630.いち魔族
※加筆修正を行いました。
「な、何と……。何という事なのだ……!」
アサの世界で龍族と対を為す程の存在である魔人族。
その魔人族の軍の最高司令官である『トマス・ハーベル』は、先刻仕入れた情報以上の強さを今尚見せつけている魔族『エイネ』に恐れ慄く事となった。
先程あっさりとエイネによって葬り去られた者達は、その全員が軍の精鋭戦士の称号を持つ『一流戦士』達であったのだ。
更にその『一流戦士』の中には軍の指揮官の一人である『バルザー』が居たにも拘らず、あのエイネと呼ばれていた『魔族』は圧倒的な力を以て難なく軍の『一流戦士』達を倒してしまった。
この世界の常識では『魔族』とは『魔人族』の足元にも及ばない力しかない種族だった。それはこの『アサ』の世界の歴史が証明している。
かつて行われた魔人族と魔族の種族間での戦争では『一流戦士』を伴う必要性が無い程の戦力差であった為に、僅か数日という短さで戦争は魔人族の勝利で終えた。
当時の魔族を束ねていた王でさえ、戦力値は1000万程度であったのだから、最初から我々魔人族が負ける筈がなかったといえる。
その時はまだ最高司令官ではなかった『トマス・ハーベル』だったが、魔族との戦争時にはいち司令官として戦争に参加していた為、魔族という存在が如何なものかというのは十分に承知している。
そんなトマスが現在見ている一人の魔族の女性は、その彼が見てきた魔族とは似ても似つかない。
『青色』と『紅色』のオーラを同時に纏い、場を支配するような空気を醸し出した上にその冷徹な目で、我々魔人族の軍の兵士達を牽制するかの如く睨みつけているあの女性は、魔族達を束ねる存在に等しく正にお伽話に出てくる魔王であった。
普段魔族達を見下していた軍の魔人達は震えて足が動かず、また軍に所属する別地域の担当の斥候部隊の魔族達は、エイネという魔族を羨望の目で見つめていた。
――あの方こそが、私たち魔族を束ねるに相応しい王だ!
――あの方こそが、私たち魔族を導いてくれる筈だ!
その場に居る軍側についている『魔族』達は、歓喜に打ち震えるような顔で『エイネ』に視線を送るのだった。
しかし彼らの視線を一身に受けていた当の本人は、何も言わずにその場から踵を返して元の歩いてきた道を戻ろうと歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待つのだ。魔族エイネ! 一体何処へ行こうというのだ!」
慌ててトマスは後姿のエイネに声を掛けると、エイネは足を止めてゆっくりと振り返る。
「私はその痴れ者に用があっただけ。用事が済んだのだから家に帰るだけよ」
もう何も関与をするつもりのないエイネの言葉に、トマスは少しの間言葉を失ったが、このまま帰してしまうのはまずいと判断したのか、再び声を掛けるのだった。
「ま、待ってくれ! 『バルザー』指揮官がキミに何か無礼を働いたという事は、何となくだが理解出来た! バルザーの代わりに後で私が事情を聞く。キミも我が軍に所属しているのだろう? 我々に力を貸してもらえないだろうか!」
その場にいる兵士達はその誰もがトマス司令官の言葉に耳を疑った。
確かに『一流戦士』を葬った『エイネ』という魔族が強いという事は理解したが、まさか魔人族の軍の最高司令官が隷属している筈のいち魔族に命令ではなく、協力を要請しているのである。
天地がひっくり返るような感覚に陥りながら兵士たちは『エイネ』と『トマス』を交互に見やるのであった。
「大事な事を言い忘れていたけれど、私はこの世界の住人ではないのよ。別の世界から来た存在なの。だから私はこれ以上、この世界に関与するつもりはない」
戦争に参加するしない以前に『エイネ』の別世界から来たという発言に、トマス司令官は眉を寄せながら一体何を言っているのか分からないという表情を浮かべるのであった。
「申し訳ないけれど、私は貴方たちの軍を抜けるわ。後はこの世界の者同士。あるべき姿のままで好きにして頂戴」
エイネはもう言いたい事は言い終えたとばかりに、トマスから視線を外して歩いていく。
その後ろ姿を見ながらもトマス司令官はもう彼女を呼び止めはしなかった。そしてエイネに対して拘束をするような命令も他の兵士達には出さなかった。
『トマス・ハーベル』は、魔人族の軍の最高司令官として『エイネ』という魔族が、決して従えられる存在ではないと判断したからである。
もし強引に従えようと動けばたちまち龍族との戦争の前に、自分達『魔人族』はこの目の前を歩いていくたった一人の『魔族』相手に、大きな痛手を負う事になるだろうと理解しているからに他ならない。
トマスは去っていくエイネの後ろ姿を見ていたが、やがて意識を全面戦争の相手である『龍族』に向ける事で、再び兵士達に指示を出し始めるのだった。
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