2269.後悔の意味と理解
その日の夜。屋敷の皆が寝静まった頃に、寝室で眠りかけていたソフィの元に『念話』が届くのだった。
(おいソフィ、まだ起きていやがるか?)
『念話』を行ってきたのは、屋敷の一階でテアと共に居る筈の『ヌー』からであった。
(む……? ああ、ちょうど寝ようとしていたところであったがな)
(今から起きてこれるか? ちとてめぇに面向かって話しておきたい事がある)
(ああ……、別に構わぬが)
(悪りぃな。出来れば外が良いからよ、昨日話をした庭の縁側にきてくれ)
(分かった。直ぐに行く)
こんな風にヌーから『念話』が来た事は未だかつてなく、どうも明日にしろと言えるような雰囲気でもないと感じ取ったソフィは了承の旨を伝えるのだった。
用件だけを伝えた後、ヌーは直ぐにソフィとの『念話』を切った。
単に話をするだけであれば、この『念話』だけで充分なのであろうが、こんな時間になって直接会って話をしたいと告げてきた以上は、相当に大事な話なのだろうとソフィは判断するのだった。
隣で寝ているリーネを起こさないように、そっとソフィはベッドから抜け出し始める。
――しかし、ふとソフィは視線を背に感じて振り返ると、さっきまで熟睡していた筈のリーネの目がぱっちりと開かれていて、しっかりと意識がある様子でソフィを見つめていた。
「……すまぬな、起こしてしまったか?」
「気にしないで。幼少の頃の環境のせいで傍に居る人が動けば熟睡していても、こうして直ぐに目を覚ましてしまうの」
それは確かに影忍だった頃の環境の所為なのだろう。人間の年齢で一桁の頃にとても凄惨な過去を過ごしてきた彼女は、同年代の人間達よりも少し特殊な能力を望まぬままに、身に付けてしまっているようだった。
「先程一階に居る『ヌー』から『念話』で話があると言われたのでな。どうも尋常ではなさそうな様子なのでな、少し話をして来る」
「……そう。リビング? 何か作って持っていこうか?」
「いや、あやつは外で二人で話がしたいと言っていたのでな。何も要らぬ」
「分かった。肌寒いかもしれないから、何か羽織って行きなさい」
「……クックック。分かった、そうしよう」
この程度の外の気温で風邪を引くような魔族ではないソフィだが、リーネの言葉に温かいものを感じて言われた通りに上着を着ていく事にするのだった。
「では、行って来る」
「行ってらっしゃい」
ソフィはそう言い残すと、そっとリーネの頬にキスをして部屋を後にするのだった。
…………
「待たせたな」
そう言ってソフィは、すでに縁側に座って庭を眺めていたヌーに声を掛けるのだった。
「ああ。急に悪りぃな、どうしても今の内にお前に話しておきたい事があってな」
そう告げるヌーの表情は真剣そのものであり、何処か覚悟を決めたような目をしていた。
「それは構わぬがな、一体どうしたというのだ? 今のお主は戦時中の軍の魔族共のような顔をしておるぞ」
「戦時中の……か。まぁ、確かにあんまり変わんねぇかもな。もうすぐあのフルーフと一戦交えるんだ。それも前回とは異なってミラの奴も居ねぇしな」
――それは過去に『煌聖の教団』と結託して、フルーフを洗脳する為に拉致をした時の事を言っているのだろう。
「今更になって、あやつと戦う事を後悔しておるのか?」
「いや……、別にそういう事じゃねぇんだがよ。今日の夕方、テアの奴がお前の女と楽しげに会話をしていやがったのを覚えていやがるだろう?」
「ヒノエ殿の事か」
「そうだ。俺はこれまで生きてきてよ、テアぐれぇまでに親しくなった奴は居なかったんだ。物心ついた時には両親はとっくの昔に死別してやがったしよ、兄弟も親しい友人と呼べる奴も居ねぇし、そもそも近づいてくる不審な輩は片っ端から皆殺しにして生きてきた――……、生き残る為にな」
――アレルバレルの『魔界』ではそこまで珍しい話でもない。
あの世界では日常的に魔族同士で殺し合いが行われており、当事者だけならまだいいが、それに巻き込まれて命を奪われる者もいたり、その殺された遺族に報復されて殺されるといった事も日常茶飯事だった。
ソフィの配下である『エヴィ』も似たような境遇の中、運よくソフィと出会った事で生き永らえる事が出来ているぐらいでもある。
だからこそ、今ヌーが口にしたような『生き残る為』という言葉は過言でも何でもなく、当たり前の事を淡々と口にしているだけであった。
「……」
ソフィはヌーが今のような、身の上話をする為に呼んだのではないだろうと判断し、要らぬ相槌を打つ事もせずに耳を傾け続ける。
「そんな親しくなったテアがよ、俺以外の奴と楽しそうにしているところを見て、全く嫌じゃなかったんだ。それどころか心が満たされるような感覚っていうかよ、こんな日常も悪くねぇなって思えたんだ」
自分の親しい相手が、自分以外の別に知り合った相手と楽しそうにしている。
それは一般的な人間達の感覚では、何もおかしな事もない普通と呼べる話だった。
