パンツ集めの依頼
「――パンツ集め。それが今回の依頼だよ」
ランジュ王国の暗殺者ギルド。
太った小鬼のようなクシャクシャの老婆は、口元に小さな笑みを浮かべ、静かに葉巻を燻らした。
黴びた埃の臭いと、淀んだ空気。古ぼけた魔導ランプはチリチリと小さな音を立て、飛び込んできた不運な羽虫を焦がす。
暗殺者の青年キリヤは、表情をピクリとも動かさずに佇んでいた。
さっぱりと短くした髪は深海の色。ルビーのように輝く珍しい瞳と、それを隠す漆黒のコンタクトレンズ。装いは平凡な若者そのものだが、その雰囲気は刺すように鋭い。
「パンツ集め……知らない単語だ。詳しく聞こう」
「クシシシ。なかなかに特殊な依頼でねぇ――」
要約すれば、依頼の内容はこうだ。
隣接するビアンケリア帝国の首都に忍び込み、婦女子の脱ぎたてパンツを100枚以上、密かに収集すること。対象の年齢は10歳から40歳まで。顔のわかる写真と簡易プロフィールも添付資料として提出する必要がある。
キリヤは若干20歳にして、暗殺者歴10年のプロである。幼い頃に手先の器用さを買われてこの業界に入り、要人暗殺をはじめとする様々な汚れ仕事をこなしてきた。
その仕事ぶりから「三本腕」の異名を持つキリヤであったが、そんな彼にとっても、今回のような依頼は初めてのことだ。
「ターゲットは無差別か?」
「追加報酬ターゲットもいるが、基本的には貴族から平民まで満遍なくさ。ただし、貧民や奴隷は対象外だよ。まぁそもそも、下級層の奴らは下着なんざ着けないがねぇ」
「なるほど。理解した」
「それから、あえて指定はされていないが、写真付きで提出する必要があるってことは……わかっているね?」
老婆の暗い目が、キリヤを試すようにギョロリと光る。
「あぁ。見た目のいい女を狙え、と」
「その方が依頼人の心象はいいだろう。クシシシ……せいぜいアタシのような美女を狙うことさ」
愉しそうに笑う老婆を前に、キリヤは思考を巡らしていた。
彼にとっては、一般市民の家に忍び込むことも、気配を殺して対象に近づくことも容易だろう。問題はその先である。
依頼人はご丁寧にも、時空魔術の付与された特殊な真空パックを用意している。脱ぎたての新鮮な匂いや温度をそのまま届けてほしいらしい。
……つまり、よほど幸運でない限り、キリヤ自身がその手でターゲットの着用しているパンツを抜き去る必要があるのだ。
考えるほどに難易度は高く、正直に言えば気は進まない。
「期限は?」
「今日から二ヶ月後。帝都との往復を考えると、実質動けるのは一ヶ月といったところかね」
「短いな。平均して日に3、4枚を集めるのか」
「その代わり報酬は破格さ。追加報酬も好条件でねぇ。ギルドとしては、アンタの小器用さに賭けたいのさ……三本腕のキリヤ」
そう言って、老婆は机の引き出しから依頼書を取り出した。
成功報酬は王国大金貨にして1万枚。平民であれば生涯遊んで暮らしても使い切れないほどの大金である。さらには様々な条件を満たすことで、報酬は上乗せされていく。
こんな額を支払える依頼人も、決してまっとうな人間とは言えないだろう。リスクの高い仕事ではあるが――。
「いいだろう。乗った」
「そうかい。まぁ、決断が早いのはいいことさね。だけど、失敗すれば死ぬよ。いろんな意味で」
「今さらだな。いつもと同じだろう」
「クシシシ……いい男だねぇ。アタシ好みだよ」
単に食っていくだけなら、リスクの少ない普通の職でいいのだ。幼い頃とは違い、今の彼には力がある。適当に魔物でも狩れば暮らしていけるだろう。
彼がこの職を続けているのには理由がある。
呪いのように脳裏にこびり付いている、死んでしまった友との約束。それを果たすためには、莫大な金が必要だったのだ。
『キリヤ。こんなアタシにもね、ひとつだけ夢があるの……。ねぇ、笑わないで聞いてくれる?』
彼女の夢を叶えてやる。
そのためならば、どんなに人の道を踏み外そうとも、万人に蔑まれようとも構わない。汚れた手で大金を掴み取る覚悟を決めていた。
「帝都までの移動手段は?」
「ギルドで竜車を手配してあるよ」
「了解。準備ができ次第すぐに向かおう」
「気をつけることさね。じゃ、暗殺神のご加護を」
「暗殺神のご加護を」
お決まりの文句を口にし、老婆に背を向ける。
ふと、キリヤの頭に小さな疑問が浮かんだ。
――仮に暗殺神が実在したとして、今回の依頼は加護の範疇に含まれるのだろうか。
それから半月が過ぎた頃。
初夏の陽気に包まれる帝都の片隅では、パンツ集めの準備が着々と進められていた。
