです。昨晩も試作品を身に着けようとしたのですが、あまりの暑さにすぐ脱いでしまいまして……んー、やっぱり悔しい……!」
彼女のパンツは既に盗まれてしまったが、商品開発は続けるつもりだった。
単純にパンコレ対策という意味もあるが、この商品は第一皇女が広告に無償協力してくれることにもなっている。オッカー商会にとって美味しい仕事なのだ。
「ふむ……。ではソルティ殿。そろそろ昨晩の話を聞かせてもらおうか。今朝の状況や、気づいたことを教えてくれないか?」
そしてようやく、筋トレに一区切りつけた様子の女騎士ウォルターによって、ソルティ嬢のパンツが盗まれた件についての聴取が始まった。
ウォルターはソルティへの事情聴取を終えると、後のことを部下に任せてオッカー商会を後にした。
そもそも、先日捕まった怪盗パンコレとされる男は騎士だった。人々は特に男性騎士に対する不信感を持つようになり、被害者のもとを訪れるのも数少ない女性騎士の役割となっていたのだ。彼女の疲労も、今日だけのものではないのだろう。
「眠いな……。詰め所で仮眠を取るか」
そうボヤきながら、貴族街と平民街の境あたりにあるユニコーン騎士団の詰め所へとやって来た。彼女はその場にいた団員を言葉少なに労い、奥の部屋へと進んでいく。
頭脳労働の苦手な彼女だが、騎士団長という立場上、そうも言っていられない時はあるのだろう。机上には未処理の書類が山のように積み上がっている。彼女はそれを見て、小さく顔を歪めた。
「うん……。まぁ、起きたらやろう……」
一言そう呟くと、彼女は服や軽鎧など身に纏っていたものを次々と脱ぎ捨てていった。引き絞ってなおボリュームのある魅力的な裸体を、惜しげもなく晒していく。
背伸びをすると、大きなあくびが漏れた。
そしてそのまま、パンツ一枚だけを着用した状態で眠そうな目を擦り、限界だとばかりにフラフラと仮眠用ベッドへ倒れる。
「怪盗……ニャンコレ……猫だった……のか……」
妙なことを口走りながら、大の字になって寝転がる。そしてすぐに、すぴーすぴーと寝息を立て始めた。吸い込まれるように深い眠りに入っていったが、ここまで来ればそう簡単に起きはしないだろう。
――そう判断したキリヤは、天井の隙間からそっと床に降り立つと、ウォルターの足元に近寄る。
(こういう感覚派の武人が、暗殺でも一番厄介なんだ……。シローネに金を払ってでも、疲弊させ眠らせた価値はあったな)
そんなことを考えながら、彼女のパンツを観察する。
それは、ムチムチとした体のサイズにそぐわない小さなパンツであった。この肉に食い込むほどピッチリと貼り付いた薄布を、彼女に気づかれることなく引き剥がす必要がある。
実践経験を積む前のキリヤには難易度の高すぎる仕事だっただろう。だが今では、こういったターゲットを相手に臆することもなくなった。
ウォルターの真横に膝をつく。
(キリヤ流・奪パン術。陸ノ型――〈蛇行〉ッ!)
キリヤは両手の人差し指を、彼女のパンツの両腰あたりに差し入れる。そしてそのまま、彼女の太腿を指先で撫でるようにスルスルと這わせ、パンツを移動させていく。
それはまるで、木に巻き付く蛇のような動きであった。
(――奪取完了。神官ニャウシカを逃したのは痛かったが、商会令嬢ソルティと女騎士ウォルターを一晩で攻略できたのは僥倖だ)
保存用の真空パックを背中に放り込むと、キリヤはそのまま窓の外へ滑り出る。そして、明るい日の下を何食わぬ顔で歩み去って行ったのだった。