しかしヌーはその『普通』の枠組みに当て嵌まる人間ではなく、そもそもそんな日常とかけ離れたところで生きてきた『魔族』である。
そんな彼が、ようやく親しい相手と呼べる『テア』と知り合えた事で、これまで知らなかった感情を色々と知る機会を得る事となった。
親しい相手が、自分以外の者と楽しそうにしているというのは、これまでのヌーの生の中では体感した事のない感覚であり、思っていたよりも嫉妬などの感情などなく、有ったのは『こんなのも悪くない』という嬉しさすら思わせるプラス方面の感情だったのだ。
幼少期に多くの者達が理解していく感情をようやく人並みに感じる事が出来たヌーは、色々と今回考えさせられるに至ったという事だろう。
「それでよ……、俺はようやくあのフルーフのガキが、俺に対して抱いている『憎悪』の正体を本当の意味で理解しちまったんだ」
――それは『魔王』レアの事を言っているのだろう。
ここでようやくソフィは、ヌーが話したかった話の本質が『これ』なのだという事を察するのだった。
「俺はフルーフが俺自身に向ける『殺意』や『憎悪』の感情は理解出来ていたんだが、イマイチあのガキの感情が理解出来ていなかった。まぁ、自分の親を長年拉致されてんだから、キレていやがるって事は理解していたんだがよ、あくまでそれは客観的な捉え方っつーかよ、俺自身が本気でアイツの立場になって考える事が今までは出来なかったんだ。どんな感情だったのかすら、思い付きすらもしなかった。でもよ、俺にも胸を張って大事な存在と呼べる相手を見つけてよ、こうしてテアが幸せそうに他の奴と接しているところを見て、何となくなんだが、あのレアってガキが本当は手にする筈だった幸福な日常そのものを俺が奪っちまったんだなってよ……!」
そう語るヌーは自分の胸辺りを掴みながら、激しく苛立ちを見せ始めるのだった。
「夕方に、テアが幸せそうだなって思った瞬間に、フルーフとあのガキの事が頭を過って、それからよく分からねぇ苛立ちが止まんねぇんだよ……っ!」
どうやらヌーはテアという大事な存在が出来た事で、これまでよりは他者の気持ちというものを理解出来るようにはなってきてはいるようだが、その本質部分全てを理解にまで至ってはおらず、自分が与り知らない部分を本能で理解しようとしてしまい、中途半端な理解をしたせいでこれまで全く意識していなかった感情の部分に意識が向いてしまい、彼自身がまだ分かっていない感情と、少なからず理解出来た感情が綯い交ぜになってしまっている状態なのだろう。
だからこそ、苛立ちや吐き気を催してどうしようもなくなって、今彼がテア以外にこんな事を話せる唯一の存在である『ソフィ』に話を持ちかけたというわけであった。
普通の感情や感覚を持っている者であれば、こいつは『今更何を言っているんだ』と思う事だろうが、そんな事を理解する事すらも難しい世界で生き残る為に、ヌーは『大魔王』として精一杯生きてきたのである。
こればっかりは同じ魔族でも『レパート』で生きてきた『レア』にも理解が及ばないだろう。
しかしアレルバレルの世界で古くから生き続けてきた『ソフィ』だけには、ヌーの今の状態をも正確に理解してやれるのだった。
「ヌーよ……、お主自身が今抱いているその分からない感情の正体こそが、他者への『後悔』なのだ。今までは他人を思いやるという気持ちを僅かにすら抱かなかったお主には、理解出来よう筈もなかった事だろうが、我らと行動を共にし、ノックスの世界を経験し、そしてお主自身が大事だと思える存在が出来たからこそ、そこに気づくに至った。いや……今のお主であれば、至ってしまったと言うべきかもしれぬがな」
「……他者への『後悔』?」
まだ完全には理解が及んでいないような表情をヌーは浮かべていたが、何処かしっくり来るような感覚は得られている様子であった。
「他者を思いやれる事が出来るようになったお主は、相手を喜ばせようとする意味も理解出来始めたが、同時に他者を不幸にさせてしまうという意味も理解出来てしまえるようになったのだ。自分がする『後悔』と、他者を巻き込んでしまった事による『後悔』は似て非なるものだ。そこには自分だけではなく、他者の感情が入り込むのだからな。そしてそんな他者の感情をお主も理解出来るようになってしまったからこそ、お主はフルーフの立場やレアの立場から、双方へ向け合う感情の正体を理解してしまい、他者への後悔に今のお主は苛んでおる状態なのだ」
ソフィの言葉がすっと自分の中に入り込んでくる感覚をヌーは自覚する。
(俺は……あいつらにしちまった事を今更『後悔』してやがるってのか!? な、何千年前も前の話だってのに、ようやく俺は自分のしてしまった事を理解して、今になって勝手に『後悔』してるのかよ!? は、はは……っ、何だそりゃ、救えねぇ……!)
ソフィに『他者への後悔』の意味を理解させられたヌーは、決して小さくない衝撃を受けて自棄に近い感情を覚え始めるのであった。
……
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