薄汚れた宿の一室に熱気が篭もる。
キリヤはベッド横に膝をつき、木偶人形の足から小さな布を抜き去る。それはまるで獲物を狩るハヤブサように素早く、赤子を撫でる母親のように柔らかな手つきだった。
額から吹き出る汗を拭う。部屋の中には、度重なる着脱で擦り切れたパンツがそこかしこに散らばっていた。
「噂通りの根気と器用さね。三本腕のキリヤ」
そう言って部屋に入ってきたのは、暗殺者ギルドに所属する諜報員のシローネだ。
栗色の滑らかな髪に、レモン色の縁のメガネ。綺麗な顔立ちだが、どこかで事務員でもしていそうな地味な装いである。
窓の外から小さく聞こえる蝉の声。
彼女は持っていた紙袋を床に置く。
「練習用のパンツ、ここに置いておくわ。ご指定通り、帝都で流通している型のものはだいたい揃っているはずよ」
「仕事が早いな、シローネ」
「金のためよ」
「知ってるさ」
キリヤはポケットから帝国小金貨を取り出すと、シローネの方へと弾く。
そしてまた、木偶人形に向かいパンツの着脱を繰り返し始めた。薄布がスルリと抜かれていく様は、傍目から見ても鮮やかな手前だ。芸術的と言ってもいい。
シローネは椅子に腰掛けると、黒タイツに包まれた足を艶かしく組んだ。
「女のパンツにずいぶん熱心じゃない」
「命がけだからな。一つひとつの依頼を糧に、己を高める。それができない暗殺者は死ぬだけだ」
「真面目なのねぇ」
「金のためだ」
「知ってるわよ」
シローネは、肩掛け鞄から書類束を取り出して机に置く。
今回の依頼について、写真やプロフィールの収集は彼女に一任していた。そのぶん報酬は目減りしてしまうが、さすがにひとりで何でもこなせるわけはない。
特に追加報酬ターゲットについての情報は、やはりというべきか、キリヤには入手しづらいものが多かった。
高位貴族や大商会のご令嬢は普段から厳重に守られている。女騎士や女魔術師などは対象自体が強力だ。また、神殿の美女神官や歌劇場の歌姫などは、親衛隊を名乗る者たちが独自の警備網を敷いている。癖のあるターゲットばかりだ。
「それで、そろそろ仕事には取りかかれそう?」
「あぁ。本来はもっと準備を整えたいが、時間がない。あとは実践で腕を上げるしかないな」
「へぇ、じゃあ」
「今夜だ」
キリヤはベッド横から立ち上がり、シローネのそばへと歩み寄る。折り畳まれた調査書をポケットから取り出すと、机の上にそっと置いた。
それを見たシローネの表情が、さっと曇る。
「…………本気?」
「あぁ。無警戒でパンツを集められるのは初期だけだろう。侵入難易度の高いターゲットこそ、はじめに手を出すべきだ」
今回の任務で、彼の基本行動は大きく三つに分類できる。侵入、奪取、撤退だ。
このうち「侵入」と「撤退」については、最初期がもっとも仕事をしやすい。犯行が露呈して警備を固められる前に、侵入難易度の高い仕事はさっさと済ませてしまいたかった。
一方でパンツの「奪取」については、キリヤとしても今回が初の試みだ。可能な限り、簡単に脱がせられるタイプのパンツから経験を積んでいきたいと考えている。
「まず狙うのは、追加報酬ターゲットの中でも特に身分が高く、また脱がしやすいパンツを愛用している者。総合すると、初手はこのターゲットが最適だ」
机上の調査書には、美少女の顔写真とともに簡単なプロフィールが記載されていた。
探偵皇女ランネイ・ビアンケリア。
皇族・17歳。男性経験なし。ビアンケリア帝国の第一皇女にして、数々の怪事件・難事件を解決してきた切れ者である。また、徒手格闘術で達人級の認定を受けている。紐タイプのパンツには並々ならぬ執着があり、一つひとつに名前をつけて愛用しているという噂もあった。民衆には彼女のファンが多い。
「……帝国中を敵に回すわね」
「そういう依頼だ。仕方ない」
そう言って、キリヤは道具の整備を始めた。
道具を粗末にする者は、道具に裏切られる。
そんな格言を胸に、闇に溶ける濃紺のラバースーツを丁寧に確認していく。念のため戦闘装備も整えておく必要があるだろう。
「下手を打たないでよ」
「あぁ。手を抜くつもりはない」
「また明日の昼にでも来るわ。暗殺神のご加護を」
「暗殺神のご加護を」
部屋を出ていくシローネの背中を見て、キリヤは大きく背伸びをした。
「……探偵皇女、か。お手並み拝見だな」
仕事始めはいつも、妙な高揚感がついて回る。
今回はかなり難しい仕事になりそうだが、不思議と彼の胸に不安感はなかった。可能な限りの準備をすれば、あとは神の差配次第だろう。
こうして、暗殺者キリヤのパンツ集めが始まった。